●白兎
歳を重ねることを有機生命体は成長とも呼ぶし、劣化とも呼ぶ。
生命が生まれたのならば向かう先にあるのは、どんな生命であろうと死である。
死とは劣化を重ねた先にあるもの。
だと、するのならば。
生とは死という別れを惜しむ寂寞たる時間でしかないのだろうか。
そう失うはずの誰かを思って泣くあなたの顔を、あたしは知っているの。
ひとりぼっちのうさぎに、あなたはいとしい誰かを見ていたのよね?
それも知っているわ。
知ることができたのは、経年劣化によるものだとあなたはきっと憤るかもしれないけれど、あたしには悪いことだと思えないの。
もしも、肉体的劣化が死を招くものであるというのならば、肉体と器に宿ったもの――この場で暫定的に言うのならば『魂』とでも言うべきものは一体何処に行くのだろうか。
『魂』が心と同一されるのならば、『記憶』もまた一部なのだろうか。
『記憶』宿らぬ器は、失敗作なのだろうか。
信じるべきは己の眼であることは言うまでもない。
己の眼に映し出された愛しき『ありす』は、彼女を知る自分であれば、きっと『そうであるか』、『そうでないか』を見極めることができるはずだ。
これを傲岸不遜というのならば、言うが良い。
この世界の全ての誰よりも何よりも『ありす』を理解しているという自負がある。
肉体という脆弱なる器ではない。
『記憶』と『魂』と『心』。
この聖なる三位一体を備えた器こそが、きっと『ありす』を取り戻すことになるのだと信じて疑わなかった。
でもね、欠けたるもの一つを手に入れたのが生命。
そう全てが十全なものなんて何処にもない。欠けたるものを埋めるために生命は生き続ける。
そういう意味では、あたしは『死』を得ているがゆえに『記憶』が欠けているの。電子の海に揺蕩っていたのは、偶然なんかじゃあない。
『ジル』、あなたはきっと『あたし』じゃあない『わたし』のことだけを見つめ続けているのね――。
●死神と泡沫の白
うそのなまえ、うその思い出。
なにもないわたしは、それでも少しだけ思うの。
たどり着くため、うたうの。
例え、あの人の『ほんもの』にはなれなくっても。
そんな白い兎にどうしようもなく焦がれてしまった。
|生命の死を司る冥府の海《デスパレス》。
その神々としての己が叫ぶようだった。
「何故、掬い上げることができない」
理屈では簡単なことだ。
『死』から遠ざけるための器。
けれど、それでもその器たるアリス・スノウライト(0/1 rabbit・f00713)に『記憶』はなかった。
それこそが『魂』の一部であるというのならば、『ありす』は復元できない。
失敗だ。
こんなものは失敗だ。
こんなもの、自分は求めていなかった。
●涙の海で溺れることもできずに
あたしは目を覚ます。
涙で視界が滲んでいる。
『ジル』の顔が瞬いたまぶたの裏に浮かぶようだった。
「ジル……」
どうして、と呼びかける声は掠れていた。
どうして捨てられてしまったのかはわかっている。自分が失敗作だからだ。
でも、夢は夢のままだ。
「……」
何処かに走り出さなければならない。
何かを探さなければならない。
それだけははっきりしているのに、何処に、何を、という肝心な部分だけが悲しさでぼやけて見えない。
言いようのない悲しみが胸をいっぱいにして、はちきれんばかりだった。
「あたしがにせものだから」
だから、捨てられたのだ。
わかっている。
それはもう乗り越えた痛みだ。
まぶたを閉じれば、疲弊した心は癒やしを求めるように、アリスを眠りへといざなう。
泥に手足が取られるようだった。
もしもまた夢で逢えたのならば、伝えたいことがある。
確かに。
「あたしはにせものであり、捨てられたのよね」
「偽物に用はない。お前に優しくしたのも、お前と共にいた時間も、お前を見つめていたのも、甘ったるい夢を見ていたかったからだ」
だが、白兎ではなかった。
あたしは『ジル』にとって夜そのものだったのだ。
だから、あたしは夢の中でしかあなたに逢えない。
「こんな痛みはもう慣れっこだ。馬鹿らしくなる。世界は君がいなければ」
「それでもまだあたしは、最後の夜を漂っている。あなたがいるのは息のできない暗い場所。あたしはあなたを照らすことはできないけれど」
生きているのだ。
生きていくと決めたのだ。
他の誰かに決められたものではなく、自分で選んだのだ。
生きることであなたの思う誰かを壊すことになったとしても。
「あなたの思う偽りは、あたしの真実だから」
どんなに『死』が二人を分かつのだとしても。
「にせものでも、捨てられても、あたしはあたし自身であり、『ありす』でもあるの」
だから、夢の中のあなた。
あなたの傷よ、癒えないで。
それが、あなたの中にあたしが在るということだから。
「だから、あたしは夢の中じゃあなく、『今』を生きるの――」
成功
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