春親温泉、爆誕?
――異世界から『猟兵』という来訪者を迎え入れた事は、アヤカシエンパイアに少なくない変化をもたらした。
妖に対抗できる戦力が増えた、というだけの話ではない。結界によるかりそめの平安に護られ、閉ざされていた社会において、彼らとの交流がもたらした知識や思想、あるいは文物はこの国の「常識」を揺るがしたのだ。
「なーなー知ってるか? 『温泉』ってやつ!」
最強の女房を目指す若き平安貴族、阿部・春親は、そのように猟兵から仕入れた情報を得意げに披露する。
彼が働いている宮中においても近頃常識の変化があり、「お風呂」という新しい文化が根付きつつある。
以前にも「シャンプー」や「ボディーソープ」といった入浴アイテムを貰ったことがあるが、「温泉」とやらもそれに関するものだろうか。
「おんせん? それって何なんだ、はるちか~」
「おしえて、おしえて~」「気になるよ~」「気になるよね」
春親の話し相手はいつも一緒にいる四体の座敷式神。
茶釜狸のぽんた、わんこのこたろう、小鬼のさぶろー、ミニ竜のりゅーたんは、口を揃えて知りたい知りたいとせがむ。言葉は発さないし姿も見えないが本当はもう1体、化身もこの様子を見守っているだろう。
「しかたねーなー。温泉っていうのはな……」
彼らの前で春親はいそいそと聞き知ったばかりのネタを話す。
なんでも温泉とは大地から自然に温かな湯が湧き出している場所のことで、いちいち火を起こして湯を沸かさなくても入浴ができるスポットらしい。さらに泉質によっては肩こりが治ったりするなどの特別な効能があったりもして、「湯治」という文化やこれ目当てにはるばる旅行に来る者がいたりと、異世界では有名な娯楽だという。
「いいよなー。俺も入ってみたい」
しかし、春親が住んでいる近場に湯が湧いているような所はない。
温泉が湧く場所には条件があり、火山に近い所に多かったりするのだが、仮にその条件に該当していても必ず湧いているものでもない。これまでアヤカシエンパイアにおける温泉の知名度が低いこと自体が、その希少性を示していると言ってもいいだろう。
「温泉でも湧き出てくればいいのにー」
猟兵からその話を聞かされてからというもの、ずっとその事を考えている春親は、口をとがらせながらぼやく。
彼の旦那様や他の殿上人たちが見れば、なんとしても温泉を探し当てて連れて行きたくなる可愛い仕草だが――幸い(?)にも、その必要はすぐになくなった。
「わわっ、なんだぁ?」
「地面が揺れてるんだぞ~」
突如として前触れなく、突き上げるような振動が足元から襲う。
すわ地震かと春親たちは慌て、姿勢を低くしながらくっつきあって揺れが収まるのを待つが。
「はるちか、見るのですぞ」
「お庭のほう、なにか出てるんだよ~」
こたろうとさぶろーが指し示すほうを見やれば、確かに庭のほうから真っ白い煙がもうもうと出ている。
いや、あれは煙ではない――湯気だ。大量の湯気が温水と一緒に、地中から噴き出してきたのだ。
「あれってひょっとして……」
「温泉だよね、はるちか」
りゅーたんが答えを言う前に、春親は確認のために走り出していた。
庭に到着すると、大きく陥没した地面に、間欠泉として噴き出したお湯がなみなみと溜まっている。
まるで巨大な湯船が勝手に出来上がったよう。なんとも都合の良いことに、湯温も入浴するのに適温だ。
「何事だ!」「敵襲か?!」
少し遅れてやって来たのは、春親の主人である「旦那様」を先頭に、都を守護する平安貴族たちだ。
突然の出来事にすわ一大事かと慌てふためいた彼らは、とにかく震源と思しき場所に駆けつけたのだが――。
「春親、無事か……こ、これは?!」
「あっ、旦那様、見て見て!」
そこで旦那様一同が見たものは、無邪気にはしゃぐ春親と、こんこんと湧きたての天然温泉。
何がなにやら分からぬがその光景を見て、なんとなく彼が元凶なのだろうなと察する。
(まあ、春親ならばこういう事もあるか……)
この少年女房の何気ない仕草や言葉は、あまりの可愛さに時として自然現象すら魅了し【超常現象】を起こす。
目の前のなんとも奇妙な天変地異もまた、春親の「温泉が湧いたらいいのに」という純朴な願いに、大地が応えた結果なのであった。
●
――ともあれ、せっかく湯が湧いたのなら、利用せずに埋めてしまうのも勿体ない。
「よーし、温泉づくりだ!」
「「「「おーーーっ!!」」」」
そのままだと野ざらしで色々と不都合のある温泉を、より快適な場所にするために、庭周辺の改築が始まる。
春親と座敷式神たち、それから手の空いている雑色や大工らが主な作業員となって、周りに囲いを作ったり、男湯・女湯・春親の並びでスペースを区切ったりしていく。
