One's way home
お喋りなビスケットフラワーでいっぱいの花壇の先に建つ、こじんまりとした煉瓦造りの店。ギュスターヴ・ベルトラン(我が信仰、依然揺るぎなく・f44004)は薔薇咲くシーリングスタンプの鉄製吊り看板を確認し、小さく頷くとドアノブに手をかけた。
開ければころろん、とまろやかな鈴の音。それから――ほのかな甘い香りが鼻をくすぐってきた。
「おじゃまします」
「あ、いらっしゃーい。ちょっと待っててね」
声は店の奥からのんびりと。ぱたぱたと出てきた、フェアリーのようでそうじゃない――自分と同じ人間サイズのひと。店主であり魔女でもある娘が、黒のカソックに身を包んだギュスターヴを見てにっこり笑う。
「お客さんかな? どうしたの?」
「……ここに来たら素敵なお砂糖を作ってくれるって聞いて、来ました」
すてきなおさとう。その響きに嬉しそうに笑った娘へ、ギュスターヴは手を差し出した。普段ならサングラスで隠れる目は、戦闘と無縁の場所ゆえに、穏やかに笑む様をそのまま見せていた。
「ギュスターヴ・ベルトランって言います、よろしくね」
「ボクはミルフィローズ・ドラジェだよ。よろしくね、ギュスターヴ」
どうぞどうぞと示された椅子にギュスターヴは素直に腰掛けて――そろり、と姿勢を正した。どうしたのと首を傾げるミルフィローズから、はいどうぞと差し出されたグラスを受け取る。中身は程よく冷えた水で、口をつければ不思議とほんのり甘い。
「ぼく、最近になって猟兵に……サイキックハーツって世界からアリスラビリンスに初めて来たから、何か対応がヘンってなったら教えてね」
「ふふ。キミ、いいひとだね。うん、何かあったら教えるよ。それからね、」
ようこそ、アリスラビリンスへ。
歓迎の言葉にギュスターヴはほっとした表情を浮かべるも、今口にしたものとは別の理由で不安の色を覗かせた。
「……ここのお店に来たのは、人に贈るためのお砂糖を作ってほしくて来たんだ。それでお代金は……今渡せるやつってサイキックハーツ世界のお金かお菓子位しかないんだけど大丈夫?」
「えっ、お菓子?」
これなんだけどと取り出した、青く小さな紙ケースの中身は、ハッカとココアが香る砂糖駄菓子だ。中身も見せれば、よその世界の未知なる菓子はミルフィローズの好奇心をガッチリと掴んだらしい。
「大丈夫! すっごく大丈夫! わぁ、初めて見るお菓子だ……!」
(「よ、よかった、大丈夫だった」)
何度も礼を言われて、ううんこちらこそとぺこぺこ頭を下げた後。ギュスターヴは「誰に贈りたいの?」という言葉に、目をぱちりとさせた。
「贈りたい人はぼくのママン……じゃなくて母なんだ」
母。それはギュスターヴにとって誰よりも身近な人であり――今、誰よりも遠くにいる存在だった。
「母はシャンソン歌手でね、フランスの……ぼくの生まれ故郷を、ぼくを連れてあっちこっち旅しながら歌ってたの」
「歌手で、旅人さん? スゴイお母さんだね」
「そうなんだ! 旅をしながら母はぼくを育ててくれたんだけど、ぼくが武蔵坂学園……えっと、『他国の学校に通いたい!』って無茶なお願いしちゃったんだよね」
無茶。
――と、いう事は?
