忘れようなんて、思ったことは――私には無い。
私、には。
私は、希雪。
贖罪だと言うなら、貴方にも――いえ、私にも謝らなきゃいけない。
貴方は今も同じ気持ち?
終わってもいい――終わりたい?
忘れたいよね。
起きたときには、忘れていてね。
贖罪の先。
そこから、貴方は始めればいい。
見上げる雲は、見下ろす雲より素敵なんだ。
灼華……もう少しだけ、休んでいて。
貴方にもこの翼で未来を届けるから。
――青い空。
流れていく雲。
ここはブルーアルカディア。
見上げるのでなく、見下ろす。
美しい雲海が見える。
けれど、あの雲は禁足地。
この世界の雲海は――触れてはいけない場所。
見下ろす空は、底なしだから。
異世界の子供が空を見上げて母に言う。
「あの雲の上を歩いてみたい!」
異世界の亜人が、ぺろりと舌を出して笑う。
「美味そうな雲ニャ」
異世界の少女は、ヘッドマウントディスプレイで空を眺める。
「――飛べたら良かったのに。現実でも」
異世界の戦士が剣を掲げる。
「神よ、天使よ――私はこの空に誓う!」
空も雲も、異世界では夢、憧れ、聖域。
見る場所が違うなら。
居る場所が違うなら。
同じ言葉だって、全く違う意味になる。
「雲に降りることは――どんな罪より重い禁忌……」
静かに目を閉じて、大きく息を吸い込む。
思い出すのは、あの日の事。ずっとずっと昔の事。
それは、はじまり。
貴方の――いえ。
私の名は、彼岸灼華。
白い髪と肌――それに、赤い瞳。それが由来。
なんにも困ったことなんてなかったんだ。
母はとても優しかった。
一緒に過ごした妹も可愛かった。
友もたくさん居た。
ここは天使の里。
なんにも困ったことなんてなかった。
天覇と呼ばれ、本当に皆強かった。
私も、友と切磋琢磨して、皆の翼を追いかけていた。
本当に、幸せで。
幸せ、で。
幸せだったからいけないんだ――!
幸せだった、から……。
あの日。
黒い竜が来た。
名を天覇。
――里の戦士たちと同じ名を持つ、黒竜。
竜の持つ力は『|与奪の呪《カース・ラヴィジェルド》』
オーラに触れた者の力を、自由に奪い、与え直す呪い。
黒竜の目的は、同じ名を持つ里の戦士たちの力を奪い取ること――。
白き翼を広げ、戦士たちは戦った。
もう、あの時――決着は決まっていたんだ。
「子供たちを連れて逃げろ!」
「ここは食い止める、速く!」
「大丈夫、必ず追いつくさ」
「逃げなさい!私達が竜に屈することなどありません!
聞こえてくる言葉の一つ一つが、終わりへと羽ばたく言葉の残骸。
掲げた剣を構え、真っ直ぐに黒竜へと突撃する若者の翼が一瞬で弾け飛ぶ。
竜の周りに浮かぶのは何千もの黒い剣。
咆哮すらせず――見下すような視線の先で、次々と戦士たちが赤に染まる。
それはただの蹂躙。
惨劇から逃げるしかなかった。
――友が膝をついている姿が見えた。
いけない――体は自然に動いていて。
飛び出し、抱えて共に逃げた――、
彼女を助けることは出来た。
助けたって。助けたって思っていたのに!
竜は見逃さなかった。
退屈な戦いよりも、面白いものがある。目を細め、口元に笑みを浮かべたように見えた。
呪いを扱う竜――感情には敏感なのだろう。
その時、『あたえられた』
与奪の呪いは、奪い、与える呪いの力。
与えられたのは、呪いの力そのもの。
だって、皆、力を奪われる!逃げろって……。
――竜の力に侵された事など、想像も付かなかった。
結局、竜は私を見逃した。
友を抱え、皆の場所に逃げた。
食らう力を持たぬ者達など、眼中に無かったのだ、と思っていた。
絶望は、そこから始まったんだ。
私には何故か見えた。
生き残った里の皆に、纏わりつく黒い影。
その黒き影は、先刻、戦士と竜を包んでいたものに見える。
戦士の力を奪う呪い――なぜ、里の皆に?
