Valentine × fountain
●決意と異変
今日も変わらず、平穏な日。
この日のユェーも普段と変わらぬ日常を過ごす――はずだった。
そう、あの事件。もとい行動がなければ。
「もういくつ寝るとバレンタインね!」
或る日、ルーシーはカレンダーを眺めていた。
バレンタインは大切な人に贈り物を渡す日。
普段からお世話になっている人達はもちろん、大好きな相手にはとびきりのものを贈りたい。
その為には、やらなければならないことがある。
「頑張りましょうね、ララ、ルー!」
ルーシーは気合いを入れ、共に在るものたちにも笑いかけた。
そんな次の日の朝。
ユェーはいつも通りにルーシーの分まで朝食を作っていた。色々な食材を使っており、様々な美味しさを教えてくれる彼の料理は、ルーシーの大好きなもののひとつ。
「今日は和風でしょうか」
まずは卵焼きを焼くためにユェーが準備していると、足音が聞こえてきた。
「おや?」
「パパおはよう!」
続けて響いたのは娘の可愛い声。
「おはよう、ルーシーちゃん。今日は一人で起きたのですか?」
いつもならばユェーが朝食を作り終わった後、ルーシーを起こしに行くのが日常だった。
しかし、今日は自分で支度をして起きてきたらしい。
少し不思議に思ったがそういう日もあるだろうと思い、ユェーはルーシーに微笑みかける。少女も明るく笑い、ユェーの隣に立った。
「そうなの! えへへ、わたしも手伝うわ」
「ありがとうねぇ。それならサラダを作ってくれますか?」
「サラダね? お任せあれ!」
ユェーはルーシーからの申し出に双眸を細め、後で手を付けようと思って準備していた野菜を示す。
シャキシャキのレタスの水を切って、薄く刻んだパプリカとつやつやのミニトマトを彩りに添えて、と手際よくサラダを作っていくルーシー。
楽しそうに手伝ってくれるルーシーを見守りながら、ユェーは器用に卵焼きを焼いてゆく。その際、ルーシーもちらりとユェーを見上げた。
「……ねえ、パパ」
「どうかしましたか?」
「えっと、オレンジは好き?」
「オレンジは好きですよ。次の食事のデザートに出しますか?」
唐突な質問に軽く首を傾げたユェーだったが、素直に答えていく。逆に問いかけを返すとルーシーは「そういう意味じゃなくてね」と話してから、ふるふると首を振った。
「じゃあブルーベリーやキウイは?」
「どちらも好きですね」
「それだったらパンは? ご飯は?」
「パンやご飯も好きですね」
ルーシーはサラダを作る手を止め、こくこくと頷く。その後に何の質問をしてもユェーは好きだと答えた。
「……むう、パパのキライなものってあまり聞かないのよね」
「おや? 確かにコレが嫌いというものは無いですが、どうかしましたか?」
「ううん」
それならいいの、と話したルーシーはサラダの盛り付けを終えた。
そのときにはユェーは卵焼きと和風の味付けにした小鉢の用意を終えていた。次は味噌汁の仕上げに入るところであり、彼の手際の良さはいつもどおり。
その間、ルーシーは少し困っていた。
(パパのお味の好みを探すのって難しい……)
悩んでいたのは料理のことではなく、バレンタインに贈るものについて。
されどユェーに気付かれてはいけない。
ルーシーはさりげなく情報を聞き出すために頑張っていたのだが、うまく聞けないので迷っていた。バレンタインに何が欲しいのか直接聞くのも憚られ、ルーシーは出来上がった朝食をテーブルに運んでいく。
そして、ふと思い立ってユェーに声をかけた。
「あ、パパ。わたし、今日のお昼はひとりでお出かけするね」
「ぐっ……ゲホゲホ」
そのときのユェーは丁度、味噌汁の味見をしようと少量だけよそった小皿に口をつけたところだった。娘から聞こえた言葉を確かめるようにユェーは口を開く。
「お昼にお出かけ? 一人でですか?」
「えぇ、一人よ」
ララとルーも一緒だが、実質はそうだとルーシーは答えた。
「一体どこに何をしに?」
「何処へ? 何をって……ええと、そのう、」
更にユェーから問いかけられたことでルーシーは少しだけ言い淀む。素直に答えたいが、言ってしまえばバレンタインのことが公になってしまう。
それゆえにルーシーは口許に人差し指をあてた。
「ナイショ!」
「……な、ナイショ?」
返ってきた言葉にユェーはショックを受けていた。
今までなら自分も一緒について行っていたか、或いは行き先を教えてくれた。それだというのにどちらも断られているも同然の返答だ。
それに何やらルーシーはソワソワしている様子。
本当なら一人で出掛けるなど危険だ。特にこんな可愛い少女がたった一人で出歩いていたとしたら攫われかねない。ユェーの思考はぐるぐると巡っている。
彼の顔色を察知したルーシーは、はっとして語ってゆく。
「る、ルーシーだってもう十二歳なんだから。ひとりでも出かけられるもの!」
たぶん。
小さな声で付け加えたルーシーに対して、ユェーはとても真面目な顔で頷く。
「そうですね……。十二歳なら、一人で何でも出来ていいでしょう」
「お出かけしていいの?」
もう少し説得が必要だと思っていたが、ユェーはあっさりと許してくれた。ほっとしたルーシーが問うとユェーは優しく微笑んだ。
「わかりました。でも遅くならないように早く帰るのですよ?」
「うん、そうする!」
こうしてルーシーだけでの外出は許された。
その後、いつもの穏やかな朝食の時間が流れていく。
「パパ、今日のご飯もおいしいわ!」
「それはよかったです」
明るく笑むルーシーに優しい視線を返すユェー。
されど内心ではお出かけのことが気になっており、気が気ではなかった。朝食の味があまりしなかったり、味噌汁を少し零してしまったりと普段とは違う様子だ。
もちろん、ルーシーが作ってくれたサラダは残さず美味しく食べたのだが――。
(やっぱり不安だ……それなら!)
