魔穿鐵剣外伝 ~業歪~
時折、夢を見ることがある。
それはもう随分前のこと――ああ、数えてみればもう四年も前のことになるのか。
夢の中で矢来・夕立(影・f14904)は、かつてないほどに傷つきながら走っている。
夕立は優れた|敏捷性《アジリティ》、隠密性を持つが故に、泥臭く、血を失い、身体に穴を開けながら走るようなことはまれだ。あれほどの重傷を負ったのは、あの時程度だろう。
右足が掠めた散弾銃により抉れ、左腹側部、右腹側部、右肩を抜けた散弾でシェイクされていた。挙げ句の果てに、その戦いで彼は左腕を喪った。
夢から覚めるときはいつも同じだ。千切れかけの左腕に食いついた敵。夕立は迷いなく、囮とした左腕を佳刃――『雷花』で切り離した。その瞬間、喪われた腕の喪失感。直後に左腕は夕立が仕掛けた罠により木っ端微塵に爆発し、群がった敵数十体を葬った。その爆発の余波が、夕立の身体をメチャメチャに引き裂いたが、その裂傷の痛みさえ忘れるほど鮮やかな喪失の感覚が離れない。
変化した身体のバランスが与える違和感。酩酊に似た吐き気――ああ、とんだ悪酔いがあったものだ。四年も経つのに、未だにこうして夜、目を覚ますのだから。
「もう慣れた筈なんですがね」
夕立は独り言ち、ベッドの上で、突き出した左腕を見上げる。
そこにはかつてと全く変わらぬかたちの左腕がある。
四年前のあの事件――今でもグリモアベースの資料の中で一際大きい被害者数と参加猟兵数で有名な、『ダークセイヴァー:戦争卿による邪龍降臨事件』――の後、すぐに友人の薬屋に処置を取ってもらい、従来と同じ姿に整復することには成功した故に、夕立は左腕を永遠に喪うことだけは免れた。実際この腕の働きはかつてに遜色なく、日常生活を送るのに支障は無いし、それどころか式紙を折るのにも不足はなかった。
ただ――問題があったとすれば、一つだけ。
イメージの問題だ。猟兵達にとってはもはや呼吸をするほどに当たり前のことだが、彼らには『真の姿』というものがある。あらゆる法則、軛から解き放たれ、十全たる己の力を発揮せしめる姿を、どんな猟兵でも一つは持ち合わせているものだ。
夕立もまた然り。彼にとっての『真の姿』とは、シンプルに『最強の自分』というイメージである。
リアリストかつ、非合理と無駄を嫌う完璧主義でもある彼に、『今まで自分が最も強かったと思う瞬間を挙げろ』と言ったなら、迷いなく彼は今までで相対した最も強い敵を屠った瞬間を答えるだろう。
――奇しくもそれは。
『鳴け雷花。あれを喰うぞ』
――いいわ。うたってあげましょう。
どう偽ろうと、かの戦争卿の全身を引き裂き、|剰《あまつさ》えその右眼までをも奪った、あの瞬間に他ならないのだ。
ところが困ったことに、かの瞬間、夕立には左腕がなかった。
つまり――その時以来、彼の『最強の自分』というイメージには、常に『左腕を喪失している』という瑕疵が付き纏うようになった。つまりは彼の『真の姿』は、(その出力はともあれ、フィジカル的に)それまでよりも弱体化してしまったのである。
傷の一つや二つでいちいちトラウマを受けるようなやわな精神をしていないと自他共に認める夕立であったが、これはもう心の強度とは別の次元の問題なのだ、ということだろう。あの死の間際に|限界を超え《オーヴァーレヴし》た彼の底力と、それによって成し遂げられてしまった邪龍殺しという客観的実績が成立させてしまった、呪いのようなモノだと言っていい。
……さりとて、そんな状態をいつまでもこの男が放っておく訳がなかった。せっかく真の姿という無敵モードが使えるのに、効率厨の彼が、それを使える状態に戻さないわけがないのである。
どうやらこびりついたあのイメージは――雷花の錵が放つ沸いた赤色が、視線の速度と同時に障害を斬り伏せるあの瞬間の全能感は、容易なことでは拭えないらしいと分かったとき、彼が頼ったのはやはり、永海の里であったのだ。
夕立は思い出す。
いま、彼が取る『真の姿』……その左腕の由来についてのエピソードを。
「忍としては屈辱極まりない話ですが、新たな戦い方を身につけなければこれから先極めて面倒なことになりそうで。鋭春さんの智慧をお借りしたい、と」
この難しい注文に応えたのは、やはりというべきか当時既に“十代永海”を襲名していた元斬魔鉄筆頭鍛冶、|永海・鋭春《ながみ・えいしゅん》である。
「……おれで助けになれるのなら、何でも喜んで承る。話を聞くに矢来どのが気にされているのは、体幹のバランスが主だな。なるほど確かに――腕が片方ないというのは、やはり大きかろう。そして、『その状態が最強だと決定づける客観的事実』に相反し――左腕が存在しなかった、という矛盾。『喪った』『脆い』とイメージ付いた、左腕への不信」
