|漢詩《からうた》、琵琶、酒と友
封神武侠界のとある霊山で、賤木・下臈は仙人と盃を交わしていた。たまたま下臈が|妖獣《オブリビオン》を討伐するところを目撃し、勝利を祝おう、と仙人のリョシンが酒を振る舞ってくれたのだ。
歌人という下臈に興味津々のようで、会話が弾んだ。語らっているのは、下臈の持ち出した一つの仮説。
「アヤカシエンパイアの歌人は|和歌《やまとうた》を詠み、言葉に宿る力を引き出します。|漢詩《からうた》でも同じことはできるでしょうか」
「面白い。和歌の奥ゆかしい雅やかな有り様の技は美しい。だが、漢詩にも漢詩の味わいがあり、和歌とは異なる力強さがある。それが具現したとき、どうなるのか……見てみたいな」
それに、とリョシンが続けようとしたところで、びゃん、と音色がした。この独特な余韻を持つ弦の音は、琵琶だろうか。
見ると、そこにいたのは琵琶を抱えた天女。びゃん、と琵琶が鳴る。ぐにゃりと空が歪んだ気がした。
「王貴人……妖獣か?」
「ああ、琵琶の妖怪の。そのようですね。|詩《うた》に合わせて伴奏でもしてくれるのでしょうか」
酒も入っているからか、どこか陽気な声色で語りつつ、リョシンと下臈は臨戦態勢となる。王貴人は感情の窺えぬ目で、ただ琵琶を弾いた。
びゃん、びゃびゃびゃんびゃん……弦の弾かれる音と共に、空気が揺れる。妖術を繰り出そうとしているようだ。
どのような妖術か見てみたい気もするが、相手はオブリビオン。猟兵である下臈が手加減をしてやる理由もない。
「僭越ながら、下臈が先んじましょう。——|看竹看花本国春《たけをみはなをみるほんごくのはる》、|人声鳥哢漢家新《じんせいてうろうかんかあらたなり》」
ふわり、柔らかい香りが流れた気がした。王貴人が顔を上げる。どこからか聞こえる鳥の声に視線をさまよわせた。何か来る、と警戒しているのだろうか。
琵琶の音色を伴奏にして、下臈は吟ずる。
「|見君庭際小山色《きみがていさいこやまのいろをみて》、|環識君情不染塵《またしるきみのじょうのちりにそまらざるを》」
びゃん、と琵琶の音が詩を締めるように小気味よく響く。存外、王貴人も楽しんでいるのか。それとも、漢詩も和歌のように歌人に吟われて何かしかの効力を発揮したのか……。
判然としないが、リョシンが盃をひらりと振るう。そこから紅梅の花弁が溢れ、視界を覆うように王貴人の周りで渦巻く。
「さすが下臈殿。趣味のいい詩だ」
「ありがとうございます。盃がリョシンさんの|宝貝《パオペエ》で?」
「ああ。花と酒以外にも色々出るが、花で充分だろう」
梅の香りと花嵐に巻かれ、王貴人の姿は徐々に崩れていく。清らかな笑みを浮かべて。
呆気なさ含め、花のような妖獣を倒し、二人は何事もなかったように座る。妖獣からの攻撃もなかったため、傷もない酒瓶を手に取り、リョシンが下臈に盃を勧める。
「いやぁ、お見事でした。漢詩も力を持つようだ」
「はて、妖獣を巻いた嵐はリョシンさんのものでしょう? まあ、琵琶弾きのようでしたから、単に詩が好きだったのかもしれません」
「謙遜をして。しかし、言う通り、物の雅がわかる妖獣だったのだろうな」
しまった、私も一つ詠んでやればよかったか、と口にし、リョシンは姿勢を正す。
「|勧君金屈巵《きみにいそしむきんくつし》、|満酌不須辞《まんしゃくじするをもちいず》、|花発多風雨《はなひらいてあめおおし》、|人生足別離《じんせいべつりたる》」
そう諳じると、リョシンは飲め飲め、と下臈に酒を勧めた。うまいですね、と下臈は笑みを返す。
それは酒の味のことだったのか、リョシンの詩選びの「粋」にだったのか。
成功
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