そして、ユェーはあることを心に決めた。
時間は流れ、お昼になる。
それより少し前に家を出たルーシーは街中の或る店に向かっていた。
暫くして到着したのはチョコレート専門店。バレンタイン前ということもあってとても人気の店だ。
「わぁ……!」
予想以上の人混みと熱気を見て、ルーシーは足が竦んでしまいそうになる。本当にここでまともなお買い物ができるのかと不安になったが、ルーシーは気を強く持った。
「いいえ! 怖気づいてはダメよルーシー!」
頬を両手でぺちりと叩いた少女は自分を奮い立たせる。
ひとりだけで来たのは何のためか。
そう、どんなバレンタインチョコレートをパパに贈るのが良いか、それをこの場所で研究するためだ。
怯んではいけないとしてルーシーは歩を進めていく。
そんな少女から離れた場所にて。
店に入っていったルーシーの背を見つめていたのは怪しい人物――ではなく、変装したユェーだ。娘にバレないよう後をついてきたらしい。
追跡して分かったのは、どうやらルーシーが買い物をしようとしていること。
朝に聞かれた果物を買うのだろうか。
「それとも……」
ユェーが色々な確認をしていく中で見つけたのは、チョコレート専門店の看板。
季節が季節であるゆえにチョコを買いに来たことが理解できた。それならいいのだが、次にユェーの視線は看板に書かれた文言に注がれる。
「なになに、もうすぐバレンタイン、ですか」
――大好きなあの人に告白を! 初恋は甘いチョコの味!!
そんな文字を見たユェーは今朝以上の衝撃を受けた。『バレンタイン』『大好きなあの人』『告白』『初恋』、そして『ナイショ』といった娘の言葉。
「ま、ま、ま、まさか……」
動揺で言葉が発せなくなりながらも、ユェーは思い至った考えを口にする。
「ルーシーちゃんに好きな男が……?」
まだ子供だと思っていた。
いつかは訪れると考えていたが、それはまだまだ遠い日のこと。自分がそう思い込んでいただけだと察したユェーは頭を振る。
「でも立派なレディ……歳など関係は無いでしょう」
この事実は父親として喜ぶべきだろうか。しかし、複雑で仕方がない。
店の中にまでついていくのは違うと思い、ユェーは踵を返した。
このまま帰宅して、何事もなかったように娘を迎えるのがいいのだろう。それでもユェーの心は乱れたままであり、暫しの苦悩が巡っていた。
●好みを探しに
「……ううう、すごい人混み」
その頃、ルーシーは店内で人に流れそうになっていた。
女性客が多いが、その中でも特に小柄な少女は人の波間を掻き分けていくのがやっと。それでも種類やパッケージの確認、試食品の味見など、出来ることはしっかりとやっていた。
「種類の多さにも眩暈がしそう、だけど……」
頑張る、と両手を握ったルーシーは次のコーナーに向かっていった。
いつもならパパが手を引いてくれて、味見のチョコレートも二人分を取って片方を渡してくれるのに。
そんなことを思いつつルーシーはぐるりと店内を巡った。
「どれも美味しかった……けど、」
グッタリしながらもひとまず退散したルーシーは疲れきっている。
チョコレートひとつをとっても様々な種類があった。
洋酒入りボンボンやトリュフ、ホワイトチョコレートのクッキーサンド、チョコを染み込ませたラスクや和風の抹茶味チョコ。スタンダードな板チョコであっても味や装飾に工夫がされていたり、猫型のものがあったり、キューブ型の大きなチョコレートもあった。
その中でルーシーが学んだのは――。
「パパの作るチョコが、どのお店のものよりルーシーの口には合うのね」
以前に作ってもらったものの味を思い出しながら、ルーシーは肩を落とす。分かったのは、これでは何の参考にもならないこと。
「どうしたら良いのかな……」
実際にパパに色々食べてみて頂ければいいのに。
困った顔をしたルーシーだったが、すぐに名案を思いついた。
「……! そうだわ!!」
それならば本当に色々な種類を作ってみて、彼に全て食べてもらえばいい
チョコレートファウンテンやフォンデュを先程に見ていたルーシーは、ああすればいいと思い立った。
そうと決まればあとは準備をするだけ。
「クタクタになったけれど悩んだ価値はあったわね、うん!」
一度は後悔しそうになったお出かけだったが、ルーシーは嬉しそうに笑った。
ユェーが家で様々な想像を巡らせてしまい、項垂れていることは知らずに。少女の瞳はきらきらと輝いていた。
そして――。
