とある殺人鬼のフェアル・エッジ
●いつかのかけら
戦いは終わった。
復活ダークネス。いや、今はオブリビオンと呼ばれる過去の化身たちとの大規模な戦いは猟兵と灼滅者の勝利に終わった。
しかし、被害は広範囲に渡る。
さすがは位階二桁の六六六人衆である。
『21位』と『38位』による共同作戦とも言うべき二段構え、いや、三段構えの策は確かに一般人たちを足かせにした。
だが、これを踏破するのが猟兵と灼滅者である。
「これで一つ、猟兵としての立場を確立することができたでしょうか」
摩津崎・灰闢(済度無相・f43898)は一般人たちの救護や、破壊された市街地の片付けを手伝いながら己の今回の事件における立ち回り、その行動を省みる。
結果から言えば、上手くやれていた、と言える。
猟兵として戦った。
それは賞賛に値するものであると言う自負があった。
一般人を守り、迫るオブリビオンを退けた。
言葉で表すのならば、端的なものである。余計なものは何一つない。
嘘とはディティールを突き詰めていくからこそ破綻するものである。
つまり、言葉の一つ一つに重さが生まれるのだ。
重さが生まれれば、運命の糸は張り詰める。張り詰めた糸は緊張を現す。
緊張した糸は確かにピンと伸びて綺麗な線を描くであろうが、しかし、その実、不意の言葉を受けて、ぷつりと切れてしまう。
それはすなわち整合性を求めるがあまり、嘘を支えるものが何一つない、という事態でもあるのだ。
だから、語りすぎてはならない。
そう、自らの行動に何一つ不具合はない。
少し愉しいとさえ思っていたのだ。自らの行動でもって己を守る外殻を作り上げていく。
「しかし――」
そう、一つ引っかかることがある。
己が今回の事件に対して思うところはただ一つ。
正体の露見である。
はっきり言えば、これは灼滅者ごっこだ。
元の人格は粉々に砕いた。あの日、あの刃と共に砕けて散ったのだ。
ならば、なんなのだろうか。
人を救わねばならないという判断。
考えたことなどない。そういう事柄が浮かぶことさえ、まずないはずなのだ。
「少し、疲れましたかね」
「そーッスか? でも、疲れたってことは一生懸命戦ったってことでしょう?」
女性の声に振り返る。
そこにあったのは青い瞳だった。
いつかの夜に出会った女性の灼滅者だった。
覚えている。だが、此処は咄嗟に覚えていると言わないほうがいいだろう。
己は彼女に印象的なことはしていない。なにせ、あの時己は一般人を装っていたのだ。
無難なことしか言っていない。
なのに、彼女は自分のことをまるで覚えているよな……いや、焦るな、と思う。
焦れば言葉が飛び出す。
言葉が飛び出しすぎれば、己の嘘にディティールが生まれる。
「どうしたッスか? そんなに疲れちゃいましたか?」
「あ、いえ……失礼かもしれませんが、お会いしたことがあるのでは。ああ、いえ、これはそのいわゆるナンパというやつではなくてですね」
「復活ダークネス、オブリビオンに襲われていた方ッスよね? 私は覚えていますよ。あなたも今回の事件に巻き込まれてしまったんですね」
怪我はないか、と言うように己のスーツが煤け、ところどころ穴が相手破けているのをそう捉えたようだった。
今気がついた、とばかりに大げさに身振りでもって己は彼女の前で慌てるふりをする。
やはり、彼女は己のことを覚えていた。
なぜ、このタイミングで話しかけてきたのかは言うまでもない。
あの夜、彼女は己を振り返って見ていた。
違和感を覚えたのかもしれない。
ならば、ここで下手なことはできない。
「やはり、先日助けてくださった方でしたか。私もあのあと猟兵として目覚め、ユーベルコードを得るに至ったのです。そこで今回の事件です。なにか私にもできることはないかと駆けつけて見たものの、このような有り様でお恥ずかしい限りです」
無難な会話のはずだ。
何もおかしくはない。カバーストーリーはどこも歪ではない。
青い瞳の灼滅者は頷く。
納得しているよう様子だった。
「先程の活躍を拝見していました。心強かったです。やはり、日々の鍛錬で違うのでしょうか」
「いやー、私も猟兵の皆さんほどじゃないッスよ。結局、オブリビオンたちへの対処は皆さんにおまかせすることになりました」
「そんな、ご謙遜を。一般人を守る手腕、見習いたいと思います。それに、私など、敵が強大すぎて有効打を与えるに至らず、守ることしか出来ませんでした」
あくまで己は謙虚さを演じる。
不遜な態度を取って、相手に不興を買うなんて愚の骨頂である。
正体の露見を厭うのならば、これくらいできなければならない。
「でも、目覚めたばかりなのに駆けつけて無事だったんス。それはきっと誇るべきことですよ」
「そう、でしょうか。まだまだ猟兵の先輩方には力及びません」
「これからッスよ。きっとその『かけら』があれば、きっとだいじょうぶです。私が保証するッス!」
違和感を覚える。
なんと言った?
