●ブラッシング
毛並みを持つものにとってブラッシングとは簡単なものではない。
自らの舌でもって成すこともあるだろうし、番同士で繕うこともあるだろう。
それを任せるものというのは、毛並みを持つものにとっては信頼に値する行為だ。
だから、ヒポグリフの『霹靂』は金色混じりの焦げ茶の羽毛を軽く揺すった。
「クエッ」
一つ鳴くと巨大なクラゲである『陰海月』は頷くように触腕を持ち上げる。
手にしている、といっていいのか触腕をくるりと器用に使って、持ち上げたのは大きなブラシであった。
ごわごわしているように思えるが、これが実に良い具合なのだ。
「ぷきゅ!」
『陰海月』が一つ息を吐き出すように鳴く。
それは合図だった。
これから行われるブラッシング。
彼にとって、これは冬の前の一大イベント、大仕事なのだ。
馬県・義透(死天山彷徨う四悪霊・f28057)の屋敷、フローリングの上には、今、新聞紙が広げられている。
準備はすでに万端。
これならばどんなに羽が飛び散っても掃除が気楽でいい。
掃除って大変だからね。
本当に。
だから、準備というのは大切なのだ。
「クエー」
いざ、と『陰海月』はゆっくりとブラシをヒポグリフの体躯……後半身、即ち馬体へと走らせる。
ゆっくりと。
それこそ最初の触れる一瞬は触腕の力を抜く。
徐々に力を込めていくと毛並みが整っていく。それだけではないだろう。ブラシの毛先が『霹靂』の毛の下にある皮膚を撫でる。
「クエー……」
人間でいうのならば吐息のような鳴き声。
『陰海月』のブラッシングの手並みは、上手と言っていいものだった。
それに使用している道具はいずれもが『霹靂』の出身世界であるブルーアルカディア由来のものだ。
わざわざ取り寄せたのは、屋敷の主人である義透の伝手である。
どうせならば同じ世界のものが馴染みがよいだろうと思ってのことだろう。
「ぷきゅきゅ」
最初はゆっくりとした動作であったが、『陰海月』はすぐに馬体の抜け毛を新聞紙の上に落とし、前半身の鷲の部分へと触腕を伸ばす。
換羽期なのだろう。
触腕を動かしてマッサージするだけで羽が抜け落ちていく。
「クエクエ」
「ぷきゅ?」
「クエー」
『霹靂』と『陰海月』は他愛のない話をしながらブラッシングを続けていく。
そういえば、『玉福』、最近ふっくらしてきたよね、であるとか。
『夏夢』さんはふわふわしているよ、であるとか。
本当に他愛のない話ばかりであった。
取り立てて何かに繋がることはない。
さしあたっては、今日のお昼ごはんがなんだろうな、温かいものがいいなー、という呑気な話題に集約されていく。
「ぷきゅ!」
そんな身にならない話題が終わる頃には、ブラッシングも終わりを告げる。
抜け落ちた毛であるとか羽を『陰海月』は集める。
こうした抜け落ちた羽なんかは、煮沸消毒して『陰海月』が趣味としているぬいぐるみやあみぐるみが持つ小道具になったり素材になったりするのだ。
「クエクエ」
気持ちよかったよ、ありがとう、と『霹靂』が頭を垂れる。
その仕草に『霹靂』は触腕を左右に振る。
いいんだよー、と言っているようであったし、お互い様だと言うようでもあった。
二匹は片付けを終えると、いそいそと居間の方へと向かう。
季節は移り変わる。
暑すぎた夏は終わり、秋が駆け抜けていった。
今は冬。
差し込む日差しが恋しく思えるほどに、外は空気が冷えている。
大仕事は終えた。
なら、あとはのんびりと日向ぼっこでもする。
ブラッシングをしてもらった体は、きっと陽光を欲しているだろう。
そんな穏やかな日々は今日も続く――。
成功
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