街からルーシーが帰ってきたのは夕刻になる少し前。
「ただいま、パパ!!」
言いつけ通りに遅くなる前に帰宅したルーシーは、元気よくユェーに声をかけた。
顔をあげたユェーは静かに笑う。
「おかえりなさい、ルーシーちゃん……」
しかし、これまでに娘に彼氏ができるかもしれない可能性を考えに考え抜いたユェーの瞳は僅かに暗かった。きょとんとしたルーシーは彼の傍に歩み寄る。
「……う? 何だかパパ、グッタリしていない?」
お疲れなのかしら、とルーシーが問いかけるとユェーは笑顔を作ってみせた。
「僕? そうですね、少し」
「大丈夫?」
「平気ですよ。ルーシーちゃんこそ疲れたでしょう。美味しいご飯を用意しますから待っていてくださいね」
「……ありがとう、パパ」
そういってキッチンに向かったユェーの背を見送り、ルーシーは考える。
ああしていつもルーシーの面倒を見てくれる彼だ。きっと普段からの疲れが出てしまったのだろう。
(……そうだ! 甘いものを食べたら元気になるかもしれないわ)
ユェーの心配をしたルーシーだったが、チョコレートを食べてもらえば大丈夫なはずだと結論付けた。
幸いにも今日のリサーチで用意するべきものは分かっている。
ルーシーはユェーの元へ近寄り、とびきりの笑顔を向けた。
「もうすぐバレンタインだし、当日を楽しみにしていてね!ふふふー」
「おや? 当日を?」
平静を装うユェーだがやはり内心は揺らいでいる。もしかしたら彼氏候補を紹介されるのかもしれない。
とても楽しそうな娘には何も言えず、ユェーは当日を覚悟した。
●二人だけの特別
そうして、バレンタインの日が訪れる。
ユェーはそれまで普段通りに過ごそうと決めていたが、ついに今日が来てしまったことに複雑すぎる感情を抱いていた。何もないところで躓いたり、料理に身が入らなかったりもした。
だが――。
その日、用意されたのはユェーへの贈り物だった。
「ハッピーバレンタイン!」
「……これを、僕に?」
それは色とりどりの果物やお菓子と、ビターチョコたっぷりのファウンテン。
他の誰かに贈るためのものではないと察したユェーは不思議そうな顔をしていた。「驚いた?」と聞いたルーシーはチョコファウンテンを示しながら得意げに笑む。
「パパへの、大好きの気持ちを籠めたのよ」
「楽しみにしていて、というのはこのことだったんですね」
「えへへ。ドキドキした?」
「えぇ、それはもう……かなり」
ルーシーとしては素直にバレンタインの予告をしたつもりだった。
その言葉を深読みしすぎたのだと気付いたユェーは大きな安堵を抱く。
ルーシーに好きな人が出来たのだと勘違いしてしまったことは心の奥にそっと仕舞い込んだ。正直に言ってもよかったが、もやもやした気持ちをわざわざ娘に伝えなくてもいいと判断したからだ。
ユェーは胸を撫で下ろしつつ気付く。
思えばあの日の朝食時に好きなものを聞いてきたのも、このためだったのだ。
「ありがとうございます、ルーシーちゃん」
「大好きよ、パパ!」
めいっぱいの気持ちを贈ってくれたルーシーを見つめ、ユェーは心からのお礼を伝えた。娘はさっそく食べてほしいと願い、ユェーも快く頷く。
「美味しい?」
「ん、美味しいよ」
「ちょっと多かった? でもね、これも愛情! よね?」
「ふふ、そうですね」
ちょっぴり奮発し過ぎたのか、食べきるのが大変な量だったがユェーは必ず全てを食すと決めていた。これが彼女の愛情ならば受け止めるのもまた父の愛。
ユェーはひとつずつを大切に味わい、ルーシーはその様子をにこやかに眺める。
その際に一口だけ分けてもらったり、どの味が一番好きかを問いかけたりと、父娘としての絆を更に深めてゆく二人の楽しい時間が流れてゆく。
「ルーシーちゃん」
「なぁに、パパ」
「まだ暫く、僕の娘でいてくださいね」
「何いってるの? パパはずっとパパよ!」
ユェーはささやかな願いを紡いだが、ルーシーは当たり前のように答えた。その思いも言の葉も真っ直ぐなものだったので、ユェーは嬉しげに双眸を細める。
目の前の全てが自分のためのものであり、大切に思われている証。
そう思うと目頭が熱くなった。
その後にこっそり隠れてユェーが泣いていたのは、秘密のお話。
少女と青年の絆。
それは誰にも邪魔できず、決して途切れない――二人だけの大切なものだ。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