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聳える魔女の寓話

#アックス&ウィザーズ #ノベル #魔女

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ミーガン・クイン




 ミーガン・クインは魔女である。
 そして、彼女の前にある今は焼け果てたこの森は、かつてひとつの集落であった。

(……あら~。間に合わなかったみたいねぇ)
 誰かから依頼を受けてきたわけではない。いつものように巨大化と縮小化の魔法を使い、この世界の住人たちと戯れていたときに、たまたま遠くの森のほうから煙が上がっているのを見つけたのだ。戦場には、村を蹂躙された恐怖の感情がまだ色濃く燻っている。だが、先客が火加減を間違えたせいでミーガンの口には合わなかった。

「……魔女……さま……?」
 燃え残った木々の間から、か細く震える声が聴こえる。ミーガンが声の主を探すと、そこには彼女の掌に乗せてしまえるほどの小さな小さなフェアリーの少女がいた。
「あら~♡ あなた、一人かしら? 生き残っちゃったのねぇ、可愛そうに」
 羽根のように軽い身体を思わず両手ですくい上げると、少女は驚いてミーガンをじっと見つめ、後ずさった。ゆるく編まれた長い金の髪は煤でくすみ、緑色の瞳は怯えきっている。フェアリーには通常サイズの人型すらおそろしく見えるのだろう。
 掌の上でもぞもぞと身をよじり、落ち着かぬ様子が可愛らしい。小さいながらもばくばくと高鳴っている心臓の鼓動。霧のようにじっとりと手を濡らす汗の感触。蝶のような翅が動くたびに肌に触れ、すこしくすぐったい。もうしばらくこのまま観察していたいぐらいだ。ミーガンは頬が落ちそうな程ににっこりと微笑んでしまう。
「大丈夫よぉ、私はあなたを獲って食べたりはしないわぁ。お名前を教えてくれるかしら♪」
 どうやら危害を加えるつもりがないらしい事を知り、少女はおそるおそる話しだした。
 名をベルタということ。この森の集落には少しの人間とドワーフ、そしてたくさんのエルフが暮らしていて、迷いこんだベルタを育ててくれたこと。彼らとの生活は楽しく、幸福な日々であったこと。
「……オークが来たんです。オークが私達の森を、燃やしました。略奪と、蹂躙の限りを尽くして……火を……いやぁぁっ!!」
 何があったのかは思い出したくもないようだった。
 震えるベルタの頭を人さし指で優しく撫でてやりながら、ミーガンは妖しく微笑んでささやく。
「ほんとに可愛そうだったわねぇ。……それで、あなたはどうしたいのかしら?」
「……私がもっと強ければよかったんです。みんなと一緒に戦えてたら……でも、あいつら、すごく大きくて……全然歯がたたなくって、怖くなって、私……みんなを見捨てた……!」
 ミーガンは微笑んだままこのちいさな生き物を見つめた。
 自らを責める罪悪感。それも確かに『恐怖』の一種ではあった。けれどもあまり美味しくはない。そんなことよりもっと愉しくて、もっと怖い、『巨大』で『矮小』な感情を味わいたい。
 ここにかぐわしい果実がある。立派な毒林檎になるまで、もっと熟成させてあげなくては。
「よしよし、泣いていいわよぉ~。でもそのオーク達、まだ生きてるのよねぇ? ならできる事はあると思うわぁ♡」



 グリモア猟兵の鵜飼章に事情を話すと、彼はきみの趣味はとても面白いねと喜んで協力を申し出た。そのオーク達はやはりオブリビオンで、特定するのはそう困難ではなかったようだ。
「見て、ベルタ。あそこにみんなの仇がいるわよぉ♡」
「は、はい。魔女さま……お願いします。どうか私の願いを叶えてください」
 ミーガンはくすりと微笑む。
 ――あなたの人権はもっと大きくあるべきよ。六分の一より、もっとずっと大きく……ね♪
「このお薬を飲むといいわぁ。そぉれ、おおきくなぁれ♪」
 夢の中から膨張色を抽出したような、どこか蠱惑的な色彩の薬瓶を手渡され、ベルタはごくりと息を呑む。覚悟を決め、中に入った液体を一気に飲み干した。
 刹那、ベルタの身体を焼けるような熱が駆けめぐり、視点がどんどん上のほうへと移動していく。ミーガンと同じ高さに。ミーガンを見下ろせる高さに。木の頂点に届きそうな高さに――森すら見下ろせるほどの大きさに。
「す、すごい……」
 自らの身体をまじまじと眺め、瞳を輝かせるベルタを足元から見上げて、ミーガンは満足げに笑んでいた。自分自身は縮んだわけではないのだが、相対的に小人になったようでこれにも少し興奮してしまう。
(フェアリーに見下ろされるっていいわぁ~♡ せっかくだからこっちも楽しまなくっちゃ♡)
 ミーガンは肩の上に乗せてほしいとせがんで、フェアリーに蹂躙されるオークを特等席から見物することにした。まだ巨大化に慣れていないからか、力加減は大丈夫だろうかと恐る恐る摘まんでくるのがまた可愛らしかった。その初々しい感情の味は甘酸っぱいオレンジに似ていた。
 突然の敵襲に驚いたのはオーク達だ。いや、敵とすら認識できなかったかもしれない。その巨大な人型の何かは、彼らにとって恐るべき天災のようなものだった。

