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ものの値打ちというものは

#サクラミラージュ #ノベル

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フェレス・エルラーブンダ



ユエファ・ダッシュウッド




 桜舞う帝都のとある館、其処の噂を知っているだろうか。
 やれ入った人間が出てこなかっただの、柄の悪い男達が出入りしているだの、割れた窓硝子は銃撃戦の痕だの、きな臭い噂が立っては消え、それでもみな館の主人の柔和な笑みに騙されている――平凡で退屈な暮らしを望むなら、その一歩先の深淵はけして覗かないほうがいい。

 そんな中、常の如く館の前をうろつく仰々しい黒服の男達を、桜の木の上に隠れてじっと見据えるふたつの眼があった。警戒心の強い野良猫のような眼差しの、どこか少年めいた少女……に、見える。その彼女、フェレス・エルラーブンダの胸はただならぬ好奇心に満ち満ちていた。
(きょうも黒い服のやついっぱい。あとみたことないやつ。だれだ?)
 大きなトランクケースを抱えた恰幅の良い男性が、似たような黒服を従えて屋敷に入っていく。はやってるのか、黒いやつ。首を傾げるフェレスはその男が阿片の密売人である事など知る由もない。
 ただ、鼻をひくつかせて目当てのにおいを探り当てる。粉っぽいにおい、けむりのにおい、それから鉄がさびたにおい。『ねこ』の世界ではそれが『うさぎ』のにおいだ。
 物陰を飛び移りながらそれを辿っていくと、やがて出所が見つかった。ここなら身体も問題なく通れるだろう。狭くて汚いところだって、ねこはへっちゃらなのだ。

 一方、館の客間には緊迫した空気が漂っていた。護衛の黒服を背に従わせ、豪奢なソファに腰かけた月白の髪の青年――ユエファ・ダッシュウッドは白皙の美貌に薄らと笑みを揺蕩えながら、訪問客が抱えてきた鞄の中身を検分している。鞄の中には札束がぎっしりと詰められているが、客人は卓の上に置かれた|薬《・》ばかりを気にしており、札束を数えるユエファの瞳が笑っていない事に気づいていない。
「……成程。確かに指定した数は揃えてきたようですね」
 とん、と札束を揃え、丁寧に鞄へ詰めなおす。そして宅の下に隠してある暗器をさりげなく手に取ろうとした瞬間、予想だにしなかった来客が出現した。

