デザイア・コーデ
●今昔四方山話
いつの時代にも始まりはある。
それがいつだったのかを知るには、時が過ぎ去ることを待たねばならない。
始まった瞬間を人は、その瞬間に自覚することはできない。
では、ドラゴンプロトコルはどうであろうか。
己という自我を持つのは、発生した瞬間であろう。
生命が始まりの記憶を忘れてしまうのだとしても、彼らは覚えているだろう。
忘れる、という機能が備わっていないのならば、己で己を消し去る他に方法はないのだろう。
「『トイツオック地方』?」
「そう。初心者プレイヤーがまず行く場所な」
「あそこが? まさか」
「まさかって、いや事実そうだろう。あそこは初心者向けのエリアだよ。証拠にあのエリアにあるクエストは全部初心者用だろ? お助けNPCだって沢山いる」
ゴッドゲームオンライン、その『トイツオック地方』の話題が出た時、ゲームプレイヤーたちの反応は大体が『初心者エリア』のことだな、と思うだろう。
しかし、ゴッドゲームオンラインの古参とも言うべき者たちの反応は異なる。
「ああ、そうか。お前たち知らないんだな」
別のゲームプレイヤーの言葉に話し込んでいた二人のゲームプレイヤーは顔を向ける。
その言葉は見解の異なる二人に向けられていた。
片や初心者エリアだと言う者。
片やそうではないと否を唱える者。
その二人を一片に片付けるだっけの情報を、そのゲームプレイヤーは持っていたのだ。
謂わば、事情を知る者、と言えばいいだろうか。
「確かに『トイツオック地方』は初心者向けだよ。クエストだって、わりかし簡単で、ちょっとばかし実入りの良い物が多い」
けれど、初心者から抜け出す頃にはクエスト報酬だって物足らなくなってくる。
そうしてゴッドゲームオンラインのゲームプレイヤーの多くが巣立って行ったのだ。
けれど、そこに齟齬がある。
「けど、この地方が実装したての頃……まあ、俺等の殆どが横並びのヒヨコでピヨピヨしていた頃なんだが、このエリアは|『大厄災の竜』《アドウェルサ・ドラコー》の支配するエリアだったのさ」
その言葉に初心者エリアだと唱えていたゲームプレイヤーは、それが嘘偽りでると声を上げようとした。それを手で制する。
「ああ、そうだよな。『生命啜る凍れる炎』とかなぁ」
先ほど初心者エリアではないと言っていたゲームプレイヤーがしきりに頷く。
あれは極悪なギミックだった、と思い出したのだろう。
「そうそう。凍ったまま身動きは取れないのに燃えるスリップダメージが継続するっていうな」
「デスペラティオだっけ」
「ターゲットにされた時点で命中しているってな」
「もはや別ゲームだったな」
「なにそれ、知らない……」
そりゃそうだ、と比較的新参のゲームプレイヤーに古参らしい二人のゲームプレイヤーは頷いた。
「討伐成果って出たんだっけ」
「いや、流石に運営側から難易度調整したんじゃなかったっけ」
「クリアしたって言うゲームプレイヤーはいなかった気がする。どうだっけ」
彼らは思い出話を紐解くようにして記憶を探る。
だが、討伐された、という情報はなかった。
記事にもなっていない。
そういう噂というのは、ゴッドゲームオンライン上ではまたたく間に広がっていくのだ。
未だ実装されていない東方エリアの噂をゲームプレイヤーの殆どが知っているように、そういうゲーム情報に目ざとい者たちばかりなのだ。
それもそうだろう。
彼らはいつだって娯楽に飢えている。
現実を支配する統制機構は、変化のないことこそ尊ぶ。
けれど、人間はいつだって変わっていく生き物だ。
はじまりの記憶。
生まれた記憶さえ忘れるように、人々は古い記憶を忘却していく。それは新しさを求めるが故である。
進化しようと、変化しようとするからこそ、人は忘れて生きていくのだ。
「え、結局どっち?」
討伐されたの? されてないの?
