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Silent Night, Holy Knight

#ダークセイヴァー #ノベル #猟兵達のクリスマス2024

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#猟兵達のクリスマス2024


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ハロ・シエラ




 この街で聖夜を過ごすのは、もう何度目だろうか。
 灰色の空から舞い降りる細かな雪の結晶を見上げながら、ハロ・シエラは白い息を吐いた。
 恵まれた土壌と聖女の加護により、ダークセイヴァーにあっては極めて平和と言える街は、ハロにとって馴染んだ土地になっていた。
 聖なる日には、それこそ毎年のように訪れている。しかし、今年はいつもとは違った緊張があった。腰に帯びる剣、その柄で輝く十字の飾りが、彼女の気を引き締めている。
「ハロ、もっと肩の力を抜いていいのよ。いつもの感じで大丈夫なのに」
 困ったような、しかしどこか悪戯っぽく笑うのは、隣に立つ親友、チェリカ・ロンドだった。ハロはそちらを向いて、頬を掻く。
「そう、ですね。少し力み過ぎているかもしれません」
「マジメだものねぇ、私の守り人様は」
 愉快そうに言って、チェリカがハロの手を取った。小走りに、街の大通りへと繰り出す。
 人々が行き交うメインストリートは、この世界が大きな戦いを終えてから一層活気に満ちているように思えた。
 この街の主食である芋をふかしたのが、子供たちに配られている。聖夜は特別に砂糖が多く振りかけられており、ケーキ代わりに食べる家庭も多いらしい。
 他にも、山菜のスープや獣肉のチップなど、近郊で採れた素材を作った料理も振る舞われていた。街の大人たちが作業の中心だが、大きな鍋などは教会の備品であると、チェリカが教えてくれた。
「収穫祭とか聖夜祭の時は、みんなでお腹いっぱい食べるのがうちの街のお祝いなのよ。お芋が長持ちするからこその伝統ね」
「なるほど。最近はともかく、以前のダークセイヴァーでは満腹になれるほど幸福なことはありませんからね」
「そうそう! お互いに満足し合ってから、その幸せに感謝を捧げるの」
 命があり、明日を生きられるだけでも幸福と言える世界だ。平和な日に胃袋の充実感まで味わえる者など、一握りにも満たない。
 その奇跡ともいえる幸せを噛みしめれば、必然的に神の加護への感謝も深まるだろう。
 そう考えると、ハロは自然に頷いていた。
「いいお祭りですね」
「でしょ! というわけで、私たちもお腹を満たしましょ。はい!」
 いつの間にやら両手に持っていたふかし芋の一つを、チェリカがハロへと差し出した。受け取ると、甘い香りがふわりと漂う。
 一口頬張り、芋本来の甘味と振りかけられた砂糖の甘さが口いっぱいに広がる。芋にしては水分が多いのか、喉が渇くことはなかった。
 甘露な味わいに目を細めると、隣のチェリカも嬉しそうに芋を頬張った。その幼い横顔は出会った頃から変わっていないように思えた。
 チェリカについていく形で歩いていたハロは、その足が例年の道とは違う場所を歩いていることに気が付いた。
「チェリカさん、今年は孤児院の方は大丈夫なんですか?」
「あぁ、うん。年長組がしっかりしてきたから、今年は任せてみようかなって」
 彼女は孤児院出身ではないが、街のみなしごを世話するのは教会の役目なので、長きに渡って彼らの面倒を見てきた。ハロも何度か手伝ったことがあり、孤児たちのわんぱくさはよく知っていた。
 その彼らが、チェリカに幼子の世話を任せられるようになるとは。妙に時の流れを実感して、ハロはしみじみと呟いていた。
「大きくなったんですね」
「ふふ、そうね。まぁ私たちもだけど」
 確かに、とハロは笑い返した。出会ってから五年近くが経ち、背丈や体型、考え方も変わった。チェリカとの関係性は大きく変わっていないように思うが、積み重ねてきた思い出と絆は、より強くなっている。
 いい時を過ごせてきたと思う。戦いに身を置く生き方ゆえに大変なことも数えきれないほどあったが、それでもだ。
 剣に生きる道に悔いはない。この道を歩いてきたからこそ、ハロは今日、聖女チェリカ・ロンドの守護剣士としてここに立っているのだから。
「よし、じゃあこれからお仕事っぽくなるけど、よろしくね!」
 振り返ったチェリカの背後には、非常に年季の入った教会が立っていた。
 聖女の守り人となって初めて訪れる、彼女の教会。ハロは街に来た時の緊張が戻ってくるのを感じた。
「えぇ。こちらこそ、よろしくお願いします」
 頷くハロの手をチェリカが取って、二人は重くきしむ聖堂の扉を開いた。



