夜に咲く花に渡り鳥は羽ばたく
●仁淀川
ヒーローズアース、日本。
その四国地方に流れる仁淀川は、その蒼く透き通った美麗なる水面から『仁淀ブルー』とも呼ばれた名所の一つである。
そんな美しい川にて行われているのがクリスタルカヤックによる川下りである。
透明なカヤックは仁淀川の水質と相まって、素晴らしい経験をもたらしてくれる。となれば、デートスポットとして有名になるのも当然の帰結であったことだろう。
「わあ、まるで透明な水の中に浮いているみたいですね!」
「透き通る水の上に浮かんでいるみてえだ……評判が良いのも納得だ」
鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)は、後ろでオールを漕いでいる大町・詩乃(阿斯訶備媛・f17458)の言葉に頷いた。
「どうですか! 初めてですけれど、レクチャー通りにできていますか?」
「ああ、十分だ。上手だ」
「えへへ」
些細なことなのかもしれないが詩乃が背後で笑む気配がする。
彼女はごきげんだ。
いや、テンションが高いと言った方が正しいだろう。
去年、共に海に行った時とおなじだ。相変わらず元気だ、と思うことができるのが嬉しい。
今年もまた変わらず彼女の笑顔が見られることが心地よいと思える。
それがどんなことよりも最高だと思えたのだ。
「嵐さんは楽しいですか?」
「ん? ああ、詩乃が楽しそうにしているとこっちまで楽しくなってくるんだよ。だから」
笑っていてくれると嬉しいな、とオールを漕いで川を下っていく。
「はい!」
元気いっぱいだな、と嵐は笑む。
カヤックは美しい光景を二人に見せてくれた。
いつだってそうだけれど、美しい光景というのは心を豊かにしてくれるし、自然の豊かさは心にある澱を洗い流してくれる。
「おっと、足元気を付けてな」
「ふふ、大丈夫ですよ」
救命胴衣を付けているとは言え、嵐は心配しすぎだった。
カヤックは水上にあって不安定。川を下ったとは言え、気をつけるには越したことはない。
詩乃の手を取って船着き場から彼女の体を引き上げる。
「次は川遊びでもしてみるか?」
「いいですね。まだ日が高いですから……暑いですものね?」
救命胴衣を脱げば、二人の水着姿が顕になる。
嵐は今年水着を新調していた。
青い模様の入ったものであったし、またパーカーを羽織り、サングラスを頭に掛けた姿はどこかやんちゃな少年を想起させるものであった。
それに、と詩乃は彼の腹筋を見やる。
無駄なく鍛え上げられた体躯。
ゴツゴツとした、と思えるのは彼が男子であるからだろう。
そんなことを思いながら、詩乃は嵐を川の中に引っ張り込むようにして遊泳場に飛び込む。
「おわっ、ちょっと待ってくれよ……!?」
「まちませーん♪」
音を立てて仁淀川の中へと飛び込む二人。
ワイルドな、それでいて男性を感じさせる嵐の姿を独り占めしたいと思う詩乃の気持ちはわからないでもない。わかっていないのは嵐だけだったかもしれない。
二人きりになりたい。
それが詩乃の気持ちだった。
その現れが川の中へと飛び込むという行為だった。
透き通る水の中、互いの顔がはっきりと分かる。
そして、人目がないのなら、と詩乃は少し大胆になる。
嵐に抱きついて甘えるようにして身を寄せるのだ。
驚きはある。
けれど、それ以上に驚きが嵐を襲う。詩乃の顔が近づいて、差し込む陽光に輝いているのに見とれるままに互いの唇が触れるのだ。
「ぶはっ!?」
「……」
まじまじと水中から顔を出した詩乃の顔を嵐は見る。
不意打ちだった。
完全に。
けれど、まあいいか、と思う。
「今日は特別、ですから、ね?」
詩乃の言葉に、嵐は滴る水を払って頷くしかなかった――。
●旅館