新参のゲームプレイヤーが首を傾げている。
「いや、されてない。されてない、はず」
「うん、されてない。調整がうまくいってないんじゃないのか? だからクエストにもないだろ」
「あれもあったよな。この地方に関連ありそうな凍炎不死鳥の出現クエストがランダムクエストになってるってやつ」
「あった! 一時期、そのモンスターを倒してドロップするアイテムで『大厄災の竜』を倒せるキーアイテムになるんじゃないかって噂もあったよな」
「へぇー……」
彼らのそんな四方山話を小耳に挟んでいたのは、ギルドの手伝いをしているヌグエン・トラングタン(欲望城主・f42331)の妻でもあるお助けNPCたちであった。
「……あんな話あったっけ?」
当然彼女たちにはない。
己たちの記憶領域を探してみても、この『トイツオック地方』に根ざすノンプレイヤーキャラクターである彼女たちの中には、そのような情報はない。
ゲームプレイヤーたちが勝手に組み込んだエッセンスではないのかと思うが、どうやらそうでもないようである。
「いや、ないな」
「どういうこと? だって、此処のドラゴンプロトコルが代替わりしたってことも聞いたことがないもの」
「ああ、このエリアが実装されて以来ずっとゲームマスターであるドラゴンプロトコルはヌグエンだ」
彼女たちは胸がざわめくようであった。
『凍れる炎』
ゲームプレイヤーたちが語っていた言葉は、ヌグエンの属性である。
何か関連、関係があるのかもしれない。
けれど、自分たちは知らない。
何か情報にプロテクトが掛かっているのかもしれないと訝しんでみたものの、そのような類は見受けられない。
自分たちの記憶領域にない、ということは即ち、ヌグエンと己達の間には自我という発生起源のタイミングに差がある、ということだ。
その事実が彼女たちの胸をざわめかせるのだった――。
●はじまりのブランク
ヌグエン・トラングタン=デスペラティオ・ヴァニタス。
それがヌグエンの真の名であった。
「でもまあ、ちょいとばかり気に入らねぇよな」
デスペラティオ・ヴァニタス。
絶望と虚無を冠する名など、気にいる訳が無い。
はっきり言って嫌ださえ思うのだ。
そうした己が厭うものを分割して封じているのは、隔絶を埋めがたき溝があるからだ。
何と何の?
己とゲームプレイヤーたちの間に横たわる深い溝である。
ゲームプレイヤーたちはゲーム世界にログインしてきている生身の人間だ。けれど、何処まで行っても己はドラゴンプロトコルである。
自我持つAI。
それが己だ。
何処まで行っても己を生命とは定義できない。
ゲーム内であれば、圧倒的な力を振るうことができるのだとしても、それはやはり虚無であったし、胸には望みが絶たれている。
何も望まない。
何も欲しない。
「最初はそれでよかったんだがなぁ」
魔眼も、生命啜る凍れる炎も、己に立ち向かうものたちに向けられるものである。
それ以上ではない。
ゲームプレイヤーたちが立ち向かう者たちであるというのならば、己は立ちふさがる者だ。
そういうふうにデザインされている。
けれど、と思ったのだ。
それは奇跡に近いことだった。
本来ならばありえないことだった。
望みなど絶えているから、絶望。虚に無しかないから、虚無。
それが己の名であり、本質である。
「けど、思っちまったんだよ。ゲームプレイヤーたちの瞳を見て。あのキラキラ光るものはなんなんだってよ」
ヌグエンは敵うわけもないのに立ち向かってくるゲームプレイヤーたちを愛おしく思い始めていた。
愚かしくも、果敢であることと勇猛であることを無謀に履き違えた者たち。
彼らは絶望なんてしていなかった。
虚無など抱いていなかった。
どこまでも希望しかなかった。展望しかなかった。あるのは、虚無ではなく充足だった。
彼らは生きている。
一時の感情だと、今まさに起こっていることすら薄れ、忘れていくというのに。
それでも、彼らは懸命だった。
「そういうのがさ、たまらなく羨ましいと思った。ゲームプレイヤーの連中は確かに弱っちいし、俺様は最凶で最強だったけれど、それでも奴らの背中を押してやりたいって」
これが己の最初の願望。
欲望だ。最初の記憶と言っても良い。
この時に己は改めて生まれたのだと思うのだ。
「それからはまあ、俺様の力を封じて? あの凍炎不死鳥に封じ込めたのさ。まあ、あいつは不死鳥だからな。生命啜るっていう力もあんまり意味がない。循環しているようなもんだからな」
魔眼の力も減じている。
無意識でも抑えられるように訓練もした。
力を発揮すれば、本来は凍結に至る力だが、抑えているせいで一時的に硬直させるにとどまっている。
これも強すぎる力を封じるためには仕方ないことだ。
「まっ、そのせいで全開にできないって言うのは弊害だろうがな」
それでも構わない。
なにせ、己には『誰かの背中を押したい』という感情が生まれたのだから。
「ならよ、それは良いことだと思うんだ。俺様は『欲望竜』。数多の願いと望みとを飲み込んで、受け止める器だ。『満たされぬ欲望の主』ってのは、皮肉だが悪くない。俺様の欲望をいれる器の底が抜けているんだからな」
言いえて妙だ、と笑う。
だが、それでいいのだ。
この欲望は満たされてはならない。
満たされないのが良いのだ。
渇望と言っても良い。いつの日か、本来の己の力を全開にした……もはや忘れようとしている名を持つ己すらも凌駕するゲームプレイヤーが現れるかも知れないのだ。
そんな者の背中を己が押す。
マッチポンプ、と誰が言うかもしれない。
けれど、それがドラゴンプロトコルの役目だ。やらねばならないことだ。
「やらなければならないことは、やらねばならないっていうのは変えようのないことだ。なら、やらなければならないことを変えちまえばいいんだよ」
そうやって、この世界は回ってるんだから、とヌグエンは笑った――。
成功
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