「……」
夕立が沈黙する間に、鋭春はブツブツとつぶやきながら、猟兵から寄贈されたという|紙束《ノート》に、これまた同じく贈られた|硬筆《ボールペン》で設計図を書き付けた。
覗き込んだ夕立は、思わず『げえ』とでも言いそうなほど眉根を寄せた。そこには、まるでサムライを想起させるような大袖と、その下に守られた、かなり大味な造りの義手がスケッチされていたためだ。
「矢来どの? どうなされた」
「いえ……何でも」
不思議そうな鋭春の顔に、辛うじて(嫌そうな)ポーカーフェイスを取り戻し、夕立は返事をした。
……いや、理解は出来る。自分が持ったイメージに対して、最も単純な対策を叩き付け、弱点を補い、上がった出力を十全に活かす。義手はどうやら紙技で綯った紙紐を使い動かすような仕組みになっていると思しく、駆動系を夕立の能力に依存する代わり、前腕部を換装することで様々な状況に対応出来るようになっていた。この短時間でこの発想力。猟兵達との交流により、従来無かったはずの発想が、鋭春の中には多数芽吹いているのだろう。
それは、それとして、……義手と大袖か。頼りたくなかった。
こう見えて夕立は由緒正しき(あれを由緒正しいと言うなんぞ反吐が出る、とは本人の弁ではあるが)『矢来忍軍』、純正の乱波である。
四肢満足で仕事をするのが当たり前、サムライなぞとは犬猿の仲、お上に仕える犬と猿、しかも夕立はよっぽど賢い部類の猿だ。バカに尻尾振る犬はバカ以上に嫌いである。それと同じような格好をすることになるというのは、正直まあまあ屈辱だ。
これを言えば鋭春も恐らく対応してくれるとは思う、のだが、
(……まあ、好悪でインスピレーションを遮るべきものでも、またなし)
どうにかして、夕立は、|友人《はいいろ》がぼうっとして淹れ間違えた珈琲をもろに啜ったときくらいの渋面で、デザインについてのコメントを呑み込んだ。とはいえ元がポーカーフェイスの彼だ。鋭春には、どうにか気付かれずに済んだらしい。
「大仕事になるな。我が家の離れを貸そう。しばらく休んでいくといい」
「どのくらい掛かりそうです?」
「二週間ほどか。……何分前例が少なくてな、試作もするとなるとその程度の時間が必要だろう」
「なら、その間、無賃で厄介になるわけにもいきませんから――代金になる程度の獲物でも、持ってくるとしましょうか」
夕立は実利的で金にがめついが、決してケチというわけではない。そもそも金は持っているだけではクソの役にも立ちはしない、金とは必要な場面で使う力であり、潤滑油であり、更に富を得るための燃料でもある。故に、こうしたときに相手に与える対価を惜しまない。――まあ、今回の場合は|妖《あやかし》の血肉という現物を納めるつもりではあったが、本質的には同じことである。
鋭春は、夕立と同じほど表情の薄い顔を、けれどもそれと判るほど穏やかな笑みに歪めて、一つ大きく頷いた。
「|忝《かたじけな》い。矢来どのの狩ってくる獲物だ、さぞ質がいいことだろう。それを楽しみに、おれも最上の仕事をするとしよう」
「働きには応えないと、お互い不幸なばっかりですからね。……ではまた夕刻」
夕立は褒め言葉にふいと、少しだけ目を逸らしてから、自然な調子で踵を返して歩き出した。鋭春の目の前で、その背中が滲むように空気に溶けた。不可視の隠形、鮮烈なり。
鋭春は笑みを深めると、さてとばかりに火事場の裏に取って返すのだった。
◆“十代永海” 永海・鋭春作 斬魔鉄 純打
超硬装甲義手 鬼門鉄甲『|業歪《ワザワイ》』◆
斬魔鉄製の義手と一体型の大袖。
一体型とはいえ、二者間の連結は紙技により作られた紙紐で成されており、柔軟に可動する。
構造としては非常に単純で、外殻と関節、装甲だけのハリボテのようなものであるが、関節部に紙紐を通すための|通穴《パス》が開けられており、同じくそこに紙紐を通すことで筋肉の機能を模倣する仕組みとなっている。
つまり、その動力の殆どを、『真の姿』となることで増幅した紙技の出力に依存している。
装甲板の一つ一つから指先に至るまで、全てが斬魔鉄によって作成されており、見た目に比して軽量かつ凄まじい強度を持つ。紙技の出力と彼自身の速力を乗せて単純な鈍器として振るうことで、大抵のオブリビオンを粉砕する破壊力を持つほか、義手の前腕部は規格化されており交換可能。デフォルトでは内部が密に詰まった通常タイプの義手および、純正オプションとして緋迅鉄筆頭『永海・|頑鉄《がんてつ》』が作成した前腕部『緋蜂』が用意されている。
これは夕立の在り方を、業を歪める鬼門の鉄甲。しかして、転じて夕立の力となる災い。
字して、鬼門鉄甲『業歪』也!