「え? 俺だけ?」
「はい。この温泉を発見された春親殿の功績を称えまして」
さも当たり前のように自分専用の入浴スペースが設けられていることに、首を傾げる春親。
名目としては作業員の言った通りになっているが、実際は皆の目に毒だという判断である。彼の魅力は性別を超越して可愛すぎるので、一緒に入浴なんてするとのぼせてダウンする人間が続出すると思われたのだ。
(下手したら血の池温泉になってしまう……)
事実、この温泉を生み出したのも春親の可愛さなのだから、大人たちの危惧が考えすぎだとは言えない。
扱い方を間違えれば、その魅力はもはや凶器である。知らぬは本人ばかりなり。
「皆とわいわい入りたかったのにー」
春親自身はそんな意図も知らずにぶーぶー言ったりもしたが、安全上の観点からの措置が覆ることはなく。
超常現象がもたらした温泉は、無事にみんなの入浴スポットとして完成を遂げたのだった。
●
「よーし、入るぞー!」
なんやかんや言ってはいたものの、いざ温泉に入れるとなれば春親はウキウキだった。
いつも一緒にいる者なら問題はないと、座敷式神達と一緒に入浴を楽しむ。
「ほえ~。気持ちいいんだぞ~」
「いつものお風呂とぜんぜん違うんだよ~」
ぷかぷかと温泉に浮かぶぽんたとさぶろー。ちっちゃな茶釜と小鬼が波と一緒に揺れている。
その近くではりゅーたんとこたろうが、ぱちゃぱちゃ水飛沫をあげて泳いでいた。
「向こうまで競争しようよ」
「いいですぞ~」
尻尾を振ってすいすい泳ぐミニ龍と、犬かきで追いかけるわんこ。
本当なら入浴中に泳ぐのはマナー違反だが、ここは春親専用のスペースなので迷惑がかかる相手はいない。
1人+4体が入浴するには広すぎるほどの空間が割り当てられたため、存分に羽を伸ばすことができた。
「俺もまぜろー!」
「わーい」「きゃー」
楽しそうにはしゃぐ座敷式神達を、春親は後ろからぎゅっと抱きしめて。
ばしゃばしゃと大きな水飛沫が上がって、きゃっきゃきゃっきゃと笑い声が響く。
楽園というものがこの世に存在するとしたら、ここが一つの答えかもしれない。
「はあ、かわいい……」
「声だけでもかわいい……」
「これが『尊い』ということか……」
他のエリアで入浴中の平安貴族は、そんな「春親空間」から洩れてくるかわいいオーラを浴びまくっていた。
やはり入浴所を区切っておいたのは正解だったと言わざるを得ない。もし彼らが今の春親達を直視していたらどうなっていたことか。
(春親よ……楽しんでいるようで何よりだ)
そんな中でもただ一人落ち着き払って――いるように見えて本当は一番春親のことが可愛くてたまらないのは、旦那様だ。身内である彼に対しても温泉のルールは厳格で、男湯から隣のエリアにいる春親の様子を窺っている。
なぜ、この温泉が男湯・春親・女湯の並びではなく、男湯を敢えて真ん中にした理由もこれで分かる。
旦那様は温泉で覗きを働こうとする不届者に対する抑止力なのだ。彼が男湯にいることで女湯から春親への覗きは防止され、同時に男湯の覗き(女湯側も春親側も)を監視することができる。
「貴殿等……」
「い、いや、もちろん分かっておりますぞ」「覗きなどするわけ無いではないですか、ははは」
鋭い眼光でぎろりと睨むと、不自然に区切りのほうに寄っていた連中がすごすごと引っ込む。
衣も冠も脱いだここでは、宮中での身分の上下など意味をなさぬ。誰であれ旦那様の目から逃れることはできなかった。
(この温泉で不埒な真似は許さん)
誇りある貴族ならば見逃せない所業でもあるし、それで騒ぎになったら春親が楽しく入浴できないではないか。
主人としての使命感もあって、温泉内で並々ならぬ気迫を発する彼の目を盗んでまで、覗きに挑む度胸のある者は流石にいなかった。
「見たい……見たいけど……」
「でも声だけでもかわいいし良いか……」
なんやかんやで他の入浴客らも自分を納得させ、温泉を楽しんではいるようである。
アヤカシエンパイアではまだ新しいお風呂という文化だが、この心地よさと清潔感もあって多くの人に浸透しつつある。湯を沸かすのに些か手間と費用がかかるが、それもこの温泉に来ればいつでも適温の湯に入れるわけだ。
「みんな、ちゃんと肩まで浸かって10数えるんだぞ!」
「「「「はーーい!」」」」
結果的には大きな資産を旦那様の家と宮中にもたらしたお手柄女房の春親だが、本人に大したことをした意識はないようで。座敷式神達と一緒に無邪気に温泉を満喫する様子が、声だけでもはっきり旦那様の元に届いてくる。