ミルフィローズの視線に、ギュスターヴは真剣な顔で頷いた。そう。お察しの通り。
「……うん、すっごい大反対された!」
「わぁ。それからキミとキミのお母さん、どうしたの?」
「たくさん喧嘩したよ。最終的に喧嘩別れみたいなカタチで武蔵坂学園に行くようになって」
それから。それから。
ギュスターヴの指が、手にしているグラスを数回撫でる。
あの学園に通う前の、母との日々。ぶつけ合った言葉。通い始めてからの日々。色んな思い出が順番にぐるぐると巡って――武蔵坂学園生徒としての最後の日に到着した。
「えっと、その……学校も卒業できて、あの……」
「うん」
「まだ、謝れてない、です」
「あれれ、そうなの?」
きょとりと丸くなった目からギュスターヴはついつい視線を外し、頷いた。
そう。そうなのだ。
卒業してからそれなりの時間が経っているのに、連絡手段だって手紙に電話にメールにと色々あるというのに。学園へ向かったあの日からずっと、自分は――。
「まだ直接謝りに行くの、勇気が出ないんだ」
母と喧嘩した頃はまだ10代の若者で。23になった今も、大人からすれば若者だろう。けれどギュスターヴは、何もわからない子供ではない。自分がどうしたいのか。想いの形を、しっかりと掴んでここへ来た。
「だから、その……きちんと会ってごめんなさいってする前に、贈り物をママンに渡したいんだ。ごめんなさいって気持ちと、ちゃんと生きてるよってことと、沢山の感謝の気持ちを込めて。そういうのにピッタリ合う感じの贈り物……お砂糖を作ってほしいなぁって思って来たの」
ここまで来るのに、だいぶ時間が経ってしまったけれど。
今の自分の願いをハッキリと口にしたギュスターヴは、水を一口飲む。感じた甘さは、控えめで優しい。
「あと、ね。大事な人に自分を晒して心を伝えるのは、とっても怖いから……ここに来てお砂糖っていう切っ掛けの勇気が貰いたくって来たんだ。オブリビオンに立ち向かうのは何一つ怖くないのにね……Oh, pardon……話脱線しちゃった」
「ううん、気にしないで。キミのお話が聞けて、ボクは嬉しかったもの。そうだ! よかったらコレどうぞ」
棚から取り出された硝子瓶から、ひょいと一粒、指先で摘んだそれ。表面がほのかに霞がかった丸い飴玉は、明るい黄色に染まっていた。
「気持ちにね、お日様みたいな明るさが一粒加わるキャンディなんだ」
サービスだからお代は心配いらないよと渡された一粒は、夏の暑さに負けないそうだ。持ち帰ってから食べてもいいし、帰りながら食べてもいいのだと。
「好きな時に食べてね。あ、そうだ。お砂糖の贈り物のお話、他に何かある?」
「他に? ……あ、お砂糖は水色がいいな! |L'amour est bleu《恋は水色》……ママンが好きで良く歌ってたの、覚えてるんだ。だから出来れば水色で……」
「ふむふむ」
「恋、だから形はハートでいいのかな?」
シュッとしたハート?
ふっくらとしたハート?
宝石のような、カットされたハートもある。
水色も、鮮やかなものから淡いものまで様々だ。次々浮かぶ候補にギュスターヴは小さく唸りながら考えて――。
「色や形の詳細は、一度おいといてもいいかな?」
「うん、大丈夫。ボクもこのお店も、魔法でどこかに行っちゃったりしないから、安心してね」
「ありがとう。あとは……その、ママンが歌っていたやつ。どういう歌なのかは、えっと、ぼくは歌えないので……」
「ふふ。うん、わかった。大丈夫、おねだりはしないよ」
良かった。安堵と感謝をセットにした礼をちゃんと伝えてから、ギュスターヴはスッと背筋を伸ばした。
「……ナニハトモアレ、だよ。話が長くなっちゃったけど……どうか、ぼくにあなたの力を貸してください。おねがいします」
喧嘩をして、帰らなくなって。学園を卒業して――あの日きり、戻っていない帰り道。どこをどうゆけばいいかは覚えているけれど、そこへ向かう為の、はじまりを。
願うだけではなく、今は遠い我が家へ帰るという確かな想いに、薔薇浮かぶ翅を持った魔女の娘が「もちろん!」とふんわり笑った。
「キミと、キミのお母さんの幸せのお手伝い。めいっぱい頑張るね」
「ありがとう……!」
「じゃあ早速」
「うん?」
どさっどさっ。
テーブルの上に並べられたのは――本だった。
「こっちは色の本で、こっちはハートの本だよ。キミのお母さんへの贈り物にぴったりの水色とハート、見つけようね♪」
「そ、そうだね! よし、やるぞ……!」
――|L'amour est bleu《恋は水色》。
どれだけ離れても、会っていなくても。
今も褪せないあの歌声が、願う色と形へと導いてくれる。
成功
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