青の縁に集い聖夜の祝祭を
●余興にして伝統
ほぅ、と零した吐息が白くなる。
「温かい恰好をしてきて良かったです……」
ふわもこのマフラーを巻いた寧宮・澪の前には、凍った湖と一面の雪景色が広がっている。
「ここがバハムートキャバリア。騎士が人造竜騎で駆ける世界ね」
初めての世界に目を輝かせるエリシャ・パルティエルだが、今日は人造竜騎には乗らない。
「お待たせ。借りてきたよ」
乗るのはガーネット・グレイローズが借りてきたトナカイ――でもない。
トナカイの後ろにあるもの。
――ソリである。
トナカイレース。
この地で『聖夜の祝祭』の日に行われる、冬の祝祭の前に行われる冬の伝統行事である。
その名の通り、トナカイに大型のソリを牽かせるレースだ。
コースは全長約2500m。街のすぐそばにある湖の畔からスタートし、湖の周りをぐるっと一周した後に、最後は真っ直ぐに雪上を抜けて街の門がゴールになる。
元来は騎士達の竜騎の操縦技量向上のためのレースであった――と伝わっているそうだが、いつの頃からか祝祭に取り込まれ、騎士団と住民の交流を兼ねるようになった。
今となってはトナカイとソリを借りて誰でも参加することが出来る、お祭りレースになっている。
そう――誰でも参加できるのだ。
例え百獣族であっても。
「――まだこのレースが続いていたとはな。面白い」
かつて――その時をその目で見た者が誰も生きていない程度には昔の事――このレースを5年連続で優勝したと言う記録にある名と、同じ名を持つ百獣族が今年は参戦しているのである。
とまあそんな事情もあるのだが、5人の猟兵も参加しているのは、そんな事情とは関係なかったりする。
「あれが氷菓の果実――大変興味深いですね」
狙いは、シリン・カービンの視線の先にある果実。
優勝賞品である。
さて、お祭りなのだ。
ソリは飾れる。むしろ飾れと言わんばかりに、借りてきたソリの中には飾りに使えそうなものがついてきていた。
とは言え、無制限にと言うわけでもない。
まずソリの形、特に後部を大きく変えるのは禁止されている。これは、ソリの後端が街の門をくぐった所をゴールの判定とするためだ。
あとはレースに影響しないように最大重量と、他のチームに妨害にならない形状のもの。
この3つの制限の範囲内であれば、自由に飾って良い事になっている。
地元の名物を飾ろうが、マスコットの類を飾ろうが構わない。
周辺の所領の騎士団から参加しているチームは、騎士団を象徴する紋章入りの旗をソリの後部に掲げたり、武器や鎧飾りを模したモノをソリ自体に留めたりしている。
どんな面白いソリがあるか――なんて楽しみを持っている観客も少なくないそうな。
「それで、私達のソリはどう飾ろうか?」
まだ飾りのないソリにもたれ掛かって、九瀬・夏梅が見慣れた顔を見回す。
最大3人まで乗れるとあって、結構大きなソリだ。飾れる部分も多いし、使えそうな材料――天然石や色紙や色布なども、ソリにセットで付いてきていた。飾れと言わんばかりに。
「どうしましょう。百獣族は言わずもがな、騎士団はチーム毎に特徴的な飾りつけをしていますね」
周囲のソリを一通り見回して、シリンが思案顔になる。
周辺所領の騎士団からの参加も多く、騎士団を象徴する紋章入りの旗をソリの後部に掲げたり、武器や鎧飾りを模したモノをソリ自体に留めたりしている。
熊の百獣族のソリは大きな牙を模した飾りをつけただけ。他に比べるとシンプルではあるが、そんな中にも武骨さが魅せる味があった。
「どちらもすごいですね……冷たい空気を吹き飛ばすような、勇ましさで」
「けどあたしたちは騎士団じゃないし……」
息を呑んだ澪の横で、同じ方向性は違うのではとエリシャは首を傾げる。
「そうだな。私達は酒場に集まるメンバーだから、お酒の原料になる『葡萄』や『麦』をイメージしたものを飾りたいところかな」
「そうね、葡萄と麦はアジュールらしいと思うわ」
「確かに。皆、良く葡萄酒を飲んでるし、麦も酒になるからねぇ」
ガーネットの提案に、エリシャと夏梅が頷く。
「葡萄酒の葡萄……ですか」
