「もう、こんな時期か──」
柳・依月(ただのオカルト好きの大学生・f43523)は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
八月の盆。強い日差しが降り注ぐ外の風景をちらと眺めながら、クーラーの効いた若干暗く狭い室内で。
彼にとっては、この時期は憂鬱な──いや、そう形容するのは少し違う。
様々な想いが心の中でぐるぐると渦巻き、心が沈み込む。
簡単には飲み込めぬ、そして捨ておこうとも思えぬソレに、瞳の光が翳る。
──そんな気持ちだ。
「忘れねぇ。忘れられねぇよな……」
彼の周りをひらひらと舞う“幽世蝶”。
それは彼とある程度深い関わりを持った者達の、有り体に言えば「死者の魂」。
もうそこに嘗ての姿はなく、生前の自我や思想といったものを失った彼らは、それでも依月の元で過ごす。
それは、依月の力なのか、それとも嘗ての友情が為せる業なのか──
人と妖怪。両者に流れる時の流れは異なる。
未だ若く、20年程の時を過ごした依月の周りには、それだけの月日とはいえど幾羽の蝶が舞っていた。
そして───ひらりとまた一羽。
どこからともなく舞い現れたのは、他と変わらぬ姿の幽世蝶。
だが、依月の瞳に映る姿はまた違ったようで──
「………、お前も、死んだんだな───」
はっ、と。
嫌悪? 違う。
驚愕? それもある。
悲哀? それもあるが、まだそこまで飲み込めない。
複雑な気持ちだ。諦観も、愁嘆も、綯い交ぜになった、混ざり合った想い。
心臓の鼓動が、早くなる。
共に過ごしたあの月日が、依月に向けられたあの笑顔が、依月の脳内で次々と浮かび上がる。
あいつは、確か──
「……まだ若かっただろ。何で、お前が──」
交通事故か、それとも何かまずいことに首を突っ込んだのか。
この世界は、かなり平和だ。世界の脅威となるような存在はおらず、国家間の戦争も滅多にない。
だがしかし、それは表向きの話。
少し道を踏み外してしまえば、限りなく深くへ広がる底無しの沼。
依月自身も、そう。
人を愛し、人の傍に立ちつつも、しかしてその本質は人に在らず。
ネットロアという特殊な特性上、無自覚ながらも人間の“恐怖”を餌に。
だからこそ、と言うべきか、特定の個人や環境に肩入れせずに、姿と名前すらも変えながら全国を転々と渡っていたというのに。
依月が静かに掌を差し出せば、ひらりと舞い降りる一羽の蝶。
「お前と過ごした場所は確か──」
記憶を探るまでもなく呼び起こされる日常。
色褪せることのない記憶の姿。
だが、もうそこに行ってもその姿は無いことに、ただ無性に悲しくなる。
「行ってやらねぇとな──」
重い体を起こし、掛けてある番傘を手に取って。
記憶にあるあの町へと──
「なんだよ、結構変わってるな。」
番傘を日傘のように差し、燦々と降り注ぐ夏の日差しを遮る。
この地に降り立って、そしてこの地の風を浴び、様々な情景が思い起こされる。
それはまるで、写真のアルバムを捲るように。
ここは、確か10年前程にいた場所だったか。
以前は都会と田舎の中間のような印象を受けた。都会のような高い建造物群は無いがそれなりに発展した町並みと、少し郊外に出れば広い田園や道路もろくに整備されていない山。
──確か、あの山の奥にカメラを構えて一緒に行ったっけ──
──なんだったかな、確か──そうだ、管理する人がいなくなった神社に──
しかし、10年もすれば町の姿は大きく変わるもの。
高速道路が整備され、大きなショッピングモールが増え、人数もかなり多くなったような気がする。
以前は無かった店ばかりが立ち並ぶ道路をゆったりと歩き、町外れのとある場所に向かう。
依月の前には一羽の幽世蝶がひらひらと、まるで道案内でもしているかのように飛んでいる。
依月はただ、“彼”の案内に従う。
見慣れない道路を越え、元々は畑だった場所に聳えるショッピングモールの横を過ぎ、急速に寂れていったかのように思える郊外へと足を運べば。
幽世蝶の誘い、その先にあったのは──墓地だ。
町外れにある集団墓地。ごく一般的なそれは寂れた中にひっそりと存在感を主張し、お盆という今のシーズンには見渡せば何人か、墓参りに来た人達が見える。
依月は蝶に導かれるまま墓地の一角へと歩き──その名前はあった。
綺麗な墓だった。ほんの最近墓参りされたのか、供えられた花はまだ綺麗で。
「…お前なぁ、早すぎるんだよ。なんで、こんな──」
込み上げる想いを、それでも喉元で押し留めて、小さな声で依月は墓に話しかける。
墓の中に、魂など宿らないことを知っていながら。
だが、ひらりと舞い墓に留まる幽世蝶の姿に、嘗ての友は──死んだのだと。
──頭では、わかっていたのに。
実際に墓の前に立つと、どうしても。
ぽつり、と雫が零れ落ちる。
気づけば曇天が空を覆い、依月の頬を濡らしたのだ。
言葉もなく、花を供える───白い菊の花を。
手向けの花は菊の花だと一般的に言われているが──その理由は花言葉にある。
[冥福を祈る]
“一般的に”、死者に手向ける意味としてはこちらが正しいとされるだろう。
現世でどれだけ辛いことがあっても、死という最大の苦しみを体験したとしても、せめて死後の世界では。との想いからの言葉。
だが、彼らの魂は冥府へは還らない。──依月とともに、現世に残るから。
だから──依月は彼らに白い菊のもう一つの花言葉を贈る。
[誠実な心]
これ以上、彼らに対して自分を偽らないと。
「突然……お前の“日常”から消えて……ごめん……。」
“依月”になった時もそうだった。
仲の良かった友を置いてきた。
今までに、何度か。友の前から姿を消した。
「俺はもう……、お前らに対し……嘘をつかないから……!」
抑えて、絞り出した、心からの言葉だった。
あの時は──しょうがない所もあった。
猟兵として覚醒しておらず、自らの生活すら保障できなかった日々だったから。
でも、もう違う。
安心して帰る場所がある。
本当の自分を知ってくれる仲間がいる。
だから──|お前ら《幽世蝶》には、全てを話すよ。
俺の中で一番の、オカルト噺を───
町外れの墓地に、強い風が吹く。
木々が騒めき、ビュウと鋭い音が響けば、もうそこには番傘をさした青年は居なかった。
ただ、寂しい墓場にぽつりぽつりと小雨が降り注いでいるのみ。
供えられた白い菊が水滴を受け、きらりと輝いた──気がした。
成功
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