●用意周到なお姉さん
アスリートアースにおいて『フィーア』と呼ばれる少女から見た菫宮・理緒(バーチャルダイバー・f06437)は、きっとそんな印象だった。
用意周到、というのは少し違うかも知れない。
もっと……言い方が在るのだと思うが彼女の語彙力ではどうにも上手な言葉が浮かんでは来なかった。
用意がいいということは、即ち他者に気を使えるということでもある。
もしも、此処に彼女以外の人間がいたのならば、あれは割と我欲に走った結果ではないか? と言ったかも知れないが、今は彼女一人だった。
眼の前で火が爆ぜている。
焚火。
薪をくべて火を絶やさないようにするのが『フィーア』の役目だった。
ぼんやりと火を眺めているのはよい時間だと思う。
口下手な彼女にとって、火は恐ろしいものであると同時に心落ち着くものであった。
見つめていると前にもこんなことをしたような記憶が蘇るようだった。
彼女はキャンプを多く経験していない。
マスコットキャラ『キャンピーくん』によって、偶発的にクロムキャバリアなどに転移したりしたこともあったが、あれはキャンプというものではなかった。
「『フィーア』さん、火は順調そう?」
理緒の言葉に『フィーア』は顔を上げる。
「は、はは、はい! しっかり、み、見てます!」
「そ? それならよかった。もう少し待っててね。具材切り終わるから」
「わ、私、手伝えることは……」
「だいじょうぶだいじょうぶ。『フィーア』さんは焚き火見てて、ねー」
理緒は自分をゲストとしてもてなしてくれるようだった。
事の始まりは、やはり理緒からだった。
彼女が唐突に『五月雨模型店』へとやってきて、キャンプに行こうと誘ってくれたのだ。
生憎、他の『五月雨模型店』のメンバーたちはいなかった。
というより、みんな『プラモーション・アクト』――『プラクト』の世界大会で優勝したおかげで取材が殺到しててんてこ舞いになっているのだ。
『アイン』はファンへのサービスの一環でサイン入りプラスチックホビーに追われていたし、『ツヴァイ』はそもそも大会が終わったあと、連絡がぷっつりと途絶えてしまっている。
『ドライ』は、世界大会の優勝によって面倒見の良さもあってか、あちこちの地方に招かれて『プラクト』を自分より幼い子らに教えて回っているのだ。
『ゼクス』は金持ち坊っちゃんらしく海外旅行だ、とか言っていたっけ。
となると、自分は暇になっていた。
そこに見計らったように……いや、事実、理緒は見計らっていたことだろう。
『フィーア』が一人になるタイミングでキャンプに誘ったのだ。
べつにそれは悪いことではない。
むしろ、『フィーア』は助かったとさえ思ったのだ。
自分の性格や、会話で噛んでしまうクセもあって、取材や講習会なんてもってのほかだ。上がってしまう。
だから役に立てないと、少ししょんぼりしていた。
けれど、そこに理緒が二泊三日のキャンプに誘ってくれたのだ。
「あ、『ヒヤルムスリムル』、忘れてないよね?」
「は、はい! 勿論です!」
理緒の言葉にウェストポーチから自分のプラスチックホビーを取り出して見せる『フィーア』。
何故か理緒はプラスチックホビーを持ってくるように伝えていた。
キャンプなのに何故なのか?
