『あの日』の血の味のキスは、別離と融合の境界面だった
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一人の少女が、嗚咽しながらもう一人の少女の赤く染まった胸に手を添えている。
そこに泣きながら手を添える少女の、その手を赤き池から伸びた何かが掴んだ。
紋章、あるいは精神寄生体。魂を侵食するそれが少女の傷口から体にズブズブと入っていき、呻く少女を優しくもう一人は見つめ、顔を近づける。
――『あの日』最期のキスは血の味がした。
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――|運命の日《ドゥームズデイ》というのは、突然に訪れるものである、と誰が言ったものだろうか。
昨日と同じ今日。
今日と同じ明日。
明日と同じ――。
細々な違いこそあれど、大局すればさして変わることない日々。主たるアリス・ロックハーツの使用人として、ロックハーツの似姿たる恋人にヤンデレな異母妹のセレナ・ロックハーツ、そして同じ使用人たる『アリスシスターズ』と共に過ごす甘やかなる日々。あの日まではそれが続くはずだった。
そう……あの日までは。
その日は大雨が降っていた。
「今日はまた随分と雨が強いわね」
部屋の中、窓よりしとしとと降る雨を見ながら呟く“ ”――後にアリス・セカンドカラー(不可思議な腐敗の|混沌魔術師《ケイオト》艶魔少女・f05202)となる者。
その姿を見たアリスシスターズの1人が……『“ ”』を見た瞬間に顔を歪めた。
驚愕、苦痛、そして――『殺意』を以て。
世界は『自然現象』として、自らの世界に現れたオブリビオンと戦う者達を世界の住人の中から選び出す。
故にオブリビオン――『闇の種族』の一族たるロックハーツ家に『自然現象』の産物――『猟兵』が生まれることも、ない話ではなかった。
そして猟兵とオブリビオンは戦う宿命である……つまり、この瞬間より“ ”はロックハーツ家全ての敵と『されてしまった』のだった。
――“ ”は気づかなかった。自分のもとに来たアリスシスターズの1人に感じた、敵意にも似た感情に。本能的に猟兵とオブリビオンの間で気づいてしまうそれに。あるいは……。
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「そう……『気づいてしまった』のね」
――自分たちが『オブリビオン』たる『闇の種族』であることなど。気づけないまま(闇の種族なりに)普通の暮らしをできていればどれだけ良かっただろうか。
「やむを得ない、わね」
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部屋にいきなり同居人達が押し寄せてきた。
皆等しく殺意を持って襲いかかってきた。
甘い日々なんか忘れたかのように、時には『なんでお前が』と涙しながら襲って来た。
――分からない。
なんで? どうして?
なぜみんな私をいきなり殺そうとするの?
昨日まであんなに仲良くしてたじゃない。それが、どうして――。
「知りたい? それはそうよね、愛する『“ ”』」
逃げに逃げた先で体を打ち付ける雨の中、振り向いた先にいたのは、彼女の恋人の少女。
「私も知りたいわよ、どうしてこうなったのか」
自然現象たるそれに、歯向かう事はできず、歯噛みするしかないからこそ。
「ねえ、あなたも私を襲うの?」
全てが等しく疑心暗鬼。恋人であろうと、例外ではなく。
「ええそうよ、だって『猟兵』と『|オブリビオン《闇の種族》』ってそういうものだから」
言葉の意味が分からなかった。
だけど、他の同居人にも感じていた何かは確かに彼女にも感じれて。
ああ、それがきっと運命なのか、と。そう思うしかなかった。
――それでも、攻撃するなんてできない。
何だか分からないままに殺すことなんてできない。だから、ただひたすらに蹂躙されるしかなかった。ドレスも顔も体も全てぐちゃぐちゃにして、赤い液体は雨が押し流して、あった場所には雨が染みて。重傷を帯びたその体は意識を保つことを最早諦めようとしていた。
それでも、彼女は最後のひと踏ん張りで――その手刀を恋人の心臓に突き刺したのだった。
……それもまた、彼女が願いを叶えるためユーベルコードで“ ”を操った結果だと知らず。
かくて物語は最初へ遡る。
「私の可愛い“ ”、なんでこうなっちゃったのか分かんない……だけど、ずっと一緒にいたい……だから」
手刀が抜かれ、赤く染まったそこに泣きながら手を添える少女の、その手を赤き池から伸びた何かが掴んだ。
紋章、あるいは精神寄生体。魂を侵食するそれが“ ”の傷口から体にズブズブと入っていき、呻く“ ”を優しく彼女は見つめ、顔を近づける。
――『あの日』最期のキスは血の味がした。
唇を放せば頭に声が響いた。
――これで私たちはずっと一緒。
私とあなたは共犯者。私とあなたは同じ『猟兵』。
もしもこうなることで『主』に叛逆することになるのなら、喜んで逆徒の烙印を押されましょう。
ずっと一緒よ、私の可愛い“ ”。
ゆっくりその体から力をなくす恋人の身体にバランスを崩し、水溜りに見えた自分の目は――『今までの紫ではなく、赤くなっていた』。
悲壮な結末、そしてこの家の全てが敵となった絶望……それは“ ”の心を壊せるものだったが、精神寄生体となった彼女はその特性を活かしそれを支えた。
――即ち、己への依存というものを以て。
「……私は……わたしは、忘れないわ。あなたのこと。あなたがオリジナルだとしたら、わたしはそれを真似て……|セカンドカラー《2Pカラー》となることでずっと覚えましょう」
そう、『私』であるのをやめ、『わたし』として。|真似《エミュレーション》する存在として。
――今から私は『アリス・セカンドカラー』。
“ ”の名は捨てたわけじゃない……だけど、『あの子』を忘れないために、私は当分この名で歩み続けよう。
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後日。
「ご主人様、領内の配下が最近“ ”により姿を消しているようです」
「でしょうね」
分かっていたこととはいえ嘆息せざるを得ない。
「ただ、目撃して命からがら逃げきった配下によると……彼女、こう言っていたらしく」
――『あの子』が寂しくないように、たくさんたくさん|“おともだち”《オブリビオン》を私の|精神《中》に招きましょう。
「……なるほどね? 実は、“ ”の恋人をやらせてた私の分身も最近感じられないのよ。恐らくは――」
「一つになった、のだと思いますぅ」
割って入ったのは彼女――『アリス・ロックハーツ』の妹、セレナ。
「あの瞬間は私も分身を通してみてましたぁ……私もあんな風に死闘の後に|ねぇさま《セカンドカラー》と一つになりたいのです。2人のねぇさまが|ひとつになった《融合した》だけでも素敵なのに、そこにセレナが加われば……きゃー」
「セレナ」
恍惚とした表情でくねくねするセレナにアリスは厳しい声色。
「今や猟兵となったあの子と融合するという事は私たちとも敵対するということなのよ? 分かってる?」
「わかってますよぉ、でもぉ……お姉様、そういう『悲恋』がお好きでしょう? わざわざ神隠しから戻って来てなお、分身を送り込むとか変な改造を使用人達にするとかしちゃってえ」
「否定はしないわ」
軽くあしらうように言った後再び気を取り直すように嘆息し、彼女は――にやけた顔を浮かべた。
「とはいえ面白いことになったのは確か。さて――“収穫”はいつにしようかしら」
口元に指を当て、笑みを浮かべる彼女が恐ろしい企てをしているのを、『|アリス・セカンドカラー《“ ”》』は、まだ知らない。
成功
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