ある殺人鬼のオーバリー・ポライト
●いつかのだれか
失敗した、と思った。
生命は一発限りの弾丸を装填した銃であるように思える。
一度引き金を引けば撃鉄は雷管を叩き、爆発的な加速で持って銃口から飛び出す。
その行先は他者の生命を奪うのか、それとも空を切って役割を果たせずに大地に落ちるかの二択でしかない。
なら、自分はきっと失態を犯したのだ。
何度も頭の中で響く言葉がある。
『己の闇を恐れよ。されど恐れるな、その力』
解っている。
苦々しい記憶が蘇るが、しかしそれは反省を促すものだった。
そう、反省したのだ。
確かに自分は忌むべき存在であったのだろう。
灼滅者として戦い、闇堕ちし、成り代わった邪悪な別人格。
敢えて、言うならば『六六六人衆』である。
殺人衝動を抑えることのない存在。
殺すことを意義とし、そうすることに拘りを持つ者。
如何にして殺すか。
ただそれだけだ。そういう意味では、あのときの自分は浮かれていたのだ。
何度も。何度も。何度も何度も何度も。
己の殺人は阻止されてきた。挙句の果てには身を滅ぼした。
確かに失敗とは成功への一歩なのだろう。過去の偉人たちの言葉に倣うことをするのならば、きっとそうなのだ。
ならば、己もそうしようと思う。
幸いか不幸かわからないが、己という存在はこの世界に舞い戻った。
オブリビオンになることもなく、怨念と執着を持って蘇ったのだ。
文字通り、『悪霊』として――。
●ユーベルコード
明滅する光があった。
まばゆいまでの輝き。
それは蘇りし存在、復活ダークネス――後にオブリビオンと呼ばれる存在と、世界の悲鳴に応える選ばれた戦士、猟兵との戦いの軌跡であった。
奮闘、と呼べるものであったし、事実煌めいているようにさえ思えた。
激突する光。
ユーベルコードは衝撃を生み、オブリビオンの一撃がもう一方の光――猟兵へと覚醒したであろう灼滅者へと叩き込まれる。
受け止め、きしむ骨身の音を聞き、己は思わず頬が緩みそうになるのを感じた。
「此度も邪魔立てするか! この、俺の!!」
「そりゃあ、するでしょう。全ての苦しみから解き放たれた後も戦いが続くっていうんなら!」
踏み出した女性の手にしているのは、対超常戦闘用に開発された巨大杭打ち機、バベルブレイカーであった。
炸薬が瞬間的に燃え、そのエネルギーでもって打ちされる鋼鉄の杭がオブリビオンの装甲を破壊した。
そして放たれた一撃は通常のそれとは異なる威力を発揮しているように思えた。
なぜ?
あんな力は以前なかったはずだ。
オブリビオンの一撃を敢えて受け止めたのは、己が背後にいるからだろう。それはわかる。灼滅者とは常々そういう者たちが多かった。
彼女もその一人なのだろう。
そこまでは理解が及ぶ。
だが、なぜ威力が上がるのか。
彼女の杭の一撃は凄まじい威力となってオブリビオンの体躯を穿ち、その全身を爆散させていた。
腕部に装備していた杭打ち機が白煙を上げながら格納されていく。
「だいじょうぶっすか! あ、いや、だいじょうぶですか!」
ごくり、とつばを飲み込む。
驚異的な力だ。間違えてはならない。
己が如何なる態度を取らねばならないのか。それを間違えては、また失敗する。
失敗は成功へのステップでしかない。
なら、今己はまだ階段の途中なのだ。
「あの……有難うございます。おかげで助かりました」
あくまで装う。
突如として現れたダークネス――つまりオブリビオンに対して戸惑いを覚えているという体を装う。
あけすけであってはならない。
けれど、あまりにも秘することもしてはならない。
塩梅、というのならばこれほど難しいこともないだろう。今の己はあくまで|一般人《エスパー》なのだから。
「いーっすよ。困っている人がいたら助けるもんなんすから。いつだって私達はそうしてきたんですから」
ニカッと笑う彼女は年齢以上に幼く見えたが、正義感に溢れた性格のようだった。
困っている人がいれば、顔見知りでもなくとも駆け寄ってしまうような性格。
人が苦しむ姿に自分を重ねてしまうような者であるように思えたのだ。
ならば、与し易い。
「歴戦の方、とお見受けします。その、恥ずかしながら私も猟兵として覚醒しまして……でも」
「戦い慣れていないんすね。しゃーないっすよ。誰だって最初はあるんです。怖いって思うことは、どんな経験してきても忘れられないものですから」
