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ある二人の交差点

#UDCアース #ノベル #完全お任せ企画

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日生・鉄斗



瀬戸・海生




 憂鬱だ。
 華の大学生活の始まりにはおよそ似つかわしくない、何度目になるか分からない溜息を吐きながら、瀬戸・海生は段ボールの箱を開閉していた。
 これから彼が暮らすことになる寮の一室である。備え付けの家具を勘定すれば荷物はそう必要なかったから、実家から郵送したのは幾つかの箱だけだ。その中身も、生活必需品を除けば大したものは入っていない。
 だからこれは無意味な開閉運動である。それほどまでに彼が緊張しているという証左でもあった。
 ――この寮ではルームメイト制が取られているのである。
 人との交流が得意とはいえない海生にとっては死活問題だった。織り込み済みで入寮したのだから文句は言わないが、それでも初対面の相手とこれから生活を半ば一にしていかなくてはいけないことを考えると、気分は晴れない。もう一度溜息を吐いて段ボールを閉じ、観念して立ち上がった海生の後方で、迷いなくドアが開く音がした。
 目が合う。咄嗟に逸らすより先に、視線の先に立った青年が破顔した。
「どうも。今日から一緒の人で合ってるか?」
「あ……うん。そう」
 口ぶりからしてルームメイトになる相手であるらしい。扉を開いたのと同じ、躊躇のない足取りで距離を詰められて、海生は内心背を向けたい思いに駆られた。しかし己の内向を最初から押し付けるのもいかがなものか。クラスメイト程度の関わりであればいざ知らず、これから最低でも一年間は共同生活を余儀なくされる相手である。少なくとも気まずくならない程度に取り繕っておかなくては、生活そのものが立ち行かなくなることにもなりかねない。
 生来のネガティブ思考を回転させている間に歩み寄って来た茶髪の青年は、実に眩しい表情と溌溂とした声で笑った。
「俺は日生・鉄斗。よろしく」
「瀬戸・海生……です、よろしく」
 差し出された手に些かならず驚いた。握手を求められているのだ――と分かって、内心ひどく狼狽した海生はしかし、そろそろと手を伸ばして、鉄斗と名乗る同居人のそれに重ねることにした。
 ――初対面で本当に握手する人、初めて見たな。



