「あ、やべ」
完全にやっちまったな、という顔をしているのは時計ウサギの榎・うさみっち(うさみっちゆたんぽは世界を救う・f01902)である。視線の先には壊れた懐中時計、長年うさみっちが愛用してきた年季の入った懐中時計だ。
「いやまぁほら、物である以上いつかは壊れるもんだしな、それが今だっただけだな」
原因としては、うさみっちがうっかり手を滑らせて落としてしまっただけなのだが、壊れぬものなどこの世にはないんだ……とうさみっちは憂い顔をした後、ケロッとした顔で代わりの懐中時計を手に入れるにはどうすればいいかと考えながら、ぶーんと背の翅で飛んでいく。何せ時計ウサギなので、時計を持っていないのはアイデンティティにも関わるし、遅刻遅刻~とか時計を見ながら言うこともできなくなってしまうのだ。
「手っ取り早く懐中時計を……あるじゃん」
なんであるんだ? と思うなかれ、うさみっちの視線の先には燦然と輝く懐中時計があるではないか――!
「なるほどな、これは神の思し召し、運命、日頃の行いがいい俺へのご褒美だな」
これ幸いとばかりに近寄ってみれば、その懐中時計は思っていたよりも大きくてうさみっちが目を瞬く。
「俺の腰ぐらいある気がするな」
うさみっちは可愛い妖精さんタイプの時計ウサギなので、普通のサイズの懐中時計であってもかなりの大きさになってしまうのだが、背に腹は代えられない。
「……乗ればいいんじゃね?」
懐中時計に! 乗れば! 解決! 閃いた!!! みたいな顔をして、うさみっちが懐中時計のリューズ部分をハンドルに見立てて乗ればあら不思議! 驚くほどしっくりとした乗り心地で、峠だって攻められそうだし遅刻なんて皆無みたいなスピードだって出るではないか。
「これが運命ってこと?」
何の運命なのかはわからないけれど、長年連れ添った懐中時計だと言い張れそうなほどしっくりくるのである。
「この懐中時計をうさみっち号と名付ける!」
名前を付けたら俺の物、完璧な理論だなと頷いて、うさみっちは懐中時計に乗ってぶーんと飛んで行ったのであった。
さて、ここで賢明な読者であれば気が付くはず。そう、野生の懐中時計がそこいらに落ちているわけはなく、うさみっちが乗っていってしまった懐中時計にだって持ち主がいるということを――!
「……ここに置いておいた懐中時計がないんだが」
うさみっちが去った少しあと、懐中時計の持ち主である南瓜パンツから伸びたムキムキな足が眩しいアリス、ニコ・ベルクシュタイン(虹を継ぐ者・f00324)が首を傾げていた。
「誘拐……か」
本来であれば盗難と言うべきだが、あの懐中時計はニコの本体でもある。誘拐と言って差し支えないと、ニコが眼鏡のブリッジを押し上げて頷いている。
「いったい誰が懐中時計を連れ去ったのか」
これは事件だ、とニコが聞き込み調査を始めると、一部始終を見ていたという黒猫が教えてくれた。
「持ち去ったのは妖精サイズの時計ウサギ……なるほど、時計ウサギならばあの懐中時計を持ち去ってもおかしくはないな」
逆に言えば、時計ウサギにも見初められるほどの懐中時計だということだな、と少しばかりドヤ顔でニコが言う。
「しかし残念だがあの懐中時計は俺にとって命そのもの、返してもらわないと困るな」
しかし妖精サイズともなれば捕獲は難しそうだと思案した結果、ニコは虫取り網を採用することにした。
「これなら懐中時計を傷付けることなく時計ウサギも捕まえられるはずだ」
完璧な計画、と眼鏡をキラン! と光らせてニコは時計ウサギを追うべく駆けだしたのである。
「あっちか」
懐中時計はニコそのもの、離れていてもなんとなく場所を察知できるのだ。正確な場所まではわからずとも、方角さえわかればあとは筋肉が解決する――そう、南瓜パンツから覗くこの立派な大腿四頭筋がね!