「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、こー、とお!」
しっかり身体も洗い、しっかり温まり、ほくほく笑顔の少年が、ばしゃんと大きな水音と一緒に立ち上がる。
一緒に座敷式神達も温泉から上がり、ぷるぷると可愛らしく身体を振って、毛についた湯を払う。
ほかほかと全身から昇る湯気が、彼らの今の気持ちを現しているかのようだ。
「気持ちよかったー。温泉っていいな!」
「納得ですぞ」「だよね」「だぞ~」「良かったよ~」
ぽてぽてと水音と足音を立てて彼らが向かうのは脱衣場。
温泉と同様こちらのスペースも区切られていて、春親だけは専用である。理由はこれ以上説明するまでもない。
まずは湯冷めしてしまう前に、乾いた布でしっかり体を拭く。
「はるちか、髪もちゃんと乾かさないとだめだぞ~」
「わかってるって、うるさいなー」
頭や背中を拭く時は式神達や化身にも手伝ってもらって、その後は用意しておいた服に着替える。
今日はもう出仕する予定もないので女房の正装ではなく、他世界でいう浴衣のようなラフな部屋着だ。
長湯でちょっぴりのぼせているのか、着方がちょっぴり着崩れているのは御愛嬌。
「聞いた話だと、温泉を出たあとは『こぉひぃぎゅうにゅう』っていうのを飲むらしいんだけど……」
流石にそこまでは用意できなかったので、いつか飲んでみたいと思いつつ、春親と座敷式神は脱衣場から出る。
そこでは彼と同じように入浴を終えた者たちが、のんびりと温泉の感想などを談笑していた。
「あっ、旦那様!」
「おお、春親……っ!?」
その中から一番大好きなひとの顔を見つけると、春親は子犬のように駆けていく。
旦那様のほうも彼に気付くと、いつものように冷静な態度で迎えようとするが――ふいに硬直する。
いや。旦那様だけでなく、その場に居合わせた者たちも全員が、同じように固まっていた。
「か、かわいすぎる……」「かわいさの桁が違う……」
ハリのある滑らかな肌、ほんのりと上気した頬、しっとりと濡れた黒髪、瑞々しい赤茶色の瞳。
いつもよりふにゃりとしたあどけない笑顔。着崩れた衣服からちょっとだけ覗く肩。
湯上がりの春親の可愛さは、普段の春親からさらにレベルアップしており、後光を錯覚するほどであった。
「いい湯だったね、はるちか」「また入ろうな~」
そして一緒にいる座敷式神達の可愛さが、春親の可愛さをさらに引き立てるのである。
マスコット的な愛くるしさをもつ式神達が少年の肩や頭に乗ったり、袖を引っ張ったりする仕草は無邪気で、彼らに「おう!」と答える春親の笑顔も屈託ない。
温泉が湧き出した後もまだ、無自覚な【超常現象】は続いていたというのか。
このままずっと見守っていたいと、誰もがそう思った。
「どうしたんですか旦那様?」
「い、いやなんでもない。行くぞ春親」
「……? はーいっ」
旦那様にはまだこの可愛さに耐性があったようで、どうにか我に返ると春親の手を引く。
あまりに無自覚な彼をこのまま人目につく場所に置いておくと大変だと考えたのだろう。
春親はきょとんとしつつも、大好きな旦那様のことには逆らわない。
(旦那様も温泉、喜んでくれたよな? やった!)
春親にとって一番大事なのは、旦那様に相手をしてもらえること。
なんであれ意識を向けてくれさえすれば幸せなので、その意味であの温泉は願ったり叶ったりと言えよう。
なにせ入浴中から今に至るまで、旦那様が春親から意識を逸らしたことは一瞬も無かっただろうから――覗きにあわないか心配で。
「旦那様、次は一緒に温泉入りませんか? 式神達とみんなで!」
「それは……いつかまた、時間が合えば、な」
まだ皆でわいわい入浴したい夢を諦めてない春親は、無邪気にそんなことを言って旦那様を困らせたりしつつ。
仲睦まじい主従の日常は、こうして温泉という新しい彩りを得ながらも、平和に続いていくのだった――。
●
余談。
「うぅ……胸がいと苦し……」
「心臓……止まるかと……」
春親が旦那様と共に去ったあと、そこに残されたのは死屍累々――もとい、かつて入浴客であったものども。
入浴エリアを区切って対策したにも関わらず、結局湯上がり春親の可愛さに|即倒した《のぼせた》者は、老若男女を問わずであった。
どうあっても入浴前後の春親は(可愛すぎて)危険だと判明したこれ以降、入浴時間などを分けるなどの新たな対策が提案され、ますます隔離されそうな本人は大変不満げであったというが。これはまた別の話、別の物語である。
成功
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