 講義を終えた鉄斗が部屋のドアを開けた先に紙皿が置いてある。
 この頃は常のことだった。
 大学に関するあらかたのオリエンテーションも終わり、本格的に講義が始まる頃には、互いのことも幾らか明瞭になった。鉄斗と海生は学科が別だということ。海生は寮内でも人の集まる食堂より自室で食事をすることを好み、その関係か軽い自炊が出来ること。常にクールな顔つきで返事もそっけなく、何を考えているのか分からないことも多々あるが、鉄斗が眠っていると生活音を立てないように気を遣っていること。
 それと――。
 スケジュールが合うときには、自炊の余りを持って来てくれること。
 最初のコミュニケーションの手応えは無きに等しく、以来も海生の方から話し掛けて来ることは殆どなかったから、己のような性格の人間を好かないのだとばかり思っていた。個性的な見目が余計に人との干渉を拒んでいるように見えた。鉄斗は明るく所作も大袈裟だが、考えなしの馬鹿ではない。自身を曲げることはせぬ程度に、適切な距離を保っていることも重要だと心得ていた。
 それが。
 ――料理、作ると余っちゃうんだけど、食べる?
 確か何かの講義の後だったと記憶している。同じ教室に押し込められているとはいえど殆ど他人のような相手ばかりの日だった。生憎と学食も寮の食堂も混んでいる時間帯だったし、大学生には時間はあれど外食に湯水のごとく溶かす金はない。それで適当な、安いパンか何かを買い込んで食べているのを、ちょうど共同のダイニングから食事を運んで来た海生が見たのだったと思った。
 ひどく言いにくそうに――或いは何か存在しないものに言い訳をするように、独り言の如く零された一言を聞いて、対人に聡い鉄斗は驚愕と共に天啓を得た。
 ――こいつ、もしや人見知りだな、と。
 以来遠慮を止めた。一も二もなく頷いた日から、鉄斗が帰って来る時間が夕食とぶつかれば用意されている皿上の料理にかぶりついたところで、戻って来た海生が小さく驚愕の声を漏らした。
 自身の使っている皿を洗っていたのだろう。面食らっている彼にただいま――と言えば、控えめ声量でおかえり――が戻った。
 着席してスマートフォンを取り出す海生のピアスを見遣りながら、鉄斗はふいに声を上げる。
「瀬戸さあ、優しいよな」
「……意外と、ってこと?」
「いや、普通に」
 実にじめじめとしたネガティブな声をあっさり笑い飛ばす。
「俺、感動してんだぜ。親元離れたら無料で人の用意した飯なんか食えないもんだと思ってたからさあ」
 最初に提案を受けたとき、彼は空腹を我慢して眠る覚悟を決めていた。男子学生の食事はパンでは賄いきれないのである。望外の助け船に乗ったときから、鉄斗はこの同居人が存外付き合いやすい相手なのではないかと考えている。
 とはいえ、それに乗っかり続けているのも良いことではないだろう。何事もギブアンドテイクが原則であるし、何より窮地を救われた身として感謝をしておきたい。
「今度何か奢るか作るかするわ。高いのは無理だけど」
「え。良いよ、勝手にやってることだし……」
 想定通りの返答にまた笑う。こちらをちらりと見たきり、またスマートフォンに戻ってしまった彼の視線を追いかけるようにして、鉄斗の眦が緩んだ。
「貸し借りじゃないぜ、俺の感謝の気持ちってことで!」
 どこが良いかを問えば、人の少ないところが良いと素直な返答がある。やはり人見知りらしい海生のチョイスを電子メモに書き込む。
 書き込みながら、ふと思い至った。
 彼が己との付き合いを厭うているものだと思っていたから、鉄斗にしては珍しく、連絡先を受け取っていない。
