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心は色づく木の葉のように

#ダークセイヴァー #ノベル #猟兵達の秋祭り2024

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#猟兵達の秋祭り2024


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ロラン・ヒュッテンブレナー




 今年は豊作だと、すれ違った中年の男が言った。顔も見ずとも、その頬が緩んでいることは声音から想像できた。
 ダークセイヴァー第四層──地上。闇の根源たるオブリビオン・フォーミュラが討たれてなお、この世界は魔に支配されている。
 それでも、秋は来る。枯れかけた土から得られる実りは決して多くはないが、人々は大地の恵みに感謝を捧げていた。
 聖女の光に護られた町に響く讃美歌と人々の楽し気な声に、ロラン・ヒュッテンブレナーの耳は忙しなく動いていた。
「みんな、楽しそうだね」
 脇を駆け抜けていく子供たちに目を細めながら呟くと、隣を歩く少女が「そうね」と頷いた。
「今年の秋はお芋がたくさん採れたのよ。いつもより楽に冬を越せそうって、みんな喜んでるわ」
 少女──町の守護者たる聖女のチェリカ・ロンドは、彼女自身もまた明るい声色で答えた。
 今日は秋の収穫祭だ。毎年行われている行事ではあるが、今年は例年よりも飾りつけや振る舞われる料理、酒が豪勢であり、子供たちに配られている菓子も多い。ヒュッテンブレナー家の出資によるものだ。
 とはいえ、あくまで町の収穫を祝う祭りであるため、出資のことは公にはされていない。町の人間では、チェリカと町長、教会の一部関係者のみが知っている。
 そうした経緯があったため、ロランは名目上、町長からの招待という形で来訪しているが、何度も訪れた町だし、見知った者も多くいた。
 振る舞われる料理や菓子を楽しむ人々を眺めながら歩いていると、チェリカがふと足を止めた。「ちょっと待ってて」と言うが早いか、彼女は噴水広場の人込みに走っていった。
 あっけにとられて待つこと数分、長い紫の髪を揺らすチェリカが、やはり走って戻ってきた。両手には湯気が立つ芋を持っている。
「これ! 採れたてだから美味しいわよ!」
 手渡された蒸かし芋には、わずかながら砂糖がまぶしてあるようだった。質素だが、甘露を想像させる香りがする。
 せっかくの収穫物を頂いてもよいものだろうかと迷ったが、チェリカがあまりにも自慢気に突き出すものだから、ロランは思わず破顔して芋を受け取った。
「ありがと、チェリカちゃん」
 礼を言って、火傷をしないよう口に含む。砂糖以上に甘い芋の味が、口の中に広がった。
 なるほど、美味い。しかしそれ以上に、ロランは体の中に広がるものを感じていた。この町の主食であり、人々の命を繋いできたという芋から、わずかにチェリカのものと似た力の波動を感じる。
「……」
「どう?」
 答えは一つだと言わんばかりのチェリカに顔を覗き込まれ、頷く。
「うん、おいしい。このお芋だけで、冬を超えることができるんだっけ?」
「そうよ! うちのお芋はすごい栄養価が高いし、初代聖女の祝福を受けているの。ただのお芋じゃないのよ!」
 胸を張るチェリカに、ロランはなるほどと頷いた。光の聖女がもたらす加護は、作物を育てる土にも及んでいるということか。
 この町の人々はダークセイヴァーに生きるにしては明るいと思っていたが、その理由も聖女の祝福にあるのだとすれば、合点がいく。
「聖女様の力、すごいんだね」
「初代様がすごいのよ。この町の守り神、みたいなものだもの」
 答えた少女は、彼女もまた聖女ながら、その言葉通りに誇らしげな顔をしていた。