よくわからないが、用意周到な理緒なことだ、理由があるのだろうと『フィーア』は特別考えることはなかった。
「うーん、でも画になる、ねー」
理緒は焚き火に向かい合っている『フィーア』の姿を指で作ったフレームに収めて、ひとしきり頷く。
そう、今日の『フィーア』のコーディネイトは理緒がしたものだった。
ガチョウタイプのプルオーバーワンピース。
フィッシングベストをあわせているのは、アウトドア仕様のためだろう。足元はロングソックスと、少し厳ついとも言えるスニーカー。
アウトドアコーデだと彼女は言っていた。
自分でも驚くほどにしっくり来ている。
クリスマスのときもそうであったが、理緒のコーディネイトはいつもぴったりなのだ。
どこでサイズを測られたのだろうと思う。
彼女は同年代の少年少女からすれば長身である。
発育の違いと言われればそうなのだろうが、彼女はそうした自分の身長が少しだけ嫌だった。
けれど、背筋を伸ばす理由を理緒に教えてもらってからは、胸を張るようになっていた。
それで何が変わったのかなんて自分ではわからない。
でも確かに変わった、と周囲の者たちは言う。
その変化が嬉しい。
「理緒、さんも……と、とても素敵です」
「そう? んふふ、嬉しいな」
理緒もまたアウトドアコーデであった。
長袖のシャツは今、まくりあげられている。食材を切り分けているから邪魔になるからだろう。パーカーは細々した道具を入れるためのポケットが多くあった。
それがちょっとかわいいな、と思ったし、フィッシングベストに合わせたのかな、とも思った。
自分がスカートスタイルなのに対して理緒はストレッチパンツで動きやすさを重視しているようであった。
言うまでもないが、キャンプだからテントを立てなければならない。
だが、すでに理緒が手早くテント設営を終わらせてしまっていた。本当に出る幕がなかったのだ。
「やっぱり『フィーア』さんは、素材がいいからねー。美人さんはどんなメイクをしても似合う似合うねー」
「そ、そそんな!」
手を振って否定する。
けれど、理緒は頭を振る。
そんなことはないのだと。そう、理緒は『フィーア』の素材の良さを見抜いていた。彼女は磨けば光る。
長身であることは、強みであるが、彼女の性格的に短所に捉えてしまっている。
それを彼女はゆっくりと解きほぐしてきたのだ。
未だ完璧ではない。
けれど、これからの成長を感じさせるのは嬉しいことであったのだ。
「ん、よっし。食材は切り分けたし、ちょっとお手伝い、いいかなー?」
理緒は『フィーア』を招き寄せる。
食材? と『フィーア』は首を傾げている。仕草が一々かわいいなぁ、と理緒は思ったがなんとか心の中だけに留めることに成功していた。
今日は突っ込む人がいないのだ。
いつもならばクノイチ的なムーヴをする友人がいるけれど、今はキャンプ場に二人きり! ふたりキャンプなのだ!
変にテンションが上がって『りおりお』すぎてはいけない。
お姉さんの威厳というものもある。
「これは……?」
「せっかくだしね、甘い物も食べたいよね? キャンプ飯っていうとどうしてもお肉とかお魚メインな所あるんだけれど……今回は……ジャーン!」
理緒が切っていた食材がとても多いことに『フィーア』は気がついていた。
眼の前にあるのは色とりどりのフルーツ。
カットされたのはりんごやバナナ、オレンジといった果物であった。
加えてマシュマロや、クッキー。
ここまで見れば『フィーア』も気がつく。
「こ、これって……」
「そう、チョコフォンデュだよー。キャンプで甘い物と言ったら、スモアが有名だけどね。フォンデュ鍋も持ち運べるものがあるから、簡単でいいだよねー」
それに何より、チョコフォンデュは映える。
絵面的に最高なのだ。
フォークに具材であるカットフルーツを差す。
「はい、どうぞ」
「わ、わた、私からですか……?」
「うん、主役は『フィーア』さんだしね。むしろ、先に食べてもらわないと困っちゃうかなーなんて」
「で、でも……」
手伝いをロクにしていない、と『フィーア』は遠慮している。
なら、と理緒の瞳がキラリと輝く。
チャンス。
そう、これは、はい、あーんのチャンス!
