憧れの未来に、君がいたなら
約束の時間まで、もう間もなくだ。
時計を確認した少年は、落ち着かない様子で尻尾を振り、その耳もドアの外から聞こえる音を聞き逃さないよう、せわしなく動かしていた。
今年、十六歳になる少年──ロラン・ヒュッテンブレナーは、大きく深呼吸をした。いつもの服装、いつもの髪型。小綺麗にはしているが、このセーフハウスだっていつも通りだ。
浮かれているつもりはない。緊張しているつもりもない。だがしかし、手を当てれば確かに感じる胸の高鳴りには、嘘をつけるものではなかった。
想い人が、二人の特別な日を祝いにやってくるのだ。どうして心震えずにいられようか。
「……でも、大丈夫なの」
自分に言い聞かせ、両手で軽く頬を張った、その時だった。外からカラリと金属が叩かれる音が聞こえた。
来た。時計を見る。約束の時間より五分早い。彼女が早く来てくれたという事実だけで、ロランは嬉しくなった。
ドアを開け、すぐにその名前を呼ぶ。
「チェリカちゃん、いらっしゃい」
「ロラン! 出てくるの早いわね、もしかしてドアの前で待ってた?」
悪戯っぽい笑顔を浮かべる、紫髪の長いツインテールの少女。名をチェリカ・ロンドという。彼女もまた、お気に入りらしい見慣れた服を着ていた。
見透かされてしまったようで、ロランは赤くなった頬を掻きつつ俯き、「だって楽しみだったから」と呟いた。恥ずかしいが、誤魔化す理由もなかった。
チェリカは軽やかな足取りでロランに近づき、気づけばすっかり背を追い抜かれてしまった少年の頭を、背伸びして撫でた。
「ふふ、ありがと。私も楽しみにしてたわ!」
「ほんと?」
「当り前じゃない! 年に一回の、二人の大事な日だもん」
チェリカの言葉には、含みも何もなかった。そのことがやはり嬉しくて、ロランもまた破顔して頷いた。
「……そうだね。ぼくも今日をずっと待ってたの」
「よかった! それじゃ、ええと。お邪魔してもいい?」
「もちろん! 入って入って」
背後のドアを開けて、少女を促す。チェリカは「お邪魔します」と言って、遠慮なく中に入ってくれた。
実際、彼女を招き入れたのは初めてではない。いつもの三人で遊んだこともあったし、ロランが命の危機に陥った際に駆けつけてくれたのも、このセーフハウスだ。
しかし、春が近づく二月──二人の誕生月とバレンタインデーを共に祝う恒例の行事をこの屋敷で行なうのは、初めてのことだった。
今日という日のために、日頃からロランの身の回りの世話をしてくれるじぃやとマリアは、今もせっせとご馳走を拵えてくれているはずだ。
「パーティーまで時間があるけど、どうしようか?」
壁にかけられた絵を眺めていたチェリカの背中に声をかけると、少女はくるりとこちらを向いた。
「そうねぇ。それじゃあ、私このセーフハウスをじっくり見て回ったことないし、色々案内してもらってもいい?」
意外な申し出だった。面白いかしらという不安はあったが、客人たるチェリカが望んでいるのだ。「うん、いいよ」と、ロランは快諾した。
いくつかの調度品と絵画が置かれているエントランスから、いい香りが漂う食堂へ。今日のパーティーに向けて準備が進められているテーブルはさほど大きなものではなく、大人数で住まうことは前提にしていないことをチェリカに説明した。
食堂を後にして、リビングへ向かう。柔らかく高級感のある絨毯の感触に、チェリカが「うわぁ!」と感嘆の声を上げた。
暖炉にはすでに火が入っていて、赤い光と熱とがリビングに満ちている。ゆっくりと座れる大きなソファもある。ロランはふと、じぃやとマリアがここでくつろいでいる姿を見たことがないなと思った。
階段を上がり、二階へ。廊下には六つの扉があり、奥からロラン、彼の姉、じぃや、マリアのそれぞれの私室、書斎と、チェリカが泊まる予定の客間があった。
いつもの宿泊の流れでは、なぜか同じベッドで眠ることが多い。今回もそうなるのではという予想──願いではない、とロランは心中でかろうじて断言した──もあるが、客室を用意しないのは、やはり無礼というものだ。