 聖堂の裏にある居住区は、さながら戦場のような様相を呈していた。祭りの賑わいに比例して、シスターたちが慌ただしく働いている。
 街で振る舞われている炊き出しの機材や食材などは教会に集められるため、補充やらなにやらに駆け回っている状況だ。
 チェリカは祈りの準備として着替えに行っている。残されたハロはシスターたちを手伝おうかと思ったが、背後から「もし」と声をかけて、そちらへ振り返った。
 立っていたのは、老女だった。シスターの装いをしているが、施されている模様が違う。上位の神官であろうことを察し、ハロは頭を下げた。
「お邪魔しています、シスター」
「そのようですね。うちの聖女のご友人のようですが……ふむ」
 老シスターはハロの身なりを遠慮なく下から上へと眺め、その視線を彼女の剣へと落とした。正確には、そこに輝き揺れる十字の印へ。
「ただのお友だちなら、聖堂で讃美歌でも聞いておいていただくところですが……あなたが彼女の守り人なら、無下にはできませんね」
「すみません、お邪魔でしたか?」
「そこに突っ立っていられると、なかなかに。まぁどうせ、あの子がそこで待っていろとでも言ったのでしょう。着替えはまだかかるので、守り人のあなたに聖女について、お話して差し上げましょうか」
 願ってもいないことだった。ハロはありがたく頷いて、案内されるがままに応接室へと通された。
 質素なハーブティーを出した後、老シスターは言った。
「さて、まずは自己紹介をしましょうか。私はジル・スタフォード。この聖堂で上位神官をしています」
「ハロ・シエラです」
「やはり、あなたが噂のハロさんでしたか。腕の立つ剣士がお友達にいることは、何度も聞いていました」
 特に感慨もなさそうに言ってから、ジルは何かを考える素振りを見せた。数秒の黙考を終えて、彼女は深い冷静さを感じさせる瞳をハロに向ける。
「あの子が認めたのなら私が言うことは何もないでしょう。しかし、その剣で何を護るのかは、知っておかなければなりません。長話になりますが」
 頷く。ジルの言葉に反論などなかった。
 老シスターは、姿勢を正すハロへと端的に話した。それはこの街の歴史であり、今も続く加護の話だった。

 幾百年も前と言われている。後に「初代聖女」と呼ばれることになる名もなき聖者が、迷える人々をこの地に導いた。
 聖女はその光を以て人々に癒しと実りを与え、人々はこの地に街を築いた。
 しかし、闇の侵攻は聖なる光を以てしても完全には遠ざけられない。やがて実りは失われ、人々は争うようになった。
 聖女は神に永劫なる平穏を願うため、闇深くにその身を投じ、自らを供物として、神に祈った。祈りは届き、聖女の光は地を割って溢れ、この地に強大な結界を作り出した。
 土に実りが蘇り、闇は遠ざけられた。人々は歓喜と共に、その行ないを恥じ、悔いた。そして、闇で祈り続ける聖女の光が溢れる大地の裂け目に、聖堂を立てた。
 彼女の光は今も、街を護っている。聖堂に満ちる光は、地下から溢れる初代聖女のそれである。
 そして、聖女の祈りは数十年に一度、街に生まれた娘に宿る。その者は現代の聖女となり、初代の光を受け継ぐ癒し手となる。
 守り人とは、現代の聖女を護る戦士であり、同時に初代聖女の願いを守護する存在でもある。
 即ち、守り人とは光を護る者。闇を打ち払う光の守護者。この街のみならず、人々が光を願う先で、小さな灯のために剣を振るう者。
 それが、聖女の守護者に課せられた使命なのだ。

