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ぼくに捧げるモノローグ

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ロラン・ヒュッテンブレナー




 自己を形作る要素は、数多ある。
 教育、学習、経験、趣味、環境、人間関係、向けられた言動、向けた言動、その結果。そうした事柄から派生した様々な事象。大小はあるけれど、その全てが積み重なって、今の自分を形成している。
 それらを一つに統合したならば、自我の素材は過去ということになる。恐らくは忘れてしまった過去すらも、無意識のどこかで自分の心の血肉となっているのだろう。
 そうだとすれば、ただ今感じている胸中のざわめき──即ち、今この瞬間に心から放たれている感情もまた、その源泉を過去に求めることができるはずだ。
「……考えるまでもないけれど」
 日が落ち、燭台の火が揺らめく明かりで照らされた書斎。読むでもなく広げている魔導書を眺めながら、ロラン・ヒュッテンブレナーは呟いた。
 つらつらと思考してみたはいいものの、ぼやいた言葉の通り、そうするまでもなく分かることだ。表に出せずに渦巻く感情、その淵源が過去にあるなどということは。
 冷たくなったハーブティーを口に運んで、味わった香りと共にため息を吐き出す。
 長々とした思考は、結局のところ、もてあそぶ心の揺らぎへの言い訳にすぎなかった。
「分かってるんだけど、ね」
 落としどころがなく、行く当てもない感情。それは、人を頼れない自分と、そのことを言葉にできないもどかしさ、その未熟への苛立ちだった。
 いつか、誰かに悩みや想いを受け止めてもらいたいと思う。そうしてくれるだろう人も、今では思い浮かぶようになった。
 だがロランにとって、それは単純な話ではなかった。
 歴史ある魔術の名家ヒュッテンブレナーの長男に産まれ、両親の寵愛を受けた。稀代の魔術師であることが知れると、隠里の人々から救世主という期待をかけられた。望まれるべくして産まれたはずの神童はしかし、七つの時に人狼病を患い、瞬く間に人から忌まれる身となってしまった。
 それからは、常に闇が付き纏う人生だったように思う。今この時、「死の循環」を継承せしめんとする身であることも、あるいは己の宿命と無関係ではないのかもしれない。人に疎まれることを恐れるあまり、人見知りの悪癖も身に付いてしまっていた。
 それでもロランは、努めて光の方向を目指し、暗黒のさだめに抗い続けてきた。友の光に魅せられ、自身もまた誰かの光になることを望んだ。
 その努力があったればこそ、今では人の輪の中心に立つようになったし、仲間からは知恵者として頼られるようにもなった。それは半生を闇に囚われてきたロランにとって望外の喜びであり、誇りでもあった。
 他者との交わりが増えてから、暗がりの人生に陽光が差し込んだ。あがいて手にした光によって、ロランは夢を抱き、友を持ち、恋を知った。
 今の自分は、恵まれている。幸せだと思う。それは間違いない。
 しかしそれでも、自身の痛みや苦悩を他者に打ち明け、助けを求めることが、ロランは極めて不得手だった。
 命に関わる大事から取るに足らない茶飯事まで、時にはそれが多少自分本位な願いであっても、心のままに口に出し、行動に示し、伝える。
 それが当たり前にできる者からすれば「なぜできないのか」と疑問に思うほど、もしかしたら簡単なことなのかもしれない。
 そも、悩んでいるならば誰かに相談すればいいということは、ロランも理解はしているのだ。解決するか否かは別として、話せば多少なりともすっきりするものだし、もしも仲の良い誰かが落ち込んでいたら、ロラン自身もそう勧めるだろう。
 ところが、それが自分のこととなれば、どうだ。今まで何度、手を差し伸べ声をかけてくれた友に対し、「大丈夫だよ」と返してきたことか。
