その人は恋人ではないけれど、
その人は血を分けた家族ではないけれど、
――|蔵務《クラム》・|夏蓮《カレン》(眩む鳥・f43565)にとっては間違いなく、大切な人だ。
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“バレンタイン”なる催しがある。
今の《《ニホン》》には浸透していない文化だろうが、他所の世界の情報に触れられる立場である夏蓮は知っている。
「ニホン」とよく似た歴史を辿り、そしてずっと進んでいる島国では「女性から男性にチョコレートを贈る日」と認識されているようだが、本来は恋人同士に限った話ではない。家族や親しい友人同士で贈り物を渡し合う――なのでチョコレートに拘る必要もないとか。
今は二月。|日頃お世話になっている《家族同然の》人へ感謝の念を伝えるには、良い機会だ。
(京子さん、何が一番喜んでくれるかしら)
思い浮かべたのは喫茶店の女店主。身寄りもなく知る人もなく。突然押しかけた夏蓮を何も言わず家に置いてくれた上に、住み込みで雇ってくれている。幾ら感謝しても足りない人。
しかし夏蓮にはプレゼントを贈り合った経験がない。故に何が適切で、何が最も彼女のためになるか。想像できなかった。
思い悩んだ末に夏蓮は|地下《アナグラ》へ向かった。色んな物が寄せ集まって雑多に並んでいるあそこなら、女店主を満足させられるような物が見つかると思って。
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アナグラは相変わらず薄暗くて、地上にはない狭苦しさと臭いで溢れ返っていた。
|人形《ドォル》のような少女は眉一つ動かさず石造りの道を歩く。目指すは一際灯篭の明かりが集まっている所、謂わば「市」だ。掘り出し物から胡乱な物、貴重品から贋物まで幅広く。あそこなら揃っている。
雑貨を並べている店を見つけ、彼女は店主に声をかける。
「少しいいかしら」
「へぇ、何でございましょうか」
奥から出てきた主人は小人のように小さく、しかし丸々と太っていた。皺がれた声は男のように低く、老婆のように甲高く聞こえる。
容姿に構わず、夏蓮は市の主人に尋ねる。
「贈り物を探しているのだけれど」
「“贈り物”……と、それはお目が高い! うちにはねぇ、舶来の物から伝統の品までなんでも取り揃えておりますとも。で、で、お嬢さんのお目当ては……?」
「目当て……《《わからない》》わ」
同じ屋根の下で暮らしても彼女を理解していると言うには程遠くて。ここまで歩いても女店主が何を欲しているのか見えてこない。
「……大切な人に何かを贈るって、敵に勝つより難しい」
「はぁ。わたくしめにはさっぱり存じ上げませんが、お嬢さんにはとてもとても大事な方なんでしょうねぇ。その悩ましくも端正なお顔を見ていればわかります」
「……とても大切な、恩人なの。どれだけ感謝すればいいかわからないくらい」
主人の言葉が出まかせのご機嫌取りであっても、夏蓮は《《そう》》と穿った目で見る事すらないだろう。第三者の声を聞いていたら何かが見えて来そうな気がするから。
「そういう時はですねぇ、普段の事、最近のお姿を思い返せばいいのですよ。些細な習慣、溜息一つ。何処を取っても手掛かり一つや二つがあるわけでございます」
「普段……最近、どうしているか……」
言われてみれば、心当たりが一つ。
女店主のマグカップ、
お気に入りのように感じたそれを、最近見かけなくなったような。
食べ物、お守り。考えられる物なら色々あったけど今すぐ贈りたいものはきっと――
「コップなどはあるかしら?」
「へぇ、ここに」
「そう。……これを、近くでみせていただいても?」
「どうぞどうぞ。お構いなく」
じっと目を凝らして、遂に彼女は「これだ」と思える物を見つけた。
夏蓮は店主にお代を払い――ついでに包装を頼んで、店を後にした。
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「贈り物を渡そう」って思いつきはすんなり出たのに、どうしていざ渡そうとすると足が重くなるのだろう。
二月の十四の日。休憩中、客足がない|時間《タイミング》を狙い、夏蓮は思い切って切り出した。
「京子さん……その。贈り物が、あります」
「どうしたんだい? 改まっちゃってさあ」
いつもの如く朗らかに笑う女主人。しかし夏蓮の手元にある包みの中身を目にした途端、驚いたように言葉が詰まる。暫く押し黙った後、彼女は慈しむように顔を緩めた。
「……よく見ていてくれたんだね」
女主人は少し昔話をした。
夏蓮が以前見ていたカップは、亡くなった旦那が旅先で買ってくれた思い出の品だという事を。
最近うっかり落としてそれを割ってしまった事も。
「余計だった、でしょうか」
似た物を買い直しても旦那さんの思い出ごと戻ってくるわけじゃないのに。
そんな不安が過る夏蓮を、女主人は優しく諭した。
「いいや。これもあんたが用意してくれた大切な思い出さ」
言葉少なに夏蓮は視線を逸らした。女主人から貰った言葉を、心の揺らぎを上手く顔に出す事ができなくて、彼女の目を見ていられなくなったからだ。
成功
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