「……そう、ですね」
思ってもいないことだった。
だが、頷く。
寛容なのは賛同と同意。
己の内を開くのではなく、他者の胸襟を開かせる。
「やはり、場数を踏むことが近道なのでしょうか」
尋ねる。
己は何も知らない。己は内側をさらけ出さない。
応えるのではなく、答えさせる。
そうやって言葉を数珠つなぎにしていく。人は誰かに己の内側を聞いて欲しいという欲求を持つ生き物だ。
全人類がエスパーとなった今も変わらないことだ。
故に、そう問いかけた。
「そっすね。でもまあ、全部が全部そうってわけじゃないですよ。合う合わないってあるっす。戦うのが得意な人。逃げるのが得意な人。それぞれです。でも、それでも自分が信じた道をゆけば、自然と強くなるっす。否応なしに」
女性の言葉は己には響かない。
誰かを助けること。
自分のためではなく他者のためにすること。
他を慮るというポーズが重要なのだ。それさえしておけば、他者は己を評価するだろう。
理念ではなく、行動が他者から見た己を作り上げていく。
それはいわば、外殻だ。
如何に己が何かを思おうが、心の内側まで覗き見ることはできない。
どんなに悍ましきものが蠢いているのだとしても、他者からの評価という外殻が己を守ってくれる。
ならば。
「だから、私は今も人助けをしてるっす。そうやって生きるって決めたんです。そうじゃないと私が私じゃないって思うっすから」
もしかしたら、と思う。
自分ではない、他の……いわゆる善良なる人々からすれば、彼女のような灼滅者、猟兵というものが規範とも言うべき存在なのかもしれない。
千差万別であろうが、それでも、『こうあるべき』という姿をそこに見た気がする。
「……成る程」
『こうすればいいのか』と思う。
「標的以外をついでに殺してはいけないのですね」
納得する言葉を吐き出しながらも、漏れ出る。
唇の端からこぼれるように。
意図せぬ体の反射のように。
よだれのように唇の端からこぼれる言葉。
「ついで」
聞き取られなかったことは幸いであった。
眼の前の女性は、どうやら鈍い性格のようだった。人の悪意にさらされる経験が多くはないのだろう。侮って良い相手だ。
年は20代前半であろうか。
だというのに、人生経験の浅さ、薄さを感じさせる。
「いえ、なんでもありません。それより、引き止めて申し訳ありませんでした」
「いーっすよ。それより、帰り道は気をつけてくださいね。復活ダークネス。今はオブリビオンっていうんすけど、また遭遇したら大変ですから」
「気をつけます。それに参考になりました」
憧れの視線を向ける。
作っったものだった。けれど、女性は照れたように、はにかむ。単純で良いことだ。
あれほどに単純であったのならば、嘗ての後悔を引きずることもなかっただろう。享楽的に刹那的に終わることも出来ただろう。
だが、それさえできない。
「私も頑張ります」
女性と分かれて道を歩む。
ビルの影が闇夜に色濃く落ちている。
その中を泳ぐようにして歩みを進める。
濃い灰色の髪が注ぐ明かりを受けて煌めくようであったし、夜空に浮かぶ月光を受けて金色の瞳が爛々と輝いていた。
切れ長の瞳が伏せられる。
今は笑うな。
言い聞かせる。己に言い聞かせる。
未だ己の行動原理は改められることはない。
それは真芯だ。
決して違えてはならないものだ。
故に、変えるのは行動だけだ。
どうやら猟兵に覚醒したダークネスは己だけではないらしい。己を見ても、あの女性の灼滅者は攻撃しようとすらしなかった。
ならば。
穏健派として生きていこう。
己を欺くのではなく、行動で他者からの視線を欺こう。
「地道に頑張るしかなさそうですが、今度こそ長く愉しみますか」
そう、己は長く愉しみたい。
刹那的でもなく、享楽的でもなく。
ただひたすらに長く、己の衝動を潤したいのだ。
振り返ると先程の女性が此方を見ていた。
青い瞳がまっすぐに。
笑みを消し、頭を下げる。
慇懃無礼にならなかったか、と執着していた嘗ての名を捨てたダークネス、摩津崎・灰闢(済度無相・f43898)は今度こそ、と踵を返し、影に紛れるのだった――。
成功
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