「目を逸らしては駄目だよ」
春親の声が響く。
――そういえば少し前、同じことを言った。
彼は遠江春親。
遠藤修司とアーティファクトで繋がった、異界、アヤカシエンパイアの"彼"その人だ。
「それらは幻。
五感は無事かい?」
――数刻前も"視ろ"と伝えたか。
広がるのは美しい桜の木々。
満開、降り注ぐのは美しい花びら。
桜吹雪が吹き抜ける中で、狩衣の男が膝をついている。
「何が視えているんだい?」
届いていた妖の"噂"はこうだ。
平安結界から出た形跡は無く、結界内で何者かに襲撃される事件。
亀裂は確認されていない。
ただ――村の失踪でも。
貴族の屋敷付近での失踪でも。
満開の桜、という話が頻発する。
結界の季節は固定されている場所も多い。
歌由来で整う結界に、春景色は当たり前だ。
よく視ろ――そう告げたが、まさにその案件。
当たり前、慣れすぎていた部分。
平安結界の虚弱制――平和で穏やかな世を見せる幻覚である、と我々貴族は知っている。
故に作られたものである、その一部であると認識してしまう。
平安結界に寄せた"罠"は感じ取りにくい。
庶民は……疑ったところで何もなく。
春村やら桜寺と呼び、当たり前の事象と納得してしまう。
いや、納得してもらわねばならない――ゆえに、その違和感に気づかせてはならない。
隠匿されている結界の亀裂。
平安結界を偽る事で人を食らう妖の可能性を考える者は、まだ少なかった。
「幻覚を使う」という枕詞から想像される物は、例の極楽や、迷いの森。
戻れぬ夜道や、月の無い闇夜。
破らねばと思わせる事象であり、陰陽師たちも学んでいる事。
だからこそ「平安結界」を模す罠は――妖の悪知恵の中でも悪質だ。
破る必要のない"幻覚"だと納得したが最後、その場所での違和感は当たり前になってしまうのだ。
――先刻の妖、ウツツカサネの事例で言えば、極楽景色には違和感を持ち抗うだろう。
だが、極楽景色を作らず貴族の屋敷を生み出され、僅かずつ、僅かずつ……侵食されたとすれば。
気づくのは難しい――厄介だ。
「声……?声……!遠江殿か!おそらくこの場には毒気が……!」
春親の前で膝をつく、一人の陰陽師が振り返りながら声を捻り出す。
目の焦点は合っていない。春親のことは見えていない、と分かる。
「うん、そのようだ。
少し遅くなってしまったね」
懐から扇を取り出すと、パッと口元で開く。
「二条殿と礼安寺殿は何処か!
身体が動かず、見える景色は桜……ばかり……!」
キィーと空高くから鳥の声が響く。
春親の式神……五感を共有する、いわば動く目。
花吹雪の中を大きく円を描いて旋回している。
「そのお二方は――見えない、ね。
厳清寺殿以外は確認出来ぬ。妖の気配も薄い――」
「くっ……不覚……。
村はずれの桜の巨木から娘子が帰らぬという民の訴えから、ここへと赴きましたが……!
何が起きているのか……!」
「ほぼ妖の仕業で間違いないだろう。
急用の祓いで呼ばれてしまい、遅れてしまった事は謝罪しよう。
だが――このやりくちは、もう"視て"きたからね」
大丈夫だ、安心していてくれと呟き。
春親は男に肩を貸し、桜景色の外へと運ぶ。
ぶちり、と何かをちぎる音が聞こえた。
「しか、し……遠江殿だけでは……!」
「ああ、僕の本領は偵察や索敵。祓いも退治も、領分からやや外れるのも承知している。
安心してくれ、大丈夫だよ。"分かる"相手だ」
「かたじけない……私が力になれるのなら……」
「休んでいてくれ。
それとも何か病を帯びてしまった、かな?