チェリカが客間にお泊り用の荷物を置いて身軽になってから、二人はロランの蔵書が保管されている書斎に入った。
本の香りに満ちるそこは、ロランにとって落ち着く空間だ。しかし、あまり勉強や読書に馴染みがないチェリカは、そわそわとしていた。
「ここ、久しぶりに来たわ。相変わらずすごい本の量……っていうか、増えた?」
「うん。ダークセイヴァーの決戦に備えて魔導書を読んだり、興味深い歴史書をじぃやが見つけてくれたりしたからね。とはいっても、増えたのは五十冊くらいなの」
「ご、ごじゅっさつ……。私の人生で読んだ本の何倍かしら」
苦笑いを浮かべる少女に、ロランも釣られて笑った。苦手なものは苦手だと言える彼女の素直さが好きだったし、チェリカが不得手な学術面はロランが補えばいいだけの話だ。
恋愛小説なら読めると豪語するので古典文学のロマンスを渡してみたが、チェリカは厳めしい文章で始まる数行でくじけてしまったので、書斎から出ようという運びになった。
一階に戻り、ロランは最後に浴室へ案内した。あまり大きなものではないが、魔術で湯を沸かす仕組みになっているので、安定した温度で湯浴みができる。その快適さは、UDCアースなどの機械文明に勝るとも劣らないと自負していた。
石畳の浴室を見回して、チェリカが興味深そうに目を輝かせた。
「わぁ! いいお風呂ね、足も伸ばせそう!」
「ふふ、喜んでもらえて嬉しいの。今夜はこのお風呂でもゆっくりしてね」
「そうさせてもらうわ! あ、温泉の時みたいに、一緒に入る?」
「えっと、それは、じぃやたちもいるし……」
「ん、そっか。それもそうね!」
少しだけ寂しそうに頷くチェリカに、ロランは一瞬後ろ髪を強く引かれる思いになった。しかし、特別な日とはいえ、ここは温泉旅館という特殊なシチュエーションではない。優秀なメイドたちは気を使ってくれるだろうが、そういう問題でもない。
裸の付き合いなどというのは、恋人や同性同士でもない限り、気楽にしていいものではないはずだ。そう、自分に言い聞かせた。
食堂へ続く廊下に出ると、マリアが立っていた。二人の邪魔をしないよう控えていたらしい彼女は、美しく伸びた背筋のまま一礼した。
その仕草だけで察したロランは、従順にして優秀なメイドに笑みを見せた。
「ありがと、マリア。チェリカちゃん、ご飯にしよっか?」
「やったぁ! ぜひぜひ!」
両手を叩いて飛び跳ねそうに喜ぶチェリカと並んで、マリアに導かれるようにして食堂へ向かう。
用意されていたのは、この地域の素材をふんだんに使った料理だった。とはいえ、主であるロランが小食なので、ボリュームは抑えてある。
向かい合って座ると、じぃやとマリアが二人のグラスに薄めた葡萄の果汁を注いでくれた。少女の髪色と似た液体が揺れるグラスを持ち上げ、ロランはチェリカに差し出した。
「それじゃ、チェリカちゃん。二人の誕生日と、バレンタインに」
「うん! 私とロランの、特別な日に!」
乾杯。
グラスが重なる小気味よい音が、ささやかな宴の始まりを告げる。
◆
じぃやとマリアが用意してくれた食事は、豪勢な馳走ではなく、どちらかといえば家庭料理と呼べるものだった。
しかし、質素というわけではないし、彼らが作る料理の味は本物で、二人だけの祝い事にはぴったりだ。
チェリカも喜んでくれたようで、何を食べても「おいしい」と頬を緩めてくれたし、量が多くないことが功を奏して、会話も盛り上がった。
これまで二人が作ってきたたくさんの思い出話も、宴を彩ってくれた。彼女と過ごす時間はいつもそうだが、今日はさらにあっという間に感じてしまう。
お腹に足りなかったりしないだろうかと心配もしたが、チェリカは満足してくれたようだった。
食事を終え、デザートを味わい、チェリカに誘われる形でじぃやとマリアも交えてリビングでカードゲームを遊んだ時間も、一瞬のようだった。
先にお風呂をいただいたしばしの一人の時間でさえも、この後どんな話をしようかしらと考えているだけで、いつもより早く過ぎてしまった。
