アイシイ・シイユウ
●見えないもの
浴衣が秋風に揺れている。
揺れるのは心なのかもしれないと雨倉・桜木(花残華・f35324)は己の浴衣の袖の内側を弄ったり、桜色の三つ編みを触っては視線をあちこちに巡らせて思った。
動揺のきっかけは自分の店の目立たない場所に置かれていた手紙だった。
『今日ここで待ってる』
短冊に記されているような一文。
願い事のように思える約束の言葉。
それを大切なものに思えたのは、桜木が手紙の送り主のことを同じように思っているからかもしれない。
これはきっと自分の決められないまま、丸められた紙屑が記すべきものだったはずなのだ。
自分の意気地のなさに苦笑いするしかない。
「でも、そうは言ってられない」
仕立てたばかりの浴衣は、浮足立つような己の足を諌めるものだ。
浮かれるな。
だって、『今日ここで待ってる』っていうことは彼女がしてみたいことがいっぱいあるからだ。
なら、自分は浮かれてはならない。
彼女は祭りを楽しみたいと思っているのだ。
きっと純粋にだ。
なら、自分がすべきことは浮かれることじゃあない。しっかりとエスコートすることなのだ。冷静になれ。平静であれ。踊るな心。
でも、そんな決心は一瞬で散り散りになってしまった。
落ち着いていたはずの心拍は跳ね上がる。
しっかりと大地を踏みしめていたはずなのに、ふわふわと足下がおぼつかない。
「えっと……こんばんは?」
桜木の眼の前にいたのは、浴衣纏うジョゼ・ビノシュ(アイシイ・アンリアル・f06140)だった。
言葉を失うというのはこういうことを言うのだろう。
普段よりも少し大人っぽく感じる。
何か言わないと、と思うけれど魅入ってしまっていた。
唇が張り付いたようだった。息が止まる。漸く、桜木は口を開く。
自分の動揺が彼女に、ジョゼに伝わっていなければ良いと思う。
「私、何か変じゃない?」
「こんばんは、うん、変じゃない。すごく似合っている」
「よかった。浴衣は初めて着たから、せっかくだから見せたく、て……?」
「ふふ、一番に見せてくれてありがとう」
桜木はなんとか平静な声色を整えられていただろうか。
彼がいつも通り過ぎたからか、ジョゼは自分の言葉が無自覚に発せられたことに、今更ながらに気がつく。
「うん。そう」
どうして、自分がそんなに無自覚だったのか。
自分の浴衣姿をどうして彼に見てほしかったのか。
一番に。
その理由にジョゼはまだ名前をつけることができないでいた。
でも、いいのだ。
だって、もう一番に桜木に見せることができたのだ。それでいいのだ。
「桜木くんも、それ新しい浴衣? 素敵ね!」
よかった。
いつものように言葉を紡ぐことができているとジョゼは思ったかも知れない。
何でも似合う桜木くん。
素直に言葉を紡げば、いつもの調子を取り戻すようだった。
「それで秋祭りに行きたくなっちゃったんだ?」
「そう!」
元気が良いね、と桜木は笑む。
つられて自分の声も上ずるようだった。
「今日は! お祭りにしかないものいっぱい食べたい! りんご飴ってやつ食べたい! お祭りの味って何があるの?」
ぐい、とジョゼが身を乗り出す分だけ桜木はのけぞることになる。
意欲がすごい。
食欲、というのではないのかもしれない。
けれど、桜木もお腹はペコペコだ。
彼女の置き手紙の意味を考えて、食事に手が付かなかったなんて、格好悪くって言えないけど。
「例えば、チョコレートかけたバナナとか。あとは鉄板で焼く焼きそばとかも美味しいよ。焼きとうもろこしも。焼いただけなのにね、屋台で食べると何故かとても美味しいんだ」
「全部食べたい!」
ジョゼの瞳の煌きは桜木の鼻の頭を突くようだった。