『かけら』と言ったのか?
ああ、そうか、と思い至る。
なるほど、とも思った。
事件の折に己の脳裏に浮かんだ2つの選択肢。
それは、些細なことだと捨て置いたものだった。
人を救わねばならないという判断。
自らにあるはずもないもの。なのに湧き上がってきた。そして、彼女の言葉で至るのだ。
『あれ』はきっと『奴』のものだ。
尊厳を踏みにじり、すりつぶし、砕いたもの。
僅かに鬱陶しさが表情に浮かぶ。
「どしたッスか?『何』かありましたか?」
青い瞳の灼滅者が怪訝に思っている。早く言葉を吐き出さなければならない。己の感情を面に出す暇などない。
早く、言葉を。
「いえ、先輩の言葉を噛み締めておりました。きっとだいじょうぶ、と。そう言っていただけると安心します」
心にも無い言葉だった。
だが、同時に取り繕えた、とも思った。
「どんなものだって初めては緊張しちゃうッスからね! 仕方ないです。しっかりお休みして、英気を養いましょう!」
ひどく明るい物言いの彼女に殺意が湧く。
待て、とも思う。
眼の前の青い瞳の灼滅者は、呑気そのものだった。苛立ちが僅かにこみ上げるような気がした。
だが、この苛立ちは彼女に対するものではない。
そう、これは『奴』に対する苛立ちだ。
散々に砕いたあとでも尚、こうして己を苛立たせる。
だが、懸念する必要性もない。
なぜなら、もう戻ることはないのだ。
己は悪霊。灼滅者として死ぬことすらできず、ダークネスとして死んだ存在。
覆水盆に帰らずという言葉がある。
それと同じだ。
戻らないのだ。不可逆なのだ。
なら、問題ない。
それどころか、擬態するのに都合がいいではないか。
不意に出る嘗ての悔恨から来る衝動も使いこなすことができれば、己の立場は盤石になるのだ。
眼の前の灼滅者のように僅かな疑いさえも抱かせないこともできるだろう。
利用してやろう。
徹底的に。
「はい。そうしようと思います。お心遣いありがとうございます」
「んふふっ、それくらいがいいッスよ! 先輩も言ってました。肩の力を入れても入れなくても事態は好転しないって!」
あ、そーだ、と彼女は思いついたように言葉を続ける。
「私の名前は『あいん』ッス。『あいん相談所』っていう何でも屋さんをしています。何か困り事があったら、ご依頼よろッス!」
青い瞳の灼滅者は『あいん』と名乗った。
名乗らなくても良いかもしれないと思ったが、名乗ろうと思う。
なぜなら、此処にいるのは、嘗ての残穢のような『かけら』ではない。
己は今、此処にいる。
嘗ての泡沫でもなく、失敗した弾丸のような己でもなく。
確かに存在している己という自己なのだ。
ならばこそ、その残穢を拭うのではなく、上から刻み込むように告げよう。名乗ろう。
「摩津崎、灰闢と申します――」
成功
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