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或る都市伝説、若しくは己の中の

#UDCアース #ノベル #多重人格者 #花菱・真紀

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花菱・真紀




An urban legend, or something inside me. / UDC-Earth

 ――|眞堽《まおか》鐵道の無人駅、三高前。
 ――下りの最終電車が過ぎ去って後、|それ《・・》は來る。

 或る日、真紀が「向き合いたい」と云った時。
 有祈はSNSに投稿されるなり一夜で話題を攫った、まだ名前も無い怪奇談を|捺擦《なぞ》った。

 ――來る筈の無い車輛が、居る筈の無い乗客を招き入れる。
 ――然うして奇妙な物語が夜闇を走り出す。

「此處が実況形式でポストされた情報の発信地で」
「その語り手が――」
 花唇を擦り拔けた科白が夜風に冷されて須臾、踏切の警報音に搔き消される。
 |黯黮《くらがり》に斑を置くように明滅を繰り返すLED灯に暴かれた人影は、ひとつ――弓張月の如き橫顏を赤く照り上げた花菱・真紀は、線路沿いに伸びる道路に影を滑らせつつ、件の無人駅『三高前』に続くスロープを上った。
 季節外れの油曇が沛然と驟雨を降らせた所爲で、簡素な上屋しかないホームのベンチは今も濡れており、間もなく近付く列車の前照灯が座面を照々と光らせる。同時に四脚の影は長く伸びて、上屋の壁に影を躍らせた。
「22時41分。これが|眞堽《まおか》線下りの終電……」
 地元住民と思しき二人が降車して|爾後《のち》、一兩編成の列車が|鐵軌《レール》を鳴らして走り出す。
 ホームから掃ける住民と、列車の赤色尾灯が暗闇に吸い込まれるまで見送った真紀は、ぽつり、湿気帯びた細風に言の葉を掠めた。
「……俺の携帯に記録された不可解な|行動履歴《ロケーション》は、これだったんだ」
 ぐるりと見渡す景色に記憶は無いが、手元のスマートフォンには訪問した|記録《ログ》が残されている。
 成程『彼』が來ていたのだと、スクエア型の黑縁眼鏡をそと押し上げた真紀は、駅のホームが靜寂に包まれて幾許――タタン、タタンと音を響かせる|鐵軌《レール》に烱瞳を注いだ。
「……來る」
 終電が走り去った後にホームに乗り入れる、これも一兩編成の車輛。
 闇を切り裂いて近付く列車に真紀が瞠目したのは、SNSで語られた通りの怪奇現象を目の當たりにしたからでは無く――その車輛が、自身が所持する鉄道模型と全き同じ型式であったからに他ない。
「っ……」
 これは真紀自身のユーベルコード。
 觸れた者を【異界駅】へと運ぶ超常の異能であると自覺した彼は、ホームに進入した車輛がゆっくりと停車し、間もなくして片開きの扉を開ける樣子に息を呑む。
 模型では決して出せぬ重厚な音を浴びた真紀は、然し、同時に我が鼓膜を聢と震わす|佳聲《こえ》に支えを得ていた。
「教えた以上は最後まで付き合うし、見届けるから」
 普段と變わらぬ落ち着いた音色を呉れる、第一副人格の有祈。
 かの者は真紀の意志を聽いた當初、拑口を貫く事も出來たろう。嘗て亡姉の記憶を深潭に封じたように、有祈は真紀を「知る恐怖」から遠避ける事で守ってやれたに違いないが、今回、有祈は二人を引き合わせる事に了承した。真紀と紡、兩者を知る存在として橋を架けた。
「……ありがとう、有祈」
 己と同じように、否、それ以上に覺悟してくれた有祈に心から感謝した真紀は、ここで深呼吸をひとつ。
 次いで掌に包んでいたトリガーピースをポケットに忍ばせると、恐ろしく見慣れた車輛に乗り込んだ。
「――行こう。そしてもう一度、決着をつける」
 第二の副人格、『紡』と向き合う。
 その根源たる『偽蒼紡』と、己の恐怖と向き合う。
 彼を生んだのは他ならぬ己にて、自身の手で物語の結末を綴るべきと扉を潜った真紀は、車内を見渡して直ぐ――レトロな味わいのある照明の下、上質なモケットの椅子に掛けた『彼』を見た。

