いつか見たあの可惜夜のように
●1
星川・玲蘭はごく普通の家庭に生まれた少女だ。小さな悩みや落ち込む事があっても、そんな時はネットやテレビの世界で見かけるアイドル達の、時には命を削るような煌めきにいつも元気を貰ってきた。
だから自分もあんな風になりたいと思い、アイドル養成科のある高校へ入学を決めた。わたしが勇気を貰ったみたく、何気ない日常の中、多くのストレスを抱えた沢山の人達に夢と希望を齎したい――若葉のような眸を期待に輝かせ、玲蘭は桜咲く四月のある日に、華やいだ世界の門へと飛びこんでいった。
けれど、夢の中には影がつき纏うもの。
(またオーディション落ちちゃった……歌も踊りも頑張ったのにな)
すべてが上手くいくわけではなく、悪い事が続けば実力を疑う気持ちも芽生える。
いったい誰がこんなわたしを見て、わたしの言葉を聞いて、ましてや夢や希望なんて抱いてくれるんだろう。笑顔を浮かべていても、燻るその想いは次第に玲蘭の心を蝕んでいった。
「アイドルか……まるで、灼滅者の皆みたいな在り方だね」
北条・優希斗は他の地球と同じ閑静な住宅街の道端で、ふと立ち止まり静かに瞼を伏せる。昔の事を思い返していた。この新たに見つかった世界は、自らの故郷であるサイキックハーツにどこか似ていた。
心の中の『骸の海』に蝕まれた者はオブリビオンになる。それは闇堕ちに近い現象だ。あの時の――まだエクスブレインだった優希斗には、救えなかった人達がいる。今でも脳裏に焼きついている……最後に交わした言葉。守られなかった約束。
学生だった彼らには、苦いという言葉では足りないほどに壮絶な戦いの記憶だ。完全にダークネスと化した者は、人類を守る為に灼滅するしかなかった。例え、親しい友や家族であっても。
(……彼女達を殺させる決断を皆に下させたのは、俺だ)
だから皆の罪ではない、優希斗はそう思っている。ただ皆を見送る事しか出来なかった日々はもどかしかった。猟兵となった今は、その十字架を背負い自ら武器を振るう。
世界には殺す事でしか救えない者達がいる。彼らの死は勿論、罪の全てまで己が背負い、贖罪を続けていく。求道に果てはなく、優希斗の想いが消える事は決してない。
この世界も表面上はとても平穏そうだ。思索にふけりながら町を散策している間に夜が訪れた。月が出ている――いったん拠点に帰ろうかと考えていた時、夜空の月が何かを報せるように震えて視えた。
(……骸の海……? それもかなり強大なものだ)
優希斗はその感覚を信じ、夜の街を駆ける。
何が待っていようと、今は立ち向かう力も覚悟もあるのだから。
●2
居残り練習をしていたら夜になってしまった。玲蘭は自販機でココアを買い、ふらりと自宅近くの公園のベンチに座りこむ。ここは星空が綺麗で、お気に入りの場所だ。こくりと喉を潤せば、優しい甘みが疲れた体に沁みる。けれど、玲蘭の心は折れかけていた。
「……こんなに遅くなったらまたお母さんに心配かけちゃう。中学の友達だって応援してくれてるのに、わたし、全然皆の気持ちに応えられてない……本当にアイドルになんかなれるのかな。このままじゃ誰も幸せにできないまま終わっちゃいそう……そんなの嫌っ……!」
俯く彼女の眸に流れ星は映らない。
心の中から骸の海が溢れだし、玲蘭を包みこんでいく。彼女を包む水は蒼穹の色に輝いて、今までにない解放感がこみあげるのを感じた。
私服がステージ衣装に変わる。靴には羽が生え、掌には光輝く指揮棒が現れる。アイドルらしい可愛らしさも備えたドレス風のシルエットに、天の川のように輝くリボンが華を添え、自律するオーケストラを従えた姿はさながら超銀河の歌姫だ。胸元には星のペンダントが輝く。
――これは……わたし、アイドルになってる!?
