Kick Back!!
●空の青さは遠くとも白い雲は近く
見上げると空の高さを知ることができるかもしれない。
けれど、それ以上に此原・コノネ(精神殺人遊び・f43838)は立っている大地が突如として重力を失って、自らが空に落ちていくような錯覚を覚えた。
あの蒼穹はきっとサラダボウルなのかもしれない。
自分という存在を呑み込んで、世界のあらゆるものと一緒くたにしてしまう。
ドレッシングが掛けられて、誰かに美味しく食べられてしまうのかもしれない。
なんて――そんな夢想を僅かにする。
とりとめもない感情が湧き上がってくる。
そして湧き上がったものは沈んでいく。
空はサラダボウルではないし、自分を食べようとするような巨人の姿だってない。
コノネは息を吐き出す。
彼女は今散歩をしている。
夏の日差しは強烈であるし、アスファルトを灼くようだった。
茹だるような熱気が自分の肌をなでている。
暑い。けれど、歩むことはコノネにとって喜ばしいことの一つだ。
『遊び』ほどではないが、散歩するのは好きなのだ。
「あ、これはこれはコノネちゃんじゃあないかな?」
掛けられた声にコノネは顔を上げる。
地面の蟻の行列に見入っていたから気がつくのが遅れた。こんなことってあるだろうか。いや、実際に起こっているのだからあるのだろう。
見上げると、そこにいたのはレーヴクム・エニュプニオン(悪夢喰い人・f44161)だった。
以前『精神世界』――『ソウルボード』に出現した復活ダークネス、オブリビオンと『遊んだ』時に出会ったおにーさんだかおねーさんだかわからない人物であった。
「あ、おねにーさん」
「なに、そのおねにーさんって」
レーヴクムは怪訝な顔になる。
以前もそんなふうに呼ばれたが、その時はよくわからなかったのでサラリと流していた。
改めて聞いてもよくわからない、
「おねにーさんはおねにーさん」
理由を聞いてもわからない。
犬のおまわりさんの気持ちが少しだけ解った気がする。
いや、自分を犬のおまわりさんと表現したのは、わりと合っているかもしれない。
レーヴクムが今こうしているのは、困っている人がいないかと探していたためだった。
犬のおまわりさんだって、子猫ちゃんを怖がらせようと思って声をかけたわけではないだろう。
助けにならないかと思って声をかけたのだ。
そういう意味ではレーヴクムがおまわりさんだというのには一定頷けるところがあった。
いやまあ、すべてが当てはまるとは言えないけれど。
「いや、あのね。ボクちゃん、男だよ?」
「じゃあ、おにーさん。でも、おねーさんの格好をしてるから」
コノネの指摘は最もであった。
確かにレーヴクムは一見すると少女のようにも思える。
身につけている衣服からして女性のものではないかと思えるし、よしんば男性ものであっったとしても誤解を招くものであった。
「肌がいっぱい見えてる」
「うん、そうだね。でも似合うだろう?」
「たしかにそれはそう。でも最初はわからなかった。おねーさんかな、おにーさんかなって悩む時間もなかったから、どっちとも取れる、おねにーさんだなって思ったの」
理由は問いかければ簡潔なものであった。
わざわざ説明してもらっておいてなんだが、あまり実りある会話ではないな、とレーヴクムは思った。
「うんそれは仕方ないね」
「でしょう。でもわかった。おねにーさんは、おにーさんね。レーヴクムおにーさんね!」
「ふむ。そうだね。それにしても受け入れるスピードが凄いね。超特急だ」
「それでレーヴクムおにーさんは何をしているの?」
立ち上がったコノネはレーヴクムの顔を見やる。
はっきり言って何かをしているようには思えなかったのだ。
コノネはいつものおにーさんおねーさんが相手をしてくれないので、暇を持て余している。なら、散歩でもしようということで此処を歩いていたら、蟻の行列を見つけて見入ってしまっていたのだ。
じゃあ、レーヴクムは何をしていたのかと疑問に思うのが当然であろう。
「ボクちゃん? 困ってる人がいないかなってパトロールさ」
「パトロール!」
「そうさ。困っている人がいたら助ける。それが灼滅者ってものだろうし、いやまあ、ボクちゃんはダークネスだし、猟兵だからそれに当てはまらないかもしれないけれど」
「でも、おにーさんおねーさんは猟兵として目覚めたのなら、人の助けになるようなことをしようねって言っているよ」
コノネはダークネスであるが、幼いこともあって武蔵坂学園の教育をすんなり受け入れているようだった。
かつての灼滅者たちのように虐げられているものたちを救うために戦っている。
だが、どちらかというとコノネは『遊び』の延長線上程度にしか思っていない。
復活ダークネス、オブリビオンと『遊ぶ』ことでご褒美がもらえる。
一度味わったあのオレンジジュースの味を彼女は今も思い出す。思い出すだけでは物足りないから、オブリビオンと『遊ぶ』のだ。
「この間のご褒美も美味しかったよ!」
