月影は標と縁にて
●標見上げれど、地を見定めれば
目指したいと思うものがある。
それは志であったり、理想であったりするものだ。
時に早熟と言われることもあるだろう。
理解している。
源・朔兎(既望の彩光・f43270)は、その言葉にさえそう頷くだろう。
「わかっているんだ。俺にだって、それくらいは」
だが、それ自体が早熟であることの証明であることは言うまでもない。
己が体躯に流れる血潮のことを思う。
皇族としての血脈。
それが意味することも。その血筋のことを己は嫌う。嫌悪している。
ましてや隠せるものではない。
気ままに暮らして良いのだろう。けれど、己が血が他者とは隔絶したものであることを突きつけ続けるのだ。
「やるべきことはわかっているんだ。それが責務ではないということも。けれど、足かせなんだ、これは」
きっと、と思う。
人との交流において立場というのは明確にしなければならないことである。
僅かな言葉尻にさえ、人は格を見るだろう。
社会性の獣である人間にとって、それは仕方のないことだ。
「どんなに気にしないで欲しいと言っても、人は気にするんだよな。いろんなことを知りたいっていうのに。貴方様には、と断られたりする」
年齢が年齢だから、奔放であることは許されない。
色ごとは無理だし、歌の詠み方に至ってはちんぷんかんぷんである。
ならば宴に顔を出せば、どうしたって此方の格というものを周囲は感じ取って上っ面だけの対応しかしてくれない。
己が求めているのは芯を食ったような手応なのだ。
街往く人々に声をかけても、なんだか避けられてしまっている。
「大人であれば、きっとこういうことも受け流すこともできるのかもしれない。でも、俺は、どうしたって隠せない」
血も、己の感情も。
素直過ぎるということは逆に人の不興を買うこともあるだろう。
遠ざけられることもある。
けれど、どうしたって人が好きだ。
大好きだと言ってい。
身分の差など関係ないとさえ思えるのだ。だが、それでも、受け入れられないのだろう。
人々の反応を見ていればわかる。
「俺は追いつきたいだけなんだ。同じ月なのならば、その高みに俺も行けるはずだ。星の輝の側に在るためには」
それだけが彼にとって許容できないことであった。
相応しくありたい。
それは突進と呼ぶに相応しいものだったけれど、結局自分ができることはそれだけなのだと、朔兎は今日もひた走る――。
成功
🔵🔵🔵🔵🔴🔴