少し、はしゃぎすぎてしまったかもしれない。気心が知れた人たちと過ごしたこともあるが、何よりも、大切な人と一緒に歳を重ねられることが、嬉しかった。
一日を振り返りながら、ロランはリビングの暖炉に揺れる小さな火を見つめていた。
充実している時間ほど、すぐに過ぎていく。それはとても幸せなことなのだが、同時に残酷なのではないかしらと、ロランは思う。
人狼化した我が身に残された時間は、そうでない者に比べると、目に見えて短い。それでも時間は平等に、楽しいときほど早く過ぎていく。
失った時間は、ロランの瞳を赤く照らす暖炉の火のように、薪をくべても大きくなってはくれないのだ。
ならばせめて、後悔はしないように生きよう。過去を悔いて今に苦しむのではなく、明日のために今を活かそう。
悩もうとも迷おうとも、前を向いて生きるのだ。
望み描いた未来のために。夢のような将来を、きっと現実にするために。
「……うん、そうだね」
「ん? なにが?」
声は背後からだった。振り返って見上げると、湯上がりのチェリカが立っていた。厚手の寝間着を身に纏っている。
ロランは首を横に振ってから、微笑んだ。
「気にしないで。ただの独り言なの」
「そう? ならいいんだけど」
そう言って、チェリカは自然と隣に腰を下ろしてきた。ロランが座っていた大きなクッションは、二人が寄り添えば、問題なく座ることができた。
風呂上がりだからだろうか、チェリカをより温かく感じる。湿気た髪から漂う甘い香りが、ロランの鼓動を早くする。
高鳴る鼓動を心地よく感じるようになったのは、いつからだろうか。隣の少女を感じながらそんなことを考えていると、チェリカがおもむろに箱を取り出した。
「ロラン、ハッピーバレンタイン。それと、誕生日おめでと!」
微笑んで渡されたそれは、赤いリボンで装飾をされた箱だった。驚きながらも受け取り、ロランは軽く頭を下げる。
「あ、ありがとう」
「いえいえ! ……とはいっても、既製品のチョコなんだけどね。手作りはほら、私、苦手だから」
気まずそうな、そしてどこか悔しそうにも見える顔だった。本当は手製の物を、という思いがあったのだろう。
その心だけで、十分だ。ロランは「嬉しいよ」と言って、包み紙を丁寧に外した。
それは、UDCアース製であろう高級チョコレートだった。しっかりとした木箱に入っており、彼女が奮発したことが伺えた。
箱を開けると、ハート形のチョコレートが数枚、並んで入っていた。上品な色艶だ。
「美味しそうなの。食べてもいいかな?」
「もちろん!」
「ありがと。じゃ、一緒に食べよ? お茶、入れるね?」
立ち上がって、ロランは茶葉の入ったポットにお湯を注いだ。二つのカップと一緒にトレイに乗せる。
ついでに、ソファに置いてあったブランケットを肩から羽織り、チェリカのもとへ戻る。隣に腰を下ろして、紅茶を注いで渡してやると、彼女は礼を言いながら受け取った。
「でもいいの? チョコ、私がロランにあげたのに、私ももらっちゃって」
「うん。一緒に食べたほうが美味しいから」
「……じゃあお言葉に甘えて、いただいちゃおっかな!」
屈託のない声で言うチェリカに、ロランの頬も緩む。せっかく同じ時を過ごしているのだ。嬉しいことも美味しいものも、共有した方がいいに決まっている。
二人そろって、チョコレートを頬張る。少し苦みの強い、大人の味がした。
羽織っていたブランケットを広げてやると、チェリカは素直にその中に入ってきた。二人分の体温が、毛布の中に満ちていく。
お茶を飲みながら暖炉の火を眺めていると、ほの暗いリビングを赤く照らす光の中に、チェリカとの思い出がまた揺れた。
小学生の猟兵が集う場で出会ったあの頃。こんなに長い付き合いになるとは想像もしていなかったものだ。
気づけば、二人とも大人と呼んで差し支えない年齢になっていた。嬉しいような寂しいような、何とも言えない気持ちが、ロランの口を自然と動かした。
「……チェリカちゃんは、十八歳になったんだよね」
「そうよ。もう大人なんだから! ……一応、年齢はね。中身はたぶん、昔とそんなに変わっていないかも」