「うさぎ! あそべ!」

 天井を見上げれば、通気口の蓋の隙間から猫の指が生えていた。やれやれ、またですか――仕草だけは額を抱えてみせたものの、兎の口許が描く弧は常とは違っていた。
「こいつ、また懲りもせず……」
「きた! おまえにはこれやる!」
「ぎえっ!?」
 真っ先にフェレスへ銃口を向けた黒服は、通気口の中に棲んでいたらしい鼠を投げつけられ腰が引けてしまった。猫も前回の小競り合いを覚えていたらしい。でかい鼠が捕れたから見ろというので見てやったのだが、本当にただの鼠だったので拍子抜けしたものだ。
 そういえばあの部下は蛇や虫の類も苦手と言っていた。よくもこんな仕事をやれているものだと内心ほくそ笑みながら、ユエファは煙管を口許に運び、事の顛末を見守る事にする。
 突然の乱入者に誰より戸惑う客人をよそに、フェレスは通気口の蓋を叩き落として絨毯の上へ降り立つ。屈強な体格の黒服たちが銃を、太刀を抜き、襲いかかっても一切臆することはない。地の底の掃き溜めをしぶとく生き抜いてきた野良にとっては、魔物の庭すらもただの遊び場に過ぎない。
(黒い服がしごと、うさぎに会いにきたやつをみんなやっつけること。たいへんだ)
 鬼ごっこをする子どものような不敵な笑みすら浮かべて、鋭く振るわれる太刀の間をするするとすり抜け、サイドテーブルの下へ滑り込んで銃撃をかわす。あの隙間に収まるとは見事なものだ。ねこは軟体だ液体だというが、あながち嘘ではないのか――ユエファがそう思った瞬間テーブルがあらぬ方に吹き飛び、上に置いていた飾り壺が窓を突き破ってもろとも大破した。まぁ、銃撃戦といえば銃撃戦である。だが、まさか噂の真相がこれだとは帝都市民も思うまい。
「おまえは正面から入るということを知らないのですが、ねこ。撃たれても知りませんよ」
「撃たれてもあたらないだから、へいき!」
 猫がふんすと鼻を鳴らした通り、まさにその通りの惨状。客間はまるで大地震に遭ったかのような有様だ。後で何人かは処分してしまおうか――そう考えながらユエファは煙管を置き、目が覚めるような手拍子をひとつ鳴らした。
「もういいでしょう。おまえたち、前回も事務所への侵入を許しましたね。……恥を知り、鍛錬に励む事です。己の立場を理解しなさい」
「は……はっ!」
 青ざめて姿勢を正す黒服たちを怪訝そうに眺め、なんとなくこいつは次くるときいない気するな、こいつはなんかずっといるな……等と首をひねるフェレスである。いや、そんなことより。
「あそべー!」
 ふしゃーと耳を逆立てる猫、身の置き所に困っている商談相手。空気を読んでいないのは猫の方なのだが。ユエファは辛うじてひっくり返っていなかった椅子を指し示す。
「生憎とまだ大事な商談の最中でして。取引が終わるまで、そこのソファに座って待っていなさい」
「しょう……だん?」
「物を交換することですよ」
 交換? 妙な話だ、ここは店ではないのに。でも待っていれば遊んでくれるらしい。フェレスは大人しくソファの上で丸くなることにする。すごくすごい、布団より心地良い。
「ふぁ」
「香主、いいんですか。この話が外に漏れると……」
「構いませんよ。それにおまえがどうやってあれをつまみ出せると言うんです」
 言葉に詰まる黒服を玩ぶように睥睨した後、唖然とする商談相手へ改めて笑みを向ける。しかし、三日月の弧を描くユエファの口許は酷薄で、鋭利だ。
「|砕牙會《ボク》相手に随分と剛毅なことをしてくれたものですが。ねこのおかげで命拾いしましたね」
 対価として払われた札を破り捨ててみせると、明らかに相手の顔色が変わった。意味する所は伝わったようだ。まったくもって心外だ――まさかこの精度の偽札で出し抜こうなどと思われるとは。
「次はありませんので、お気をつけて。さあ、老板がお帰りだ。|送って差し上げなさい《・・・・・・・・・・》」
 その言葉を合図に黒服が客人の両腕を掴み、出口まで引きずっていく。何か叫んでいるようだが、先方の台所事情など知ったことではない。それよりももっと興味を惹くものがある。
「さて、と」
「……うな”ぁ!」
 この騒ぎで眠り猫も飛び起きたようだ。他の登場人物が消えたのが不思議なのだろう、きょろきょろと忙しなく辺りを見回している。
(うさぎのとこ、いつも急にひとがいなくなる……なんでだ……)
「で? 今日は何をしに来たんですか、ねこ」
 なにをしに……フェレスははっとして、衣服の尻ポケットを探る。よかった、潰れていなかった。ちいさな手に握りこまれたそれは、もっともっとちいさな青紫の花が寄り合ってできた自然の花束だ。
(手毬花……珍しい花だ)
 血腥い日常とは無縁の野に咲く花、であった気がする。この世界では水無月にも零れ桜の雨が降る。
「これやる! きれいなの……なまえ! じじさい!」
 ずい、と眼前に突き出される花。前にもこんな事があった。よく見れば所々千切れているし、もっと高級な花などユエファはいくらでも見ている。けれど何故だろう、普段ならば簡単に踏みにじっているようなそれを無下に打ち捨てる気にならないのは。
「……恐らくはじじさいではなく紫陽花だと思うのですが」
「あじ? うー……じじさい!」
「言えていませんよ。わざわざこれの為にこんな場所にまで、ねえ」
 いつもの事だが、このねこのする事は理解も予測もできない。確か毒性がある筈だから、その点では有用といえば有用だろう。しかし商売にはなりそうもないし、この花の何にそれほどの価値があるというのだろうか。
 うさぎがわからないならおしえてやる。
 だってねこはつよいやつ、うさぎは草くってるよわいやつだから。

「つよいねこはつよいだけじゃだめ。やさしいをすると、ひとがわらうっておしえてもらった」
 その言葉を聞き、人外境の魔物は紅い瞳を丸くする。
「さくらのせかい、さくらじゃないはなあんまり咲かないかもだから。だから、うさぎにいいものをたくさんやる!」
 まったく、本当に大したねこだ――このボクに対してまさか施しをしようとは。先程の小狡い商人とは真逆のその心根に、思わずふふ、と奇妙な笑いがこみ上げる。
「いいでしょう。頂いておきます。誰か、花瓶の用意を」
 甘んじて受け取ってやる。紫陽花が珍しいのは事実だ、問題はないだろう。慌てて走ってきた黒服を見て飛び退きながら、自称つよいねこは叫ぶ。
「くうなよ!」
 食べる訳がないだろう。何だと思われているのかは知らないが、何を欲しがっているかは知っている。
「それから、」
 あからさまにきらきらと輝く双眸。困惑する黒服。ふ、とまたちいさく笑みが浮かぶ。
「帰る前に土産を受け取っていきなさい。今日は確か、寿桃包があるはずです」
「!」
 なんだかよくわからないが、うさぎがくれるのはおいしいのもののはずだ。いいことをすればいいことが返ってくる。ほら、黒い服のやつがまた走ってきた。すぐ人が増えたり減ったり、忙しい。
 渡されたのは何やら桃のような饅頭だ。今日は顔かいてあるやつじゃなくてよかった、とフェレスは思う。
 うさぎが大きな花瓶に『じじさい』を飾っている。なんだか、今日は一段とおかしげにわらっている気がする。うれしい。ねこはふすんと鼻を鳴らし、先の騒動で割れた窓硝子の枠に飛び乗った。
「またくる!」
 その一声にユエファがふり返れば、窓の外に残るのはもう一面の桜景色ばかり。

 まったく、来る時も帰る時も唐突だ。どうせまた宣言通りに来るのだろう。この自分にも予測できない時と方法で――暫くは退屈とは無縁のようだ。
「……本当に面白いですね、このねこは」
 その笑みを見る者はなくとも。
 ひらりと室内へ舞い落ちる桃色の花びらの中で、柄にもなく生けた手毬花の青紫が、一際鮮やかに映えていた。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年06月27日


挿絵イラスト