ばれんたいんの準備は、今年で何度目だろう。
今年は、折角食べてもらうのだから好物のポテンシャルを布教しよう! なんて考えた。
篝・燈華の大好物はいわずもがな、油揚げ!
(これをばれんたいん用のお菓子に開発するんだー!)
意気込み十分。試行錯誤を繰り返し、やっと完成! 燈華の喜びはほんの束の間――まさかおやつ(味見用)をとんびに盗まれるなんて!
小さなコンテナをハンカチで包んで、一息ついた瞬間だった。結び目を器用に銜えて、かっさらっていったのだ!
いたずらとんびを捕まえようとしたときには、もう手遅れ――燈華を嘲笑うように上空で旋回して飛んで行った。
「わわっ、だめだよ、返して、僕の油揚げなんだよ! うわわっ」
大慌てで追いかけようとしたから袴を踏んづけてしまって、危うくコケるところだった。手をついたおかげで地面に顔が激突するのは回避できたから、燈華はコケていない! 少し掌が痛いがコケていない!
「あ! 待ってー!」
上を向いて走ったから何度か木に肩をぶつけたし、石を蹴って痛い思いをしたけれど――気づけば、|こんなところ《﹅﹅﹅﹅﹅﹅》まで来てしまった。
「ときちかァ!!」
「あははっ!」
聞き馴染みの声が吠える。古い門には【志崎剣道場】と掠れた字の看板がかかっていた。
「誉人くんのところの…! 楽しそうに笑ってる…ちょっと、気になるんだよ!」
賑やかな笑声が聞こえるから、燈華はそっと門をくぐった。
ここは何度か訪れたことがある。時折開放される庭で、面白いもの(かき氷にバナナをぶっ刺したのは記憶に新しい)を振舞ってくれるが――そういえば、道場主の鳴北・誉人と、道場奥にある母屋に住んでいる志崎・輝は、普段はどんなことをしているのだろう。そういえば猫もいたはず。出会えるかなと期待も込めて、好奇心のままに木に隠れてそっと覗く――すると、
「おーい、ブチー、出といでェ」
誉人は寝そべるように縁の下を覗き込んでいた。
(ブチちゃん、あの下にいるんだね…)
きょろきょろと探さずとも、ぶち猫の居場所は判明したわけだが。
(どうして、あんなに必死になってるんだろ…?)
猫は気まぐれな生き物だろうに。縁の下に怪我をしそうなものでもあるのか。
「シカトされてるの面白いから写真に撮っておこう。あとで本人に見せようか、輝さん」
「チカくん、動画にしよう」
「いいね、そうし、」
「全部聞こえてンだけどォ!?」
ふふっ。零れそうになる笑声を堪える。誉人が本気で怒らないよう加減しながら揶揄っているようだった。和井・時親はスマホを向けたままにんまり笑っている。
「お前がとんびなんて手懐けちまうからァ!」
「アタシのせいじゃないし。アンタがこの子を可愛がりすぎたんだろ」
「近くで見たくなンだろ! つーか撮ンのやめろ!」
「それは難しいよ」
「難しかねえわ!」
とんびは輝の肩の上から動かなくて、羅刹角を嘴で突いて遊んでいるらしい。
(あ、あっ! ちゃっかり懐いてる!)
あのとんびが懐いている。しかも撫でる輝の指先を許している! それよりもなによりも、すでに一悶着を起こした後だ!
眺めてる場合じゃなーい!
「こんにちはっ、志崎さーん!」
わたわたと慌てすぎて足が縺れそうになったが、(今度は)コケずに駆け寄れた。
「篝さん!?」
「えっ燈華!?」
寝そべっていた誉人も慌てて立ち上がって。
スマホをポッケに片づけた時親は行儀よく会釈。
とんびを肩に乗せたままの輝は、紫瞳をぱちくり、燈華を見上げた。
「みんな久しぶりなんだよー! お元気そうだね! は! 違う! や、違くないけど、今は違うんだよ! うちのとんびが迷惑かけてごめんなさーい!」
「この子、篝さんとこの?」
「そうなんだよ…あっ!」
燈華に見られた途端飛び立って、ピーヒョロロロ~なんて甲高く鳴いて、また上空を旋回する。
「降りてくるんだよー!」
燈華がぷんすこしてもとんびには効かない。もうちょっと従順になってくれたらいいのに!
