|闇《ダークネス》の輪郭
●ダークネス
己に来歴というものがるのならば、きっとその初出は江戸時代にまで遡ることになるだろう。
時は文政か天保。
いずれにせよ、その時期に八木・仰河(羅刹の戦場傭兵・f05454)という羅刹は存在していた。
強大な存在。
その力は崇められることもあったかもしれないが、思い出すこともない。
彼女にとってそれは、興味深いものではなかったからだ。
むしろ、そうされたところでなんの腹の足しにもなりはしないし、己が渇望というものを満たすものではなかった。
とは言え、生活そのものは気ままなものだった。
生まれ持った力。
人間との違いと言えば、頭部から生えた黒曜石の角。
一言で言えば『鬼』と呼ばれる存在である。
極めて粗暴であることは、過去の伝承からもわかるとおりである。それは仰河も例外ではない。
他者を想像することはなかった。
如何に己の振る舞いが人に仇を為すことがなくても、根本的に存在が違うのだ。
故に行き違いが生まれる。
人は人の尺度でしか他者を測ることができない。
対する己は、自分という『個』しか知らない。他者を慮ることなどない。
気ままに生きてきたことが、そのまま己という存在の証明になっているのだ。
「とはいえ、まいったね、あれは」
思い出すのは西暦にして何年を数える頃であっただろうか。
突如として活動不能という危機が己を襲ったのだ。初めてのことだった。力が削がれる。勝手気ままに生きてきた己が味わう初めての感覚だった。
弱体化によってなんとか、この状況下でも活動することはできたが、多くを制限する日々だった。
勝手気ままに過ごすことはできなかった。
「でもそれを恥じることはないね。弱体化できずに身動き取れないことのほうがよほど窮屈だ。アタシは勝手気ままに在るが儘に生きたい。例え、弱体化の憂き目に遭っても、だ」
そう、仰河にとって、それがもっともたいせつなことだった。
どうやら他の羅刹やダークネスはそうではなかったようであるが、気に留めることでもなかった。
なぜなら己は『個』であるからだ。
ダークネス全体のことを考えるだとか、種族のためになんて感覚は一切ない。
サイキックハーツ大戦と呼ばれる戦いにも興味はなかった。
そそられなかった、というのが正しいのかもしれない。
「だって、あれは誰かのために戦う者たちの戦いだ。アタシにはそれができない」
だからなのかもしれない。
誰かのために戦うことができない。他者を思うことがない。
なら、なんのために戦うことができるのか。
己という『個』を活かすためにならば戦うことができる。『個』とはすなわち『全』である。
「ああ、此処で言うところの『全』というのは世界のことだ。世界の悲鳴が聞こえたんだ。なら、アタシという存在を活かすためには、戦うさ」
彼女は別世界に流されるようにして猟兵として覚醒し、戦いに赴く事になった。
世界情勢というものにとんと興味がない。
彼女がサイキックハーツと呼ばれるようになった世界に舞い戻った時、多くの強者が滅びていた。
「連中がオブリビオンとなって黄泉がえりを果たしたっていうのなら……まあ、興味がないわけではないよ」
でも、と仰河は難しい顔をする。
己から連中に会いに行こうとは思えなかった。
気が乗らない、というのもあるのかもしれない。もしかしたのならば、運命というものを待っているのかもしれない。
己が猟兵として覚醒したことには意味がある。
ならばこそ、己は己であることを貫き通すべきだ。
「結局、『全』を感じるためには『個』でなくちゃあな。群れてわかる世界の輪郭なんてたかがしれているからね――」
成功
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