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陽炎山のぬしと狐の羽衣

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櫛名田・梨々奈




 人里離れた山奥の、そのまた奥に鎮座する、誰が読んだか陽炎山。
 豊かな自然に恵まれた深山には、兎やら猪やら、狼やら熊やらがひしめき合う。
 そんな山の恵みに与らんと里の者や山から山へと渡り歩くマタギも陽炎山へと踏み入っていたが、とある頃からこのような噂が流れ始めた。

 ──陽炎山に妖狐のぬしあり。
 
 曰く、その眼は炎のように爛々と燃えていた。
 曰く、絶世の美女に化けて踏み入った者を騙し喰らう。
 時には陽炎山のぬしの噂話を聞きつけた旅の武芸者が腕試しにと陽炎山へと登ったが、ある者は道に迷い、ある者は這々の体で逃げ帰る始末。こうなれば山の恵みに与るべく起伏の激しい山道に慣れた里の者さえも近寄ることもなくなり、いつしか陽炎山には誰も立ち入る者が居ない禁足の山として崇められ始まる。
 実際に里に災いを齎す存在という訳でなく、贄を求める類でもない。
 それに陽炎山は古より山岳信仰の対象として崇められし霊山。
 豊かな水は田畑を潤し、里まで下った獣は良質な毛皮として珍重される。
 そんな経緯で古くから豊穣神として祀られていた山の神にあやかられ『櫛名田サマ』と崇められるようになった陽炎山のぬしこと梨々奈であったが、里でそんな風に崇められているとは知らぬ存ぜぬとばかりに山の主の座を奪わんと突進してきた大猪の頭骨を岩をも砕く拳でかち割る。

「不意打ちなんかしても、臭いでバレバレだよぉ?」
 脳天をかち割られビクビク痙攣する自分よりも二倍も三倍も巨大な猪を粘土質な山土で汚れた素足で踏みつけ押さえ、再び振り下ろされた介錯の拳が深々とめり込んでどす黒い血で染まった脳漿が飛び散れば一糸纏わぬ裸体を紅く彩る。

「あーあ、汚れちゃったぁ。ごはんの下拵えをしたらお風呂に入って綺麗にしなくちゃ」
 梨々奈は|蔓《かずら》を編んで作った荒縄を先ほど倒した大猪の足に縛り付けると、それを大木の大枝に掛けて一気に吊し上げる。華奢な身体に見合わぬ怪力によって体重200キロは軽く超える大猪は難なく吊るされるが、これは血抜きも兼ねた狼に横取りされぬための野生の知恵。
 尤も、獲物を横取りすればぬしに恨まれて狩られる立場となる故、そんな真似をする不埒な狼など陽炎山には居ないのだが。
 それが済めば軽い足取りで険しい山道を跳ぶように登っていき、鼻に付く硫黄臭で満ちた山頂部にある白く濁った温泉で生臭い血の汚れを落とす。
 ここから望む絶景は外界を一望できるもので、まさしく陽炎山の食物連鎖頂点に君臨する捕食者の王座であった。

「はぁ~極楽極楽ぅ♪」
 梨々奈はご満悦となりながら温泉の底で泥状に溜まった湯の花を掌で掬い取ると肌に塗り付けるが、これも野生の知恵と言うもので湯の花に含まれる硫黄成分が虫除けとして機能するからである。蚊もダニも忌避するからこそ彼女の肌には刺された痕など一切なく、害虫さえも陽炎山のぬしに襲いかかって来ない。
 故に最低でも日に3回は入浴する温泉好きとなったが、今日に限っては久々の大物を仕留めてお腹いっぱい食べられる食欲が勝ってさっと上がる。

「そろそろ食べ頃になってる頃だしぃ、まだだったらうさぎをモフって時間を潰そっと」
 しっかり汚れを落として綺麗になれば、元来た山道を降って行く。
 あれぐらいの大猪なら生皮を剥がせば良質な毛皮も採れ、ねぐらの敷物としても深山故の冷え込む夜に着込む物にも使えるだろう。
 今は食べ物が豊富にある陽炎山も冬となれば食料が乏しくなる。
 この人知れぬ山にに捨てられてから10年も狩りと採集のみで生き抜いていれば、食べきれなかった分の肉は防腐効果のある薬草汁に漬け込んで干し肉にすれば良いという知恵も備わってくる。
 そうして山道を降っていくと、ふと嗅ぎなれぬ臭いが梨々奈の鼻を掠める。
 これは……ニンゲンの臭いだ。

「また性懲りもなく縄張りを荒らしに来たのぉ?」
 ある者は弓で、ある者は刀で、この陽炎山の支配者に戦いを挑んできた。
 当然ながら全てを返り討ちにしてやったが、久しぶりやってきたニンゲンに梨々奈の狩猟本能に火が付く。
 身を屈めながらそろりそろりと臭いの元まで近づいて一気に仕留めようと飛びかろうとしたその時、しわがれた声が先に彼女へ声を掛けた。

「もしや……櫛名田サマでは?」
 今までのニンゲンとは違ってどこか弱々しいもので、藪の中から覗けば年老いた老人が周囲を見回している。

「櫛名田サマって誰? あたしの名前は梨々奈よぉ」
 挑み甲斐ある獲物でないと分かれば狩る気が失せ、姿を現せば老人は頭を下げて平伏する。

「はぁ、実は山道に迷いまして難儀しておりましたところで」
「ふぅん……」
 嘘を言ってる風には見えないのもあるが、今は梨々奈の機嫌が良い。

「じゃあ、あたしが送ってあげる。どこに行きたいの?」
「へぇ、この山からふたつ先にある家まで……」
「あそこまでかぁ。良いよ、腹ごなしの運動がてら送ってあげるわぁ」
 そう決まれば老人をおぶった梨々奈はあっという間に山々を越え、老人の家だと言う崩れかけた社に辿り着く。

「ありがとうございます。お陰様で無事に戻ることが出来ました……そうだ。礼とは言ってなんですが、これをどうぞ」
 老人は社の扉を開けて中に入ると桐箱を手にして戻って来る。
 開ければ、そこには扇情的な衣が仕舞われていた。

「これはぁ?」
「『狐の羽衣』と言う家宝にございます。この後先短い老いぼれが持つより、お美しい櫛名田サマに着て貰えれば羽衣も本望でございましょう」
「着る、てなぁに?」
 服を着るという概念などない野生児であったが、老人が手取り足取り着方を教えると狐の羽衣を身に纏う。
 ごわついた毛皮とはまったく違う、滑らかでしっとりとした羽衣の肌触りに梨々奈はすっかり虜となってしまう。

「素敵な贈り物をありがとう……あれぇ? おじいさん、何処に行ったのぉ?」
 お礼を言おうと振り向けば、そこには老人の姿は何処にもなかった。
 崩れかけた社の奥には古びた狐の置物があるだけで、人の気配はおろか生活感も感じられない。
 梨々奈は首を傾げたが、ぐぅとお腹の虫が鳴れば陽炎山へと帰って行くのであった。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年01月26日


挿絵イラスト