 芋を食べ終えてから、二人は町を練り歩いた。チェリカに手を引かれる形で案内してもらい、豊作に上機嫌な町の人々との親睦も深められた。
 町人たちは、現在の守護者である聖女チェリカに対して、特別に敬うようなことはなかった。むしろ親し気に話しかけてくる者の方が多い。敬語で接してくるのは教会の関係者か、老人くらいなものだった。
 愛されているのだなと、ロランは思った。それが羨ましくもあったが、当然だとも思った。チェリカと接すれば笑顔になれるのは、よく知っている。
 教会前に差し掛かると、町に響いていた讃美歌がより一層大きくなった。近づいてみると、子供たちで構成された合唱団が、緊張しながらも懸命に歌っている。
 実りを祝う歌に、人々は足を止めて聞き入っている。心地よい歌声に、ロランもまた酔いしれていた。



 ふと、ロランの耳が無意識に動いた。
「……?」
 讃美歌に紛れ、ノイズのように聞こえた声。冒険だとか、勇気だとか、そのような言葉だった。
 声を辿ると、十を過ぎた程度の少年らが、木で出来た玩具の剣を手に息まいている様子が見える。彼らは仕切に、町の外を指さしていた。
 まさかと思ったが、駆けだした少年たちは、まっすぐに町の外壁へと向かっていった。入り口ではないことを不思議に思ったが、彼らにしか知らない抜け道があるのかもしれない。
 チェリカの手を離し追いかけるも、すでに姿は見えなかった。しかし、狼の鼻が彼らの足取りを捉えている。
「これは──まずいの」
「ロラン、どうしたの? 何かあった?」
 遅れて駆けてきたチェリカは、突然離れた友人に困惑している様子だった。しかし、振り返ったロランの表情を見て、よくない事態であることを察する。
 走り出すとすぐに並走してきたチェリカに、事情を手短に説明した。追加の情報として、少年たちが今この瞬間、町の外へと飛び出したことも話す。
「……あの子たちは、本当に!」
 苛立つチェリカ。無理はないと思いつつ、ロランは努めて冷静に尋ねた。
「聖女の加護は、町の外には及んでないの?」
「少し離れるくらいなら、大丈夫。でも、光が届く距離は町に住む人みんな知ってるの。大人も子供も、安全な場所が分かるように」
 即ち、度胸試しに赴くのであれば、その外を目指すということだ。事態は切迫していると見ていいだろう。
 外壁に着く。子供ならば抜けられそうな穴が、地面に接するあたりに開いていた。這って出た形跡も見られる。
 そして二人は、同時に顔を見合わせた。壁の向こうに、魔力を感じる。強大な魔物ではないが、人を殺すには十分すぎる力だ。
 チェリカに手を取られて飛翔、壁を超えると同時に、ロランは巨大な熊に似た魔獣を目視した。
 魔獣の目線は、一点に注がれている。木製の剣を振り回し腰を抜かす、四人の少年たちだ。
「やば……! 急ぐわよロラン!」
 チェリカが飛ぼうとするが、無理だと思った。猶予は一瞬もないのだ。普通に飛んでいては間に合わない。
 ロランは叫んだ。
「チェリカちゃん、ぼくを投げてチェリカ砲を撃って!」
「え!?」
「説明してる時間はないの! 信じて!」
 チェリカは理解してくれた。少年の体を力の限りぶん投げて、放り出されたロランへ全力で光の破壊魔法を叩き込む。
 合わせるように防御結界を展開し、聖なる光の奔流を受け止める。砲弾を喰らったかのような衝撃を受けながら加速、ロランは強引に身を捻り反転して、着地の体制を整えながら結界を再展開し、魔獣と少年の間に突き刺さるように着地した。
 突如粉砕された大地と舞い上がる土煙に、魔獣の咆哮と子供たちの悲鳴が上がる。それらと体に響く痛みに構わず、ロランは前面へ防御の魔術を発動した。
 空中に浮かび上がる紋様に、魔獣の爪が突き刺さる。重い一撃だが、これまで戦ったオブリビオンどもに比べれば、耐えられないものではなかった。