それを聞いた澪は、キラキラとした丸い紫の石を果実に見立てて、ピラミッド型に繋ぎ合わせていく。
「こんな感じで、どうでしょ」
「綺麗なもんだね」
「ああ、大きさも形もまるで葡萄みたいだ」
「では赤い葡萄と青い葡萄も作っていきますね……」
夏梅とガーネットの感心したような反応に、澪は他の色の石も使って葡萄を模した飾りを作り始める。
「手伝いますよ」
シリンもその作業に加わった。
「では私は麦の穂を作ってみるとしようか」
ガーネットは自身が提案したもう1つのテーマ、麦を模した飾りを紙で作り出す。
「色とりどりの葡萄に麦も綺麗ね!」
次々と作られる飾りに、エリシャも声を弾ませる。
「じゃあ、あたしは守り神を作ってみようかな」
「守り神?」
白い布と綿に手を伸ばしながらエリシャが告げた言葉に、夏梅が首を傾げる。
「そんなもん、いたかい? ひよこなら外にいるが」
夏梅の脳裏に浮かんでいたのは、何故かアジュールの外の小屋にいる、大量のひよこ達。
「ひよこさん……ふわもこのぴよぴよは、やっぱり外せませんね……」
「そうだね、ひよこも飾ってこうか」
ひよこと聞いて思わず葡萄飾りを作る手が止まっている澪に、夏梅は苦笑しながら頷いた。
そして――。
赤、紫、青と色の違う葡萄と麦穂を模した飾りが、ソリの左右に飾られた。
「葡萄と麦の間に青い造花も散りばめまして、綿の花も一緒にくくっていきましょね」
葡萄飾りのそれとは違う青色の花飾りと白いふわふわも、葡萄と麦の隙間を彩っている。
さらに前面には、黄色い布に綿を詰め込んだ、ぽわぽわふかふかのひよこぐるみが飾られていくのだが――。
「うーん、難しいねぇ……」
澪が作ったひよこと自分が作ったひよこの出来の差に、己の不器用さを思い知らされ難しい顔になっている夏梅の姿があった。
「味がありますよ……?」
「そうかい? でも、トナカイが怯えてないかい?」
「大丈夫ですよトナカイさん、これはひよこさんですから……」
トナカイが怯える程かと呻く夏梅に返しながら、澪はトナカイの背を撫でて宥める。
「夏梅さんのひよこも個性があっていいわよ」
そこにエリシャがフォローを入れながら、ひよこぐるみの群れの中に作っていた何かを追加した。
ひよこぐるみよりも大きく、全身が白。頭頂部には赤いのは、トサカか。
「これはにわとり? ……あの雌鶏かい?」
「エリシャ、まさかこの雌鶏は……あの凶暴な守り神、か?」
それを見た夏梅とガーネットの脳裏に、同時にその名前がよぎっていた。
――たまこ、と。
「ライバルを蹴散らしてくれそうでしょ?」
「流石にたまこより大人しそ――……」
笑顔のエリシャにそう返しかけて、夏梅はふとした予感に襲われて言葉の最後を飲み込んだ。
(「まさか――大丈夫、来てない来てない」)
呼んでもないのに、どこからか現れる。そう思わせる凄みがある。たまこには。
「葡萄に、麦に、ひよこに、たまこ。うん、私たちに馴染み深いモチーフばかりですね」
「麦の穂の豊穣も、守護神の雌鳥も、きっと勝利を導いてくれます」
思うままに色鮮やかに飾ったソリに、満足気に頷くシリンと澪。
「――見て、あのソリ。すごいきれい!」
「あれは石で作ったブドウ? あと麦かな?」
「なんか黄色いモコモコもついてる」
「あの白いの、存在感あるわ~」
そんなソリは、見物客の関心も集めていた。
他世界の文化を自重せずにぶち込めば、そりゃこうなる。
そしてそうなると、観客以外の関心も引くことになる。
「見ない飾りだな。どこのソリだ?」
「乗り手も見ない顔だな」
周囲の参加者たちである。
「これ、どんな意味があるんだい?」
「これは葡萄と麦で、酒場の象徴として……」
(「なんだか酒場の宣伝のようだね」)
興味を抱いて訊ねて来た参加者にガーネットが説明しているのを眺めながら、夏梅が胸中で呟く。
けれど、好意的な反応ばかりでもなかった。
「祭り気分の参加だろう」
「あまり我らの近くは走らないことだな」
中には挑戦的と言うか、対抗心を隠そうともしないチームもいた。
「どうぞ、お手柔らかに」