「それはよかった。あのメーカーのやつが好きなのかな?」
「うん!『遊んだ』後のオレンジジュースが一番好き。頭ビリビリするくらい」
「なにそれ、なにかおかしな成分含まれてない? 人体に有害なやつ」
レーヴクムはコノネの言葉に半眼になってしまう。
もしかしてダークネスにだけ効果のあるものがなにか入っているのだろうか。
いや、そもそもそういうものが効かないがダークネスって言う存在である。そういう意味では、単純にコノネがプラシーボ効果的なものを感じているだけに過ぎないのだろうとレーヴクムは結論づける。
「ゆーがい」
「いや、こっちの話。まあいいや。ボクちゃんはパトロールだったけれど、コノネちゃんはこれからどうするんだい?」
「あ、お散歩の途中だった」
「散歩? いつもこの時間に散歩しているのかい? 夏場はあまりおすすめできないなぁ」
レーヴクムは空に浮かぶ太陽が未だ天頂にあることを指差す。
日中で最も気温の高くなる時間帯だ。
加えて、季節は夏。
如何に物理無効を得ている一般人でも多少は堪える暑さである。
死なないにしても、不快感は感じるだろう。
その証明に、この往来において立っているのはレーヴクムたちだけであった。
「そうかな? 別に気にならないし、どうでもいいって思うな」
「それも君の選ぶことだからね。とやかく言うつもりはないけれど。お散歩、ということは決まったコースがあるのかな?」
我ながら、とレーヴクムは思った。
どうしてこんなに質問してしまうのだろうか。
コノネと再会したのは、あまりにも早すぎるものであったが、狙ったものではない。
かといって偶然と片付けるには、あまりにも運命を感じてしまう。
そして今、自分は彼女との会話を長引かせるような言葉選びをしてしまっている。なぜかはわからない。
わからないけれど、そうしたいと不思議と思ってしまうのだ。
「コース。それならあるよ。こっち」
「え、ボクちゃんも行く感じ、これ?」
コノネは手招きするように先を歩いていく。
こちらの返答を聞くまでもないというようにずんずん進んでいくのだ。必然、追いかける形になってしまう。
いや、追いかける理由はない。
けれど、こっちと言われて素直にレーヴクムはコノネの背中を追う。
なにか、懐かしいものを感じる。
なんだろう。
理由はわからない。判然としない。
けれど、そう思ってしまうのだ。
仮に誰かに問いかけられても、なんとなーく、としか答えられない。
それはコノネも同様であった。
いつもと違う。
同じコースを歩んでいるはずなのに、確実に違う、と言い切れる。だが、言い切れるだけの根拠というものがコノネには言葉にできなかったのだ。
「……? なんか不思議。いつもと同じコースを歩いているのにいつもと違う感じ」
「それをボクちゃんに聞かれてもなぁ」
答えられない。
だから意味のない言葉であったけれど、少なくともいやではない。
間が持たないだとか、気まずいだとか、そういうふうに思えないのだ。
互いに首を傾げる。
でも、このコースは悪くない。
木々の葉が重なり合って、影になっている。
色濃い影は、日差しを遮ってくれるし、風が吹けば生ぬるい風を僅かに涼し気なものにしてくれるだろう。
「はい、ここで、おーしまい」
「ここからは?」
「学園に戻る道。おにーさんおねーさんたちと一緒」
「彼らは?」
「テストべんきょーだって。おにーさんおねーさんになると、つらくてきびしい現実が眼の前に立ちふさがるんだって。レーヴクムおにーさんもそう?」
「ボクちゃんはそういうのはないなぁ。まあ、コノネちゃんも、そのうちわかるんじゃあないかな」
「そっかー」
二人は他愛のない会話を続ける。
意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
この邂逅に意味を見出すことができるのは、きっと未来の二人だけであろう。
今はまだ意味を見出だせない。
なにか感じるところはあるが、無理に言葉にしなくてもいい、という気安さだけが二人の中に暗黙のうちに生まれていたのだ。
「それじゃあ、ボクちゃんは困っている人を探すよ。コノネちゃんは水分補給、しっかりね」
「それ、おにーさんおねーさんも言ってた。レーヴクムおにーさんも水分補給、しっかり」
「アハハ、そうだね。気をつけるよ」
「じゃあね。またね!」
コノネは手を降ってレーヴクムを見送る。
なぜかこうしないと、と思ったのだ。
欠けたるものは多い。
歯抜けのように認識できぬものがあるも事実。
けれど、それを急いで暴き立てることも埋める必要もない。
コノネと同じようにレーヴクムも同様に思っていただろう。
なんでだろう、という疑問は浮かぶ。
でも、それでもいいや、とも思う。
「またね」
今は約束がある。
約束が二人をつなぐ鎹。
なら、それで十分だ――。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