ドラッグ・オン・レースクイーン
●ドラッグレース
「なんでこんなことになってしまいやがったんでしょうか」
それは切なる嘆きであったし、我が身を呪う言葉であったことだろう。
チェッカーフラッグが力なく地面に落ちている。
日差しは強烈であり、大きなパラソルを差していなければきっとレプリカントである己の体は熱暴走を起こしてしまうところであったことだろう。
そうでなくても今のファルコ・アロー(ベィビィバード・f42991)の身を包んでいるスーツは薄い膜が張られたようなものであった。
デザインがなんとも際どいものであるように思えたのは、今まさに彼女が徹している役割故である。
その役割とはレースクイーンである。
端的言って、なんで? と疑問が浮かぶのならば、小国家『レンブラント・ラダー』に潜り込んだスパイの類であろう。
毎年この時期になると小国家『レンブラント・ラダー』ではキャバリアを用いたドラッグレース――つまりは、直線コース上で停止状態から発進し、ゴールまでの時間を競うキャバリアレースの祭典が行われているのだ。
小国家に属している部隊から代表者とキャバリア一騎を選出し、優勝者を決める。
これが部隊間における序列めいたものとなって向こう一年、名誉として語り継がれるものであるから、部隊員たちはこの時期のために多くの準備を行うのである。
時にチューンナップ用パーツの開発に備蓄。
スピードを迅速に且つ、ロスなく如何にシフトアップしていくかの技術向上。
さらにはキャバリアの直線機動を維持する精神力。
多くの要因が重なることで、ただのドラッグレースではない一大祭典へと発展を遂げたのだ。
「で、なんでボクがこんな格好しなくっちゃあならねーんですよ!」
ファルコは思わず叫んだ。
彼女が今着込んでいるのはレースクイーンの水着である。
薄いブラッククリアーのスーツに白いスリングショットが合わさり、半纏のようなジャケットとハイブーツが彼女の幼いながらも爆発的なボディラインを際立たせていた。
「なんでって、そりゃあお前」
小国家『レンブラント・ラダー』に属するキャバリア部隊『ゴッドレイ』の隊長『ジャコヴ』は、何を今更という顔をしてファルコに言う。
「お前が優勝賞品だからだが。部隊員たちの戦意高揚のために一肌脱いでくれたのには、流石に俺も涙を禁じ得ない」
「ボクは! 代表選手になりたかったんですよ! こんな格好して見世物になるつもりなんて何一つねーんですよ!!」
目頭を抑える『ジャコヴ』にファルコはがなり立てる。
「だがなぁ、ファルコよ」
「……なんです」
神妙な顔つきになる『ジャコヴ』。
ピリ、と張り詰めたような空気にファルコはがなり立てていた自分がなんか悪いことをしたような気分にされてしまう。
肩を掴む『ジャコヴ』にファルコは一歩後ずさる。
それほどまでに彼の様子は緊迫したものであった。
「……見え過ぎじゃないか? 俺は心配だぞ」
「着せたのアンタでしょーが!!」
「いやまあ、そりゃそうなんだが、思った以上に? 古のレースクイーンというものはすげぇんだな、と思っただけだ。いや、そりゃこんなファルコのかわいい姿を見せられりゃ、ウチの連中が奮起するのもわかるってもんだ。ガハハハ!」
豪快に笑う『ジャコヴ』にファルコは、それは! と抗議の視線を向ける。
「優勝したら一日ボクが優勝選手の言うことを聞くって勝手に賞品にしたからでしょーが! ボクは、ウンともスンともいってねーんですよ?」
こんなの人権侵害もいいところだ! とファルコは猛抗議する。
けれど、『ジャコヴ』は難しい顔をした。
「だがよ、ファルコ。お前は常に役立ちたいと言っただろう? 今回のレースだってキャバリアに乗るのが前提条件だ。そのためにお前が隠れてキャバリアの操縦に慣れようと特訓していたのもわかっている」
けれど、と彼は続ける。
「……お前、びっくりするくらいキャバリア操縦のセンスない」
「余計なお世話ってんですよ!?」
ファルコは恥ずかしかった。
隠れて練習していたことを知られていたことが、とっても恥ずかしかった。
