どこまでも暗い星夜の中で。
無数の星々が浮かぶ、限りなど無いとまで思える宇宙の光景。
包まれて、吸い込まれてしまいそうなほどに奥深く、魅力を持ったそれら。
それをただ、大きく冷たい窓枠の外に見る。
ここは、スペースシップワールドの宇宙を進む巨大宇宙船の一室。一番豪奢な部屋を貸し切って、レティシアはただ茫洋と宇宙を見つめていた。
あの輝く一番星は。あの淡く光る三つの星は。あの星座は。
もはや、それすら忘れてしまった。
勿論、ここは普段住まう世界では無い。ただ似ているだけだろう。
普段、どれだけ傲岸不遜に振る舞っていても、ただ気を沈めて心を安らがせる時間は必要なのだ。
これは、目的のある旅。
遥かに遠く、危険で、しかし記憶の光のみを指標に歩み続ける──人探しの旅。
「──全く、何処に居るのだろうか。」
天蓋の窓、その奥に目を向けてもそれらしい光は映ってこない。
誰にも見せないため息をひとつ、小さく吐く。
だが、こうゆるりとしていられる時間はもう続かないらしい。
ドタドタと騒がしい足音。そして、断りもなくこの部屋の自動ドアが開かれる。
「す、スヴァン様! 緊急事態です、どうかその力を我々にお貸ししてはいただけないでしょうか。」
緊急事態ということは、言われずともわかる。
訳もなく礼も無しに入ってくるわけはない。ならば、それだけの理由があったということ。
空を見つめ、茫洋に浸った───腑抜けた女神はもういない。
いつもの傲岸不遜な表情を浮かべ、鷹揚に答える。
「……フン、面倒だが仕方あるまい。」
ゆるりと立ち上がり、掛けてあった武器を取り。
スタッフの案内で管制室へと向かい、話を聞く。
「──という訳でございまして……」
「ふむ……」
スタッフの話によれば、船頭より二時の方角、宇宙海賊共が襲来したという。
ここの戦力では、それらに抗い打ち勝つためには不足がある。猟兵であり神であるレティシアを頼るのは実に理にかなっている。優秀なスタッフだ。
敵船はボロボロの遭難船を装い、SOS信号を発しながら突っ込んできているというチグハグさだけが少し気になるが──
「して、如何様に致しますか? 未だ距離は空いていますので、応戦の他にも緊急離脱なら可能ですが……」
「いや、この規模なら私一人でも粉砕は容易だ。逃げてどうなる? 奴らは何処までも追ってくるぞ。」
「はっ、ではそのように。」
実際、特筆すべき点のない中規模の宇宙海賊などレティシアの敵ではない。
船内を移り艦板に出たところ──あったのは報告通りの光景だった。
砲撃を受けたかの如くボロボロの遭難船。
暗い宇宙の奥から現れる、鈍く輝く大きな光。
微かに見える小さな粒は、搭乗員の姿だろうか。それとも───
まともに運行しているようには到底思えないが、しかし助けを求めるように、縋る様に───この宇宙船へと強制接舷される。
「チッ、お構いなしだな。|救難信号《SOS》はやはり偽装か……ならば慈悲をくれてやる必要もない、宇宙の塵になってもらおうか。」
レティシアは接舷された船頭右へと駆け、接敵する。
目に映る範囲、艦板の上に居たのは百ほどの|宇宙海賊《オブリビオン》。
一様に武器を構え、この宇宙船を略奪せしめんと各々で声を張り上げて───
「下らん。この私が居る時点で、略奪など成功する可能性は零だ。」
体の周りにバチバチと雷電を纏わせて、集団の中へと飛び込んだ。
──そこに映し出されたのは、ただの蹂躙劇だった。
手に持った巨大なハンマーを力のままに振り回せば、粉砕というのが相応しい程に敵の命を壊し刈り取る。
船内に踏み込み雷電を放てば無差別に襲いかかる蛇のような電撃がそこにある存在を須く焼き尽くす。
暴れれば暴れるほどに返り血を浴び、悲鳴を聞き、そして鈍い轟音と共に静かになる。
逃亡すら許さぬと船のブロックをいくつも乱雑に吹き飛ばし、戦場を揺らしていく。
雷電纏い、怪力のままに形あるものを壊し尽くす──それは文字通り破壊神の姿。
爆音と擦れた金属音が収まった後、硬い音を響かせてふわりと傾いたコンテナの上に降り立って。
「フン、この程度か。あっけないものだが……軽い運動にはなったか。」
見回せば、力無く倒れる雑魚の山。
破壊痕は荒々しく、大きな凹みや断裂はマシな方。空間全体が傾いたかのような、人の常識を超える破壊はレティシアが埒外そのものであることを言葉なく語る。