にこやかに挨拶を返すガーネットだが、目が笑っていない。
「ふふ、いいでしょう。あなた達は私の獲物」
シリンもクールに笑み返す。
「……ふんっ、雑魚共が」
熊の百獣族はソリの横で一人腕を組んで佇んだまま、興味なさそうに鼻を鳴らしていた。
間もなく、トナカイレースが始まる。
●適材適所
ソリの重量をある程度揃える都合、ソリに乗るのは3人まで、とされている。
「私は応援に回るかね。ソリに5人全員は乗れないんだろう?」
「あたしも一緒に応援に回るわね。さっきのガーネットとシリン、やる気満々で頼もしかったもの!」
5人全員は乗れない――と言う事で、夏梅とエリシャが応援に回ると言い出した。
操縦技術はガーネットがこの5人で群を抜いているし、シリンは眼が良い。澪は先刻に増えた飾りに怯えたトナカイを宥めたようにある程度の会話ができる。
「マン太、二人をよろしく」
観客はどこからレースを見るのも自由とあって、ガーネットはエイのマン太を呼び出した。空中に浮かべるマン太ならば、2人を乗せて湖の上にも行ける。
パーパプププー♪ パパプピー♪
2人を乗せたマン太がふわりと浮かび上がっていくのを見送っていると、喇叭の音が湖に響いた。
音を合図に他のチームがスタート地点に並びだすのを見て、ガーネット、シリン、澪の3人もそれに倣う。特にゲートの類もスタートの枠順なんてものもなく三々五々に並んでいる様子なので、3人も外側の空いているスペースに入る。
プップポポプププパーパパパー♪
鳴り続けていた喇叭の音が、余韻たっぷりに響き終えて――スタートを告げる空砲がパンッと鳴り響いた。
●白の上を青が駆ける
「「あ」」
マン太の上から見守っていた夏梅とエリシャが、同時に口を開く。
全てのトナカイが一斉にスタートしたのだが――アジュールのトナカイが、出遅れたのだ。
大きく離されてはいないが、最後方スタートになってしまった。
「ま、まだまだ大丈夫だよね!」
「ああ。レースは始まったばかりだからね。焦ることはないさ」
少し心配そうなエリシャに、夏梅は淡々と返す。
「さすがにスタートが上手いな」
2の声は届いていなかっただろうけれど、手綱を取っているガーネットは慌ててはいなかった。
技量よりも、レースの『場馴れ』の差が出た形だろう。
どうあれ想定外の出遅れだが、それはそれ。
最初から最後まで先頭を行く――それが理想ではあるけれど、理想通りに事が運ばない経験と言う『場馴れ』ならば、猟兵の方が遥かに上だ。
「トナカイさんの体力を考えると……追い抜きを仕掛けるのは1度にすべきかと」
「その時は、コース読みますよ」
「そうだな。最後のコーナーから直線に賭けよう」
澪とシリンの提案に頷いて、ガーネットはトナカイを抑えるべく手綱を引く手に力を籠めた。
「あ、1台……もう1台も抜いたよ!」
「よしよし。良い展開じゃないか」
2回目のカーブでアジュールのソリが最後方からやや順位を上げたのを見て、マン太の上の2人が声を弾ませた。
その後はしばし直線が続くのだが、その間、アジュールのソリは順位を上げずに、集団の外側で流れについて行くばかり。
「これって……最後に仕掛けるつもり?」
「そうみたいだね」
見守る2人も、ソリ上の3人の狙いをもう察していた。
「シリン、ガーネット、澪、いい調子よ、頑張って!!」
届くのだろうか――と言う一抹の不安を振り払うように、エリシャは幸運のメガホンを手に声を張り上げた。
「どうしても前のソリで雪が荒れますね。追い抜くなら外からの方が走り易そうです」
高速で走るソリの上から、前方の雪の様子を見てシリンが告げる。
前を走ったソリが残した轍ならば走り難い事はなかろうが、それでは追い越せない。
「わかった」
シリンの目を疑うことなく、ガーネットがトナカイを外に出させる。
「2人とも、仕掛けるならそろそろだ! 何か策があるんだろう!?」
最終コーナーに入ったところで、ガーネットが声を張り上げた。
シリンにも澪にも何か勝つ為の策があると、半ば確信して。
「~♪」
「精霊達よ」
