ブルーハワイの夏
●茹だる
まさしくそう表現しなければならないほどの暑さだった。
窓から除く日差しの強烈さは、言うまでもない。
それどころか、窓辺に近くあればあるほどに空気が違うようにさえ感じられてしまっていた。
「ぷきゅ~……」
冷房は効いている。
ごう、ごう、とクーラーの室外機が風を送り込む音が懸命さを伝えるように思えてしまったのは巨大なクラゲこと『陰海月』の想像力が豊かであったからかもしれない。
そう、今は夏。
真っ盛り。
言うまでもないが、ここ数年のUDCアースの夏の暑さはちょっと異常だった。
あまりにも暑い。
連日34度を超える猛暑日。
テレビの画面から伝わるのは、いつだって熱中症のリスクばかりだった。
海の生物である『陰海月』にとっては、余り関係のないことかもしれない。いや、大いに関係があるのだ。
そう、馬県・義透(死天山彷徨う四悪霊・f28057)たちの屋敷に隣接するプール。
そのプールの水が日差しに負けてゆだっているようさえ思えてしまうのだ。
いや、気のせいだ。
水の水温はそれなりに低い。
けれど、日差しだけは如何ともしがたい。
「ぷきゅ……」
暑い。暑すぎる!
屋敷の部屋と部屋を移動するだけでもしんどい。
ふわふわしているが、それはいつものこと。これにふらふらするような感覚まで加わるのだから大変だ。
「にゃ~」
そうしていると猫の『玉福』が冷房のついた部屋のドアを開けてくれと鳴いている。
どうやら屋敷近隣のパトロールを行う業務から帰ってきたのだろう。
お供の幽霊『夏夢』と共にひんやりとした空気が充満している部屋へと足を踏み入れる。
「きゅ~!」
涼しい!
ようやくありつけたオアシス。
屋敷の廊下はまるで砂漠の上を往くかのようであったのだ。
辛かった旅路は終わり、ようやく涼し気な楽園へと踏み込むことが出来た。
「クエ」
そんな三者を迎えるのはヒポグリフの『霹靂』であった。
水をちびちび飲んで体温を調節しているのだろう。
優雅であった。
この上ないくらいに優雅そのものであったのだ。
「にゃ~……」
こっちは『ネコネコ協定』に従って縄張りパトロールしてきたって言うのに、と言わんばかりの鳴き声であった。
「まあまあ、確かに暑いですけど、お勤めしたのですから」
そんなふうにたしなめられても暑いもんは暑いのである。
文句なら太陽に言ってほしい。
言えるものなら、だが。
そもそも『夏夢』は幽霊なのだから、猛暑なんて関係ないように思えるが、これが関係あるようだった。
いわゆる夏のひんやり仕様。
肝試しに必須とも言うべき冷気、いや、霊気も、この連日続く酷暑によってむしろ『夏夢』自身が熱中症になる危険性があったのだ。
幽霊さえ熱中症にさせてしまうほどの猛暑とは一体。
だが、現実に『夏夢』も一度ダウンしかけていた。
幽霊になってもままならない暑さ。
季節の凄まじさというものを様々と見せつけられているようにさえ思えてならない。
「クエ~」
こっち涼しいよ、と『霹靂』が翼を仰ぐようにして手招きしている。
ふよふよと涼しい風が『玉福』の髭を撫で、まあ、しゃーないか、くらいの顔でエアコンの風が一番当たる良い場所を陣取る。
絶対此処は譲らぬ、と言わんばかりの気迫満ち溢れる顔であった。
「お猫様、お水をお持ちしますね~」
『夏夢』は一旦部屋から出て、廊下をふわふわと漂うようにして台所へと向かう。
そう言えば、屋敷の主達は何処にいるのだろうか?
出かけるとは伝え聞いていない。
ならば何処へ?