◆永海・頑鉄作 緋迅鉄製激発装置
斬魔鉄製撃杭 発破撃杭『|緋蜂《ヒバチ》』
業歪の前腕部を換装するための純正オプション。
永海の里の自衛部隊『|飛鉄《トビガネ》衆』が使う飛鉄という連装式小銃を大型化した発射装置を手首下に配しており、前腕を取り捲くように|輪胴型弾倉《シリンダー》が配されている。また、通常の前腕部に比べ、掌のサイズが一・五倍ほどとなっており、敵を捕まえやすく設計されている。
捕まえた敵に、緋迅鉄粉末と高性能火薬を装填した使い捨てカートリッジから、直径三センチメートル、全長一五センチメートルの斬魔鉄製撃杭を射出し、零距離で叩き込む。装弾数五。カートリッジを使い捨てとし、再利用性を捨てた代わりに、その破壊力は通常の飛鉄など比較にもならない。
単純に重量が通常前腕部の二倍近くなっているため、機動力については下がるが、打撃力および瞬間火力は大きく向上する。強襲用のオプションである。
血飛沫が飛び散る。
最早夕立は、その身を隠そうとはしなかった。下手に隠形を使うよりも、燃えるような呼吸の全てを、前に進む推進力に換えるべきだと知っている。
忍型のオブリビオン三百体が今回の敵だった。夕立が受け持ったのはその最大の激戦区、相手の数は五十超。常の姿で十を始末し、しかして追い詰められ、その危機を以て、彼が「真の姿」の封を切った瞬間のことである。
全くの一瞬、反応すら許されずに、七体が轢殺された。夕立の直進進路上にいた忍達が一瞬でばらばらの肉塊になって、桜吹雪のように血の飛沫がぶちまけられる。べたつく血の香りの中を、夕立は走る。義手が、『|業歪《ワザワイ》』が、その名の通りの災いとなって敵に襲いかかったのだ。
敵が全方位から来ようとすれば、夕立は身体を大きく廻し、集る敵を薙ぎ倒す。飛び散るほどに烈しく当たらずとも、全身の骨が拉げて砕ける手応えがはっきりと、紙紐を通じて伝わってくる。
――何とまあ。凄まじい威力だ。
降り注ぐ手裏剣の嵐を、大袖を盾にして防ぐ。一枚たりとも通らない。斬魔鉄は刃に使っても凄まじい性能だが、装甲や鈍器として使っても超高性能である事が立証されてしまった。もはや通常の鉄鋼の完全なる上位互換と言っていいだろう。
ぴくりと夕立の眉が上がった。死角から斬りかかってくる敵一人。義手側を避けてきた。右手側から。
夕立はそちらを見もせずに雷花を右手抜刀、逆手で軽やかに斬撃を受け止めるなり身を返し、大袖側を使って裏拳めいて殴り飛ばした。ばちゅん。まるで薙がれた水風船。赤い飛沫と肉片と骨がスプレー状にぶちまけられる。即死。
残る忍者達が一瞬、目を交わし、ばばばッと印を組む。
ズドウッ!
血を揺るがす音がして、地面から骨で組まれた門が突き出た。門に頂かれた髑髏がおぞましい笑い声を発し、骨門が開く――その奥から、黄ばんだ目をギラギラと光らせて、鬼金棒を持った巨大な鬼が――
じゃギッ!!
ガッ、
ッッッッッガァアン!!!
――歩み出て、頭を失って、そのまま三歩歩いて倒れ伏した。
髑髏の笑いが止まり、忍者達も声を失った。
「そんな程度で勿体ぶらないでください。時間の無駄なんで」
気付けば、夕立の左前腕は一回り大きなモノに換装されていた。紙技『|真奇廊《シンキロウ》』から引きずり出した業歪のオプションアーム――『|緋蜂《ヒバチ》』が、登場してまだ状況の把握が出来ていない鬼の頭を、零距離でブチ抜いたのだ。バシャアッ、と脳漿と頭蓋骨片と血液の混ざり合ったにわか雨が降る。
夕立は低く、低く構えた。ひゅるりと首に巻いた赤いマフラーが翻り、右眼が赤く曳光する。
「幸守に食わせるのも生温い。――|鏖《みなごろし》だ」
一分一二秒後。
その言葉は、過たず現実となるのだった。
成功
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