虫取り網を構え、ニコが対象を補足する。そうとも知らず、うさみっちは鼻歌混じりにぶーんと飛んでいた。
「それは俺の懐中時計、返してもらおう」
背後から聞こえた声にうさみっちが振り返るよりも早く、ニコが虫取り網を振り下ろす。それは過たずうさみっちを捕らえ、逃げられぬように素早く虫取り網の口を手で掴んだ。
「なんだ!? このうさみっち様が可愛いからって誘拐か!?」
「誘拐されたのは俺の懐中時計なんだが」
「残念だったな、これは俺の懐中時計だ!」
いけしゃあしゃあと何を、とニコが不届きものを見てやろうと網を目の前に寄せた。
「…………」
「無言の圧か!? 残念だが俺にそんな圧は通用しないぜ! 証拠もここにある、見ろ!」
見ろ、と言われて視線をやや下に向ければ懐中時計に『うさみっち』と書かれているではないか。
「……これは」
更には懐中時計の裏面に、でっかい字で『うさみっち号』と書いてある。多分油性マジックだ。
「自分の持ち物に名前を書くのはあたりまえだろ!」
「自分の持ち物に……」
なるほど、とニコが真顔で頷く。
「わかったか? つまりこれは俺のものだ」
「わかった、つまり結婚の申し込みだな」
「なんて??」
何言ってんだこいつ、うさみっちの顔は梅干しでも食べたかのようにしわしわしている。
「この懐中時計は俺だ」
「存じ上げませんが」
思わず口調が改まってしまうのも無理はない、うさみっちは今だかつてないほどの危機に瀕しているのだ。
「俺に君の……うさみの名前が書かれた。つまり俺はうさみのものだ」
「お前、ナチュラルに俺の名前を略したな」
「俺をうさみのものにした責任を取ってもらおう」
ニコは真面目な顔をしてうさみっちに迫っている。網越しだとかそんなことは関係ない、何せうさみっちは|懐中時計《ニコ》に名前を書き自分のものとしたのだから。更に言うとうさみっちはニコの好みドンピシャだったし、名前は消せばいいけれど消す気はない、つまり囲い込みである。
「うさみ……俺の伴侶になってくれ。三食昼寝付を約束しよう」
「さんしょくひるねつき」
三食昼寝付はめちゃくちゃに魅力的だけれど、伴侶ってなんだ? とうさみっちがニコに問う。
「人生の連れ合いだな」
「全然わからんが俺の舎弟になるってことか」
「そういう解釈でも構わない」
妻の面倒をみるのはニコ、つまり夫の役目。
「伴侶になれば三食昼寝付で、この懐中時計も俺のものだと認めるんだな?」
「おやつも付けようじゃないか。懐中時計は……大事にしてくれるなら、うさみに預けよう」
ニコの言葉に、うさみっちが脳内でそろばんを弾く。懐中時計だけでなく、三食昼寝、おやつ付。伴侶が何かはよくわからないけれど、つまりこいつは俺の舎弟になるようなもの。
「得しかないな」
「そうだろう、俺は今物凄くお買い得だ」
ここぞとばかりに押していく、ニコは狙った獲物は逃さないタイプなのだ。
今ここに、うさみっちからの愛がなくても、ずっと一緒にいれば自分に惚れさせる自信はある。なんだったら、うさみっちからの愛情分も自分が愛を注いで満たせば何も問題がない――圧倒的一目惚れ、ということだ。
「結婚してくれるか?」
「いいだろう! 存分にうさみっち様に仕えるといいぞ!」
「よし、言質は取った。じゃあ今から婚姻届けをだして結婚式だ」
「言質って言った? あと早くねぇ?? 展開が早くねぇ??」
「善は急げというだろう」
早まったかもしれない、一瞬そんな言葉が脳裏をよぎったけれど、うさみっちは無敵の時計ウサギ。嫌になったら出て行けばいいだけのことだ。
まぁ、出て行ったとしてもすぐに見つかって戻されるのがオチなのだが、今のうさみっちにそんなことはわからないので、ニコに連れられるままに婚姻届けを出したし、結婚式ナウである。
「知ってるぞ、これはスピード婚ってやつだな」
「そうだな、運命だからな」
よくわからないが、まぁ運命だっていうならそうなのだろう。うさみっちは白くてひらひらの綺麗なドレスを着て、指輪を左手の小さな薬指に嵌められていた。
「必ず幸せにしてみせる」
「おやつは十時と三時にも出すんだぞ」
「任せて欲しい、手作りも辞さない」
病める時も健やかなる時も、死がふたりを別とうとしても、力尽くで捻じ伏せてみせるとニコが誓う。強火な宣言にうさみっちが、お、おう……としか言えなくなってもそれはそれ。手のひらにのったうさみっちの額にかかった前髪にニコが軽く口付け、晴れて夫婦となったのである。
「疲れた……」
「安心してくれ、うさみの移動は俺が担おう」
手のひらにのせたまま、ニコが次の行動に出る。
「どこに行くんだ?」
「結婚式の後は新婚旅行と相場が決まっているじゃないか」
新婚旅行という言葉に、うさみっちがそういうもんかと頷く。
「うさみは甘い物が好きなんだろう?」
「好きだな!」
「新婚旅行先はスイーツパーティーが毎日行われているとかいう国だ」
スイーツパーティ、なんという魅惑的な響きなのだろうか。疲れも一気に吹き飛んだ気がすると、うさみっちが懐中時計に跨り準備万端だと翅をぴょこぴょこと動かした。
「行くぞ、舎弟!」
「うさみ、俺の名前はニコだ」
そういえば、名乗っていなかった気がするとニコがうさみっちに告げる。
「ニコか、わかった! 行くぞ、ニコ!」
こうして、不思議の国に世紀のビッグカップルが誕生したのであった。
二人のその後? 言わずもがな、末永く幸せに暮らしました――に決まっているのである。
成功
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