 首だけで振り返ると、少年たちと目が合った。怯え切って、動けないでいる。四人のうち一人は失禁していた。死を目前にしたのだから、無理もない。
 だが、生きていてくれた。まずは間に合ったことに、ロランは安堵した。
 結界を強めて、魔獣を弾き飛ばす。同時に、飛んできたチェリカが着地した。
「ロラン、大丈夫!?」
 駆けつけたチェリカが、癒しの光を施してくれる。痛みが引くのはありがたかったが、ロランは輝く少女の手をそっと押さえた。
「ぼくは平気だよ。それよりも、この子たちをお願いしたいの」
「でも……」
 チェリカの顔が曇る。この程度の魔物であればロラン一人でも問題なく片付くが、先ほど受け止めた彼女の魔法の破壊力は、生半可な代物ではなかった。現に、今も体から痛みが消えていない。
 それを本人が一番分かっているからこその心配だ。素直に嬉しく思いながらも、ロランは襲い来る魔獣を結界でいなしながら、続けた。
「大事なのは、この子たちの安全なの。それに、結界魔術師で防御力のあるぼくが足止めする方が、理にかなってるの」
 まっすぐと、チェリカを見る。彼女のことだから、守るためとはいえ友人を置いて逃げることに抵抗感を覚えていることは間違いない。
 なればこそ。ロランは断定的に、語気を強めた。
「だから、連れて逃げて」
 結界が力を強め、魔獣が吹っ飛ばされる。その隙に振り返ったロランは、チェリカの手にループタイを押し付けた。
「これを持ってたら結界が守ってくれるの。さ、早く」
「……分かったわ。でも、ロランなにか変よ。どうしたの?」
「……ごめんね」
 こだわりがあることを、見抜かれた。わずかに動揺しつつも、ロランはチェリカの耳元で囁く。
「ぼくが魔術で命を奪うところを見せたくないの。『魔術を覚えれば』って、安易に思って欲しくないから……」
「!」
 理解してくれたらしいチェリカは、一瞬憐れみと後悔を表情に浮かべた。だから、ロランは微笑んで頷いた。
「だから、あとは任せて」
「……うん。頼んだわよ、ロラン!」
 いつもの笑顔を咲かせて、チェリカは少年たちを立ち上がらせ、お尻を叩いて町の壁へと走っていった。
 彼女らの気配が遠ざかるのを確認してから、ロランは牙をむいて威嚇する魔獣に向き直る。守りに徹する時間は、終わりだ。
 これは、大事な人の、大事なものを護る戦いだ。だから、【死の循環】を用いるつもりはない。
 しかし、魔獣は人を喰い殺す。見逃す道理もない。
 結界が消える。魔獣が人狼の少年へと、飛び掛かる。
「──ごめんね」
 突き出され開かれた掌から、ロランの魔が迸った。



 町に戻ると、祭りのものとは違った喧騒が耳に飛び込んできた。
 怒声と、泣き声。想像はしていたが、想像以上に厳しいものだった。座り込んで号泣する少年に、彼らの親がやはり涙を浮かべながら𠮟りつけている。お尻を叩かれている子供もいた。
 先んじて叱っていたのだろうチェリカは、溜飲下がらぬという面持ちでその様子を眺めていたが、正門から入ってきたロランを認めると、安心したように表情を緩めた。
「ロラン! 無事でよかった。ごめんね私ったら、ホントに遠慮なくチェリカ砲ぶちかましちゃって」
「ううん、おかげで間に合ったの。やっぱりチェリカちゃんの魔法はすごいなって、身をもって味わったよ」
「よ、喜んでいいのかしらね……」
 複雑そうな顔で、しかし一応笑ってくれるチェリカに、ロランは「もちろん」と笑顔を返した。
 今もなお派手に叱られ続けている少年たちへと目をやる。本当に一瞬でも遅れていたら命がなかった彼らは、とうに懲りていることだろう。しかし親からすれば、この世界で何よりも大切なものを失いかけたのだ。いくら言葉を尽くしても足りはしないことも理解できる。
 とはいえ、少し落ち着いた方がいいように見える。ロランは恐る恐る、四組の親子へ声をかけた。