澪は世界に願う歌で、シリンは精霊への呼び掛けで、その答えとする。
程なく澪の歌に応えて、ソリを牽くトナカイのすぐ前の雪だけが均されていく。そうかと思えば、トナカイの後ろ脚が離れた直後に、凍り出した。シリンの呼びかけに応えた氷の精霊の力で。
さらに世界と精霊の助けは、アジュールのトナカイとソリだけを後ろから押す風となって吹き抜けた。
『――!』
ソリを牽くトナカイの、駆ける速度が一気に上がった。足元が走り易くなった事に加えて追い風。そして後ろのソリも軽くなったから。
まあその分、ソリの上は大変になったのだが。
「こ、れは……確かに、1度しか! 出来ないなっ」
ガーネットの表情から、余裕が消えている。
手綱を強く握り締め、ソリが横にぶれるのを抑えるのに精一杯だ。雪上よりも滑りが良くなってスピードも増した分、転倒のリスクも上がっていたから。風が壁にもなっていなければ、もっと揺れていたかもしれない。
「こんなに揺れるのは予想外でした!」
こうなるともう、シリンもソリから振り落とされないようにするしかない。
「♪♪」
それでも歌い続けるしかない澪が、最もハードかもしれない。舌、噛かまないようにね。
「……応援に回ってよかったかも」
「だね」
付き合いの長さで、マン太の上からでも何が起きたか大体分かるだけに、エリシャと夏梅は思わず顔を見合わせていた。
ソリの上の苦労の甲斐あって、アジュールのトナカイが驚異的な速度で大外から他のトナカイを次々と抜いていく。
「何ぃ!?」
「外から来ただと!」
ついに先頭集団に追いつけば、騎士団の紋章を掲げたソリの上から、驚きの声が上がる。
「ほう――足を貯めていたか。やるではないか」
ただ1台、一人乗りの百獣族だけは平静を保っている。全く驚いてないわけでもないだろうけれど。
「だがこちらのトナカイも、まだ足を残しているぞ! 往け!」
その号令に応えて、百獣族のソリを牽くトナカイがただ一頭、先頭集団から抜け出した。
やや遅れて、アジュールのトナカイも外から先頭集団を抜いて追いかけていく。
百獣か、アジュールか。
2頭の距離が次第に詰まっていく。けれどゴールはもう目前。
届くか、届かせないか。抜くか、抜かせないか。
夕陽が彩る接戦の末、2頭のトナカイと2台は殆ど並んでゴールに飛び込んだ。
●伝統にまた1つ
「見てるだけでも楽しかった!! みんな、お疲れ様!」
「ああ、良いレースだったよ。お疲れ様」
レースを終えた3人を、エリシャと夏梅が出迎える。
「「「……」」」
流石に疲れたようで今は言葉を返せなさそうな3人に代わって、2人で器具を外していった。
「トナカイも、お疲れ様」
「良く走ったね」
先にトナカイを解放し、厩舎の人々に任せる。あとはソリの飾りを外して返せばいい。他のチームも同様にレースの片づけをしている一方で、街の中では急ピッチで祝祭の準備が進められていた。
陽が落ちて街の外は暗くなっていたが、街の広場は等間隔に並べられた篝火に囲まれ、積もった雪が揺らめく炎の色に照らされている。
篝火の輪の中ではテーブルの上には料理と飲み物が並べられ、焚火台の上からは肉の焼ける匂いが漂ってくる。
その匂いに誘われるように、アジュールの5人や他のチームも広場にやってくる。
いよいよ聖夜の祝祭の本番――の前に。
「トナカイレースの結果を発表します!」
広場に、街の領主の声が響いた。
「今年のトナカイレースの優勝チームは、百獣族とアジュールの同着となります!」
まさかの同着。
長く続いている伝統の中でも数回しかない結果に、広場はざわめきに包まれた。
「同着ですか……賞品の『氷菓の果実』はどうなるのでしょう」
そんな中、シリンが訝しげに呟く。
この季節にのみ採れる、王家への献上品となるくらい貴重な果実と聞く。まさか2つに割ったりとか――。
「あ、両チームに差し上げることになりました」
などと言う心配を他所に、領主があっけらかんと言ってきた。
なんでも、今年は偶さか大豊作だったらしい。さりとて、本来は貴重品である以上、多く採れたからとておいそれと市場に流すわけにもいかない。