気恥ずかしそうに、チェリカが頬を掻く。ロランはクスクスと声を殺して笑った。
「そのままでいいの。そのままのチェリカちゃんがいいよ」
「そうかしら」
「そうだよ」
その君を、好きになったのだから。言葉には出さないが、ロランは心の中で頷いていた。
いいタイミングだろうか。おもむろにクッションの下をまさぐって、小箱を取りだす。チェリカが驚きと期待を込めた視線を向けてくるのを感じながら、それを差し出した。
「チェリカちゃん、ぼくからもなの。改めて、十八歳のお誕生日おめでとう」
「わ、いいの!?」
「もちろん。気に入ってもらえると嬉しいな」
赤い瞳をキラキラさせながら、チェリカが小箱を開けた。中に入っていたのは、美しい手鏡だった。覗き込んだチェリカが感動に目を見開いているのは、そこに映ったものを見たからだろう。
その鏡の名は、【絆鏡】。彼女の大切な人との思い出を映し出す、魔法の鏡だ。
「すごいわね、これ! わぁ、すごい!」
「ふふ、喜んでもらえてよかった。どんなものが見える?」
「私の思い出が……ほらこれ、ロランと光る湖でスケートした時だわ!」
まるで幼い子供のように感動をあらわにする少女に、ロランは優しく目を細めた。絆鏡の中に自分との思い出を見てくれていることもまた、嬉しくてたまらなかった。
しばらく手鏡を見つめていたチェリカは、やがてそっと鏡を抱いてから、大事そうに小箱に戻した。
「ロラン、本当にありがとう! 絶対大事にするわ、宝物よ!」
「うん、そう言ってくれて、ぼくも嬉しいよ」
それからは、夕食の時と同じように、たくさんの話に花が咲いた。
昔の話から最近の出来事まで、様々なことを語り合った。中には以前にも話したことがあり、夕食の時に話していたことすらあったが、何度話しても二人にとっては楽しいのだ。
話題がセーフハウスのことになり、チェリカにとってもくつろげる場所だという話をしていると、ロランはふと、彼女の家が気になった。
「そういえば、チェリカちゃんの家は、教会なんだっけ?」
「あ、ううん。あそこで寝泊りすることが多いけど、家は違う場所にあるわよ。そういえば、ロランはまだ来たことなかったっけ」
「うん。自宅には、その、ご家族がいるの?」
彼女はダンピールだ。半身を吸血鬼に持つ以上、家族の話題はどうしてもデリケートなものになる。
聞いてもよかっただろうかと心配になったが、チェリカは小さく首を横に振った。
「家にはいないわ。私が帰るくらいで」
「そうなんだ。ねぇ、チェリカちゃん……ご両親のことを、聞いてもいい?」
チェリカは沈黙した。まずいことを聞いただろうかと、横顔を覗き込む。難しそうに暖炉の火を見つめていた彼女は、やがてため息をついてから、ロランに囁いた。
「……笑わないでね?」
「え? う、うん」
頷くロランに、チェリカは意を決したようにして、話し始めた。
ある日、聖女の結界に護られた平和な町の女薬師が、薬草を取りに結界の外へ出かけた。そして不運にも、同じ時期に近所でねぐらを構えていた吸血鬼に遭遇してしまった。
薬師は悲鳴を上げた。吸血鬼は世界の脅威だ。命はないと思った。吸血鬼もまた、良い獲物を見つけた、空腹を満たせると思っていた。
二人はそれぞれの思惑を胸に顔を見合わせ、そして、恋に落ちた。お互いにとって、お互いの顔があまりにも好みだったのだ。
さらに良いのか悪いのか、魔術の知識や薬の調合の趣味が合ってしまい、運命とやらを感じた二人は、そのまま共に暮らすことにしてしまった。
二人がいかに幸福であったかは、吸血鬼に攫われた女薬師を決死の覚悟で救出に来た町の男どもが、二人のいちゃつく姿に呆れ「好きにしてくれ」と言い放ち、帰ってしまったという話からも分かる。
近くに怪物が住むことは街の中で賛否が分かれたが、薬師がうまいこと丸めこんでいる間は大目に見ようということになったらしい。
もっとも、当然ながら婚姻は認められず、事実婚という形になった。それでも二人の新婚生活は、それはそれは幸せなものだったそうな。