理緒は迷うことなくフォデュ鍋に揺れるチョコレートを掬うようにしてカットフルーツを差した串をくぐらせる。
とろりとしたチョコレート。
甘い香りが鼻をくすぐる。うん、やっぱり良いものだって思えるのだ。
「はい、あーん」
「えっ」
戸惑う『フィーア』。
尤もな反応だ。けれど、理緒はためらわない。
ここで戦略的撤退はあり得ない。此処は押して押して、押すのだ。
推し言とは、邁進することと心得たり、である。
そんな理緒の押しに負けるように『フィーア』が口を開ける。
年下でも理緒と同じくらいの身長なのだ。少しかがんだところが彼女らしいと思えたことだろう。
「あ、あーん……」
ぱく、とチョコフォンデュしたフルーツを頬張る『フィーア』。
目が輝いている。
それだけ見れば、理緒も理解する。美味しいと思ってくれたのだろう。
何の変哲もないものだ。
言ってしまえば、フルーツにチョコレートを掛けただけ。
とろりとしたチョコレートの温かさとカットフルーツの果汁。
それらが渾然一体になる、という要素はあるだろう。
けれど、それ以上にキャンプ地での食事というのは、シチュエーションが人の味覚に大きな影響を与えることを証明してくれていた。
何より、理緒は約得を噛み締めていた。
「うんうん。よかったねー。それじゃあ、わたしにも、ねー?」
お返しに、と言うように理緒も口を開ける。
まるでひな鳥のようであった。
『フィーア』は年上のお姉さんが、こんなふうにするとは思ってもいなかったので驚きの方が勝ってしまう。
「あ、あーん、です」
「あむっ。ん、んっ、おいしっ!『フィーア』さん手ずから食べさせてもらったせいか、ずっと美味しいよ!」
「そ、そそそんな! あんまり変わらないはずですよ!」
「ううん! これは絶対『フィーア』さんのおかげ!『フィーア』さん効果に違いないよ! そういうわけだから、もう一つお願いしてもいいかなっ」
「え、えええっ!? じゃ、じゃあ……ええと、何が、いいですか?」
「『フィーア』さんの選んでくれたものなら、なんでも!」
その言葉に『フィーア』は困った顔をする。
困った顔をしていてもかわいいなぁと思ってしまうところが理緒のフィルターが最大限に効果を発揮するところであった。
そんなふうにしてすっかり理緒は『フィーア』からのチョコフォンデュを堪能したのだ。
「元気出たーっ。それじゃあ、メインディッシュに行こうかな!」
「め、めめメインディッシュ、ですか?」
色々と用意してきているのだなぁ、と『フィーア』は理緒の用意の良さに感服しているようであった。
理緒はその様子に頷く。
今回の目的はあくまで二日目なのである。
今日はサプライズを成功させるための前フリ。言ってしまえば、これはただのキャンプではない。
理緒が画策しているのは、きっと『フィーア』が喜んでくれるものである。
そのためにも、余りテンションは上げすぎず……いや、もう十分上げすぎているような気がするが、理緒からすればだいぶ控えめなのである。
「うん、勿論、キャンプ飯の王道にして覇道と言えば! そう、カレーだよ!」
飯盒炊爨。
古今東西において、いつだってカレーは王様なのである。
ある意味、魔法の粉でもあると言えよう。
どんな食材も、どんなに劣悪な環境にあっても、カレーのスパイスは人の食欲煽り、味をまとめてくれるのだ。
言うなれば、約束されたメインディッシュなのである。
理緒は、がんばった。
とても、とてもがんばった。
それはカレーの調理をがんばった、という意味ではない。
サプライズを成功させるためにテンションを抑えることに終始徹していたのだ。
テントとは言え、一つ屋根の下。
もはやこれは同衾!
しっかりお姉さんするためには、逸る気持ちを抑えなければならないのだ。
「できるよね、わたし……がんばれ、わたし!」
理緒は固く拳を握りしめ、自分を信頼してくれている『フィーア』と共にカレーの香り香る焚き火の前で多くを抑え、抑え、抑え続けたのだった――。
●サプライズ
『フィーア』は不思議だった。
二日目の朝は、心地よかったし、天気も良さそうに思えた。
昨晩は理緒とテントで楽しく話が出来たように思える。なのに、理緒の目の下にはクマができていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ん、だいじょうぶ、だいじょうぶ」
とてもそうは見えない。
『フィーア』は小首をかしげる。彼女は知らないことであったが、理緒は大変に大変な一夜を過ごしていた。
テントは一つ。
寝袋は二つ。
べつに何もなかった。
が! 何もないように理緒は自制心と理性をモラルという鎖でがんじがらめにして抑え込んでいたのである。
寝息を立てる『フィーア』の寝顔を収めようと何度シャッターを切ろうとしたか!