「もしかして、あの子を追ってここまで?」
「そうなんだ…勝手にお邪魔しちゃって…」
「いや、来てくれンのはいつでも大歓迎」
「篝さん篝さん! あの子、本当に賢いね!」
ちょっと見てて――言って輝が腕を伸ばす、そこ目掛けてとんびは急降下! ばさっと羽ばたいて急ブレーキ――そして、輝の腕に止まった。
「鷹匠さんみたい! かっこいい…!」
「アタシ、こんなに懐いてもらえてすごく嬉しいんだ、ありがとう」
「そんな…えへへ、どういたしまして」
ぺこりとお辞儀し合って、照れ隠し。気ままなとんびに困ることもあるけれど、やっぱりそれでも憎めなくって。
土汚れを払っていた誉人は燈華の前にやってきて、手を差し出した。
「なァ、こんなの銜えてたんだけど、これって燈華の?」
「あ! 僕のチョコ!」
誉人の手の上にあったのは、とんびが持って行ってしまったおやつの包み。
稲荷寿司の刺繍のあるハンカチは、まさしく!
「無事でよかったなァ」
燈華の手に戻ってきたおやつに、一安心。包みを途中で落とさなかったとんびも輝に褒めてもらっていた。
「誉人くん。ブチちゃんはどうかしたの?」
「拗ねてンのォ…」
「誉人くんに甘えてるんだー、可愛い!」
「甘やかしてるつもり、ねえンだけどな?」
縁下を覗き込んでみると、柱の陰に香箱座りの猫がいた。
「こんにちは、ブチちゃん」
手を振って挨拶。小さな声で「にゃ」と人馴れした返事があった。
「篝さん、この子ともう少し遊んでもいい?」
「もちろんだよー!」
「やった!」
とんびもそれに喜んだようで、上機嫌に体を揺らしていた。
「あんな風に懐いてくれたらいいのに…」
「良かったじゃん。甘えられてるってことでしょォ」
先刻の言葉が返ってきてしまって、気恥ずかしかった。
そう考えると可愛い――かな?
「座布団出したよ」
そんな折、火鉢の周りに座布団を並べてくれた時親の声が、座れと三人を呼んだ。誉人は彼に軽い礼を口にした後で、改めて燈華に座布団を勧める。輝はとんびに夢中だけど、せっかくだから彼女も呼んで。
「これ、おすそわけ!」
誉人が預かってくれていた包みを解く。
「じゃーん! ばれんたいん用に開発した『お揚げチョコ』だよー! 油揚げの中にとろーり生チョコが入った、新感覚のスイーツなんだっ」
ぱこっと開ければ、チョコの甘さの中にうっすらお揚げの香ばしさが立ち昇る。
「揚げと、生チョコ…?」
「なんつーか…斬新すぎるアイデアだな?」
覗き込んだ二人は、困惑気味。
「えっ? …斬新すぎるかなあ?」
実際味見をしても美味しかった。
とろける甘いチョコと、しっとりだけど香ばしいお揚げのハーモニーは、なかなかクセになるお味。
「あ、俺もお土産あるよ。みんなで食べようと思ってさ。篝さんは抹茶味のチョコは好き?」
時親が紙袋から、大入りのチョコを取り出した。
「え、えっ、僕もいいの!?」
「勿論」
「よし、寒ィから奥行くかァ。輝チャンも来いよ」
頭にとんびを乗せて喜んでいた輝は、間延びした返事をした。
「奥?」
「こたつあるンだよ。燈華、まだ時間ある?」
急ぐ用はない。
誉人は重い火鉢を、時親は座布団を纏めて持つ。燈華も細々した荷物を持って、二人の後を追った――いつもの庭も楽しいけれど、招かれた奥の間は、ほっこほこのこたつの温みと、コーヒーの香りで満ちていた。
さァ、おやつの時間だよォ。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