「……とはいえ、その大任を果たせる戦士は、そう現れるものでもありません。街に闇が差し迫ることも少ないこともあり、任命された守り人は文献に残される限り、あなたを除いて二人だけです」
「そう、なのですね」
 覚悟はしていたはずだったが、守護剣士の称号が持つ重みを両肩に感じ、ハロは息を吞んでいた。
 チェリカだけでなく、この街に宿る光を守護する使命。ひいては、この世界が取り戻しつつある光をも。
 望むところだと思った。
「お話を伺ってみて、確信しました。私がチェリカさんの守り人と認められたことを、私は正しいと思っています」
「ふむ。傲慢……というわけではなさそうですね。では、貴女に任せましょう。もっとも、特別な仕事が増えるわけではありませんがね。今まで通りあの子のそばにいてくだされば、それでよろしい」
「それだけでいいんですか?」
 壮大な話を聞いた後だけに、ハロはやや拍子抜けしてしまった。その様子を、ジルは鼻で笑う。
「それをできる人が限られているんですよ。並の者にはチェリカ・ロンドの守り人は務まらない。……あの子は本来ならば魔の忌子。聖女としては、あまりにも特殊なのです」
 ハロは何も答えらえなかった。ダンピール──即ちハーフヴァンパイアであるチェリカは、環境によっては迫害の対象となっていただろう。
 この街をしても、彼女がもし聖女ではなかったら。猟兵として目覚め、強大な力を得ていなかったら。
 運命は、変わっていたのかもしれない。
 沈みかけているハロを見かねてか、ジルはため息を一つ、やや大仰に肩をすくめた。
「それに、あの子は破天荒ですからね」
「……それは、確かに」
 思わず笑ってしまうと、ジルも口元を緩ませた。彼女の笑顔を見たのは、これが初めてだった。
 ハーブティーを飲み終えたころ、木の床を叩く元気な足音が聞こえた。振り返るまもなく、聞きなれた声が飛び込んでくる。
「ハロ、お待たせ! 聖女の服なんて滅多に着ないから、手こずっちゃったわ」
「滅多に着ない、というのは困りものなのですがね。聖女チェリカ」
「げ、ジル。しょうがないじゃない、私はオクガイサギョーが多い聖女なんだから」
「物は言いようですね。まぁ、いいでしょう。聖女の纏いを汚されるよりよしとします」
「むぅ」
 頬を膨らます友人を、ハロは思わずまじまじと見ていた。
 チェリカが身に着けている衣装は、普段の少女らしいそれではなく、金の刺繍が施された純白のドレスだった。髪はおろし、輝くような白のヴェールを被っている。
 表情や仕草はいつも通りなのに、どうしてか神秘的に見える。様になっているのだ。
「……さすがですね、チェリカさん」
「なにが?」
「聖女として堂に入っているって感じです」
「そう? えへへ、やった!」
 嬉しそうに飛び跳ね、ジルに「汚れますよ」と小言を言われる姿は、十七という年齢を考えても幼く見える。それでもやはり、ハロの目には立派な聖女に映っていた。
 咳ばらいを一つ、ジルが言った。
「時間はまだありますが、そろそろ聖堂に移動しましょう。人が集まりだしてからでは大変ですからね」
「はいはい。行こ、ハロ!」
「えぇ、行きましょう」
 チェリカに促されて立ち上がり、腰に剣を帯びる。慣れ親しんだはずの刃に、いつもとは違う重みが増している気がした。