だが、此処まで全幅の信頼を寄せてくれている『ふぃーあ』を裏切れようか、いや、裏切れない。
故に理緒は一睡もできなかったのである。
理性が仕事したとも言える。
「き、きょ、今日はどうするんですか? なにか予定があったんじゃ……」
彼女の言葉に理緒は本来の目的を思い出した。
「うん。勿論。準備できたら行こっか!」
「え、それって、どういう……」
戸惑う『フィーア』を連れて理緒はキャンプ場の中央にある広場に歩んでいく。
周囲を見れば、何やら人が集まっているのがわかるだろう。
人だかり、と言うほどではない。
けれど、確実に何事かが行われるから集まっている人数であるとも言えた。
「これって……」
そう、理緒が連れてきた『フィーア』の眼の前にあるのは『プラクト』フィールドであった。
それもキャンプ場を模したディオラマチックシステム。
精巧に作られたキャンプ場のミニチュアディオラマは、フィールドとしての完成度が、かなり高いように思えた。
「そう、これがわたしのさぷらーいず。キャンプ×プラクト大会だよ。勿論、エントリーはもう済んでいるからね!」
理緒の言葉に何故、自分のプラスチックホビーをキャンプ場に持ってこなければならなかったのかを『フィーア』は理解する。
「も、もしかして……」
「そう、わたしと『フィーア』さんのペア参加だよ。だって、一回ペアを組んでみたかったんだもんー♪」
それに、と理緒は『フィーア』のプラスチックホビー『ヒヤルムスリムル』に偽装パーツを組み込んでいく。
「え、ええ、どうして……?」
「だって『フィーア』さんはお忍びじゃないと。機体で皆に『フィーア』さんだってバレちゃうもの」
「なんで、ですか?」
「そりゃ、『フィーア』さんがかわいいから……じゃなくって、世界大会のチャンピオンチームのメンバーだよ? ふつーにエントリーしちゃったら大騒ぎになっちゃうからね?」
「そ、そん、そんなことは……」
「あるんだってば。ふふ、そういうの全然気にしてないって思っていたけれど、そういう『フィーア』さんもかわいいけどね!」
りおりおしすぎるとバレるんじゃないかな。
「怒るよ!」
「えっ、だ、誰に……?」
「ううん、こっちの話ー♪ ささ、『フィーア』さん、操縦パーティションに行こうねーこっちこっち」
にこやかに理緒は『フィーア』を伴って、ペアシートの操縦パーティションへと向かう。
そう、この大会はペアシートになっている。
所謂カップリングシートというやつである。
周りを見れば、カップルで参加しているアスリートが多いように思えた。
「あ、そうだ。『幻影』システムは決勝戦まで封印ね」
「そ、それも、大騒ぎになっちゃうから、ですか?」
「それもあるけど、『幻影』使っちゃうとフィーアさん、全部一人でできちゃうでしょ? 今回はペアリングマッチなんだし、サポートさせてよ」
そう、『フィーア』は『五月雨模型店』においては、撹乱や偵察といったサポート的な役割を果たす事が多い。
けれど、それはやれることが多いということを意味する。
彼女が本気になれば、攻撃役もサポート役も一人でこなしてしまうだろう。
それだけのポテンシャルが彼女にはあるのだ。
故に理緒は今回のペアリングマッチに参加しようと思ったのだ。
「うふふふふ、おねーさんは三歩下がって支えるのが本懐です」
理緒と『フィーア』は大会トーナメントをペアで瞬く間に駆け上がっていく。
はっきり言って問題にもならなかった。
それほどまでに『フィーア』の『プラクト』アスリートとしての技量は高まっていたし、理緒のプラスチックホビーを作成する能力も向上していたのだ。
周囲にはどよめきしかない。
「一体どんなカスタムをしてれば、あんな機動性が確保できるんだ?」
「反応が良すぎるだろう……というか、あの子かわいいよな」
