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【神英戦争】灰の雪が舞う空の下で

#ケルベロスディバイド #大祭祀ハロウィン #断章は本題のみ参考になさって下さい。閑話はおまけです

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#大祭祀ハロウィン
#断章は本題のみ参考になさって下さい。閑話はおまけです


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 燻る黒煙が、暗澹と視界を覆い尽くしていた。
 黒く歪んだ視界の元、高々と舞い上がった火柱が、赤い炎の舌を左右に乱暴に振り回しながら、激しく火の粉を爆ぜている。火災探知機がけたたましく鳴り響き、天井に備えつけられたスプリンクラーより水飛沫が上がっていた。礫片が積み重なり、崩れた石壁が散乱している。
 ほんの少し前まで、そこには安穏とした病院入口の光景が広がっていた。
 忙しなげに窓口業務に勤しむ事務員の姿があり、待合席に腰かけながら談話に耽る外来患者たちの姿があった。白衣姿の妙齢の女性が廊下を忙しなげに小走りし、老齢の女看護師が口を尖らせ、慌てふためく医師を叱責する場面も見受けられた。中天にかかった太陽は、天窓より荘重とした陽ざしを院内全体へと射しこみ、柔らかな光の綾でもって人々の営みを照らし出していた。
 穏やかな昼下がりのもと、ロンドン市郊外に所在する白大理石の病院は、平素と変わらぬ安穏とした時を刻み続けていたのだった。
 晴天の霹靂とでも言うべき赤い雨が降り注いだのは、大時計が十三時を告げて間もなくの事だった。どれほどのものがその異変に気づいたかはわからなかい。
 だが、無数の赤い花笠が蒼天の空を彩ったのだ。傘が開かれれば、紅い花弁がはらりと空を舞い、花弁の一片一片が、赤い尾を斜に引きずりながら、次々に白大理石の病院へと降り注いでいった。
 驟雨とも見紛わんばかりの、無数の光弾が病院へと流れ落ち、壮麗なクリーム色の外壁を土細工かなにかの様に破砕していく。外壁は瞬く間に崩落し、火の海がエントランスルームを飲みこんでいった。爆炎に煽られる様にして、人が一人、また一人とその場に倒れ込んでいく。
 院内全体に緊急放送が虚しく木霊していた。熱風や黒煙を吸い込み、咽ぶく人々の姿があった。崩落した石柱や石壁に押しつぶされて、ぴくりとも動かずに倒れ伏す者の姿が所々で散見された。
 焔と黒煙に包まれた地獄絵図の中、どこからともなく巨大な獅子が姿を現したのは間もなくの事だった。
 まるで神話の中から現実へと紛れ込んだかの様なこの夾雑物は、もがき苦しむ人々をよそに、焔の様に赤く燃えるタテガミを雄々しくたなびかせながら、一歩、また一歩と院内を進んでゆく。
 見開かれた黄金の瞳は、慈悲や感慨の光とは無縁に獰猛な色を湛えながら、ただ一点へと鋭い視線を注いでた。
 獣の視線の先に、蹲る一人の女の姿がある。白衣を纏った、黒髪の女だ。苦悶げに潜められた黒い眉の下、女の瞼は力なげに閉じられていた。そう、獅子は女を睨み据えていたのだ。
 突如、焔の獅子が口を開ければ、咽頭奥で何かが赤黒く揺らめきだす。
 そうして獅子の咆哮がエントランスルームに反響するや、獅子の口元で限界まで火勢を増した焔は、巨大な球体となって獅子の口元から解き放たれる。焔は轟轟とうねりを上げながら女へ迫る。しかし、まさに焔が女を飲みこまんとした瞬間、女と火球との間に人影が割って入った。
 すらりとした長身の女性がそこにあった。女は怯む事なく炎を見据えながら両手を広げる。
「沙耶――。あなたは私の…」
 しかし、発せられた今際の言葉は熱風にかき消された。火球は飛び込んだ人影を無慈悲に飲み込み、彼女を塵芥に焼灼するも、決して猛威を落とす事無く、蹲った女、姫川・沙耶を激しい焔の両腕抱きしめる。
 火球が姫川を包み込み、世界は爛れた赤色一色で塗り固められていく。

