●月夜の邂逅
鋼鉄の巨人を見た。
それはまさしくそう表現するしかないものであり、そう形容するのが相応しい威容であった。
つまるところ、妖の類ではないかと言うことである。
このアヤカシエンパイアは、平安結界によって守られたる平穏なる世界。
人知れず京を護るのが貴族の職責であるというのならば、その鋼鉄の巨人をこそ打倒さんとするのが当然であったことだろう。
陰陽探偵ライデンこと、八秦・頼典(平安探偵陰陽師ライデン・f42896)が当に今直面した事態がそれである。
己が職責を忘れたことはない。
如何に女遊びに忙しく、色恋に生きるが我が定めとしながらも、しかしながらやる時はやるのが男子というものであろう。
故に頼典は月光に煌めく鋼鉄の巨人を前にして如何にすべきかと思案する――。
●変わらぬ放蕩、変わる評判
己に仕える執事である式神の助言通りであった。
彼の助言によって頼典はここ最近己を取り巻いていた噂というものが、なかったかのように霧散したことを実感せしめていた。
まあ、中にはどうしたって己と平安貴族『皐月』との間にあるであろう、それはもう口にするのも憚られるようなあれやこれやといった妄想の類が真のように一人歩きを未だしていると思っている女房であろうが、徐々に少数派となっていった。
「まあ、そういう者に限って過激派になるものだけれど」
とは言え、だいぶ噂も落ち着いてきているように思える。
そんな自分はというと、遂に位が従一位へと繰り上がったのだ。
まだ、その上にさらなる階位が存在しているのだが、しかして天井が見えたとも言える。
従一位である。
それは事実上の政治における天頂とも言える。
帝が御在位の頃には、その師範であり天下の手本となる者でならなければならなかった。
しかし、帝に連なる皇族の方々の血筋は未だ残れど、位と重責は失われている。
「とは言え、未だ政治的な影響力をお持ちなのが皇族方というもの。止事無き御方の方々におかれては、その政務というものに励んで頂いているのが現状」
となれば、従一位たる己は補佐をせねばならない。
相談事。
そういうものを承るのもまた今の己の階位であろう。
「なーんて、あわよくばと思っていたのだが」
ことはそう上手く運ばぬものである。
頼典が焦がれるは、止事無き御方『永流姫』である。
此度のただれたというか、腐りきったというか、そんなあまりよろしくない噂が広まったのも、端に発するは『永流姫』になんとかお目通りが叶わないか、という頼典の願望にして原動力があったからである。
皮肉なことに、噂がより現実のものとして形作られるようになればなるほどに己の位階は上がり、周囲を仰天せしめたのだ。
「ないかぁ……そういう上手いことは」
頼典はガックリ肩を落とす。
「考えてみれば当然か。『永流姫』の側仕えは『皐月』殿。空席などあるわけもなく。取り分けて、そこのけ、とは言えぬしなぁ」
頼典は今日の政務を終えて、さあ、どれ未亡人の方の元へ行こうか、それとも馴染の女房たちの部屋に転がり込もうかと足取り軽く歩んでいた。
政務はどうしたのです? と式神執事がいつもの声色で言ってきそうであるが、答えは簡単である。
そう、己の階位が上がったのは、やたらめったらに妖退治をしていただけではないのだ。
人知れず、妖関連の事件を解決し、内偵を行い、さらには陰陽探偵として活動してきた己には、最大の武器がある。
目利きの目である。
人を見る目は確かであるという自負があるからこそ、政務取り仕切る宮中に魑魅魍魎跋扈する中にあって、これはという人材を見極め、親交を深めてきたのだ。
そんな確かな人材を抜擢させては登用し、自らの職務を手伝ってもらっているのだ。
正直に言えば、ラクができる、ということだ。
まあ、ラクができる分時間ができる。
表向きはいつもの女遊び、その実は止事無き身分の御方や庶民に扮して得た情報を調査する時間に当てることができる。
「いやはや、在野には未だこんなにも優秀な人材がいるとは」
平安貴族『皐月』もまたその一人である。
男装の麗人、即ち、女性であることも、何故そのようなことをしなければならないのかも勘所が捉えている。
「しかし、そんな『皐月』殿が仕えている『永流姫』とは一体どのような御方なのだろうな。非常に美しい天女のような御方であると聞いたことはあるが……」
なんとも捉えどころのないものである。
噂話くらいしか聞いたことがない。
果たして本当に存在しているのか。いや、していなければ『皐月』が仕えている、ということ自体がおかしな矛盾を持つことになる。
うーん、と頼典は頭を悩ませる。
一見すると政務に対して真摯に思いを巡らせているように見えるのだから、顔が良い、というのは儲けものである。
そんな夜道。
見上げれば月光が己の瞳に差し込むようだった。
「『皐月』殿も同じ月を見ていればよいが……」
などと申しており。
いつもの冗談軽口のままに、足取り軽くいざゆかん花園へ! と一歩を踏み出した瞬間、頼典は目を見開く。
月光降り注ぐ夜。
そこにあったのは巨人であった。
体高、百六十五寸はあろうかという鋼鉄の巨人が、突如として頼典の前に現れたのだ。
それは、月光によって青く輝いているのかもとよりの色が赤であるがゆえに斑のように見えるのか頼典にはあまりにも突然であったがゆえに判別できなかった。
「――」
な、と漸く声が通る。
妖の類であれば、即座に理解できよう。
だが、頼典には、『それ』が妖のようには思えなかったのだ。
「天下の往来にて、道を塞ぐは如何なるか」
頼典は毅然と鋼鉄の巨人へと言い放つ。
己が体躯の三倍はあろうかという体躯を誇る巨人に対して、そのように言い放つ事ができたのは、従一位の階位へと駆け上がった自負があるからであろうか。
否。
それは頼典が他世界を知る猟兵であるからだ。
伝え聞くところによれば、このような百六十五寸ほどの鋼鉄の巨人が戦場の花形たる世界があるのだとか。
故に、頼典は『それ』もまた似通ったものではないかと思い立ったのだ。
そして、『それ』がそうである、というのならば内部に人を乗せている可能性がある。
故に毅然として対応したのだ。
その胆力というものに鋼鉄の巨人が関心したのかはわからない。
「――散位なれど従一位の方、八秦卿を目前にして非礼をお詫び致します。されど、どうかご容赦を賜りたいと思っております」
赤と青の斑の鋼鉄の巨人が膝を折り、頼典の前に礼をするような仕草を見せる。
その鋼鉄の体躯こそ異様であったが、所作は完璧であった。
何より!
そう、頼典が一際興味を惹かれたのは、その声であった。
「女性か! その鋼鉄の体躯に収まっておられるのは!」
そう、その声はひどく甘やかであった。
風のように爽やかでありながら、しかし何処か心に響く甘い声。なのに安らぎような気配すらあるのは、あまりにも奇異なること。
まるで妖の類。
だがしかし、頼典とってはどうでもよかった。
そう、どれだけ位階変われど頼典は何一つ変わっていない。
それが彼の取り柄なのだ。
「ご無礼を」
鋼鉄の巨人が靄のように消えていく。
思わず駆け出せど、そこにあった気配はなく。
頼典は空を掴む手が何もつかめていないことを知り、また落胆するのだった――。
成功
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