みんなをあっと驚かせてやろうと密かに特訓していた。
けれど、なんていうか、壊滅的にファルコはキャバリア操縦センスというものがなかったのである。
ドラッグレースは一直線に走るだけだ。
なら、戦術機動などを必要としない。難しい操作はいらない。
そのはずだったのだが、思った以上にこれが奥深いものであった。
なぜなら、停止状態から加速するのは並のパイロットでも難しいことだった。
つまり、いきなりアクセルを全開にしても路面を空転するばかりで前に進めないのと同じでキャバリアもまた、推進剤を吹かせば加速できるのかと言われたのならば、答えはノーなのだ。
単純ながら高い技術というものが必要とされるのがキャバリアによるドラッグレースなのだ。
「それでもお前が役に立ちたいって言ったから、俺はむくつけき隊員たちという狼の群れに餌を与えることにしたんだ。俺だって……!」
くっ! と『ジャコヴ』が目頭を抑える。
きらりと光るのは涙だろうか。
我が子を売るようなことをしてしまったことに対する罪悪か。
「……目薬見えてんですけど」
ファルコは冷静だった。
「……チッ」
「今舌打ちしましたよね!?」
「してねーよ。雀でもどっかで鳴いてるんじゃねーの。しらんけど」
ピィィ!! とファルコがまた苛立たしげに鳴く。
どんなにファルコが此処でごねたところで彼女がレースクイーンをすることに代わりはなく、そして、彼女の属する部隊『ゴッドレイ』が優勝を果たせば、ファルコは代表選手の言うことを一日聞かねばならないのだ。
確かに。
確かにファルコは、このクロムキャバリア世界においては、あまりにも無意味な航空戦力としての力を持つレプリカントである。
空を飛ぶことの出来ないレプリカントはお荷物以外の何者でもない。
キャバリアの操縦技術だって『ジャコヴ』の目から見て、並より下の方だろう。
それでも、こんな自分をおいてくれている部隊には感謝している。
でも、流石に。
「これはねーでしょ!」
「いいから。ほら、ゴール横でチェッカーフラッグ忘れんなよ。あと、水分補給もしっかりな。レプリカントだからって過信すんな。冷却ファンも」
「こういうところの気遣いはできるのに、なんで平時のボクへの扱いは変わらねーんです!」
「ガハハハ!」
笑ってごまかすな! とファルコはプンスコしていたが、ドラッグコースに次々とキャバリアが並び始めていた。
そこには彼女の所属する部隊『ゴッドレイ』所属のキャバリア『サンピラー』の姿もあった。
肩部装甲にファルコを模したノーズアートが施されている。
そう、それも黒いビキニ姿のファルコである。
何度も消してとお願いしているが、頑なに部隊員たちはこれを堅持している。
この間も戦闘中に肩部アーマーを庇って武装を破壊されたりもしていた。
正直言って。
「ばかやろーたちです」
「ファルコー! 絶対優勝してやっからなー!」
コクピットから顔を覗かせる部隊員。
そう、彼が『ゴッドレイ』の代表選手だ。部隊の中ではファルコを除けば最も年若い隊員であるのだ。
「ちゃんと集中しろです!」
彼とは入隊したての頃に衝突もしたものであるが、しかし、今は気心の知れた隊員でもあった。
年若いと言ってもキャバリア操縦センスはある。
成長の振り幅もあるだろうし、此処ぞという時には地力の高さも垣間見える。
『ジャコヴ』はまだまだ、とは言っていたが期待を寄せている新人であることは言うまでもない。
今回のドラッグレースの代表選手に選ばれたのも、それを加味してのことであろうが、『ジャコヴ』は彼の実力だとも言っていた。
「わかってるって! 優勝したら……な?」
「うっ」
ファルコは後ずさる。
なんかとんでもないことを命令されそうでファルコは顔を引きつらせてしまう。
「おら、新人! 気合入れろよ!」
「せっかくファルコが賞品になるって言ったんだ。男を見せろ!」
「いいか、ジェネレーターの出力のリミッターは解除してるが、一気に出力を上げすぎるなよ。エンストする可能性も高い!」
「うっす! わかってますって!」