「あの、もう大丈夫なの。魔獣は──追い払ったから。安心して?」
 うまく笑顔を作れている自信はなかったが、それでも効果はあったらしく、親たちは怒声を止めてロランの方に視線を向けた。
 途端、彼らは我が子の頭を押さえて無理やり下げさせ、自分たちもまた、何度も何度もロランへと頭を下げた。
「あぁロランさん、本当にうちの愚息がご迷惑をおかけしまして」
「あなたのおかげで息子が救われました。命の恩人です」
「ロランさんがいなかったらと思うと……あぁ、本当に! このバカ息子!」
「できるお礼ならなんでもしますからね。なんでも申し付けてください。命より高いものなんてないんですから」
 矢継ぎ早に礼を述べられ、ロランは困りながらも「大丈夫」と繰り返した。
 少年たちは罰としてお祭りの参加は禁止されてしまったようだが、命の危機を間近に感じたせいでさすがに遊ぶ元気がないのか、大人しく親に連れられて、家に帰っていった。
「あの子たち、落ち込んじゃってたの。これでよかった、のかな?」
 振り返って、チェリカに尋ねる。彼女は首肯した。
「もちろん! あいつらも命のありがたみってもんが嫌でもわかったでしょ。まったく、すぐ調子に乗るんだから」
「あの、あんまり怒らないであげて?」
「……しょうがない。救世主のロランに免じて、許してあげましょ」
 冗談めかして、チェリカが頬を緩めた。そして、ロランへと手を差し伸べる。
「お祭り、もうちょっとで終わっちゃうけど、もう少し歩かない? お礼もしたいし」
「お礼なんて。でも、そうだね。せっかくだから、楽しみたいの」
「決まりね! 行きましょ!」
 握った手を元気よく引かれ、ロランは駆ける少女の背中から、雲が覆う空を見上げた。
 日が暮れるまで、もう少し。空から伝わるその事実が、無性にもったいなく思えた。



 祭りを終えた後、ロランは教会の居住区に設けられた応接間で、町長や神父、司祭たちから歓待を受けた。出資者への礼である。
 お腹は減っていなかったが、受けなければ非礼に当たる。謹んでごちそうになり、町長から町の歴史を、神父からは聖女の伝説などを聞かせてもらった。
 同席した者の中には、以前出会った上位神官のジルもいた。相変わらず笑顔は見せてくれなかったが、冷たくはなかった。
 チェリカが隣にいてくれたこともあり、すっかりリラックスして話し込んでしまい、気づけば夜半になっていた。町長が帰り、司祭たちも明日の準備のために机を離れたので、解散の運びとなった。
 片付けにはチェリカも加わり、ロランも手伝おうとしたが、「ロランはお客様でしょ!」
と追い出されてしまった。少し寂しかったが、客間に案内してくれるジルの後ろを素直についていく。
 教会の中ということもあり、通された客間は質素だった。ベッドに机、ソファがある。
「今日はこちらで休んでいただきます。よろしいですね」
「うん。ありがとうなの、ジルさん。……あの、ぼくがここに泊っても、大丈夫なの?」
 ジルと初めて会った時、彼女はロランが人狼の身であることを嫌っているように思えた。
 勇気を出した質問に返ってきたのは、ため息交じりの返答だった。
「あなたには、予定以上にお世話になってしまいましたからね。いくら分からずやの頑固老人と言えども、子供たちの命を護ってくれた恩を感じることくらいはできますよ、ロラン・ヒュッテンブレナー」
「あ、あの、そんなつもりじゃ」
「冗談です。いい夢を」
 一方的に言ってから、ジルは客間を出て扉を閉めてしまった。あっけにとられたが、最後の言葉は笑っているようにも聞こえたので、本当に冗談だったのかもしれない。
 用意された寝間着に着替え、窓を開けて夜風に当たる。秋の涼しい風が頬を撫で、その心地よさに目を閉じた。
 静かな夜だった。昼間の喧騒が嘘のようで、見下ろせる町は家に灯る明かりだけに照らされている。