 はじめ、ベルタはどうしたらいいのか戸惑っているようだった。
 しかし、一匹のオークが指で弾いただけで死んでしまった時、彼女の中でなにかがぷつんと切れてしまった。
 巨大な掌でオーク達を握り潰し、指にはさんで圧し潰し、翅で首を落とし、足で踏みつけ、尻下にひいて、巨大な身体を用いてあらゆる方法で蹂躙した。ミーガンはそれをただ満足気に眺めていた。
 圧倒的な体格差に負け、討てなかった仲間の仇をほんの戯れで殺してしまえる快楽。
 このどこからわいてくるのか分からない暴力衝動を、自分でも止めることができない恐怖。
 ミーガンはなにも指示していない。なんの心理的影響も与えていない。ただ魔女らしく、巨大化というささやかな願望を叶えてあげただけで、これらはすべてベルタが自分の意志で行っていることなのだ。
 ミーガンは彼女の感情をむさぼるように喰らった。それはもはや果実ではなかった。血肉のしたたるレアステーキのような、獰猛で濃厚な野性の味だった。

「……っ、はぁっ……!」
 すべてを蹂躙し、巨大化の薬の効力が切れたら、ベルタは凄まじい疲労感に襲われた。身体も重いが、なんだかすべての感情が空っぽになってしまったような奇妙な心地がした。だが、空虚な心の底にじんわりとした熱が確かに残っているのを感じる。
(……これは……な、に……?)
 ちいさくなったベルタを膝の上に寝かせ、よしよしと労ってやると、彼女がミーガンのスカートをぎゅっと握ってきたのがわかった。なんて可愛いのだろう。怖いでしょう。心細いでしょう。でもあなた――今、とっても楽しかったでしょう。
 矮小で惨めな存在。
「私に会いたくなったら魔女の隠れ家に来るといいわぁ。しばらくこの世界にいる予定だから、また遊びに来てね♡」
 ミーガンはとある森の中にある小屋の場所を教えると、ベルタと別れてそのまま数日の休暇を楽しんだ。彼女から礼にもらった珍しい薬草のハーブティーを使ったバスタイムは、紅茶風呂とはまた違う心地良さで日頃の疲れを癒してくれた。
 コンコン、と扉が控えめに叩かれる。ミーガンはティーカップから身を乗り出し、はぁい、と返事をした。
 ベルタだった。
 彼女はまたやってきた。やはり、あの感覚を忘れることができなかったのだ。
「……魔女さま、いますか。お願いします、また私を大きくしてください」