闘病というのはまさに鬼と戦うこと。
妖の後としよう」
厳清寺と呼ばれた男は、すまぬ、と小さな声を出して言葉を止めた。
病を鬼と名付け、喚び、屈服させる祓いを行う技を知っているからだ。
「さて、と――」
狩衣が桜吹雪に揺れる。
「行くとしようか」
両手を胸の前で組み、息を吸い込む。
九字を素早く切りながら、霊力を編んでいく。
「臨――兵――闘――者――皆――陣――裂――在――前」
「道案内をば頼みたく――!」
衣の懐から、一枚の紙――鳥を模した紙が飛び出て舞い上がる。
春親の霊力が赤に煌めき、紙の鳥へと追いつき、炎と変わる。
轟々と紅き炎を放ちながら……紙の鳥は燃え。
その炎は激しく揺らめき、輝き、まるで太陽のような黄金色の塊へと姿を変えた。
その光球に亀裂が走る――黒き、亀裂。
それは卵がまるで孵るかの如く。
キィン、と甲高く澄んだ音と共に光球は弾け、姿を見せるのは一羽の大鴉。
足は三本――八咫烏。
皇族の気配にも似た黄金色の霊力を漲らせ、黒を黄金に染めながら羽ばたく鴉が舞い降りる。
「出し惜しみなど無しだよ。
修司、君は猟兵のことを"対処しなければ世界自体が悪転する事象を予知し、挫く者"だと言っていたね」
花吹雪の中を一人と、呼び出した一羽が進む。
「――ならば、この件も繋がっている。
予知が示した特異点だと言うのならば、それは各世界自体にも根付いている。
……だから、君達が今解決するであろう事件だけでは不十分なのさ」
春親は、正面に立つ満開の桜を睨む。
「軟弱な心の君への助力はなかなか骨が折れたが……、
悔しいかな、君との繋がりで――こうして、退治されていなかった妖が倒せる、というものだ。
これもその、予知との関わりなのだろうね」
――妖の気配はとても薄い。そもそも、この空間も平安結界と錯覚させるほど穏やかだ。
満開の桜吹雪を除けば。
「軟弱の軟とは柔らかい、柔らかく弱い。
すなわち、弱きを知った上で柔軟に対応できるということ。
僕ら妖と戦う命を持つ貴族にはない感覚――君ならどうするか?
妖を滅するという使命の前に……わざわざ敵の懐で罠を読む。
その最中で影響を受けるのは、良策とは言い難いが――幻覚破りの案としては面白い」
一歩前に出る。
空を舞う式神は、巨大な桜を見つめ続けている。
肩に止まった八咫烏はじっと……次の指示を待つ。
「これは桜だ。先ほどで言えば、蓮。牡丹」
音を聞く。
姿を視る。
特に、桜と大差はない。
「だが、僕らは歌に香りを描く。
香りを聴くのが香と習う。
この甘い香りは――桜のものではない。
満開の花々、平安結界の中。
そういう香りだと、思い込んでしまう」
すう……と息を吸い込む。
「さあ、影響を受けよう。毒気……?そんなものはないさ。
彼らの動きは、その肉体に入り込む細い根が奪っていた。
ぶちり、と聞こえた音……それが妖の根がちぎれた音だ。
鎮痛効果のある樹液なら……さぞ珍重されるはずだよ、妖。
そして甘すぎる香り、濃い香り。歪なもの。
聴くべきは――その香りに隠した死臭。
この幻覚の質は簡単だ。在ると思えば在る。
無いと思えば無い……思い込みを操作して見せている」
視線を桜の根本に落とす。
「だからこうだよ。
桜の下に死体が埋まっている。
よく言うじゃないか、これは別の世界でも言うそうだ。
不審な桜や綺麗過ぎる桜に、いわく、をつけたい人間の感覚なのかもしれないね」
一歩踏み出し、見つめるのは周囲一体。
「そう思うように操作されている。
桜の下と思ってしまう。そうすれば、土の中。見えないもの。
だから認識できなくなる――。
平安結界に夢物語を混ぜた我々の責任かもしれないね。
不穏な出来事さえ物語にして暈し、結界を維持してきたのだから。
幻覚を解くには……平安結界であることを丁寧に否定しよう。
――ここは平安結界の亀裂の外。足元には、死体が散らばっている……!