 どこかから、笑い声が聞こえた。町に一件だけある酒場からのものか、あるいは家族の談笑か。
 平和だと、心から感じる。しかし、聖女の加護に護られているこの町であっても、一瞬の油断で今日のような事件が簡単に起きるのも事実だった。
 この世界は、まだ暗黒に満ちている。その事実を思うと、静かで穏やかな夜の闇が蠢くように感じられた。
 物思いに耽っていたロランは、扉が開く音で我に返った。振り返ると、チェリカが客間に入ってきたところだった。
「あ、起きてた」
 ネグリジェに身を包んだチェリカは、遠慮なくロランに歩み寄ってきた。涼しいからか厚めの布地ではあるが、彼女の油断しきっている格好に、一瞬目を泳がす。
 気にした様子もなく、チェリカは手の中に持っていた物をロランに差し出した。
「これ、返さなきゃって。おかげで無事に町まで戻れたわ! ありがと!」
 彼女の手に収められていたのは、魔獣事件の際に渡したループタイだった。結界の術式は、今も生きているようだ。
「わざわざ、そのために?」
「そりゃそうよ、借りてた物は返さなきゃでしょ」
「ふふ、そうだね」
 受け取って、明日着替える服の上に置く。ランプの光を受けて輝くループタイを見つめてから、ロランはチェリカへと振り返った。
「チェリカちゃん、お話、できる?」
「ん? いいわよ」
 快く頷くチェリカに礼を述べてから、二人はソファに座った。しばらく沈黙してから、ロランはゆっくりと口を開く。
「今日の、魔獣のことなんだけど」
「倒したんでしょ?」
「……気づいてたんだ」
「まぁね」
 魔獣を屠ったことだけではない。ロランがチェリカを含めた町の人たちに「追い払った」と言ったことも含めて、彼女は気づいていた。
 その上で、話すのを待っていてくれたのだ。ありがたいなと思った。
「ぼくは──これも、知っているかもしれないけれど、ぼくは、ぼくの魔術で傷つく誰かを見るのは、あまり好きじゃないの」
「うん」
「もちろん、ぼくは魔術師で、猟兵だから、戦わなきゃいけない。生かすことも殺すこともある。覚悟はしてるよ。……でも、それでも、魔術を「戦うためだけの力」と思ってほしくはなくて」
 魔獣から彼女らを逃がすときに言ったことだ。己が使う術が強大だと知っているからこその葛藤だった。
 この町にいると、そのことを特に強く思う。まして、今立っているこの教会、その下で眠りながらも、今なお祝福を授け続ける光の聖女を感じれば、猶更。
 俯き気味に話していたロランは、にわかに顔を上げて、隣のチェリカを見た。彼女はただ、じっと少年の独白を待っていた。
「ぼくたちの力は、強いの。他者の生殺与奪の決定権を持ててしまうほどに。だけど、だから、ぼくは──」
 広げた自分の手を、その手で葬ってきた命の重みを見つめて、ロランは大きく深呼吸をしてから、小さいながらもはっきりとした声で言った。
「ぼくは、ぼくが奪った命を背負って、それに恥じないように生きたい。それが、ぼくの責任だと思うから」
「……そうね」
 チェリカが頷く。彼女もまた、そうなのだ。光の加護を受けた半魔の力──少女の身に秘める莫大な魔力から放たれる魔法は、ロランの魔術と遜色ないほどに強大だった。
 だが、彼女とは違う面もある。しばしの間を置いてから、ロランは先ほどよりも小さな声音で語り出す。
「ぼくね、死ぬのが怖かったの。ずっと怯えていたんだ。いつか自分が忘れ去られて、誰からも思い出されなくなるのが怖かった。この力を振るうことも、同じくらい怖かったの」
 人狼である我が身。長くない命を宿命づけられた我が身。何度呪ったか、嘆いたか。悲嘆に暮れた数知れない夜は、今も記憶に残っている。
 そう、そんな夜もあったのだ。今宵とは、何もかもが違う夜だった。
「今はね、全然違うんだ。ぼくはどんどん変わっているの。自分でも驚くくらい、理解が追い付かないくらい、変化していってるの」