私は話した。
でも、誰にも見えていない。
「怖かったのね。大丈夫よ」
その言葉と共に私の頭を撫でてくれたのは――母。
母の全身を包む黒い影は――私の胸へと繋がっている。
繋がって、いた。
必死に伝えた。
竜に何かをされた、皆へ危険が及んでいる。
泣きながら、必死に声にした、のに――。
皆は、抱きしめてくれるばかりだった。
そして。
泣き疲れて、眠ってしまったらしい。
目を覚ました時。
天覇と呼ばれた里の民は――私しか目覚めていなかった。
疲れてみんな眠っているんだ、そう……思いたくて。
隣に眠る母の口元に耳を近づけた。
触れるのが怖かった。もし、冷たかったら――。
そんな恐怖で――息を聞こうとした。
そうだよね。
分かってた。
……息なんて、してない。
母も、妹も、友も、誰も。
全部、亡骸。一人も生きてなんていない。
静かに――入れ物だけが残っている。
「――ッ……」
目を見開き、胸の真ん中を自分の右腕で思い切り握りこむ。
感覚があるんだ。
信じたくない感覚。
『奪った』
奪い取った――魂を。
私のここに、それらが閉じ込められている。
なんでそうなったかも、どうしてそうなるのかも分からない!そう叫べれば良かった。
でも、私は――竜を間近に見た。
技も――戦士たちの敗北も見た。
これは、戦士たちの亡骸と同じ。
だから――全部、分かった。
居るんだ。
皆が居る、ぜんぶ、此処に。
母の優しい顔。ずっと一緒だった妹。少しだけ私より大きいあいつ。
練習が足りないよ、と伝えた怠け者のあのこ。
「――や――だ――」
声が出ない。
溢れる涙と共に崩れ落ちた。
音のない絶叫が空へと響き渡る。
「私が、殺したんだ」
「私が――殺したんだ」
「ごめんなさい」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
手は静かに剣へと伸び、自らの胸を貫いていた。
躊躇いも無かった。
ただ、そうするしか――出来ることが見つからなかった。
鮮血が飛び散り、激痛に声にならない叫びをあげる。
これでいい、この罪はこうしなきゃ――。
ねぇ、許してくれるかな――。
どさり、と。
自ら死した少女は倒れ――風は涙を奪い去っ――。
「あ゛あ゛あああ!」
激痛に叫び声をあげる。
痛い、苦しい、痛い――!死んでも痛いの!?これは私の罪のせい……?
歪む視界の中で、転がっているのは皆の亡骸。
自分の鮮血で真っ赤に染まった母が隣で静かに倒れている。
妹もそう。
「――なんで!これが罪の先にある死だって言うの!?」
聡明な彼女ですら、すぐに理解など及ばなかった。
ただ、皆の所へ行きたい。謝罪をしたい。その思いで、何度も自らを突き刺した。
何度も、何度も。
死を繰り返し――ある時、気付いた。
「今、死んだのは――君、なの?」
胸の中から、怠け者のあのこの感覚が消えた。
死んでいるのは――私が奪ったみんなの魂――。
「く、そ――」
枯れて掠れた声で、もう流れぬ涙を浮かべ。光の消えた目で地を叩き続けた。
何が起きているか、全てを悟りながら。
私は、魂を奪う。
奪った魂も返せない。
死のうとすれば、その魂を殺すだけ。
私は――ただ、命を奪い続ける。
あの竜よりも、バケモノなんだ。
だから、もう誰とも会わないように、誰も奪わないように。
――旅を、しよう。
――。
――はぁ、と希雪は息を吐き出す。
「目的地なんてないけれど、だっけ」
胸が、痛い。
灼華もずっと、痛いよね――。
成功
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