桜散る小道を思えば
●春は
夜明けを見る。
その美しさは言葉にし難いものであったし、葦原・夢路(ゆめじにて・f42894)の胸に去来するものを綴る術を持ち得なかった。
伴する十二の花の化神たちもまた主の様子を慮って口を噤む。
言葉は必要ないのかもしれない。
夜明けの陽。
その明けゆく姿をただ見ればいい。
それだけで全てのことがわかってしまうよな気さえした。
だが、それも僅かな時だけしか見られない。
永遠には見えないのだ。
徐々に姿を変えていく世界の景色。
「まるで夢のよう」
まだ己が夢の中にいるような心持ちになってしまう。
春のこの時間が最も夢路は好きであった。
儚くも移ろいゆく世界。
平安結界の内側だけの、限られた空間だけが己達の世界だ。
人々は平安結界の外側を知らぬ。
妖に滅ぼされた世界であるという事実を知ることなく一生を終えるだろう。それは構わないし、喜ばしいことだと夢路は思っただろう。
それはきっと夢であるから。
泡沫の、と言うものだっているだろうけれど。
「それでもわたくしは、民には夢を見ていてほしいのです。うつら、うつらと微睡の中にある幸せをずぅっと」
そうであって欲しい。
例え、平安結界の外側が、そんなものとは無縁の世界であっても、それでも良き夢に浸っていて欲しいと思うのだ。
そのために己は戦う。
力を得たから戦うのではない。
平安な夢を民に診てもらうために戦う。
何も不自由のない明日を思っていて欲しい。変わらぬ明日を夢見て欲しい。
懸命に生きることは素晴らしいことだ。
移ろいゆく季節の中にあることができるのならば、それは何よりも良き夢であろう。
「主様」
花の化神たちが彼女の側に侍る。
刻限である。
夜明けを迎え、すでに夢から覚める時間である。
惜しい、と思うことは当然かも知れない。
けれど、日々の生活はそれを赦してはくれない。
なら、己は微笑んでいよう。
「散花の美しさは移ろい儚いが故。あなたたちもそう思いますか」
「私どもは主様のお側にあって、移ろうことなきものなれば」
「貴方様の道行きを彩ることこそ、至上」
「故に主様のお側にあるのです」
化神たちは恭しく頭を下げ、夢路の道行きを示す。
花咲く道は誰がため。
無論、夢路のためだ。
夢路が歩くは、アリスラビリンス。
この世界は面白い。
己が花の化神とは違い、人の姿ではないが、目鼻口の描かれた花々が口々に彼女をか歓迎してくれるのだ。
猟兵にならなければ見ることのなかった景色である。
すでに日は上り、彼女を桜の花々が歓迎するように咲き乱れ、その花弁が舞い散るままに彼女にじゃれつくようであった。
「おひめさま、おひめさま、そのおきれいなおめしもののいろ、すてきですね!」
「まるではなのようせいさんのよう!」
「おみぐしは、なにいろにもそまらぬくろではなくて、あまたのしきさいをふくんだくろ! にごっているのではなくって、ひかりうつすようにきらめいてる!」
喋る花は、愉快な仲間たちであろう。
彼らは口々に夢路が通りかかる度に、彼女の姿に感激したように言葉を放つのだ。
「ありがとう、愉快な仲間の皆様。なんだか面映い限りです」
「てれてる! てれてる!」
「てれてれおはなさんもびっくり!」
「あまり、主様を困らせては困ります」
見かねた花の化神たちが愉快な仲間たちを嗜める。
「よいのですよ。彼らは善意から仰ってくださっているのです。皆様、どうかごゆるりと。わたしくしも、このような景色を皆様と迎えられてうれしゅうございます」
そう微笑んだ夢路のたおやかなる所作に桜の小道は夜明けの静謐とは打って変わって賑やかな散歩道へと変貌するのだった――。
成功
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