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亜麻色の月

#アヤカシエンパイア #ノベル #平安貴族 #熾盛 #銀の五月雨

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八秦・頼典




●人の噂も七十五日
 とはいうものの。
 ほとほと困り果てているのは八秦・頼典(平安探偵陰陽師ライデン・f42896)である。
 京に飛び交う噂。
 はっきり言って己が悪目立ちしている、という自覚はある。
 確かに、だ。
 己の位階は目まぐるしいほどの速さで上がっていっている。
 それ自体は己の働きの証明であるのだからよい。
 けれど、亜麻色の髪の平安貴族『皐月』との噂は、あまりにもおひれはひれが付きすぎている。
 もう最初の噂の原型は、京雀たちの都合の良い妄想によって歪に捻じ曲げられて、事実の欠片すらないような有り様であった。

 聞くところに寄ると、己と『皐月』を題材にした物語めいたものをしたためている者さえいるのだという。
 とんでもないことである。
 故に、頼典は決意したのだ。

「わかっているよ。いや、本当に」
 本当でございますな、という爺の言葉に、くどい! と頼典は突っぱねる。
 だが、爺は口約束だけでは心許ないと三つの条件を飲み込むことを書面にして認めさせ、さらには拇印すら要求してきたのである。
 本日二度目のとんでもないことである。
 とは言え、こちらも決意を表明した身である。よもや嫌とは言えぬ。
「わかった。念書などいくらでも書くよ。それで、その三つとは」
 爺が申す所には、この自体を解決するための条件は三つ。

 一つ、『永流姫』のことをすっぱり忘れて諦める。
 一つ、『皐月』殿との密通も禁止。
「ちょ、ちょい、ちょっと待った! な、なんでだ爺!」
 しらーっとした視線が頼典に突き刺さる。
 いやいや、本当に。
 むしろ、己の出世の速さの原動力は止事無き御方こと『永流姫』へのお目通りである。それを? え、諦めろと?
 それは出世を諦めろというのと同義ではないか!
 だが、爺は首を振る。
 なぜならば、再三申し上げたのだ。
 爺は申し上げたのだ。本当に! 何度も!『永流姫』は! だめだって!
 けれど、頼典は再三の忠言を聞き入れなかった。
 その結果が、これである。

『皐月』殿に迷惑を掛けて、さらには京雀たちの妄想に拍車を掛けさせたのだ。
 ならばこそ、その原因である高嶺の花へと手を伸ばすことを諦めなければならない。
 棚からぼた餅みたいな好機が巡ってきても、おいそれ手を出してはならない。
 そう、爺は言っているのである。
「『皐月』殿との密通も禁止というのも……」
 どうやら『皐月』も、この噂話が独り歩きしている事実に対処しようとしているようである。
 だが、うまく行っていない。
「そうだ。だから、ここは共に協力して事に当たるのが当然ではないだろうか」
 だまらっしゃい!
 ぴしゃりと爺の雷が落ちる。
 大喝めいた声に板間に正座しっぱなしであった頼典の体が、ぴょんこと跳ねた。

 よいですかな、と爺が深い、深い、深い、溜息をついた。
 詰まる所、これは二人の距離が近すぎるが故に起こった惨事というか、珍事である。
 ならば、距離を置くことが肝要なのである。
 加えて、それでは足りぬ。
 此処は心を鬼にしての塩対応である。
「まさか、ボクに女性を無視しろというのか!?」
 そうである。
 むしろ、そのような態度が望ましい。
 心苦しいのはわかる。だが、今の頼典は心苦しいという言葉を言い訳に使おうとしている。それではだめなのだ。
 噂の根を断ち切るには、非情に徹しなければならない。
「けれど、それにしたって……」
 爺は己が菓子折り持って事情を説明しに往くという。
 じゃあ、ボクも、と言いかけて爺の眼光が矢か槍かというくらい鋭くなったので黙っておく。