無限にも等しいサイリウムの輝きが彼女を照らす。それは玲蘭がずっと憧れていた、ステージに立つトップスターの姿。だが彼女は本当の『アイドル』を知らない。今の玲蘭は――。
「オブリビオン……」
「誰!?」
何者かの呟きが聞こえ、玲蘭は振り向く。漆黒の虚ろな闇を擬人化したような青年が、蒼と紅の双刃剣を構え、同じステージに立っていた。
公園に辿り着いた優希斗は玲蘭の呟きを聞き、月夜に願ったのだ。この強大な骸の海を独りで抱えた少女を救いたい。彼女が罪を犯す前にと、心から祈った。
アイドルになりたいと思ったわけではない。
けれど、その強い覚悟は玲蘭が憧れた『アイドル』の姿と奇跡のように結びついていた。
骸の海と流星群。優希斗の操るその力は世界と呼応し、夜の公園を宇宙のアイドルステージに変える。ただ、この力は普段彼の中に眠っているダークネスの人格を引きずりだしてしまう。
玲蘭は闇を纏う優希斗の迫力にぞくりとする。白い髪に鋭い眼……クールでカッコいいけれど、子供のころ流行っていたアイドルアニメなら絶対に悪役だ。
(もしかして、わたしが幸せにしたい人達を不幸にさせようとしているの?)
そんなの絶対に赦せない。玲蘭はステージ上から星雲のように広がるサイリウムの灯りを眺める。顔は見えないけれどこれはきっと、わたしを応援してくれている人だ。それに、今なら何でもできそうな気がした。皆の期待に応えるためにも、悪者を見逃すわけにはいかない!
「皆を不幸にする悪い人にはお仕置きだよ!」
「……ふん。オレを引きずり出すか、小娘。その心、塵も残さず破滅させて……」
自分が正義の味方側だと勘違いし暴走する玲蘭へ、ダークネスの優希斗は冷たく言い放つ。だが呟いた瞬間脳に走る激痛で、一瞬表情が歪んだ。
――ちっ……やはりそう易々とオレにこの器を譲らないか……”俺”。まあ、良いだろう。貴様が贖罪を続ける限り、オレも貴様の中に存在し続ける事、決して忘れるなよ……。
優希斗は双刃剣の代わりに、ふたつの刀を手にした。
蒼月・零式と月下美人――それは忘れえぬ過去の楔で、紡ぐべき未来への標。
玲蘭は白い前髪から覗く彼の眼を見た。♠の刻まれた琥珀色が、射貫くように彼女を捉えていた。
普段とは体の反応速度が違うし、発声も別人のようだ。玲蘭は流星群の輝きで敵を攪乱しながら、ダンスを応用した足技で立ち向かおうとするものの、まるで未来を予知されているかのようにことごとく蹴りがかわされてしまう。
「どうして……!?」
夢見たアイドルになれたのに、悪に勝てない。一瞬また心が曇りそうになるが、銀河に揺れるサイリウムが玲蘭の勇気を奮い立たせる。
「皆、応援ありがとう! 初めてのソロステージだけど、わたし頑張るよ!」
純真な想いをこめた歌声が異次元からの流星雨を呼ぶ光景に、優希斗は苦笑した。
「……まあ、この世界から見ればオレは異物だからな。彼女の方を応援したくなる群集心理は当然か」
完全に悪役のようだ。だが、優希斗は冷静に考える。きっとこの大量のサイリウムは全て、彼女が幸せにしたい、希望を与えたいと思った人々や、その願いによって救われた人々の無意識が顕在化したものなのだ。想いに応えられるかという不安に襲われるのも当然だろう。
「笑みが引きつっているぞ小娘……強がるな」
「……っ!」
心の裡を見抜かれた玲蘭は動揺したものの、負けじと懸命に立ち向かう。
「そんな意地悪な事を言うなんて、やっぱり悪い人だね」
「……否定はしない。ただ、オレは貴様の強い願いに呼び寄せられ、本音を聞いた」
降りそそぐ流星雨の合間をかい潜り、稲妻のように駆けた優希斗は玲蘭に肉薄する。咄嗟に放たれた蹴りも甘いものだ。難なくかわし、刀を振るってその細い首筋の寸前でぴたりと止めてみせる。息を呑んだようにサイリウムの動きが止まった。
「……凄いね、全然敵わない。わたし、最後まで期待に応えられない駄目なアイドルだったな」
掠れた声で絞り出す。微笑んでみても、足の震えは抑えられない。
しかし、最期の瞬間までアイドルたろうとする玲蘭の心には確かな輝きがあった。優希斗はそこに何か特別な力を視ていた。
「いや。貴様はこれだけの人々の無意識を、オレを排除するための応援として呼び出す事が出来た。そこはもっと誇って良い」
そう思うのは恐らく優希斗だけではない。ここまで追い詰められても、まだ玲蘭を応援しようとサイリウムが揺れだすのが見える。彼女の努力や優しさに励まされた人々の想いだ。優希斗だって闇の人格に抗いながら、彼女に励ましの言葉を届けようとしている。
悩み、苦しみ、身近に感じるから応援したくなるアイドル。
玲蘭にはそういう武器が、魅力があるのだ。
「誇れないよ。これだけ応援してもらっても負けちゃうのに、夢や希望を届けるなんて……」
「その不安や苦しみは、表現者であれば誰もが抱くものだろう。それに貴様が答えられるのか、そして自信を貴様が持ち続けられるのか不安になるのも当然だ」
――けれども。
「もっと自信を持っていい。貴様は間違いなく、誰かに必要とされているのだから」
偽りの輝きを砕く矢のような、漆黒の流星雨が天から降りそそぐ。心を撃ち抜かれた玲蘭は、悪い万能感と共に意識が薄れゆくのを感じた。
「……貴様には未だ帰れる場所が、世界がある。だから今は眠れ」
――オブリビオン。
その言葉が、わたしの耳に残った。
●3
目を覚ますと、玲蘭は公園のベンチの上に横たわっていた。
さっきまでの事は夢?