「……本当に、呆れちゃうの」
 思わず声に出るほどには、分かっているのだ。溜め込んだ感情が消えてくれることはほとんどないし、気づかないうちに膨れ上がって、最後には破裂してしまう。
 心の淀みが弾ければ、言葉や態度となって周囲に影響を及ぼす。しかも往々にして、心配させたり傷つけたりと、ろくなことにはならない。
 だから、やめたいのだ。無駄に我慢したり作り笑顔で取り繕ったりすることは、もうしたくない。
 だというのに、内なる自分へ「ではこの悶々とした思いを誰かに打ち明けるか?」と問えば、心の奥底からは「いや、それはしないほうがいい」と返ってくるではないか。理性と感情の自己矛盾に、またもため息が出る。
 ロランは自分の頬を両手で張ってから立ち上がり、書斎の窓を開けた。冷たい夜風が宵闇色の髪を掻き撫でる。
 思考で過熱した頭が冷却されていき、気持ちが落ち着く。月はもう沈んでおり、どこまでも黒い夜を眺めて、呟いた。
「みんな、なにしてるかな」
 漆黒の空に浮かんでは消える、親しい人たちの顔。それは家族であり、友であり、恋をしている少女だった。
 その誰もが、確信を持って例外なく、ロランが悩みを打ち明ければ真剣に耳を傾けてくれる人たちだ。
 あるいは心のままに「抱きしめてほしい」と頼めば、驚きながらも応えてくれる人たちでもある。
 疑う余地など、微塵もない。ロランが大切に思う人達は、ロランを大切に思ってくれている人でもあるのだから。
「……」
 散々遠回りして辿り着いた結論は、すでに何度も通ってきた答えだった。
 とどのつまり、時には人に頼りたい、縋りつきたいという願望めいた悩みが消えない理由は、ロランの中から表出しないからなのだ。
 一歩踏み出す勇気があれば、胸中の悶々とした汚泥など、見る間に流れて消えるだろうに。
「もしかしてぼくは、プライドが高いのかな?」
 魔術師として、軍師として、ヒュッテンブレナーとして、男として。自尊心の発生源についての心当たりは、色々とある。頼るよりも頼られる方が好きだというのも、事実だ。
 そのくせ、限界が近づくと言葉や態度に漏れてしまったりもする。その時のことを思い出すと、自分のことながら頬に熱を覚えるほどに恥ずかしい。
 我慢して我慢して、そうできなくなった時に思わず言動に溢れてしまう姿は、まるで──幼子のそれではないか。
「いや……その通りなのかも。ぼくはまだ、子供なんだ」
 齢十六となり、精神は成熟の兆しを見せ、小柄とはいえ成人と言って差し支えない背丈にもなった。だがロランは、己の幼さを自覚していた。
 だからこそ、叶えたいのだ。赤子めいた願望を。
 満たしたいのだ。叫びにも似た渇望を。
 闇との戦いに没頭せざるを得なかった小さな人狼が、天賦の才を持つが故の重責を担った童子が、育ちつつある大人の理性に埋もれて眠りについてしまう前に。
 
 ロラン・ヒュッテンブレナーは、甘えたいのだ。

 窓を閉め、蝋燭の火がガラスに映した己と、手を合わせる。宵闇に立つ自分と、目が合う。
「課題だね、ぼくの」
 人に頼る。甘える。幼き頃の遺漏として捨て置けない、今の自分に必要なことだ。
 大人に差し掛かる今だからこそ、子供でいられる間に決着をつけなければ、大人のロランは後悔するだろう。
 今一度、愛を欲する自分と向き合う時が来たのかもしれない。自分と、大切な人たちのためにも。
 あとは自身の心次第だ。
「……うん」
 長い脳裏の独白を終えたロランは、窓を離れて蝋燭の火に息を吹きかけた。まだ冷える春の夜に少しだけ身震いをしながら、ベッドの中へ潜り込む。
 その日は、いつもよりも早く眠りに落ちることができた。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年04月10日


挿絵イラスト