Prunus campanulate/ Lycoris
窓から差し込む光は瞼越しに朝だと言う事を教えてくれる。
いつの間に寝てたのだろう。ゆっくり寝床から起き上げると、己が纏うは見覚え無き柄の寝着。
「……これ、は……」
半分は混乱しているが半分は予測が付いていた。姿見の前に移動して映るそれを見て溜息一つ。
自分では選ばぬ様な可愛らしいパジャマ姿。
そして――頬を伝った涙の痕が其処には確かに浮かんでいた。
フィーナ・シェフィールド(天上の演奏家・f232)は自らの真の姿が正直苦手であった。
「同じわたしなのに、ね……」
鏡に映る今の自分に語りかける様にフィーナはぽつりと呟いた。
嫌いと言う訳では無い。生命の埒外にある猟兵の本来の姿。彼女の場合は姿のみならず――まるで|仮面《ペルソナ》を脱ぎ捨てたが如く、性格も大きく変化する上にその時の記憶も曖昧なものになってしまうらしい。
良く言えば自由闊達――楽観的でポジティブで、物怖じせずに堂々と立ち振る舞い。
悪く言えば傍若無人――相手が誰であろうとも遠慮を知らず、我が儘で己を通し続ける。
自分に出来ない事を簡単にやってのける|あっちのわたし《真の姿》に憧れに近い感情すら感じる。
正直言うと……。
「……羨ましい」
こつり、と鏡に額を軽くぶつけてみせて。思わず本音を吐露してしまうのは今ここにいるのは自分だけだから。
――いや。
『|あなた《普段のわたし》も自分に正直になれば良いだけでしょう?』
そんな声が聞こえた気がしてハッと鏡を見ると、此方を見つめていたのは|あっちのわたし《真の姿》。彼岸桜の根元に花開く|彼岸花《リコリス》の様に、普段は何処にいるのかも解らないクセして、こんな時だけいるなんてズルい。
「そんなに簡単に言わないで欲しいわ」
言い返すと同時に鏡像はいつもの自分に戻る。いつだってそう。知らないうちにスルスルと伸びてきて、いつの間にか勝手に目映い真っ赤な花を咲かせて。
「――そして、そうやっていつもまた消えるんだから」
大きく溜息だけが残る。自分の中に秘された自分への葛藤、いや、嫉妬なのだろうか、この複雑な思いは。
あの|わたし《真の姿》は簡単にアクセル全開で、フルスロットルで踏み出せる。
今の|フィーナ《じぶん》は何をするにも無意識にブレーキをかけてしまって、後悔する事も多々あるのだと言うのに。
再び大きく溜息。フィーナは仮にも芸能界に身を置く歌手、それも誰しもが憧れる国民的スタアなのだと言うのに。仕事は黙っていては来ない。積極的な営業だって時には必要。それすら出来ぬ様ではスタアでいる資格など無い。
いつも笑顔で振る舞って、明るく自分を見せ。時に理不尽さなども胸に抱えつつ。潤滑な人間関係の構築の為にも遠慮したりモヤモヤした思いを心の奥底に溜め込んだりもしてしまうのだけど。
その反動なのだろうか、|あっちのわたし《真の姿》が開放的に振る舞っているのは。
――等と、朝からそんな思考がグルグルと回るのも。
『その想い、しっかり言葉に出して伝えなさい』
机の上にそっと認められたメッセージ。五線譜の真ん中に目立つ様に書かれた言葉。
寝る前には無かった。部屋はドアも窓も施錠され、誰も侵入した形跡は残っていない。
「……|あっちのわたし《真の姿》……が書いたのよね」
そうとしか考えられない。今のわたしにその覚えが無いのであれば。
「……全部見透かして……当然よね。だってわたしなんだもの」
魂はあくまで一つ。結局、仮面を被っているのは今の己なのでは無いか。
再び涙の粒が瞳からぽろり、ぽろりと溢れてくる。乾いた涙の痕を再びなぞる。
大好きな人。心より愛している人。
逢いたい。優しい声を聞かせて欲しい。その手で抱き締めて欲しい。
そんな寂しさが、欲求不満が自分を押し潰して、どうかなってしまいそうで。
「……言われるまでもないわ」
袖で乱雑に目を拭い、彼女は自分自身に言い聞かせる様に告げた。
勝手に想いを伝えて来る様な真似をされなかっただけでも良しとしよう。そう思い、願いたい。
何よりフィーナは歌手だ。言の葉を音階に乗せて唇より紡ぐ歌声は、人々に夢を――想いを届けるもの。そう、想いは言葉にしなければ正しく伝わらないのだと。
「これが|あっちのわたし《真の姿》からの想い、言霊って訳なのかしら――ね」
自分の事は自分が一番良く解っていて一番良く解らない。ままならぬものだが。自分をこうして見つめ直す――その機会を鏡の向こうの彼女は教えてくれたのだろうから。
「それはそうと」
この際だからと告げるのだが。
「わざわざえっちな……特に下着がそのまま見える姿で歩き回るのはやめて欲しいんですけど!」
思い出すだけで、顔が真っ赤になるのを自覚しながらフィーナは己の中の己に訴えていた。
「わたしはそんな誰彼かまわず肌を見せたりする趣味はないんだから!」
――と言う事らしいです、いいね?
成功
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