  †

 時に。
 決意して車輛に乗り込んだ真紀を迎えたのは、濡れたように艶やかなバリトン。
『この先、電車が搖れますのでご注意願います。お立ちのお客樣は、お近くの吊革や手摺にお摑まりください――……なんて、|戯言《おどけ》るのもらしく無いか』
 何せ|飄逸《ユーモラス》な主人格の要素は、欠片も持たないのだから――と。
 すらりと伸びた長身を椅子の彈力に預け、長い脚を組み直しざま此方を向いた麗人――偽蒼紡の残滓たる『紡』は、真紀が來るのを待っていたように眼眦を緩めると、親しげに口を開いた。
『中々の車輛だろう? 割と主人格の趣味に寄せてると思うけど』
「これは、お前が」
『然う、これは電腦の海を彷徨った漠然たる恐怖。形にはしたけど、まだ名前は付けてない』
 目下の状況こそ先に紡が蒐集した都市伝説で、己がその追体験をしているとは直感で理解る。
 唯だそこに模型電車を組み入れ、自身のユーベルコードを実体験させるとは悪趣味が過ぎると、真紀が眞剱な表情で一歩踏み進めれば、その接近こそ反駁と捉えた紡がゆるりと立ち上がった。
『面と向かって話すのは何時ぶりか……慥か新緑に潤う皐月の頃だったかな』
「お前は偽蒼紡の記憶を――」
『|豈夫《まさか》。これは“真紀”の記憶だ』
 器を同じくしているのだから當然だと、人差し指で額を小突いてみせる紡。
 その手が拳銃を模しているのは、嘗ての宿敵『偽蒼紡』が銃彈に斃れた事を皮肉っているのか――サラと搖れる前髮の奧、スクエア型の眼鏡越しに赫々と照る双眸を暴いた彼は、車内照明によって輪郭を切り出した影を蠢かせると、眞ッ黑な女型の影を形成しながら云った。
『あれから随分と噂が広がって、奇譚は狂氣と恐怖で滿たされた』
 飛躍的な強化を得たとは、漆黑の刃を振りかぶる「口裂け女」の素早さが示そう。
 得体の知れぬ事象への恐怖、或いは|悪戯《わるふざけ》や輕率、また全き善意や正義によって人々の口を伝い渡った怪奇は、此たび王道の都市伝説となって真紀を襲い、その頬に裂傷を走らせた。
「、ッ!」
 優れた視力と身の科しで首への刺突を遁れた真紀は、我が白皙にジワ……と滲む鮮血に舌を嘗め擦る紡に、嘗ての宿敵を重ねよう。
「……もう一度、乗り越えてみせる」
 己の片鱗を持たずして、己より生まれし者。己が創りし者。
 今や器を同じくして、異界行きの列車に乗り込まねば邂逅のかなわぬ相手となったが、この|虚言《うそ》と|眞實《ほんとう》の狭間でしか出來ぬ事があると、執拗に襲い掛かる狂人の刃を睫を掠める位置で回避した真紀は、鋭利に「勘」と「感」を研ぎ澄ましていく。都市伝説を調伏させる、七不思議使いの力を励起させる。
 蓋し紡は躱すばかりの真紀に嗤笑を寄越し、不可能を突き付けよう。
『では如何やって? また鐵鉛で撃つ? 自分の腦天を!』
「――|否《いいや》、そうじゃない」
 過去を捺擦った処で繰り返すだけだ。
 それでは、紡を――己の恐怖を打ち倒す事は出來ないと、双眸に烱々たる光を兆した真紀は、目下、爆速でタイムラインを更新するSNSを表示させたスマートフォンを翳して見せた。

  †

「この瞬間、誰もが荒唐無稽と思った怪情報が――|眞實《ほんとう》になる」
 刹那、眞直ぐに突き入れられる黑刃を受け止めたのは、伝説のアイギスではなく液晶画面。
 口裂け女が繰り出す刃撃の射線にスマートフォンを差し入れた真紀は、暗澹たる恐怖に包まれた彼女が、煙めいて輪郭を解き、霧散する――奇々妙々たる景を見せ、紡に喫驚を兆させよう。
「口裂け女は“|友達の友達《FOAF》”の好奇心を滿たさず、インプレッションを減らして消える」
『な、に――』
「嚴密に云えば、それ以上にインプレッションを大きくした怪奇談が、都市伝説として実現する」
 然う、真紀は紡の怪奇蒐集を追体験すると同時、その樣子を公開していた。彼と同じように。
 然して目下に実体験する具象を「更に知りたい」「突き止めたい」という願いをSNSで呼び掛ければ、これに賛同した人々がリポストし、不確かな情報が眞實として受肉していく。
 その想いは、口伝に耳にした“友達の友達”のものでは無い。
 リアルタイムだからこそ生々しく繋がった真紀その人の想いが、紡に新しい輪郭を與えようとしていた。

「決着をつけよう、偽蒼紡。――『都市伝説の語り手』!」

『――莫迦な。真紀が抱える恐怖の正体は、唯のルサンチマンじゃない』
 其は姉を失った悲憤、宿敵に対する憎悪。
 偽蒼紡に反發する一方、語るほどカリスマを帯びる紡の才氣を認めた事により、彼を強者と自ら位置付けた真紀には、決して己を調伏できないと――霧散した黑影の向こうで紡が語ってみせる。
『その感情は、姉が生き返りでもしない限り拭えるものでは無くて――』
「拭うんじゃない、向き合うんだ」
『無理だ』
「やってみせる。俺は、有祈が架けてくれた橋を渡るんだ」
 毛先を搖らすほど否を示す紡の正面、凛然と確言した真紀がポケットを抑える。
 己の想いに應えてくれた有祈が今も見守って呉れていると雄渾を得た真紀は、姉に代わるように己の内に宿ってくれた有祈に、自分達の物語の結末を見せようと胸を張る。佳聲を張る。
「俺の内に在るもの。俺の七不思議に名を連ねろ」
『はは、宿敵を取り込むなんて|狂《イカ》れてる』
「生憎、ゲテモノ料理と言われるものに挑戰するのが好きでね」
『……そういうのが|機智《ウィット》って云うんだ』
 俺には無いものだと、紡は皮肉ったか褒めたか判然らない。
 唯だ麗人は兩手を広げると、今なお床に響く鐵軌の音や懷古的な照明、異界の湿った空気と、そして、眞直ぐに己を睼う真紀の烱瞳を甘受しつつ、花唇に三日月を描きながら云った。

『腹を下しても知らない』

 †

 異界行きの列車が『三高前』に停車した時、時計は日付を變えていた。
 元の無人駅に降り立った真紀は、簡素なベンチのある上屋に近付くと、申し訳程度に添えられた鏡を見る。
 暗い鏡面に映る己を見て、幾許の後、拳を置く――。
 其は鏡越しに結ぶ、有祈と交わすグータッチに違いなかった。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年10月02日


挿絵イラスト