 祈りの儀式は、粛々と進んだ。
 祝祭を楽しんだ人々が集った聖堂はしばらく賑やかだったが、祭事の始まりを告げる鐘と共に水を打ったような静寂に包まれた。
 オルガンの後ろから溢れる光──初代聖女がもたらす無限の光だ──に包まれた町人たちが、祈りの姿勢を取る。
 ややあって、上位神官のジルと神父らしい老いた男と共にチェリカが進み出て、オルガンの上部に輝く初代聖女を象ったステンドグラスの前で跪いた。
 その所作と表情は、普段の彼女らしからぬものだった。穏やかで慈愛に満ちており、それでいて儚く、今にも泣きだしそうにも見えた。
 初代聖女の願いを汲むとは、こういうことなのか。取り憑かれたようにすら見える親友の姿に、ハロは知らず息を吞んでいた。
 儀式に守り人の出番はない。聖堂の暗がり、チェリカの周囲まで一足で剣が届く間合いから、儀式を見守っている。
 何事もなく、祈りは進む。チェリカから発せられる光が聖堂の輝きと融合し、人々の祈りが神のもとへと送られていく。
 聖女も、神父や神官も、目を閉じ手を握り合わせて祈る。今この場で目を開いているのは、もしかして自分だけかもしれないとハロは考えていた。
 ほどなくして、儀式は終わった。チェリカの光が消え、聖堂が普段の明るさに戻ると、誰ともなしに立ち上がり、それぞれの家へと帰っていく。
 あっけないほどにあっさりと、日常が戻ってきたようだ。シスターたちが慌ただしく後始末をしている以外に、余韻らしいものはなかった。
 儀式の場に赴く時とは違い、チェリカはやれやれと掌で顔を仰ぎながら立ち上がり、神父とあれやこれやと話しながら聖堂の居住区へ続く裏手の扉へ向かい始めた。
 暗がりからハロが姿を現すと、彼女はすぐに気づいて、こちらに手を振ってくれた。
「ハロ!」
「お疲れさまです、チェリカさん」
 笑み返して労うと、チェリカはジルが咎めるのを無視して駆けより、ハロの手を取った。
「ハロもお疲れさま! ずっと見てくれてたの、分かったわよ!」
「それが役目ですから。とても厳かで、別人に見えましたよ」
「えへへ。聖女らしいところ、見せられたかしら」
 いつものように笑うチェリカに、ハロは不思議な安堵を覚えた。祈りの儀式で見せた彼女の人離れした表情に、知らず不安を抱いていたのかもしれない。
 やはり、チェリカはこちらの顔がいい。彼女の全てを受け入れるつもりであっても、その思いに偽りはなかった。