「元々今年は、勝ったチームのソリに乗っていた全員に差し上げても余るくらいでして。ですからまぁ景品も数を出せるので、同着に出来たと言う部分もあります」
「景品の数も要因かい。なんとも緩い判定だね」
「まあ貰えるものは貰っておきましょう」
それで良いのかと夏梅が竦めかけた肩に、シリンが手を置いた。
「では、アジュールには3つを。百獣族は一人乗りでしたので2つを――」
「要らぬ」
果実を差し出そうとした領主を、百獣族が遮った。
「勝ち切るつもりで勝てなかったのだ。これは我にとって敗北に等しい――故に我の分も貴様らにくれてやる」
ガーネットとシリンと澪に順に視線を向けて、百獣族が有無を言わさぬ口調で告げる。
「いい乗り方だった。内心、雑魚と侮っていたのは謝罪しよう」
「そちらも。抜かせそうで抜かせなかったのは流石です」
百獣族の内心の告白を敢えて聞き流し、シリンは微笑を浮かべて賛辞にのみ返す。
「こっちは差し切るつもりだったんだがな」
「……こちらとて意地がある」
ガーネットが差し出した手は取らずに、百獣族は踵を返す。
「お疲れさま、今日は本当にありがとう」
「いずれ機会があれば、次は勝つ」
労いにも再戦の意志だけを返し、百獣族は何処かへと去っていく。
(「これが相互理解の第一歩になれれば、いいんだけどね」)
賞品も祝祭も不要と去る背を見送りながら、ガーネットは胸中で呟いていた。
●そして祝うは聖夜
「さて。気を取り直して乾杯しよう。楽しいお祭りはこれからさ」
硬くなってしまった空気を振り払うように、ガーネットが声を上げる。
そこに。
ポンッとコルクの抜ける音が響いた。
「この世界の葡萄酒、絶対美味しそうって思ってたの」
声を弾ませ、エリシャが4つのグラスに注いでいく淡い黄金色。微かに泡立つそれは、シャンパンに似た発泡酒か。
「わかります。いい香りですね……」
「……後で仕入れの交渉してみるか」
グラスの中で泡立つシャンパンの香りにシリンが目を細め、ガーネットは商人の顔がちらりと現れる。
「夏梅さんはこっちね!」
下戸の夏梅にと、エリシャはノンアルコールの葡萄ジュースの瓶を差し出した。
「ジュースも美味しそう。あとで頂いても?」
「構わないよ」
お酒とは違う果実感の強い香りにも惹かれた澪に頷きながら、夏梅は混ざらないよう形の違うグラスに注いでいく。
そして――。
「では、乾杯!」
「お疲れ様! メリークリスマス!」
「ん、メリークリスマス」
「メリークリスマス」
「はい、メリークリスマス。皆さんも良い夜を」
コンッと5人が掲げたグラスが小さな音を鳴らした。
思わぬ形で5人分手に入った『氷菓の果実』。
お土産にしよう――なんてつもりは誰にもなかった。この果実目当てにトナカイレースに参加したのだ。
「これは……」
「勝者の味ね……!」
最初に齧ったシリンとエリシャが、思わず目を見開いた。
「うん、おいしい……歌った後の喉に心地いいです」
続けて『氷菓の果実』を口にし、澪がその味わいに目を細める。
「うん。じんわりと沁みる美味さだ」
その余韻に、夏梅もしみじみと頷いていた。
冷たさと甘さが合わさった味わいは成程、氷菓を思わせる。氷菓のようではあるがしかし、明らかに氷菓でもない。舌に残るすっきりとした甘さの余韻は、これが果実である事を物語っていた。
「今までにない、格別の味わいですね。レースが白熱するのもわかります」
「そうだな。これは王家への献上品になるわけだ」
それだけの価値はあると、ガーネットもシリンに頷いた。
折角のお祭り。
酒が進むのは、誰も同じ。そして酒の話題は自然と、直前のトナカイレースが多くなっていた。
「まずはおめでとう」
「出遅れてたのに最後に一気に捲って抜かされるとは思わなかったよ」
「どうやったんだい、あれは」
そうなると勝者となったアジュールの元に、他のチームの乗り手達が訪れるのは必然と言えよう。
「どう、か。私はほとんどバランスを取っていただけだが……」
「どうやったか……ですか」
「どう答えましょ……」