けれど、彼女にとってのお祭りは初めて尽くしだ。なら、こんな反応になるのも無理なからぬことなのかもしれない。
「あと!」
「まだあるの?」
「そう! あの、なんだっけ金魚すくい? もやりたい!」
「たくさんあるね?」
「そうなの!」
何気ない会話なのに、どれもがキラキラ輝いている。
他愛のないことなのに、それでも全部が特別に見えてしまう。桜木は笑って、ジョゼと共に祭りの囃子に誘われるままに歩んでいく。
その道すがら、ずっとジョゼは彼女が知る限りの祭にて定番とも言うべき屋台を桜木に語って聞かせていた。
煩わしいと思うこともなかった。
ジョゼが目を輝かせるたびに屋台で買い物が増えていく。
抱える傍から消えていくりんご飴に、チョコバナナ。焼きそばに焼きとうもろこし。
「美味しい! ねえ、あれって金魚すくい? そうよね? そうなのよね?」
「そうそう。やってみるかい?」
「もちろん!」
カラコロと駆けていく背中に桜木は手を伸ばしかけて、止めた。
転んだら、という言い訳は喉から飛び出すことはなかった。それは自分のエゴだ。
彼女が喜んでくれることが一番だって思っていたのだから。
なら、それは言うべき言葉じゃあない。
空を切る掌は袖にすぐに引っ込められた。
「難しいわ! 本当に破けちゃうのね!」
ジョゼは手にした破けたポイを虫眼鏡のようにして桜木を見つめている。
「難しいよねぇ。ぼくも苦手だな。コツがあるらしいんだけれど……どうだっただろう」
「コツ? やっぱり反射神経かしら」
まるでスラッガーみたいな素振りをして見せるジョゼに桜木は思わず吹き出してしまう。
その様子にジョゼは見上げる。
「桜木くんは、何かしたいことはないの?」
行きなれているのなら、やりたいこととかないのかもしれない。そう思ったのだ。
けれど、桜木は首をふる。
「ぼくかい? えっと……」
張り付く喉を開く。
ちゃんと言わなければと思ったのだ。
「実はキミと一緒に祭りに行きたかったから満足かな」
「私と? ……ふーん。ふふふ」
無自覚な笑みだった。
ジョゼは、彼がそう言ってくれたことに頬を綻ばせた。秋の夜空に咲くような花のような笑顔だった。
くるりと身を翻す。
あちこち歩き回ったものだから、帯がズレていることにジョゼは気が付かぬままに、また興味を惹かれた出店に駆け出していこうとする。
そのままでは解けてしまうと桜木は思わず声を発する。
「あ、待った。動かないでおくれ」
気崩れてしまうから、とジョゼを引き止める。
その仕草は抱擁にも似ていた。
伝わる体温からしても距離が近い。
言葉がない。
お互いに。
「……さすが詳しい、わね……」
「……あー、えっと、もう一巡いくかい?」
ぎこちない。
わかってる。
でも、と二人は同じことを思うのだ。
きっとこの時だけは同じ気持ちだっただろう。
確認するまでもない。
「そうね! ぜんぶ美味しかったし楽しかった。桜木くんと一緒だからかな?」
旅団のみんなにもお土産をと駆け出そうとするジョゼが、くるりと身を翻して笑う。
その笑顔に桜木は転がり落ちるようにして一歩を踏み出していた。
ともすれば、事故みたいなものだ。
伸ばした手の言い訳を探したのは、己の気持ちが彼女に伝わらぬようにと思ったからだ。
「はぐれるといけないから」
「……手、大きいわね!?」
「それはまあ、一応、男の子だからね」
角張った手。
自分とは違う、とジョゼは触れ合った手を見つめて繋ぐ。
言葉にするのは難しいけれど。
なんだかいろいろと満足してしまった。
だから。
私は見る。またね、と貴方を――。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