すると、台所へと近づくに連れて、なにかを削る音が聞こえてくる。
小刻みの良い音がリズムよく響く。
「? なんでしょうか、この音……」
首を傾げるような所作とともに『夏夢』は台所から水を得るために入ると、そこにいたのは主である義透であった。
彼の眼の前にあるのは、かき氷機。
そう、夏の風物詩。
いかにも古めかしい形をしているのが、この屋敷らしいと言えばらしい。
「おや、どうしましたか」
「お水をいただこうと思いまして……それはかき氷機ですか?」
「ええ、良い氷が手に入りましたので、これを使って涼を取ろうとおもいましてねー」
示す先にあるのはしっかりと設置された氷だった。
透明度が高いのだろう、気泡めいたものを見えず、つるりとした表面がまた涼し気な雰囲気を放っていた。
「よいですね。夏って感じがします……」
「そうでしょう。我等のいた世界では、こうしたものは殿様や武家といった位の高い方々のものでしたから……」
UDCアースではもうおなじみのものであるし、普通のことである。
だれでも氷を手に入れることができる。
なんなら一家に一台冷蔵庫が当たり前の時代なのだ。
製氷するにしても純度や質にこだわらなければ、大量に用意することができる。
「まあ、私達の頃には、夏の暑さも此処までひどくはありませんでしたから」
「確かに……幽霊になっても夏の暑さに悩まされるとは思いもしませんでした」
「それはそうですね。ああ、もう少し待っていてくださいますか。皆の分を用意して運びたいので……」
「それは勿論! お手伝いいたしますよ!」
『夏夢』はかき氷機にセットされた氷を見る。
ハンドルを回せば、氷が回転しキラキラと輝くようだった。
それ以上に目を引いたのは、削られた氷が薄く、また小刻み良い音を立てて器の上に落ちていく様だった。
きめ細かい氷の削られた姿。
冷たそうなのにふわふわしていそうだった。
夏の空に浮かぶ雲も、このカキ氷のように冷たく心地よいものであったのならばよいのににな、と『夏夢』は思わずにはいられなかった。
「ああ、そうだ。蜜はどうしましょうか。我等、こういうものにはどうも疎くて……」
「蜜……ああ、シロップですか?」
「はい、色が様々あったものですから」
そう言って戸棚を示す。
戸を開くと、そこにあったのは赤やら黄色やら緑やらのシロップ。
買い物ついでに買っていたのだろうが、一つに絞れなかったところを見るに、味の想像ができなかったのだろう。
「いえ、抹茶は流石にわかりますよ?」
なんとも気恥ずかしそうに屋敷の主は笑う。
確かに、と思う。
世界が違えば、時代だって違うのだ。
自らの常識が異なることだって当然だろう。
「赤いのはイチゴ、黄色はレモン、青は、ブルーハワイ……」
「ぶるーはわい」
『夏夢』はそこまで言って、あれ? と思った。
ブルーハワイ。
確かにカキ氷の定番である。
しかし、それが何味であるのか、と問われたのならば、やはり『ブルーハワイ』と応えるしかない。
色鮮やかな青。
そればかりに目を引かれて、いざ何味? と問われてもはっきりと答えられないのだ。
「どんな味なんでしょうねー」
「え、ええと、さ、爽やかな味ではないでしょうか?」
「はあ……なんとも曖昧な」
「で、ですよね!? 私もちょっとどう説明していいか、わからなくて混乱してます」
『夏夢』は懸命に思い出そうと頭をひねる。
ラムネ味? サイダー味?
いや、ラムネとサイダーの違いってなんだろう?
思考がドツボに嵌っている気がしてならない。
どうあがいても答えがでないのではないか。
「まあ、わからなければ実際に食べてみればわかりますから。シロップはあとがけにしておきましょう。足りなくなれば適宣掛ければよいのです」
そう言って屋敷の主たる義透は器に分けられた氷……カキ氷をお盆に乗せる。
「さ、お手伝い願いますか」
「は、はい!」
『夏夢』はシロップを抱えて冷房の効いた部屋へと向かう。
答えはでない。
果たして、これを食したら答えは出るのだろうか。
「きゅ~!」
「クエッ!」
「にゃー!」
部屋に入ると一斉に三者三様に駆け寄ってくる。
そう、カキ氷に気がついたのだ。
「はいはい、全員分ありますから。おっと、『玉福』は余り食べすぎてはお腹を壊しますからね。程々に」
義透の言葉に『玉福』は不服そうであったが、後で痛い目を見るのは自分である。
『陰海月』はシロップを前にして、イチゴ……いや、レモン……と迷っている。
その点『霹靂』は速かった。
すぐに鮮やかな色であるブルーハワイを掛けて、と『夏夢』にねだってくるのだ。
「どんな味かわかるんですか?」
「クエ?」
わかんないけど? という顔をして首を傾げる『霹靂』。
どうやら一番物珍しい者に目を引かれたようである。なるほど、チャレンジ精神。失敗を恐れない心こそが、もっとも得難い経験をもたらしてくれるのかも知れない。
なんてことを考えながら『夏夢』は自分のカキ氷にもブルーハワイのシロップを掛ける。
鮮やかな氷山。
青色は本当に涼しげで、見ているだけでも心に涼がもたらされるような思いであった。
「いざ……!」
「まるで戦いに挑むようですね」
「そうかもしれません。南無三!」
いや、それを幽霊が言うと生々しいと義透は思った。
口に運んだ『夏夢』は思った。
甘い。
爽やかな甘さ、というには少し違う気がする。むしろ、シロップの香料は、酸っぱいような。
「……!」
なんとも表現しがたい。
でも爽やかだ。
選んで後悔する、ということはないな、と思って『夏夢』は、己の背中をちょいちょいとする『霹靂』を振り返る。
「クエ~」
見てみて、と指し示す舌。
それは真っ青に染まり、思わずびっくりしてしまう。
「あはは、どうやらブルーハワイの色が舌に写ってしまったのですね」
「な、なるほど……」
ちょっとびっくりした! と思いながらも屋敷の夏の日は過ぎていく。
穏やかだけれど、暑さ厳しく。
なんてことはないけれど、得難い一日。
そんな夏の一日をきっと来年もまた迎えることができるだろう――。
成功
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