「そうだ。連絡先交換しとこうぜ」
 自然な所作で取り出したスマートフォン越しに、些か慌てた様子の海生が見える。彼の開閉する口が声を零すより先に、鉄斗の方は既に|友達追加《・・・・》の画面まで表示させていた。
「一緒に生活してるんだし、あった方が便利だろ?」
「まあ……そうだけど」
 そう言われれば否やも何も言えぬまま――。
 海生の疎らな連絡先に、同居人が追加された。



 一ヶ月にもなれば、大学生の自負も身に馴染んで来る。
 よく言葉を交わすメンバーもおおよそ固定され、話題は出身校や履修登録のことから教授と単位とサークルのことに移ろいつつある。三々五々バイトを始めようという面々もいる中、鉄斗は現状、課外に何か活動を入れるつもりはなかった。
 今日も講義が終われば帰寮する。学内では賑やかな友人に囲まれているからあまり関わり合う時間は無いが、帰れば海生がいるからである。
 このところは人見知りも随分と氷解した。ただいまより先におかえりが飛んで来るし、応じてくれる雑談の幅も増えた。何くれとなく話し掛けて来ることも増えている。ちらほらと笑顔が見られるようになったのも良い傾向だ。
 翌週までの課題を早い段階で作ってしまおうと、机上にレジュメを広げた彼の横に寄って来た海生が、ふいに問いかけるのがその証左である。
「日生、勉強得意なの?」
「得意って程ではないと思うけどなー。まあ、嫌いではないかな。急にどした?」
 率直に応じた。積極的に高い判定を取ろうと思っているわけでも、こうした講義の類を特別好んでいるわけでもないが、|生徒《・・》と呼ばれていた頃からの習慣のようなものである。
 水を向けてやれば、海生はまごついた様子で視線を外した。
「この前、教えてるとこ見たから……」
 幾ら学科が違うとはいえ、一年のうちは履修の被る講義もある。友人の多い|性質《たち》である鉄斗に、他者との接触を拒みがちな海生が寄って来ることは殆どないから、遠目に見たといったところだろう。
 その表情をちらと見てから、鉄斗は軽やかに笑った。
「海生も分かんないとこあったら言ってくれよ。|一般教養《ぱんきょう》なら一緒に出来るし」
「うん……ありがと」
 もう一つ気付いたことがある――海生の表情は、最初に思っていたより分かりやすい。
 初めて下の名前で呼んだときもそうだったし、今も寂しさゆえかどこかしょぼくれていた顔が華やいだ。すっかり機嫌の良くなったらしい軽やかな足取りも、彼の感情を映すようである。見方によっては懐いた犬のようにも見える仕草に、こっそり目許を和ませるようになって久しい。
「俺も課題やんなきゃ……」
「何枚?」
「レポート千五百」
「あー」
 聞けば必修だそうだが、一ヶ月に一回は小レポートの提出があるらしい。締め切りも厳格なようである。いかにもな|辛単《つらたん》に同情と納得を零した鉄斗は、部屋の隅で充電してあったノートパソコンを持ち上げる海生の背に声を投げる。
「図書館行く?」
「……日生も行く?」
「行く!」
 快諾してやればやはり海生は嬉しげな顔をした。
 既に席を取って勉強中の――中には眠っている者もいるが――学生たちを邪魔せぬよう、隅の方に並んだ長机に陣取る。鉄斗がレジュメの続きを取り出したところで、その隣の席へパソコンを置いた同居人が小さく囁いた。
「ノーパソ見てて」
「了解」
 早速レポート用の参考文献を選びに行った海生の背を見送る。一時的に空席となった隣の椅子を暫し見詰めてから、間違っても誰かが座らぬように、己の鞄をそこへ置いた。