 着替えたチェリカやシスターらと祝祭で使った備品などの後始末を終え、パンと野菜などの質素な食事を摂り終えた頃には、すっかり遅い時間となっていた。
 結果、その日は教会に泊まる運びとなった。チェリカは街に自宅もあるが、職務の関係で教会や孤児院にいる時間の方が多いらしい。
 寝る前にお風呂で体を温めようということになり、ハロはチェリカに湯浴み場へと案内された。
 シスターたちの日常では、沸かしたお湯を桶に入れて冷まし、体を拭く程度だそうだ。しかし、当代の聖女が誕生したことで、事情が変わった。
 彼女は魔法が使える。つまり、大量の水を炎の魔法で温めることができるのだ。
「シスターたちったら、人をボイラー扱いするのよ。聖女への敬意が足りないんじゃないのかしら」
 文句を言いながら服を脱ぐチェリカに、ハロは小さく笑った。退魔師としても一流である稀代の聖女がブツブツ言いながら湯沸かし係をしている姿は、なんとも彼女らしい。
 湯浴み場には、床や壁に比べると真新しく見えるレンガの湯舟があった。本当にチェリカの代になってから作られたようだ。
 湯舟には水が張っており、そこにチェリカが手を突っ込んで髪を赤く変じさせると、あっという間に湯気が昇った。使う魔法の属性によって彼女の髪色が変わるのを、ハロは久しぶりに見た。
 しかし、なるほど。ハロはチェリカの後ろで納得の頷きを示す。
「これは、便利ですね」
「もう、ハロまで!」
 振り返って小突いてくるチェリカは、怒ったふりをして笑っていた。つられて声を上げてはしゃいでしまう。
 湯舟のお湯を桶に移して、石鹸で泡立てた手ぬぐいで体を拭く。
 お互いの背中を拭き合おうということになり、先手を買って出たハロは、チェリカの背を拭いてやっている時に、ふと儀式中の彼女を思い出した。
 あの時の表情。慈愛だけでなく、憂いを帯びた瞳をしていた。街の人々の祈りを一身に受け、初代聖女の願いを受け継ぐ意思を感じた。
 長く共にあり、苦楽を分かち合ってきた親友の白い背中には、どれほどの重責が圧し掛かっているのだろう。掌を当てれば伝わってくる柔らかさと温もりに、いったいどれだけの──。
「ハロ、くすぐったい」
 クスクスと笑いながら言うチェリカの声で、ハロは我に返った。「すみません」と返しつつ、優しく背中を洗う。
 こんなことを考えるのは、ジルから守り人としての使命を聞いたからだろう。しかし、気負うことはないはずだ。いつも通りでいればいいとも、老シスターは言っていた。
 交代になり、チェリカに背を預ける。手ぬぐいから伝わる元気な動きは、いかにも彼女らしい。
 と、その時。ハロの背中につるりとした感触が駆け抜けた。言い知れないこそばゆさに、思わず飛び上がる。
「わひゃっ!?」
 反射的に振り返ると、チェリカが人差し指をくるくるやりながら悪戯な顔をしていた。
「さっきのお返し!」
「もう、私はくすぐってませんよ」
「でもくすぐったかったもの。いいじゃない、おあいこよ!」
 ケラケラと笑うチェリカに、仕方ないなとぼやきつつ、ハロも気づけば頬が緩んでいた。
 お互いに湯をかけあって泡を流し、湯舟に浸かる。チェリカがまた火を入れてくれたので、とても温かい。
 思わず「ほぅ」と息が漏れる。湯気で濡れた天井をぼんやり見ていると、チェリカが身を寄せてきた。
「ん、どうかしました?」
「ううん。今日は疲れたなって」
「真剣でしたものね、チェリカさん」
「そりゃもう。大仕事だから」
 肩に寄りかかるようにして寄り添うチェリカが倒れないよう、腰に手をまわして支えた。お互いの体温が、湯の温度よりはっきりと伝わる。
 緊張の糸が切れたかのように、少し眠たげな声でチェリカは続けた。
「私ね、今日みたいな特別な日のお祈り、実は結構しんどいのよ。街の人たちの祈りを身に受けている間、心にずーんと来る感じで。聖女様の心も身近に感じると、世界を光で満たしたいっていう壮大な願いが身に染みて」
「……」
「ホント、いつも逃げ出したくなるのよね。もう何年も、何回もやってるのに。でも、今日はちょっと楽だったわ」
 近すぎるためにチェリカの顔は見えないが、ハロは彼女が微笑んでいることが分かった。
「ハロが、守り人として近くにいてくれたから。使命を一緒にしてくれる人がいるって、いいわね」
「猟兵としては、ずっとそうでしたけど……聖女としては、独りだったんですね。気づけなくて、すみません」
 悔しさが滲む声だと、ハロは他人事のように思った。実際、その孤独に気づけなかったことが我ながら許せない。
 しかし、チェリカは「ううん」と軽く首を横に振った。
「言わなかったもの。ハロにもっと早く相談したりすればよかった。っていうか、もっと早く守り人になってもらえばよかったかも」
「ふふ、確かに。守護剣士という地位があることを知っていたら、私もなりたがっていたと思います」
「あはは、そうなんだ」
「えぇ。おあいこです」
「おあいこかぁ」
 チェリカの声色は微睡んでいた。このままでは眠ってしまうなと思い、ハロは湯の重みを引き連れてゆっくりと立ち上がる。
「そろそろ出ましょうか。すっかり温まりましたし」
「ん、そうね。寝る準備もしないとだものね」
 浴槽から出て体を拭いた二人は、寝間着に着替えた。チェリカから拝借したそれは、背丈の関係でやや短く感じたが、それでもゆったりと着られた。 
 体系の違いを寝間着から実感し、思わず「すごい」などと呟いてしまったが、チェリカには聞こえていないようだった。
 歯磨きなどを済ませたハロとチェリカは、あてがわれた二階の客間に向かった。
 ベッドは一つで、二人で寝るには少々狭そうに見える。しかし、木製の教会は冷えるので、密着した方が温かくていい。
 明日の着替えの準備を整えてから、毛布の中へ潜り込む。ほとんど抱き合うような姿勢になってしまったが、やはりお互いの体温のおかげで、寒さは感じなかった。
 チェリカの寝息は、すぐに聞こえてきた。疲れていたのだろうなと労いつつも、安心して身を任せてくれることが嬉しかった。
 穏やかな呼吸と心まで伝わる温もりに誘われるかのように、ハロの意識もまた、微睡みの泉に沈んでいった。



