●浮足立つ
人は浮かれた時、どうにも地に足がつかないような気分になるのだという。
そういう意味では『浮足立つ』という言葉は誤用に尽きるように思えた。
べつに不安や恐怖を覚えるわけではない。
が、時にその言葉は落ち着きがないことを示すこともある。
どちらにしたって天白・イサヤ(紫炎雪・f43103)には、いまいちしっくり来ないものであった。
夏だからといって浮かれることなんてない。
確かにアヤカシエンパイアを離れて、他の世界……此処はアスリートアースと呼ばれる世界であるそうなのだが、こういう別世界を見て、それこそ両方の意味で浮足立つことなどないのだ。
己は式神である。
主のために働くもの。
『平安結界』を維持するために誕生した存在なのだ。
主がそうであるように、自らもそうする。
当然だ。
「……これは、なんというものだ?」
イサヤは水着コンテストの会場にある出店を一つ覗き込む。
「これかい? まだ泳ぐことのできない小さな子のための浮き輪だね」
出店の店主らしき屈強な肉体を持つ者が告げる言葉にイサヤは、ふむ、と一つ頷く。
つまりは補助具、か。
己が主は泳げない。
ある意味当然だ。彼女はそうしたものと無縁であったのだから。
とは言え、興味がないわけではないらしい。
川遊びというのは常に危険がつきまとう。
なら、この浮き輪なるものがあれば、主も安心して川遊びに興じることができるかもしれない。
「一つ……いや、二ついただこう。赤と青のものを」
店主から浮き輪を二つ購入して五腕ある一対の腕で抱え込む。
こういう時、多腕であるということは便利だ。
主への土産は出来た。
いや、待てよ、と思う。
主は己の経験したことを喜ばしく思って聞いてくださる。
猟兵としての力に目覚めた己は確かに『平安結界』の維持に心血を注ぐべきであるが、こうした他世界を訪れることがあれば、もっと主に手土産を、と思うのは自然な流れであった。
となれば、話は簡潔であった。
他の者たちが手にしているものに興味示す。
本来のイサヤならば、殆ど起こり得ないことだった。が、今のイサヤは大義がある。そして、夏である。
不思議なもので、夏の魔力は式神であるイサヤにさえ開放的な、それでいて欲求めいたものを生み出してしまったのかもしれない。
「そちらはなんというものだろうか」
「抹茶ラテだけど? プロテイン入りの」
「抹茶、らて。ぷろていん」
聞き慣れない言葉だ。
だが、興味がある。
「これは抹茶とバニラの豆乳アイスクリームね。こっちもプロテイン入り」
イサヤは、アスリートアースの食べ物には尽く、この『プロテイン』なるものが入っていることに驚愕する。
味付けなのだろうか?
だがまあいい。
情報は手に入れた。
なら、あとは入手して持ち帰るのみ。
「かたじけない」
「いいや。せっかくの水着コンテストだからな。楽しんでよ」
イサヤは伝え聞いたアイスクリームなるものを求めて出店へと出向く。
足取りが軽い。
浮き輪を持っているせいか?
いや、違う。
単純にイサヤが浮かれてしまっているのだ。
あれもこれも、と主への土産を見繕うことに夢中になってしまっているのだ。
「持ち帰りたいのだが、日持ちはするだろうか」
そう、イサヤは確かに浮かれている。
けれど、その根底にあるのは、やはり主のことなのだ。
そうして彼は多くの土産と土産話を主の元へと持ち帰る。
だが、最も主が喜んだのは、イサヤがアスリートアースで来た水着姿であった。
それはきっと彼が心の底から望んだものであったろうし、そうしたことが主の喜びに繋がったのだった――。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