 外は急な雨である。
 梅雨入りには些か早い大雨だ。だが昨今の気象ではそれも致し方がない。学生寮に駆けて入って来る、傘を持ち出し忘れたと思しき人々を学生寮の窓から見下ろす。
 今日の海生にはやることがない。ないわけではないのだが、脳裡を占める思考を跳ね除けてでもやらなくてはいけないことがない。
 つまり、何も手についていないといった方が正しい。
 いつも通り机上に勉強道具を広げた同居人に彼女がいるのではないか――という噂を聞いたのが切欠である。
 といっても、大抵の人間と没交渉の海生に、そのような噂をわざわざ伝えて来るような相手はいない。本当に小耳に挟んだ程度である。しかし遠くにあった浮つく話が身近に降って来るのは、彼にとっては天地がひっくり返るほどの衝撃だった。
 そうなったら己はどうすれば良いのだ。
 これまでも鉄斗以外の友人などごく限られていたのだから、たとえ友人として紹介されたとしても、その彼女と上手くやっていける自信はない。きっと邪魔になるだろう。それにただでさえ多くない鉄斗と一緒にいられる時間が少なくなるのは当然だ。規則では寮内に異性を招くようなことはないようになっているが、裏を返せば異性を招くようになったら寮を出ていく可能性だってある。
 鉄斗の荷物は新居に持ち込まれて、代わりに海生には新しいルームメイトが出来る――。
 嫌だ。
 ――嫌だって何だ。
 最初は色々と理由をつけようとした。そもそも人付き合いが好きではない海生にとっては、鉄斗との生活の方がレアケースなのである。ようやく出来た数少ない、もしかすれば大学生活では最初で最後かもしれない友人を失うのは怖いことだ。とられてしまうような感覚がするのも胃がむかつく原因やもしれない。
 同性だし。
 向こうだって内心どう思ってるか分からないし。
 彼女が出来なくたって出ていくことはありえるわけだし――。
 言い訳を重ねようとする海生の思考は、しかし生来のネガティブさを覆すことが出来ない。想像上の存在にすぎなかった|鉄斗の彼女《・・・・・》が、じわじわと現実を浸食してきている気さえする。観念して自分の想いを受け入れてしまえば、余計に嫌な想像は膨らんでいく。
 はち切れそうな後ろ向きの想像がまた後方の鉄斗に投影される。勉強中の鉄斗がふといつもの明るい声を上げる。こともなげに、今日の講義の話を持ち出すときのように、新しいソーシャルゲームの話をするかのように。
 ――そういえば、俺さー、彼女出来たんだ。
 耐えられない。
「ひ」
 裏返った声を咳払いで誤魔化す。
「日生ってさ」
「んー?」
「彼女とか……いる?」
 言ってしまった。
 鉄斗に背を向けたままで、海生は何か取り返しのつかない一線を越えてしまったような気分になった。額に浮き出す冷汗を悟られぬよう、早鐘を打つ心音を鎮めるように、乾いた口の中に残った唾を静かに呑み込む。
 他方、鉄斗の方はさして気にも留めていないらしい声で返事を寄越した。
「いや? 何か噂になってた?」
「そういうわけじゃないけど……何となく」
 嘘である。間違いなく|そういうわけ《・・・・・・》だ。
 しかし鉄斗の反応はあまりにもいつも通りだ。どうやらこれは、海生が思っていたほど危険な話題というわけでもないらしい。少しだけ楽になった頭で考えてみれば、友人間での色恋の話は高校時代から鉄板であったし、同じ部屋にいる同性の友人としては特別なチョイスではなかろう。
 納得したところで些か虚しい気持ちになる。持ち前の感受性ゆえに何事にも情緒をかき乱されるきらいのある海生からしてみれば、所詮は|同室の友人《・・・・・》にすぎない立場にも安堵より負の感情が勝ってしまう。
 窓の外を見るともなしに見詰める彼の内心を知ってか知らずか、同居人の方は常の調子を崩さない。
「つか、彼女とか出来ることないと思うから、あんま気にしなくて良いぜ」
「……そんなに友達いるのに?」
「友達と恋人は別だって。俺そういうの筋通したいタイプなんだよなー」
 間が開く。
 鉄斗にしては珍しいことだった。彼は中途半端なところで話を切ったりしないし、学業に集中するあまりに声が途絶えるようなこともない。よしんばそうだったとしても、この沈黙はどこか神妙で、熟慮するような雰囲気を孕んでいるのが気になった。
 やはり選ぶべきではない話題だったのではないか。
 おそるおそる海生が振り向きかけたとき、ようやく鉄斗が口を開いた。
「俺が好きなの、お前だし」
 勢いよく振り返る。
 レジュメに視線を落としていた鉄斗がゆるゆると顔を上げる。どこか緊張していたような面持ちは、顔に熱を集めてくらつく海生の視界の中で、目が合うなり安堵に華やいだ。
「――気が付いてなかった?」
「き、き、気が付くも、何も……!」
 声が裏返る。呼吸が上手くいかない。望外の事実を叩きつけられて、浮き上がるように足の裏の感覚がない。
 鉄斗には沢山の友人がいる。その中の一人にすぎない、それも同性の海生の自認からして、その好意に気付くのは不可能である。実際には鉄斗は彼と会うために帰寮するようになっているし、方々の気遣いをするようになっているし――そのために|学外に《・・・》彼女がいるだなどと仲間内で面白半分に語られていたりしたのだが、海生が知る由もないことである。
 その間にも立ち上がった鉄斗が近付いて来る。いつだか最初に会ったときにもそうだったように、背を向けることも逃げ出すことも出来ずにいる海生が口を開閉させている間に、眼前に迫ったキャラメル色の眸が瞬いて声を上げる。
「海生だって俺のこと好きだろー?」
「ひ、ひなせ」
「OKなら名前で呼んでくれよ」
 鉄斗の盛大な譲歩――今の海生は返事に相当する言葉は口に出せまいという配慮――は、果たして功を奏したらしい。俯いた海生の呼吸は落ち着いて、いつの間にやら胸元を強く握っていた黒い爪も僅かに緩む。
 返事は決まっている。
 ――返事が決まっていることと、それを口にすることのハードルは、また別の話であるとしても。
 深く息を吸って、吐く。一度きつく目を閉じて。
 覚悟を決めた。
「……てっと」
 零された掠れた声を聞くや否や、鉄斗は恋人を強く抱擁した。



 講義終わりのスマートフォンを開く。
 表示された未読数に苦笑した。早くに講義が終わった海生にとって、九十分の待ち時間は些かならず応えるようで、この頃はずっとこうだ。電話を掛けるためにトーク画面を開けば、記された時刻が見えた。
 徐々に間隔の狭まるメッセージは、寂しがり屋の恋人の理性が感情に勝てなくなっていくさまを克明に映している。最初は五分おきで耐えられていたものが、最後には一分空いていれば良い方だった。
 海生の中で、鉄斗の占める領域は日に日に大きくなっているようだ。今日も帰ったら沢山構ってやらなければ納得しないだろう。今頃スマートフォンの画面に釘付けになっているのだろう顔を想像する。
 その鉛の如き感情が自分だけに向けられている事実に――。
 コールボタンをタップしながら、鉄斗は心底嬉しげに笑った。
「かわいーの」

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年09月01日


挿絵イラスト