「……わかったよ。して、その三は?」
 頼典は了承して続きを促す。
 三つ、と言ったのだ。
 最後の条件とは如何なるものであろうか。
 爺は本当にまた深い溜め息をついた。
 三つ目の条件。
 それは、以前の頼典の振る舞いに戻ることであった。
「どういうことだ?」
 つまり、こうである。
 頼典は確かに凄まじい勢いで位階を駆け上がった。
 それはもう雲の上の人、星の位へと至った者。まあ、そんな位階になっても頼典の中身はまるで変わってないのである。
 そもそもの出世の原動力が『永流姫』であるからして言うまでもないことである。嘆かわしいが。
 だが、しかし、それは一方で権力に溺れ驕ったものではない。
 そう、此度の噂も頼典が変わったからこそではないのだ。
 彼を見る目が変わったからだ。

 他人の目というのは、対象の本質に靄を掛けるものである。
 如何にして、その人物を知ろうとしても他者の噂、評判というものが邪魔をする。本質を遠ざけていく要因なのだ。
 誰それが言っていた、という言葉ほど話は分に聞くべきものであるが、しかし、人はそうした言葉ほど興味をそそられるものなのだ。
 だからこそ、爺は言うのだ。
「つまり、位階駆け上がるためにしてきたことを」
 そう、以前のように奔放に、それこそ今まで気になる姫君は人肌恋しい止事無き御方の未亡人が住まう屋敷に通ったり、お忍びで悪所通いをまた始めろ、ということなのだ。
 それは爺がとっても苦言を呈してきて、まるで止める気配のなかった悪い遊びである。
 だが、頼典が位階を駆け上がっていくにつれて、それは鳴りを潜めていた。
 
 その様子に同僚たちはまるで中身が入れ替わったのではないかと真に思うほどの衝撃を受けていたのだ。
 また、それを、と言うのだ。
「だが、また悪い噂が立つではないか」
 それである。
 そう、噂話にはさらなる噂話で上書きする。
 刺激的な噂であれば、醜聞であればことさらである。

 故に、と爺は言う。
 これを機会に然るべき身分の御方と、と言う言葉を頼典は聞き流していた。
 里の父親を安心させて、的なことを言っていたようだが、聞き流していた。何度も言うようであるが、聞き流していた。
 そして、再び頼典の位階はまた一つ上がる。
 そこからである。
 彼の放蕩癖が顔を出したのは。

「聞きまして? 八秦卿がまた歌会を開かれたとか」
「そればかりか、四六時中、盤双六や樗蒲に興じていらっしゃるとか!」
「先日はとある屋敷から朝帰り……!『皐月』殿はもう用済みと言わんばかりの仕打ちですわ!」
「もしかして……もう恋は移ろってしまわれたということかしら?」
 京雀たちの勝手な噂話は広がっていく。
 新たなる頼典の噂は持ち上がれど、次第にそこに『皐月』の名は上がらなくなっていく。
 その事態に『皐月』を思っていた女房たちは口々に頼典への非難を口さがなく上げるようになってきていた。

 耳が痛い、ということはない。
 むしろ、頼典は爺の条件を実行に移していた。
 噂に反論することはない。
 歯牙に掛ける必要もない。
 これは自分に対する罰であり、背負うべき十字架なのだ。
 内罰的が過ぎる、と言われるかもしれない。けれど、それでいいのだ。
 全ては『皐月』との間に流れる噂を払拭するため。

「……だが」
 そう、心の何処かで『永流姫』へのお目通りを願う自分がいる。
 そして、同じ位『皐月』殿とまた逢いたいという気持ちもあるのだ。
「ままならないな、奇しくも今は皐月……」
 見上げる月に面影を写す。
 己がそう見上げているように『皐月』もまた同じ月を見ているだろう。そうに違いない。
 この月をもって何処かでつながれば良い。
 それを心の拠り所にするくらいは、大目に見て欲しい、と頼典は心を月に写すのだった――。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年05月07日


挿絵イラスト