答えに窮したガーネットがシリンと澪に視線を送るが、2人も答えに困っている様子だった。2人にとっては難しいことはしてないが、それを言語化するとなると話は別と言う事か。
「あっちは賑やかだねぇ」
「すごいレースだったもの。訊きたくなるのもわかるわ」
こればかりは、応援に回っていた夏梅とエリシャに出せる助け舟は――ない。
「この肉、美味いね」」
「本当! 中に赤身を残しつつ、表面はこんがり……焼き加減が絶妙ね」
まあ何も言えない、なんて事はないのだけれど、ソリに乗っていた3人の方が適任だと――とかなんとか理由をつけて、美味しそうな料理を食べたいだけではなかろうか。
「美味しいけど、何の肉かしらこれ……臭みが全然ないし」
「この肉には、ホットワインが合うんです」
何をどう料理したのかと味わいながら呻くエリシャに、進められる湯気の立つワイン。
「……確かにあうわ!」
一口飲めば、スパイスの効いたホットワインは確かに相性抜群だった。
「そちらもどうです?」
「すまないが、私は飲めなくてね」
流れのままにホットワインを進められ、夏梅が肩を竦める。
「ならホットジュースもありますよ」
ノンアルコールドリンクもあるのがありがたい。
「やっと終わった……」
「疲れましたね」
「何か飲みたいです」
そこに、ようやく人波が途切れたガーネット達がこちらに来るのが見えた。
「またお疲れ様ね、はい、ホットワイン。スパイスたっぷりで、身体がぽかぽかになるわよ」
エリシャの差し出した湯気の立つグラスを、3人がゆっくりと飲み始める。
温かいものを飲んだ後の吐息はすぐに白くなり、空に昇っていく。いつの間にかすっかり夜が深まって、街の外はとっぷりと暗くなっている。篝火で照らされた街だけが、夜に浮かび上がっているようだ。
幻想的な光景――ではあるれど。
「ええ。白い雪が灯りを反射して、ほんわかと夜空も明るく――まさに銀世界、ですね」
「ああ、夜空も星が綺麗だ」
夜の光景に目を細めた澪の呟きに、夏梅が頷き返した。
「ただ、街中だけで外の樹は飾られてないんだね」
「そうね。これはこれでいいけれど――」
特に何も飾られず夜の暗さだけを纏っている樹々。
夏梅とエリシャが感じた、ほんの少し物足りないような感覚は、様々な世界を見てきた猟兵だけが感じるものだろう。
「光源が火だからかね。澪、シリン、どうだい?」
「ええ、お望みでしたら飾りましょう」
「いいですよ――お願いします」
にまっと笑った夏梅に、澪もシリンも二つ返事で頷く。
澪が電脳魔術の投影型コンソールとキーボード立ち上げると、ふわり、ふわりと、|色様々な熱のない灯り《イルミネーション》が街の外の樹々に1つ、また1つと灯っていく。
「すごい……綺麗ね」
「こんな色の光、見たことないわ」
夜が遠ざかり明るくなっていく街に、何事かと見守っていた人々がざわめいた。
「光が……動いて?」
「魔法、か……?」
更にシリンに応えて顕れた光の精霊達が、ひらひらと遊ぶように飛び回って光と彩を添えていく。
「皆、見たことない演出に目を丸くしているな」
「澪の光のおかげで、精霊も興が乗ったようですね」
随分と驚ている人々の様子にガーネットが笑って告げれば、呼び掛けた以上の反応だとシリンが苦笑した。
「でも喜んでくれてるわよ」
「クリスマスはこうでなくちゃね」
これで良いと、エリシャと夏梅も笑みを浮かべる。
「皆々様、楽しんでいただけますでしょうか?」
そんな中、まだ驚き冷めやらぬ人々に澪が声をかけた。
「よろしければ望みの紋様も映しましょう――さあさ、見本を見せてくださいな」
リクエストがあれば応えると、告げる声は普段よりも明るい。澪もそれなりに酒精が回っているのだろう。
――おぉーっ!
光の線に描かれて樹に映し出された紋章に、また歓声が上がった。
「今年のクリスマスも、素敵な思い出になるわね」
この夜がまだまだ続きそうだと思わせてくれる賑やかさに、エリシャが楽しそうに笑った。
成功
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