その後、二人は子供を授かった。産まれた子供は女であり、聖女であった。
神々の祝福を受けた赤子は、産声と共に生まれながらの光を放ち、その光を全身に浴びた吸血鬼の父は、爆発した。
「……ば、爆発?」
「そ、爆発。すごいでしょ?」
クスクスと笑うチェリカに、ロランは目を丸くした。
「で、でもそれじゃあ、チェリカちゃんのパパは……」
チェリカは、肩をすくめた。
「肉体的には死んでるんだけどね。幽体になってこの世に留まってるのよ。神様の加護……とは思いたくないんだけど、まぁ私聖女だし、たぶんそうなんでしょうねぇ。お父さんは『血を飲む必要もないし、かえって楽』だなんて言ってるし、いいかなって」
「ふ、不思議なこともあるんだね。それじゃ、チェリカちゃんのパパとママは、今も一緒に?」
「うん。お父さんの家で、イチャイチャしてるわ。最近は会ってないんだけど、どうせ変わってないでしょ」
「へぇ……」
破天荒な少女の両親は、やはり破天荒であった。言葉には出さなかったが、ロランはどこかで納得してしまっている自分を感じていた。
ともあれ、幸福な家庭ではあるのだろう。夫婦が愛し合い、子を成した。これが幸せでないはずがない。魔と人の境を超えた愛ならば、なおのこと。
それに、とロランは思う。
魂だけの存在となってなお、愛する人と現世で暮らしているとは、とても羨ましいことだ。
死しても変わらず、大切な人と一緒にいられるなんて、夢のようではないか。あるいは自分も、そうなることができたら──。
思考が渦を巻き始めた時、チェリカの声がロランを現実に引き戻した。
「とにかく! ……私の親はぶっちぎりの変人たちなのよ。こんなとこかな」
「うん、話してくれて、嬉しかったよ。ありがと」
「いえいえ。ロランは、どう?」
家族について。言わずともそれを聞かれていることは分かった。ロランは頷いて、隣のチェリカが身を寄せてくるのを感じながら、自身の両親を思い浮かべた。
「ぼくが産まれた隠れ里は、結界で土地を覆って出入りを出来なくしてるから、人口統制をしているの。二十年に一回か二回くらい、子供を産むことが許される時期があって、ぼくの世代は、五代目くらいかな──」
当時、ロランの父と母は幼馴染だった。二人が二十歳で結婚した時期は、子を成すことが許される年でもあった。
しかし、夫婦は子宝に恵まれなかった。里のために、そして夫婦の幸せのために、二人は何としても子供を欲した。
やがて夫は、ついに結界の外に向かった。まじないの類でも構わない。縋れるものにはなんでも縋るつもりだった。
そして、彼は出会う。森の中にひっそりと暮らす、女の吸血鬼に。
「その吸血鬼が、ぼくのお姉ちゃんのママなの。ローザさんって言うんだけれど」
「え、じゃあロランのお父さんも、吸血鬼と結ばれてたの?」
「うん。ローザさんは、パパとぼくのママに子供が出来るように、たくさんがんばってくれて。そんな姿を見ているうちに、心が惹かれていったんだって」
「そうしてお姉さんが産まれたってことは、ロランのお父さんは二人の女性を同時に愛したってことよね? へぇ~……愛って、いろいろねぇ」
ぼやくように言ったチェリカの言葉に、ロランは胸が締め付けられる感覚を覚えた。自身もまた、二つの恋心を持っているからだ。
「……チェリカちゃんは、嫌かな? そういうの」
「ん、ん~。私は、どうかしら……。本人たちがそれでいいなら、たぶんいい、のかな?」
普段の彼女らしくない、歯切れの悪い言葉だった。心配になったロランは、横目でチェリカの顔を伺うようにして、そっと声をかけた。
「チェリカちゃん、その、無理にフォローしなくてもいいよ? ぼく、なんとも思わないから」
「あ、ううん! そういうんじゃなくて。ほら私、恋をしたことがないからさ。ホントに分かんないのよね。誰かをそういう感じで、好きになるって。だから、二股とか、妾とかっていうの? そういうことされたら嫌なのかどうかも……よく、分からなくて」