一瞬そう思って胸を撫でおろしたが、目の前の青年を見て違う、と考え直す。随分優しげな雰囲気にはなっているけれど……。
「大丈夫? 俺は北条・優希斗。宜しく」
差しだされた手を取っていいものか迷った。“闇の様な人”の姿は消えていたけれど、この黒い髪の男の人も同じ”闇”を秘めているとは感じられたから。玲蘭の心を汲んだ優希斗は怖かったろうねと苦笑しつつ、努めて穏やかに語る。
「すぐには信じられないかもしれないけれど、君達の心の中にもさっきの俺と同じ様な闇……『骸の海』と呼ばれるものがある。君はそれに飲み込まれていたんだ」
「え? じゃ、じゃあ、わたしが悪者だったの……?」
「そう単純な話でもなくてね。君の心は一先ず浄化できたから、そこは安心してほしいんだけど――」
優希斗が語る猟兵とオブリビオンの話は、それこそアニメのような設定でとても信じられなかった。けれど彼のグリモアや、先程使っていた刀を見せられると否定もできない。何より、玲蘭も自分の心が闇に傾いていた自覚があった。
でも、今は不思議と晴れやかな気分だ。その表情を見た優希斗はもう大丈夫だと思い、少しだけ息をついてから尋ねる。
「これから君は如何したい?」
「わたしは……」
弱気な気持ちは吹っ切れていた。
あの銀河のように輝く夢の舞台を、一生忘れない。忘れることなんてできない。
「もう闇には負けないよ。皆に希望を与えられる様なアイドルになりたい。応援してくれる皆の為に、夢が叶うまで頑張りたい!」
玲蘭の答えを聞き、優希斗は優しく微笑む。
「夢が残りうる限り、きっと君にはなれると思うよ。その夢を諦めない限り」
背を押す言葉は頼もしい。けれど、彼の笑顔にはどこか翳りがある。嘗てあった何かを重ねているように見えて不思議だったけれど、差しだされたこの手を放してはいけないと思った。
「優希斗くん」
玲蘭が彼の手をとり、立ち上がりながら声をかけようとした時、背後に流れ星が落ちた。夜なのに美しい青空のような軌跡を描くその輝きに、玲蘭は一瞬すべてを忘れ、目を奪われた。
コツンと足に何かがぶつかり、驚いて地面を見ると、輝星の様なペンダントが転がっていた。ステージで着けていたものだ。夢じゃなかったんだ……玲蘭は噛みしめるような想いでペンダントを拾い上げる。
「これは……不思議な事もあるものだね」
月を見あげて呟く優希斗に向かって、玲蘭は明るく笑いかける。
「ねえわたし、優希斗くんの希望にもなりたいよ。応援してくれる?」
「……勿論だよ」
優希斗は静かに頷く。今度は闇へ堕ちる前に救えた――自分の手で。
彼女の夢の道行を見守る事が、少しでも過去への贖罪となるならば。
刹那、ペンダントから星屑が散り、玲蘭の中に吸い込まれる。
世界は彼女を選んだ。猟兵に、そして希望をもたらすアイドルという存在に。
その澄んだ緑の瞳は、悲劇の未来を見通し、幸せへと導く星を宿していた。
成功
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