ファルコの嫌そうな表情とは裏腹に部隊員たちは一致団結してキャバリア『サンピラー』の最終調整に入っている。
レースとは言え、個人競技ではない。
部隊がまとまらなければ、機体も仕上がらない。
そういう意味では己の部隊は優勝候補に挙げられているのもわからなくもない要因であった。というか、下馬評なんかが飛び交っている時点で、この祭典がただのドラッグレースではないことは言うまでもない。
絶対にトトカルチョ、賭博が裏で行われていると確信できてしまう。
居並ぶキャバリアたちの姿は壮観であった。
期待の視線と太陽の輝きを受けてキャバリアたちは輝く。
ファルコは、そんな並ぶ機体をゴールから見つめる。
「優勝しても、しなくてもボクだけ割食う感じなのはどうしてなんでしょうね!?」
シグナルが点灯し、スタートを告げた瞬間機体が弾けるようにしてコースを疾駆する。
爆音が耳をつんざくようであった。
それ以上に凄まじい速度でキャバリアがまるで綱で引かれるようにして爆走するのだ。
あまりにも早い。
最高速度に到達する速さこそがレースの肝である。
勝者が決定するのは、一瞬。
ファルコはチェッカーフラッグを振る。
負けろ、とは思えなかった。部隊員たちが寝る間も惜しんで今日のために機体をチューンナップしているのを知っていたから。
だから、自分が賞品になっていても、負けろ、とは思えなかったのだ。
「……う、ううぅ~!」
でも、それとこれとは別!
恥ずかしいものは恥ずかしいし、一日言うことを聞かねばならないというのもなんかやだ!
「う、ううううっ!!」
それでも、この肌を焼く熱気に充てられてしまう。
勝て!
ぶち抜け!
ファルコは思わず叫んでいた。
振るチェッカーフラッグはゴールが近いことを示すものであるが、同時にレーサーたちへの鼓舞も意味しているのだ。
がんばれ。
負けるな。
その思いを込めてファルコはフラッグを懸命に降るのだった――。
●賞品
「で、なんです」
ファルコは見事に優勝を果たした新人隊員の前に仁王立ちしていた。
確かに衝突を経て気心の知れた仲にはなっているが、それとこれとは話が別である。
優勝賞品は『ファルコが一日彼の言うことを聞く』である。
それはどんな無理難題であっても拒否権がないということを示している。
拒否権はない。
なにせ、見事に優勝を果たしてしまっているのだから。
「え、えっとな……」
「もじもじすんなです!」
「い、いや、ほら、いざこう、お願いするとなるとな」
なんだ?
どんなことを命令されるのかとファルコは思わず我が身を守るように抱いて後ずさる。
「な、なんです……! 早くしやがれですよ!」
こういう時にファルコのくそ度胸が炸裂してしまう。
避け得ぬのならば、ささっとすませてしまおうという思考は短絡的であったが、潔いとも言えた。
だが、煮えきらないのは新人隊員であった。
もじもしている。
言いにくそうな顔をしているのは、その胸に言いにくい欲求を抱えているからかもしれない。
なんてやつ! とファルコはちょっと見直したことを後悔した。
一生懸命がんばっている姿には好感が持てる。
けれど、人に言えないようなことをお願いしようとしているのならば、見下げ果てしまう。
「うじうじしてんなら、帰りますですよ!」
「……ッ! 頼むッ! 日焼けしたレースクイーンのファルコをノーズアートにしたいから、一日モデルやってくれ!!」
「は?」
ファルコはあっけに取られてしまった。
ノーズアート。
え、もしかして、そのためにこの新人隊員は、あんなに頑張っていたのか?
「大丈夫! ちょっと日焼けするだけだから! んで、ポーズ取ってもらうだけだからッ!」
「ほ、本気なんですか!? バカなんですか!? もっと、こう、なんかありやがるでしょーが!!」
だが、彼の目は本気だったのだ。
そして、キャバリア部隊『ゴッドレイ』の新たなるエースの機体には日焼けしたレースクイーンなファルコが描かれ、夏の日差しに輝くのだった――。
成功
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