 ただ黙して聞いているチェリカの表情は、暗がりの中では分かりづらかった。そのせいか、堰を切った心の奔流は、言葉となってとめどなく溢れてくる。
「チェリカちゃんと、ハロちゃんと、ぼく。ずっと一緒にいる三人。ぼくは二人が大好きで、とても大切で、これからも三人一緒にいたいの。それは、絶対に変わらない。変わらないんだけど、でも」
 今の自分は、どんな顔をしているのかしらと、心の片隅で自問した。きっと訴えるような、縋るような、そんな顔をしているだろう。
 だが、止められない。宵闇がロランの表情を隠してくれていることを願って、心のままに言葉を紡ぐ。
「ぼくの感情は、どんどん変わっているの。ぼくにはぼくの変化を止められない。望む望まないに関わらず、きっとこの先もぼくの感情は、変わっていくと思うの」
 息が苦しい。思わず寝間着の胸元を掴みながら、ロランは唇を強く閉じてから、震える声を必死で抑えながら、チェリカに尋ねた。
「ねぇ、チェリカちゃん。ぼくが──」
 聞くな。変えたくないものまで、変わってしまうかもしれない。壊れてしまうかもしれない。ロランの心の中で、死に怯えていた頃のロランが叫ぶ。
 それでも、少年は言葉を振り絞る。ありったけの勇気を持って、伝わることを祈って。
「ぼくが、変わってしまったら……チェリカちゃんは、どうする?」
 沈黙。開いた窓から吹き込む風と、揺れるランプの炎だけが、小さな音を立てている。
 しばらくの後、チェリカは首を横に振るしぐさを見せた。
「私は、どうもしないかな」
 受容でもなく、拒絶でもない。チェリカの声は、淡々としていた。
「あなたがどんなに変わっても、どんな想いを持っていても、私は変わらない。……というより、変われない、かな?」
 彼女にしては珍しい、含みを持たせるような物言いだった。ロランが確信となる言葉を濁しているので、こちらに合わせてくれているのかもしれない。
 声音は変わらず、チェリカが続ける。
「それがロランにとっていいのか悪いのかは分からないけど、私は私のままよ」
「……そっか。うん、ありがとう」
 良いのか悪いのかは、今のロランにも分からない。あるいはこの先、変化の果てに分かるのかもしれない。
 チェリカが「変われない」と言った理由が気になるが、彼女はそれ以上の明言を避けている。それはまた、別の機会にしようと思った。
「そろそろ、寝ましょうか」
 立ち上がったチェリカに、ロランは「そうだね」と答えて、客間の外まで送ろうと後を追った。
 しかし、チェリカは部屋のカギを占めてから、客間のベッドに潜り込んでしまった。思わず呆けているロランに、手招きをする。
「ねぇ、早く寝ましょ。今日は遊んだり戦ったり叱ったりで、もうクタクタ!」
「え、でも」
「いいじゃない、もう部屋戻るのも面倒だもん。ダメ?」
「……い、いいけど……」
 ありったけの勇気を出した告白の意味を、ちゃんと分かっているのだろうか。緊張と釈然としない想いとを混在させながら、ロランもまたベッドに入る。
 毛布にくるまれつつ思わずため息をつきかけた時、ロランは自分の手が優しく握られていることに気が付いた。
「ロラン。怖がらないで」
 優しい声だった。収まったはずの心の堰が、再び揺れ動くほどに。
「私は大丈夫。ロランがどんなに、どんな風に変わっても──」
 抱きしめたい衝動と、抱きしめられたい願望を、今は堪える。ただ、握られた手だけは、強く優しく、握り返す。
「だから、安心して。私は、ここにいるから」
 頬を伝う水滴がチェリカに気づかれないよう、毛布に顔を埋めた。
 しかし、小刻みに震えだす肩を止める術は、ロランにはなかった。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年10月09日


挿絵イラスト