死体の姿も碌に見ず、崩れた船を脱すれば目の前には自らの船。
特に陽動作戦などでもなかったようで、新品そのもののような堅牢な巨大宇宙船の姿に、満足げな表情を浮かべる。
船が墜ちぬよう接舷を維持し、自らの仕事は全て終わったとレティシアは自室に戻った。
──その真実を悟らぬままに。
体感にして僅かな時間、時が過ぎた後に。
事後調査を行なったスタッフから、敵船のことについて聞かされる。
ここで下らぬと言えたならば、未来は違ったものへなっただろうか。
良くも、悪くも。その事実は──何よりも残酷なものとなる。
管制室へと向かい、話を聞く。
何故かやけにスタッフの気配は重たいものとなっているが、気にすることではない。
だが、その報告を聞いて確かな違和感を感じる。
「……報告します。今回襲撃を行なった船──『中型遠航海船:エレイン』は今より3時間ほど前、百名程の宇宙海賊に襲われました。」
「──百名、だと? いや、もっと多い筈だ。現に私はこの手でおよそ二百から三百程を倒したのだから。」
「その真偽は不明ですが……襲撃のあった後、船の制御権を奪われ航路から外れ、偶然に相互のレーダーの範囲内へと侵入しました。」
この時点ではただ、通常とは異なる航路を進んでいただけ。
しかし、こちらからの連絡に返答は無かった。
「そのまま接近を続けると同時に、また宇宙海賊達も知り得ぬところで、AIによる電波信号が送られ続けていました。当艦はそれを受信したようです。」
ボロボロな姿に、絶え間なく送られるSOSの信号。
AIは意味のない行動を取らない。おそらくその時にはまだ、クルーは。
「……当艦に接舷するまでの記録は、AIによって正確に保存されていました。しかし……それ以降の情報が存在しません。よって、ここからは状況証拠のみとなります。」
嫌な汗が背中を伝う。
百名の、宇宙海賊。 SOSを発するAI。
私は、何人殺した?
「|宇《・》|宙《・》|海《・》|賊《・》|に《・》|よ《・》|る《・》死者、185名。宇宙海賊の死体は骸へ還ったようですので、船外への流出がなければこれほどの人数が……命を落としました。──内訳を聞きますか?」
心臓の拍動が、やけに大きく聞こえてくる。
「あ、あぁ。」
絞り出したような声となったのにも気づかず、まるで縋るようにその先を聞く。
しかしその反面、真実を知るのに恐怖する自分自身。
宇宙海賊の数が多かったのだ。元より船内に潜んでいた輩がいたのだ。希望混じりの思考を、高速で回転する頭が悉く否定する。
「鈍器による撲殺、43名。電撃による感電死、78名。コンテナやブロックの下敷きとなった者、35名。その他原因不明な程遺体が損傷していた者が9名……」
嗚呼、なんと残酷な現実なのだろうか。
宇宙海賊の持っていた武器は、彼らが持つ普通の銃であり剣であった。
撲殺など、電撃など──それはまるで───
「ここに、貴方様がいてくれたことを幸運に思います。私たちも、彼らを追うことになるかも知れなかったので……」
──違う。
「救えなかったことを、気に病む必要はありません。」
──違う。違うのだ。これは──
顔色が悪くなりゆくレティシアを心配したのか、優しい言葉をかけてくれる。そのまま自室へと戻るよう丁寧に促してくれる。──本当に良く出来たスタッフだ。
しかし、その優しさが、包み込まれた事実の棘が、レティシアの心に深く深く突き刺さる。
絢爛豪奢な自室にて、黒一色しか映らぬ空を仰ぐ。
思い浮かべるは、殺した人々のこと。
心は沈み、力無くソファにもたれかかって。
「……何を間違えてしまった?」
そこに答えは無い。少なくとも、レティシアには見つけられなかった。
ただ完全に癒える事の無い心の傷が、突き刺さって抜けない荊の棘が、心を締め付ける。
手には、やけに貧弱だった|宇《・》|宙《・》|海《・》|賊《・》を殺した感覚が今も生々しく残っている。
正しい選択を、と手を伸ばしてもそこは宇宙より暗い闇の中。
壊して、壊れて、何も治らずに。
たとえどんな後悔を背負っても、終わりの見えない旅は続く──
成功
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