「何処見てんだ……いや、本当だな」
理緒は鼻が高くなる思いであった。
メイクもコーデも全部理緒がやったのだ。元々の素養、素質があったとしても、自分の手で花咲かせた魅力があると思えば、鼻高々になるのも無理なからぬことであった。
「つ、次が決勝戦、ですね!」
そんな周囲の注目を集めていることを知らず、『フィーア』はやはり『プラクト』アスリートらしく試合に集中している。
男の子たちの視線を受けても、夢中になるものがあれば、うつむいている暇なんてないのだ。
それほどまでに『フィーア』は熱中しているのだ。
その横顔を今、理緒は独占している。
それがとても誇らしいのだ。
「うん、じゃあ、決勝戦は『幻影』解禁しちゃお。圧倒的に決めちゃおう!」
「は、はい!」
その言葉に『ヒヤルムスリムル』の偽装装備がパージされる。
まるで殻を脱ぎ捨てるようにして、彼女の機体がフィールドに飛び出す。瞬間、彼女の機体がフィールドに無数に出現するのだ。
それこそが彼女のプラスチックホビーの真髄。
『幻影』装置によるイリュージョンの如き分身。
それら一つ一つを彼女は制御して、全てをバラバラに動かして見せるのだ。
絶技と言って良い。
例え、同じ装備を他のアスリートが装備していたとしても、『フィーア』のように全てバラバラの動きを見せることはできなかっただろう。
出来たとしても、自機と同じモーションを幻影に投射するだけだ。
此処に『フィーア』の技量が唯一無二であることが証明されるのだ。
「行きます!」
自信に溢れた声。
その声に理緒は少しの寂しさを感じないと言えば、嘘になると思った。
圧倒的な速度で踏み込む『ヒヤルムスリムル』。
幻影が翻弄する彼女の軌道を決勝戦の相手は見切ることなどできなかった。撹乱と機動。どれが本物の『ヒヤルムスリムル』なのかもわからぬまま、理緒のサポートすら必要とせずに、ここまで勝ち上がってきた相手を瞬殺してみせたのだ。
圧倒的だった。
それはともすれば、『憂国学徒兵』の劇中を思わせるような『エース』の動きであった。
彼女のアスリートとしての天性、そして素質が開花した瞬間でもあったことだろう。
そうなった彼女を止められるもなど、何処にもいなかったのだ。
会場は騒然としていた。
そんな中、『フィーア』は息を吐きだして、瞬殺したアスリートとは思えないほど朗らかな笑みを浮かべていた。
「ふぅ……か、勝てましたぁ……って、わあっ!?」
パーティションの中で理緒が『フィーア』に抱きつく。
ぎゅーっと力強く抱きしめる。
感じた寂しさを埋めるように、理緒は『フィーア』の体を抱きしめる。優勝した喜びもあったけれど、優勝できないとは思うこともなかった。
「『フィーア』さーん、かっこよかったよー!」
りおりおりおりおりお。
効果音でお届けしているが、ちょっとお見せできない理緒の姿であった。
年上の尊厳とか、お姉さんらしさとか、そういうのがぶっ飛んだ所作。
「……なあ、あれって……」
「も、もしかして……」
「ああ、間違いない。あのりおりおされているのは!」
周囲のアスリートたちがようやく気がつく。
「あ、あああの、理緒さん……」
「ん? って、あ、あれ!? も、もしかして『幻影』より、わたしで、バレた……?」
「そ、そうみたい、です……」
「やっぱりそうだ! 世界大会優勝チームの!」
「『幻影』の『フィーア』かよ! 嘘だろ! なんでこんな野良大会にでてるんだ!?」
一気に広がる『フィーア』の所在。
決勝戦にでてきたのが、まさか世界大会優勝チームメンバーだと誰も思わなかったのだろう。
それが、理緒の些細な……些細な? 行動のおかげでバレてしまったのだ。
みやれば、殺到する参加者たち。
鬼気迫る顔であった。
「あ、あわわわわ」