やはり、らしくない言葉選びだ。そして何より、覗き見るその横顔は、今まであまり見たことのない寂し気な表情だった。
どうしたのかを聞こうとしたが、チェリカが「それで、ロランのお父さんは帰ってきたのよね?」と促してきたので、ロランは追及することを止め、話を続けることにした。
「うん。帰ってきたパパとママの間には、ローザさんのおかげもあって、子供が出来たの。それが、ぼく」
ダークセイヴァーという世界において、強大な魔力と人知を超えた異能は、生き残るための武器となる。
人々は魔術の権化とも呼べようロラン少年を「救世主」とし、吸血鬼どもと戦う得物にしたがった。
無理もないことだ。ロランがもし平凡な人間で、身近にそうした強き者がいたなら、同じようにしたかもしれないと考えるほどに。
だが、両親は違った。戦いの宿命にある我が子の幸せを願い、大事に、優しく育ててくれた。人狼病に冒され、人々に恐れられ疎まれても、父と母は決してロランを見捨てなかった。
話を終えると、時折こちらを見ながら聞いていたチェリカが、柔らかく頬を緩めた。
「話してくれてありがと。ロランはとても、望まれて産まれてきたんだなって感じがするわ。ロランとお父さんとお母さん、ローザさんと、ロランのお姉ちゃん。みんなから」
「……そうだね」
複雑な家庭であることは、否めない。母は父と異母のこともよく理解しているし、ロランと姉もとても仲が良い。母と姉は少々ぎくしゃくとしているが、不仲というほどではない。
愛には様々な形があるのだ。齢七つにして人狼化した自分を支えてくれた母と、自分が病を持ち込んだのだと自責の念を抱いた父の、温かく大きな愛。生まれる前から命の恩人である異母と、異母姉弟ながらとてもよくしてくれる姉。ロランは、家族の愛情をしみじみと想う。
もう一つ、ロランは喜びに胸が震えるのを感じていた。それは、人間であるチェリカの母と自分の父が、共に吸血鬼と愛し合い、子を授かったという事実だ。
互いの親が種族を越えて愛を育み、家族となった。滅多にない共通点を、他でもないチェリカと共有できた。なんと素敵なことだろうか。
「嬉しいな。チェリカちゃんと、親のことで通じるところがあって」
「私もよ。ロランと気が合う理由も分かった気がするわ」
クスクスと笑い合いながら、ロランは自分の瞼が重くなっていくのを感じていた。時計を見ると、日付はとっくに変わっていた。
ぼんやりとしてきた頭で、未来の姿を想像する。愛しい人と手を繋ぎ、愛する我が子を抱きながら、幸せそうにしている自分。それは、最近になって考えることが増えた未来だった。
隣にいるのは、誰だろうか。恋心を抱いている人ならいいなと思うが、想像なのにもやがかかっているようで、顔が分からなかった。
全てが霞がかった未来であり、ロランの思考に揺らめく陽炎の世界に、確実だと言えるものは、恐らく何もないのだろう。
しかし、これだけは分かるのだ。
「──家族って、いいよね」
「そうね。……うん、そうだね」
呟くチェリカの瞳は、揺れる炎に照らされているからだろうか、少し潤んでいるように見えた。これも、自分の想像だろうか。ロランには分からない。
体から力が抜けていく。自然とチェリカに寄りかかってしまい、抱きとめられる。柔らかな感触と温もりに、自然と瞼が落ちていく。
もう少し、話がしたい。もう少しだけ。ロランの意志は眠りに誘われる最中にあっても、彼の口を動かした。
それはロランの憧れであり、夢だった。誰にも話したことのない、しかしとても大きくなりつつある、夢。
「ぼくも、いつか……。そういう、かぞくをつくり……」
睡魔に侵された口では、そこから先の言葉を発することができなかった。
視界が闇に包まれる直前に、チェリカが耳元で囁いた。
「そうよね。いつか……いつか、きっと──」
まどろみむ意識の中で届いたその声は、なぜだか酷く悲し気で、消え入りそうで。
ロランには、チェリカが泣いているかのように聞こえた。
成功
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