それから二人はスイカ割りをしたりと夏を堪能していた。
夕方まで川で遊んでいたのは、仁淀川の美しさもあったからだろう。それに詩乃が大胆だったのだ。
彼女の大胆さを示すように黒い水着姿は嵐を翻弄したし、そんなふうに嵐が困ったような顔をするのもまた詩乃は嬉しかったのかもしれない。
日が暮れるまで遊んだ後は、予約していた温泉旅館へと二人は向かう。
そう、『今日は特別』というのは、このデートが日帰りではない、ということだ。
つまり。
お泊りデートなのである。
初めての、とつけば更に特別感は増していくだろう。
「お料理、美味しかったですね?」
「ああ、腹いっぱいだ。不思議だよな。一品ずつの量はそんなでもねぇのに」
ぽん、と嵐がさするお腹に詩乃は巫山戯て耳を寄せて見たりする。
「いっぱい食べましたものね」
「食べすぎたかも」
そんな他愛のない会話をしながら浴衣姿の二人は河原へと向かう。
やはり夏の夜と言えば花火であろう。
「そう言えば、去年もこうやって楽しんだんだよな」
「ええ、嵐さんのお陰様です」
ロウソクの火が風に揺れる。
手にした花火から炎色反応が起こり、色とりどりの光が夜を照らす。
いや、二人を照らす。
「嵐さん、私とても幸せですよ♪」
詩乃の屈託のない笑顔に嵐も笑む。
それが自分のおかげだというのは大げさかもしれないけれど、それでも詩乃が楽しんでくれているのならば、それに勝ることはない。
勿論、自分だってそうだ。
楽しい。
詩乃といっしょにいるのは楽しいのだ。
昼間もそうだ。流石に水中でのキスは驚いた。びっくりしすぎて、これが初めてのということを忘れかけるところであった。
「いつもは一人で旅をしているけどさ」
「はい」
頷く詩乃。
その言葉の先を知っているけれど、言葉にしてほしいと続く言葉を待っているようだった。
「今回は二人でコられて、楽しめてよかった」
「私もです。誰かのためだけではなく、自分の為にも私、生きられている。嵐さんがいてくれるおかげです」
詩乃の笑顔が花火の光に照らされている。
夜の帳が下りていても、はっきりとその笑顔を嵐は見ただろう。
何の疑いもない笑顔。
その笑顔がどれだけ大切なものなのかを嵐は知るだろう。
「ありがとうございます。こんなにも楽しい時間が、今日という日がすぐに終わってしまいそうになるのは、心惜しいですけれど……」
その言葉に嵐は彼女の手を取って頭を振る。
「時間はいっぱいある。明日も二人で楽しもうな」
明日も。
今日という一日は終わるけれど、明日という時間も共に共有することができる。
二人の関係性は、きっと一日に収まるものではないのだ。
線香花火が落ちる。
光に照らされるのと闇が広がる刹那に嵐は詩乃の額に顔を近づけた。
柔らかな感触が詩乃の額に伝わる。
何をされたのか、彼女は理解しただろうか。
「……今」
「今日は特別って言っただろ。おればっかり貰うんは性に合わなねえからな」
いたずらっぽい顔。
まだ少年のような嵐の顔に詩乃は己の唇を指差す。
「あ、いや……その、それはまあ、おいおいな?」
「もう。でも、明日まで私は嵐さんだけのものですよ♪ それを忘れないでくださいね?」
嵐の腕に詩乃は抱きつく。
自分の存在を、その重さを、少しでも嵐が感じてくれれば良いというように彼女は身を寄せる。
この身の熱さは、夏の夜の暑さによるものだけではないだろう。
互いの鼓動が混ざり合う熱だ。
一人だけではない。
共に歩むからこそ進む先を恐れないでいい。
どんなに先行きが暗闇に染まっていても、二人の熱がまた今日のように炎色反応を起こして、見通せぬ未来を示してくれるだろうから――。
成功
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