 深夜。ハロは目を覚ました。
 お手洗いに行きたくなり、チェリカを起こさないようベッドから抜け出す。寒かったので自分のジャケットを羽織って、癖のように剣を手に取り、部屋を出た。
 用を済ませて戻ろうとした時、ふと気配を感じた。人のものに近いが、少し違う気もする。脅威は感じない。
「……?」
 どこかに何かがいる、というものとも違う。言うなれば、この教会中に満ちているような感覚だ。
 階段に近づくと、気配が濃くなった。一階へ続く下りの方から、濃密な存在を感じる。まるで呼ばれているような気さえした。
 しかし、万が一危険が迫っていた場合は、大事になる。剣をいつでも抜けるよう意識しつつ、階段を下った。
 一階の居住区は、シスター達の寝室以外に応接室や作業場、執務室といった部屋が連なり、廊下の奥に聖堂がある。ハロの足は、迷わず聖堂に向かっていた。
 居住区と繋がる戸を開け、聖堂に入る。地下から絶え間なく注ぐ光に照らされた堂内に、人の姿はない。しかしハロは、自分を呼ぶ存在がそこにいることを、確かに感じた。
 聖堂の中は静寂に包まれている。外へと続く両開きの大扉は、いつでも祈りに来られるよう鍵こそ解放されているが、外との空気を隔絶するかのように閉まっていた。
 じっと大扉を見つめていたハロは、一瞬、何者かに触れられるような感覚を覚えて、にわかに振り返った。
「あっ──」
 思わず声が漏れた。ハロの視線、見上げた先に、煌々と湧き上がる聖なる光を従えるかのようにして、その存在はあった。
 空中に降り立つ如く現れたそれは、女であった。ブロンドの髪が光に揺れ、うっすらと開けられた目は青く、一糸まとわぬ姿は白く透明な肌をしていた。慈愛と悲壮を漂わせる表情と、万人を包むかのように手を広げて佇むその姿は、圧倒的な神々しさを知らしめてくる。
 聖女だと、ハロは直感した。彼女こそが、光の原点。チェリカが意志を受け継ぐ、はじまりの聖女その人なのだと。
 そして、聖女の守り人たるハロ・シエラが己の剣で守護すべき光、そのものであることも。
「あなたが……」
 震える唇で呟いた瞬間、顕現した初代聖女は光の粒子となって消えた。同時に、聖堂を満たしていた気配も霧散する。
 ハロは夢から醒めたような感覚を覚えた。だが、目撃した聖女の姿は目に焼き付いたかのようにはっきりと思い出せる。
 夢や幻などではない。ステンドグラスに描かれた聖女を見上げ、それを照らす聖なる光を見つめると、地下に眠るはじまりの聖女の存在を、今まで以上に強く感じる。
 知らず、剣の鞘を持つ手に力が籠もっていた。そして、はっきりと告げた。
「護ってみせます。あなたの光と、光を受け継ぐ人を。この剣で──必ず」
 剣の柄に揺れる十字の飾りが、呼応するかのように淡く光を放つ。
 誓いを立てたハロの赤い瞳が見つめる先で、ステンドグラスの聖女が微笑んだ気がした。

fin

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年01月09日


挿絵イラスト