桜ではなく、妖。
植物の形を取り、その根は周囲に広がるが……吸い上げるのは人の命。
踏み込んだものへと根を走らせ、食らう」
――言葉と同時に、周囲の景色が変質する。
荒れ果てた大地、滅びた村。
散らばる被害者の骸の山。
食い、肥えた……枯れた巨木のような妖。
花も葉もなく、太い幹に奇っ怪な枝。
蠢く太い根。おそらく……動くタイプの植物型。
そして、厄介なのは地中に張り巡らせた命を啜る細い糸のような根。
「それでは僕も本業と行こう。
貴族として妖を討つ、当たり前のことだけれど」
その言葉と同時に、春親は走り出す。
肩に止まった鴉は黄金の炎を纏って空へと飛ぶ。
「――」
平安の世では聞き慣れない言葉が編まれる。
その魔導書は銀の雨の世界の一節。
なぁに、覗き見しだだけだ。
彼が魔導書を解読するのを。
「八咫烏、同時に行くよ」
突き出した両手から、炎の魔弾が迸る。
陰陽の術ではない……これは魔術。
生み出された火炎弾が、まっすぐに妖へと飛ぶ。
熱風を纏いながら、枯れ果てた巨木へと炎が迸る。
が。
突如、その巨木周囲の土が盛り上がり、現れた太い根が壁のように立ちはだかる。
飛んできた火炎弾を受け止め、根は焦げるが……見た目と異なり燃えあがることはない。
鈍い音と共に、太い根を引き抜き……まるでタコが触腕で歩くような動きで"歩き"はじめる。
太い幹に、不気味な顔が浮かび上がり……まさに妖と言った見た目。
「次だ」
人差し指と中指を立てて魔術を詠唱するのは、普段の癖、かもしれない。
陰陽師じみた所作から放たれる炎の魔弾は再び妖へと飛ぶ。
妖の反撃、足元から飛び出る鋭い針のような根も、分かっていたとばかりに軽々しく避ける。
「オオ……ォォ……オオ……」
呻きのような声をあげながら、その妖は春親へと向かってくる。
幻術を破られ、根も当たらない。ならばその身で押しつぶす、と。
「そう来るしかない、そう思っていたよ。
さあ、討伐といこうじゃないか――」
両手を広げれば、何枚もの符が周囲でくるくると回る。
赤い炎を吹き上げながら。
「滅せよ妖――紅炎陰陽符!」
その言葉と共に、符は式神である八咫烏へと飛ぶ。
符は羽へと溶け込み――炎となり――紅炎の翼を形作る。
太陽から生まれる紅き炎の蛇のごとく。
八咫烏の周囲を火柱が生き物のようにうねる。
まるで炎神。
炎の翼の八咫烏は大きく羽ばたくと、一直線に妖目掛けて落ちてくる。
その速度は流星のごとく。
一瞬の出来事だ。
轟音。それは衝撃波を纏って。
閃光。それは光の槍のごとく。
そして爆発――業火の渦があたり一面を飲み込む。
収まった時……妖の姿は消え。
焼け焦げ、灰になり、消えゆく残骸だけが取り残されていた。
「……」
春親は何も言わず、その残骸を静かに見下ろす。
どうにも、修司の世界ではこのタイミングの発言は悪いことを引き起こす、らしい。
彼に毒されたか、と静かに笑みを作りながら、その仕事の完遂を確認した。
「ありがとう、八咫烏。もうしばらく待機していてくれ」
八咫烏は肩へと戻り、妖への警戒を続ける。
1体討伐したところで、ここは結界の外。いつ襲われるか分からないのだから。
「ひとまず、桜の妖自体の討伐は完了だね。
噂の場所がバラバラなのも、歩くから、と……」
そして……その目は、多くの骸へと向く。
「こうしない為に、僕らは戦っているはずだ……遅れて、すまなかった」
目を閉じ、骸へ声をかける。
生真面目に……一人、一人に。
報告の後、彼らは野ざらしではなく、家に帰れる……はずだ。
「……彼は、婚約したばかりの――」
見覚えがある男の骸がある。陰陽師であり、貴族。
家を継ぐ、ゆえに今後は師として弟子を取るという話だったはず。
駆り出されたのか、それとも……自らの責としてこの場へ赴いたのか。
静かに彼の目を閉じ……その生き様に自らを重ねる。
貴族は、妖を討つ戦士である。
その責務で命を失うなど、あたりまえのこと。
だが、家を守らなければ、貴族は貴族として続かず世を守れない。
「僕は戦うよ」
家を継ぐ身ではない。自らは妖を倒す者。だが、それも"継ぐ"こと。
世界を継いでいくために。
その覚悟を呟くと、静かに骸達に背を向ける。
報告や対処、結界の修復……やることは山のようにある。
修司の討伐した妖の事後処理や報告もある。
滅んだ世界であれ、そこは生きる世界で。
「生かす」のは彼らなのだ。
「ま――おつかれさん、かな」
異界のラフな言葉を、宇宙を覗く窓に呟きながら春親は歩き出す。
傷ついた男に肩を貸し、まだまだ終わらぬ仕事を片付ける為に。
成功
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