 ミーガンは喜んであの薬を与えてやった。
 フェアリーのちいさな身体がカップを片手で持てるほどになり、小屋の屋根を突き破り、森の木々の高さをゆうに超えるサイズになる。彼女が羽ばたくと木の葉がいっせいに揺れた。壮観だった。壊れた小屋のことはミーガンは特に気にしなかった、このために用意したような仮の拠点なのだから。
「ねぇベルタ、今度は何をして遊びたいのかしら♪」
「……私、オークを倒せたから、もう少し強い敵を倒したいんです。グリフィンとか」
 あいつらだってどうせどこかの村を襲っている。
 だから私が倒してもいいと思うんです。それはきっと誰かのためだから。
「……そう♪」
 ミーガンは肯定も否定もしなかった。ただ、その日グリフィンの群れがひとつ壊滅した。
 ベルタの巨大化中毒はもう止まらなかった。どんどんミーガンのもとへ訪れる頻度が増えていき、それでも満足できなくなった彼女は、さらに極端に巨大化することを望んだ。
 ミーガンは彼女の願望を叶えてやった。さすがに少しカロリー過多気味だったが、魔女とはそういう存在だから、逐一叶えてやった。
 そして今、ミーガンは雲の上にいる。
「絶景ねぇ~♪」
 ついに山脈を超え、雲に頭が届くほどの大きさを求めるようになったベルタは、歩くたびに大地をずしんずしんと揺らした。彼女の足音は周辺の民や野生動物を恐怖させ、いつあの巨大な少女に踏みつぶされるのだろうという大きな不安を与えた。
「かかれ!」
 冒険者ギルドから派遣されたアーチャーたちがいっせいに矢を放つ。しかし、その鋭い矢も今のベルタにとっては蚊に刺されたようなものだった。バーバリアンの斧も、ウィザードの魔法もまるで通じない恐るべき存在だ。
 かつて森で優しい仲間に囲まれ、笑っていた頃の彼女はどこにもいなかった。
 エルフや人間などという矮小ないのちは、この私がすべて守ってやらなければ死んでしまうのだという歪んだ愉悦で満たされていた。
 ベルタの前では、もはやドラゴンさえヤモリやイモリのようなものだった。捕まえて尻尾をちぎってやると、彼らはなかなか愉快な動きをした。
 彼女はあらゆる魔物を狩り尽くしていった。それに罪があろうとなかろうと、もう気にも留めなくなっていた。

「魔女さま! 私に薬をください」
 その日もベルタはミーガンの元へ訪れていた。しかし、魔女の様子がどこかおかしい。
「ゴメンねぇ。あなたがいっぱい使ったから、巨大化薬は今品切れ中なの。また今度来てね♪」
 茶目っ気たっぷりにウインクをしながらひらひらと手を振るミーガンを見て、ベルタは真っ青になった。ちいさな身体ががくがく震えだした。あの薬がない? 無理だ。無理だ。もうあれがないと生きていけない。
 ベルタは必死で魔女にすがった。
「材料はなんですか!? 私集めてきますから! 少しでいいから残ってないですか? 使いすぎないように気をつけますから!」
「あらあら、泣いちゃって。もう、仕方のない子ねぇ~♡ ……あるわよ♡ とっておきの一本♪」
 ミーガンは棚の中に隠しておいたちいさな薬瓶を取りだす。その薬は、紫と水色が混ざりあったつめたい色をしていた。ベルタはひったくるようにそれを奪うと、いつものように一息で飲みほした。
 どくん、と心臓が鳴る。
 なに? 身体がつめたい。元々ちいさな手足が更に急激に縮んでいくような、恐ろしいまでの寒さを感じる。目線が下がっていく。ティーカップの中で溺れてしまいそうなほどに。蠅や蟻すらも恐ろしい化け物だと感じるほどに、身体が……小さくなっていく。
 巨大な人型の影が米粒のようになったベルタを覗きこんだ。ミーガンだ。
 小さくなりすぎた少女を恍惚とした笑みで見つめる女は、舌なめずりをしながら嬉しそうに尾を蠢かせている。豊かな乳房が描く曲線さえ、いまは途方もなく長い丘のようだ。女は悪魔のように美しく、しかし、恐ろしかった。
「どうかしらぁ? ……うふふ、すっごくビックリしてるみたいねぇ。嬉しいわ♡ ベルタ、あなた、ちょっとやりすぎちゃったわねぇ。悪い子にはオシオキしないと……ね♪」
 安い代償よね。
 圧倒的に濃厚な恐怖。無力感。後悔。そして、スパイスのようにまぶされた昏い悦び。
 ああ、なんて甘美な香り。今すぐむしゃぶりついてしまいたい。
 熟成された毒林檎は実った。収穫するなら、今だ。



「そう。それで彼女は今どうしているの」
「ヒ・ミ・ツ♡」
 魔女っぽいね、と微笑み、グリモア猟兵は書いた報告書を丸めてごみ箱に捨てた。彼も面白い話が聞けるなら後はなんでも良いらしかった。
「章はこういう願望ってないかしらぁ?」
「実は身長をあと2、3センチ縮めたいんだよね。微妙にしっくり来なくて」
「あら~、つまんない男ぉ♡」
 彼はこれでも絵本作家らしい。アリスを愛してはいないけれど、話は盛っているかもしれないし、そうでもないかもしれない。真実を知るのは魔女と、森の木々ばかりだ。
 ざわ、と木の葉が揺れる。何かを畏れ、或いは、心奪われたように。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年02月16日


挿絵イラスト