●糸し糸しと言う心
それが風に乗って伝わるのならば、透けた己の四肢に触れるあなたの熱までも伝えてくれたらいい。
死が救いではないというのならば、愛こそが救いそのものである。
二つの輝きがあり、赤い糸は小指に結われている。
その糸は過去の因縁という刃ですら断ち切ることはできない。それを証明したのが愛だというのならば、やはり死は救いではなかったのだ。
愛こそが救い。
風によって波を優しく浜辺へと打ち寄せていた。
季節は夏。
素足に触れる波の冷たさに、思わず笑む。
どちらからというわけではなかった。
塔・ルーチェ(永遠の戀を誓い愛に生きる花嫁・f38269)も、塔・イフ(ひかり咲く場所・f38268)も自然に笑い合っていた。
薄紅の瞳と桃橙の瞳が黄昏色に染まることはない。
互いの瞳の色がはっきりと分かるくらいの至近で、二人ぼっちであることを理解しあった。
愛おしさが溢れている。
「ふふ、おそろいってなんだか照れるわね」
イフの笑む姿を見ていたら、どうしようもないほどの愛が胸より溢れてしまって、こぼれてしまいやしないかと胸を掌で抑えた。
ルーチェにとって、イフは愛おしい存在だ。
言葉にすれば、陳腐だと思ったかもしれない。
この海に二人ぼっちだって理解していても、誰にも渡したくないとさえ思えてしまう。
そう、吹く風にだって、海にだって拐わせはしないと独占欲めいた感情が愛おしさを後押しするようだった。
二人のウェディングドレスを模した薄いヴェールの水着が風に揺れる。
イフは燥ぐように波打つ際にて、その透き通る手足でもって海水を跳ねさせた。濡れる足。雫讃える肌にルーチェはどうしようもない愛おしさを言葉にする決意をした。
その微笑みを誰にも向けないで欲しい。
自分以外の誰にも。
「……イフ」
「ねえ、ルーチェ」
ルーチェがイフの手を取る。いや、握る、というのが正しいだろう。
左手を取ったのは反射的だった。
覚悟などと言葉にすれば、それはあまりにも容易いものであったのだろう。
奇しくも二人は花嫁姿を模した水着を身につけている。白いレースは、黄昏に染まって尚、染まりきらない。
「わたし、こうしてあなたと今日も一緒に迎えられて、とってもしあわせよ」
それは嘗ての戦いを、永劫回帰によって温かな記憶をトラウマに変えてもなお生き続けなければならない魂の牢獄を思い出して、イフは苦しげな表情を作った。
それでも笑む。
手を取ってくれたのが、あなただったからこそ、今日を迎えられたのだ。
その微笑みにイフは赤らめた頬を黄昏の色より濃くしながら、左手の薬指に口づけた。
唇の柔らかな感触にイフは一瞬驚きを覚える。
けれど、その驚きは些細なものでしかなかったのだ。
「もういいよね。だってボクたちの間にはもう何のしがらみもない」
だって、とルーチェは続ける。
『再び幸せが訪れる』という花言葉を、己たちが持つ永劫回帰の力になぞらえてさえも、彼女は、素敵な言葉だと思ったのだ。
今日という日を諦めなかったらこそ、イフの目の前にルーチェがいる。
そんなルーチェがいうのだ。
何のしがらみもない、と。
逃げても逃げても、まるで楔のように打ち込まれた影がある。
運命を食らう獣の鋭い牙が並ぶ顎の恐ろしさを今も憶えている。
けれど、ルーチェはただひとつの倖いを知っている。
愛おしくて、戀しいぬくもりを、他でもない、|キミ《あなた》から感じたのだ。
「ずっと伝えたかった」
あの日感じた温もりは、今も手の内にあるけれど。
それでも今、イフの掌に灯る熱は、もしかして自分の熱が上がっているからなのかもしれないと思えたのならば、驚きもなかったのかもしれない。
けれど、いつだって驚きはやってくる。
今だって。すぐに。
「ボクのお嫁さんになって欲しいんだ。――結婚してください」
真っ直ぐな瞳。
自分たちの間に横たわる者は全て些細なことだ。
ただルーチェは直向きにイフを見ている。
愛しているという言葉は、いつだって言える。
けれど、伝えるのは難しいことだ。
だから、真摯でなければならない。言葉が軽くなってしまわないように。言葉が自分の思い以上に重たいものになってしまわないように。
真摯であることこそが、愛。
だから、イフは瞼を瞬かせた。
だって!
「もう、もう! ルーチェったら!」
「イフ?」
「……私から言おうと思ってたのに!」
むくれた頬も可愛らしい。なんだかマシュマロみたいだな、あとルーチェは場違いに思ったかもしれない。
けれど、発せられた言葉の意味を噛み締めて、漸く理解する。
つまり、それは。
同じ気持ちだったということ。
「ええ、もちろん」
柔らかな感触が胸に伝わる。
互いの熱が寄り添ったのだと理解する。
何より、目の前にあるイフの満面の笑顔が花咲くようで、見惚れる。少しだけ送れてイフをルーチェは抱きしめ返した。
自分から包み込むつもりだったのに、とルーチェは思ったかもしれない。
それでも些細なことだ。
思いが同じで、通じ合っている。
糸と糸が結ばれていると理解できる言葉ではなくて、心で。
だから、嬉しくて、嬉しくて。
「ありがとう、イフ……っ!」
「ふふ、笑顔でいて」
「うんっ、病める時も」
「すこやかなるときも」
「キミを幸せにする」
「永遠にいっしょよ」
互いの言葉が重なり合っていく。織りなす言葉は、恋模様を描く。
いや、これはもう愛だ。
抱き合ったのは互いの体だけれど、それでも抱いたのは愛。
だから、イフはいたずらっぽい声色で抱きしめ、抱きしめられたルーチェの耳元に、ぽそ、とささやく。
「ねえルーチェ……」
「何?」
「わたし、あとひととせと少しで、18歳になるのよ?」
それはちょっとした悪戯心と挑発。
こんなふうに笑って戯れることができる日々を手に入れられたのは、死を越えて来たからだ。
だから、イフは笑む。
満面の花咲く笑顔で、けれど、どこか魅惑的な顔で。
「……! イフ、こら! ボクが我慢してるの知ってるくせに、いじわるだ」
真っ赤な顔のルーチェも可愛らしい。
なんて、と可愛らしく笑むイフにルーチェは困った顔をする。仕返ししようにもどうしていいかわからなくて、抱きしめた腕に力を込める。
今はこれだけ。
これ以上は、とルーチェは息を飲み込む。
だめ。
だめだ。
だめなのだ。そんなこと、と思う。
けれど、糸しきイフを前にしては、そうした建前も崩れてしまいそう。
「18歳になったら覚悟してて」
「かくご?」
糸しき人が言う。
かくごなんてとっくに決まっているのに。
でも、笑う。どうするの? と。
そうしたのならば、心に溢れる愛を以て真摯な眼差しが胸を射抜くだろう。
「寝かせないから」
その言葉に二人は顔を真赤にしてしまう。
なんて、なんて、と二人はくすくすと笑いながら、もう一度確かめ合うように腕に力を込める。
その強さの分だけ、自分が相手のことを愛しているのだと証明するように。
黄昏の海は、夜の帳を星空と共に下ろす。
波の音は控えめに。
けれど、二人の笑い声は響き渡る。
世界に二人ぼっち。
けれど、逃げ続ける日々は終わりを告げている。ずっといっしょだという言葉を胸に、瞳に互いの姿を写して、星の瞬きよりも煌めくものを腕の中に得たのだ――。
成功
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