「『フィーア』さん、逃げるよー!」
理緒は『フィーア』の手を取って駆け出す。
優勝賞品もあったのだが、今はそんなことにかまっている暇はない。
完全に計算通りであるとも言えたし、完全に計算外であるとも言えた。
『フィーア』の人気はネットでも急上昇していたのだ。
目立たないように背を曲げていた彼女。
けれど、気がつく者は気がつくのだ。
彼女のキラリと光る魅力というものに。
理緒はいち早く気がついていたが、それがこうも周知の事実となっていることは計算外であった。
「ご、ごめんね! ちょっとりおりおしすぎたよー」
「い、いえ……でも、楽しかったです」
『フィーア』と共に理緒はキャンプ地に隠れていた。
『プラクト』会場にはもう戻れないだろう。ほとぼりが冷めるまでは、と思っていたが、ちょっと時間がかかりすぎるかもしれない。
「いつも理緒さんは、私を知らない世界に引っ張っていってくれますね」
「だって『フィーア』さん、勿体ないもの。いろんなものを見て、いろんなことを知って、前を向くのか、それとも上を見るのか、それを決めても良いと思うんだよね」
だから、と理緒はいつだって彼女に構う。
彼女の可能性は無限大だ。
どこまでだって行けると思う。
でも、本当は、と理緒は心の中で呟く。
でも、『フィーア』さんが可愛すぎたから、仕方ないよね。
どう考えてもそうとしか思えない。
彼女の可能性の芽の一つを大切に育て上げることができるのは自分だけという自負はある。けれど、これからどうか解っていくかは『フィーア』自身が決めることだ。
変わらないことを選ぶかもしれない。
劇的に変わることを望むかもしれない。
どれを選んでも理緒の大好きな『フィーア』であることに代わりはないはずだ。
「ほとぼりは……まだダメみたいだね」
「そうですね。でも、もう少しこのままでいいかもしれません」
そう言って、キャンプ地のテントの中で『フィーア』は笑む。
屈託のない笑顔であった。
遠慮がちな笑顔でもなかった。
心から楽しいと思ってくれた純粋な笑顔だった。
二日目は、テントの中で他愛のないことで笑いあった。
確かに大会はやりすぎてしまったし、失敗と言え場失敗であったかもしれない。
けれど、今日だけはいいのだ。
忙しない日々も、こうして時たま訪れるエアポケットのような余白があるからこそ、立ち向かっていけるのだ。
「『フィーア』さん、今回もいっしょにいてくれてありがとね」
「わ、私のほうこそ」
「また二人でお出かけ、約束してもらっちゃったりって」
その言葉に『フィーア』は、その自分の手で理緒の小指を握る。
「指切りします?」
握った理緒の小指に自分の小指を絡めるようにして結ぶ。
縁は結ぶと言う。
なら、これはきっと結ばれた縁なのだろう。
ほどけるのは、約束した時。
いや、ほどけた、というのも正しくないだろう。
これはほどけたのではなくて、次なる機会への繋がりの証。
柔らかな指の間食はしっかりと残っている。
「うん……」
「じゃあ、約束、です。今度は私が、理緒さんをお連れできたら、いいんですけど」
『フィーア』は何処か、理緒に引っ張られるばかりであることを改めたいと思っているのかも知れない。
けれど理緒は笑う。
「だーめ、次もおねーさんがしっかりエスコートしちゃうんだからね」
「そ、そんな。私だって」
「わたし」
「わ、私が」
そんな他愛のないやり取りを続ける。
いつかまた二人で何処かに行けたら。
こんなことをしてみたい。
あんなこともいい。
全ては予定通りとは行かないけれど、それでも未来はきっと楽しいことばかりだと思わせてくれる。
そんな夏の日の一幕は、指切りで終わりを結ぶ――。
成功
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