人の噂も七十五日とならず
●板間の硬さ
なんとも久方ぶりの感触であろうかと八秦・頼典(平安探偵陰陽師ライデン・f42896)は思う。
硬い板の上に己は座している。
階位を考えれば、それは考えがたきものであった。
少なくとも一段高い場所にて座すのが通例であるし、そうするだけの責務も負っている。しかし、目の前の獅子頭……おっと、八秦家に使えし筆頭、獅子戸・馗鍾(御獅式神爺・f43003)の目が頼典を貫いている。
眼力凄まじい。
式神とは言え、長年仕えたる気概とでも言えば良いのか。
「再三、わしはお伝えしておりましたな」
「なにを」
「おとぼけなされるな」
ぴしゃりと言い切られてしまう。
頼典は溜息を吐いた。だが、それ以上にでっかい溜息が馗鍾からこぼれて居住まいを正す。
なあ、と頼典はそろそろ足を崩していいかと問いかけようとしてやめた。まだダメだ。爺はまだ小言を言うつもりだ。
「いや、たしかに」
「何がたしかにでしょうや。如何に若が無類の女好きとは言え、あれだけ、あれだけ『永流姫』だけはおやめなされとお伝えしたのに!」
「仕方ないではないか。美しき姫にお目通り願うのは男子として当然のこと。それにほら、そのためにボクは今や従二位だ」
「だまらっしゃい!!」
びしゃ、と言い切られてしまう。
馗鍾は悔やんでも悔やみきれなかった。
あれだけ言い含めたというのに頼典は、それはそれはもう見事なまでに伸ばしては成らぬ高嶺の花へと手を伸ばそうとしていた。
そもそも口約束などを信用した自分が悪いのだ。
その結果がこれである。
今や八秦のお屋敷の周囲は物々しい雰囲気に飲まれていた。
「あの噂をどうするおつもりか」
「いやまあ、ボクなりに『皐月』殿との噂を払拭しようと奮闘したよ。けれど、どうしても京雀というのは自分の都合の良いように物事を解釈してしまうのだよ」
「人の噂も七十五日と申しますが」
「いやはや」
「いやはやでありますかい!!」
まるで雷鳴である。
それほどまでに馗鍾は怒り狂っている。いや、頼典のことを思えばこその怒りであろう。わかる。まあ、わかるのだが。
口うるさすぎやしないか。
頼典は頭上に降り注ぐ怒声に現実逃避を決める。
男装の麗人とは言え、『皐月』殿も眉目秀麗と言われるほどの才女であることに代わりはない。加えて、武芸百般と来ている。
うむ。
しかし、どうして異性とではなく同性との逢引が人気となるのやら、わからぬ。皆目検討もつかぬ。
むしろ、だ。
この噂が本当であってもよいのではないか。
『いけませぬ、八秦卿。私は……あっ』
とかなんとか。
良いのではないか? いつも男装である彼女が着飾れば、あの亜麻色の髪はよく映えるであろうと思ったのだ。
「喝ァッ
!!!!!」
おっと、凄まじい一喝。
「今、邪な考えを巡らせておりましたな」
「そんなことはないよ。いや、本当に申開きのしようがないと思っているんだよ。どれもこれもボクの判断が誤っていたという他ない」
「言葉ではどうとでも言えますな」
「おいおい、まるきりボクのことを信用していない様子じゃあないかい」
「むしろ、自らのこれまでの素行をお振り返りになさいませ」
手厳しい。
けれどまあ、紛れもない事実である。
どうにか『皐月』殿だけでも噂から逃れる手立てはないだろうか。
「ボクはどう思われても良い」
それは心のうちから出た真であった。
故に馗鍾はまた深い深い溜息を吐く。
クソデカい溜息であった。
馗鍾は思う。どうしてこう、若は幼き頃から火遊びが過ぎてどうにもならない事態になってから泣きついてくるのか。
まったく成長なされていない。
図体ばかりが大人になっても、こういうところはまるで変わらないのだ。
そして、同時に他者を思いやる心もまた。
絆された馗鍾は、自分もまたあまり代わり映えしないものだなと思い直す。
「だから、あれ程まで『永流姫』はなりませぬと申し上げました。良いですか、かの止事無き御方は、お会いすれば一目で尊き御方と知れるのです。故に」
「それはもう聞いた」
ですよねーと馗鍾は重い直した。
まあ、そう言って止まるようならば、頼典の出世街道もこうも猛烈な速度にはなるまい。
故に馗鍾は本当に本当に大きな溜息を吐き出す。
「だが、ボクも腹を決めたのだ。一つ、爺の知恵を借りたいのだけど、なにか妙案はないかな……?」
「その一瞥はおやめなされい」
「あるんだろう?」
そのために己の真意を引き出すような説教をしたことを頼典は理解していたのだろう。
昔からそうなのだ。
だからこそ、馗鍾には頼典も胸襟を開くのだ。
「たしかにどうしようもない噂を晴らす良き考えはあるにはあります……が、先程の言葉に二心ありますまいな?」
「くどいな。ないよ。これはボクの心に誓って」
「本当にどう思われても良いのですね?」
そのいつになく真剣な馗鍾の言葉に頼典は、ごくりと唾を飲み込むしかないのだった――。
成功
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