●ふたり
血の繋がりは水より濃ゆい。
そう言われる。
なるほど、そうであるのかもしれないと真宮・律(黄昏の雷鳴・f38364)は義理の父にあたる天野・陽輝(眩耀の曙光・f44868)の横顔を見てそう思った。
不意に見た彼の横顔。
その眼差しが妻のものに似ているように思えたからだ。
歌劇の真っ最中であるのに、そんな妻を思い出す。
いかんな、と律は頭を振る。
集中しなければ。
今は義父と共にサクラミラージュの歌劇を観覧しにきていたのだ。
陽輝はプロデューサーでもある。
他世界の文化に触れるのは、得るものが多くあるだろうと思って誘ったのだ。
いや、それも正確ではない。
誘おうとは思っていたことは偽りではないが、どうにも後回しにしがちであったというか、己が一歩をなかなか踏み出せなかった。
「子を持って知る親の心、というやつかな」
小さく呟く。
歌劇の音にまぎれて、義父に届かなったことは幸いである。
父親というのはいつだって損なものだ。
子育てにおいて、どうしたって子に厳しく当たらねばならない時もあるだろう。無論、その逆だってあるだろうが、いつだって共同作業にあっては役割分担をしなければならない。
だからこそ、息子と娘とでは、性差があるせいもあってか娘に殊更心を砕くものなのかもしれない。
きっと義父である陽輝も己の妻となった彼女に惜しみない愛情を注いでいただはずだ。
そんな愛娘を攫っていったのだから、並々ならぬ感情があってもおかしくない。
一度挨拶に戻ったが、本当に結婚というものを許してもらえたのか、と言われた不安が残る。
むしろ、一発は殴られる覚悟であったというのに。
殴られる価値もないと?
そんな考えがネガティヴに回るのは、自分らしくないと振り切ったはずだ。
だが、隣に実際に義父がいるとそうもいかない。
「いや、この世界の歌劇というのも興味深い。最初は賑やかなだけなのかと思ったが、しっかりとストーリーが組み込まれているのだね」
「え、ああ、はい。妻も、よくそう言って関心したようなことを言います」
「はは、そうか」
「お……いや、陽輝さんと同じ目をしていましたよ」
「あの子は母親似だが、性格というのは私に似たのかも知れない。芸事に生きた者からすれば、喜ばしいと思うが、大変ではないかな?」
「そんなことはないですよ」
二人は、歌劇が終わりを告げると夜道を歩く。
サクラミラージュの道には年中、幻朧桜の花弁が舞い散る。
「良い時間だな。どうだい、一杯やってから」
「ええ、そのつもりでした。陽輝さん、カツレツというものはご存知ですか?」
「かつれつ。面白い言葉の響きだな」
「薄焼きの肉を揚げ焼きにしたものなんですがね、パン粉の衣がザクザクで歯切れがよいんです。酒にも合うと思うんですが」
「それはいいね。酒に合うと聞けば、なおさらね」
二人は洋食屋に明日を運び、グラスを打ち鳴らす。
それは心地よい音であったが、律はまだ居心地が悪い。
随分と陽輝は自分に心を開いてくれているように思える。胸襟が開き切れていないのは、むしろ自分の方に思えてならなかった。
だからこそ、やるべきことはやらねばならないと思ったのだ。
酒を入れてからでなければ話せないことが、男には時にはあるものだ。
「改めて」
「なんだい? そんな畏まった顔をして」
「いや、聞いて下さい」
陽輝は笑っていた。上機嫌だと言ってもいい。
だからこそ、しっかりとしなければならない。
「俺と妻とのこと、許してくれてありがとう、と」
律はしっかりと頭を下げた。
一目があるからとか、そんなことは関係ない。
言わなければならないことはもっとたくさんあるように思えた。けれど、これだけは言わなければならない。
「貴方から大事な娘さんを攫っていったのに、貴方は少しも俺を責めなかった」
時代が時代なら、道ならぬ行いであっただろう。
「動揺がなかったと言えば、嘘になるがね」
陽輝は昨日を思い出すように目を細めた。
何を思うのかなんて、律には解らない。もしかしたら、わかる時が来るのかも知れない。
「あの子が走り出したら止まらない性格なのも知っているし、実際に会いに来てくれた。それだけで充分だったんだよ」
「それは」
「まあ、孫を二人育てていたのは、流石にびっくりしたが」
「巡り合わせというもので……それに、妻は俺がいなくても生きてくれた。それは貴方が育ててくれたからだ」
一度は己も死んだ身である。
であるのならば、と余計に心に影を落とす事実。
だが、陽輝は、その名の通り己の心に落ちた影を照らす。
「律、今は君に感謝しているんだ。あの子を連れ出してくれて。それに孫も持てて私は幸せだよ」
その一言がどんなに心を救うだろうか。
これが父親というものなのかもしれないと律は思い、頷く。
乾杯、とグラスが鳴る音に響く。
滲んだ視界に二人は互いに何も言わなかったけれど――。
成功
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