 窓辺からは青白い黎明の光が室内へと斜に流れ込んでいた。月光かそれとも未明時の陽光なのかは判別がつかなったが、エリザベスは悪夢と共に寝室のベットで目を覚ました。
 悪夢の中では、焔に焼き殺される無辜の人々と冷酷なる獣の姿があった。
 枕元のスマートフォンに手を伸ばし、恐る恐る電源ボタンを親指で一押しすれば、液晶画面に、50%充電済みの文字と共に朝3時03分の時刻が表示される。
 ただの悪夢だと、一瞬、現実から目を背ける。
 しかし。
 しかし――。
 グリモア猟兵の力が、自らが見た悪夢こそが間もなく訪れる最悪の未来の光景であることを突きつけていた。否応なしに現実感ある夢の内容が、早晩訪れる現実であると理解できてしまう。
 ならば動くだけだ。
 エリザベスは、ベットから起き上がる。長々とした早朝の儀式を殆ど省略し、朝支度を整えると、エリザベスは着の身きのままで自宅を後にし、グリモアベースへと直ちに出向する。
「皆、集まってくれてありがとう――」
 集った猟兵達を前にエリザベスはそう言うと、一瞬視線を落とした。手にしたスマートフォンは午前6時30分を告げている。時間的猶予を再確認し、エリザベスは安堵の吐息を零した。
「担当直入になってしまうのだけれど、さっそく、予知された事件について説明させて貰うね」
 小さく一揖して、さっそく説明を開始する。
「今から六時間後、ロンドン郊外の病院を敵デウスエクスが強襲する、そんな未来が予知されたの。派遣されたデウスエクスは星座獣レグルス、強力なデウスエクスでまさに力の象徴の様な存在よ。デウスエクス化によって病を克服する、そんな偽りの希望を難病患者に植え付けることで難病患者さん達のデウスエクス化をと狙っているみたい」
 エリザベスは一旦、言葉を切ると、指先を振り上げた。虚空に一筋亀裂が入ったかと思えば、一枚のスクリーンが空に象嵌される。明滅するスクリーンには、一頭の巨大な獅子と、獅子に立ち向かう様な形で両手を広げる一人の女性、更には床に蹲る白衣姿の女が映し出された。
「今、ロンドン市街はマン島要塞の攻略成功でお祭り状態なんだ。今、兵士の大部分は凱旋式の警備を担ってしまっていて、結果、防衛の優先度の低い郊外の病院は完全に守りが手薄な状態みたい」
 エリザベスは空中のスクリーンを仰ぐと、再び言葉を紡ぐ。
「蹲ってる人は、予知によればお名前は姫川さん。ケルベロスみたい。彼女を守る様にして両手を広げている女性は一般の方みたい。この二人は星座獣レグルスの放った炎に包まれて息絶えてしまう…。星座獣レグルスは唯一の戦力である姫川さんを取り除くと、病棟へと向かって行って、入院患者さん達を次々にデウスエクス化していく…そんな最悪な光景を予知してしまったんだ…」
 エリザベスは力なくそう言うと、小さく肩を落とす。
「皆にはこの事件が起こる前に病院に潜入して貰って、事件発生と同時にレグルスを倒して貰いたいの。まだ事件発生まで六時間強の猶予があるから、レグルス襲来に備えて、なるべく被害を抑えられるように病院の防御性を高めて貰いたいの」
 ぎゅっと下唇を噛む。そうだ。これから自分はあまりにも都合の良い事を頼もうとしている。そんな思いが幾分もエリザベスの口を重くしていた。
「ただ注意して貰いたい事があって。病院外での目立つ動きはなるべく控えてちょうだい?病院強襲前に状況が大きく変わってしまったら、予知の前提が覆えってしまうかもしれない。その場合、病院は救われるかもしれないけれど、他の場所に大きな被害が出てしまう可能性もあるから」
 矢継ぎ早に話を切ると、エリザベスはゲートを開く。
「酷なお願いになってしまうのは十分わかっているわ。それでもお願いしたい。病院へとレグルスを誘き出した上で、なるべく被害を減らして貰いったいの。どうかロンドンを守って?」
 今、彼我は一つに結ばれた。


辻・遥華
 オープニングをご覧頂きありがとうございます。辻・遥華と申します。
 舞台はケルベロス・ディバイド世界。イギリス、ロンドン市の病院にて、デウスエクス化を狙う『星座獣レグルス』との戦いとなります。
 今回は神英戦争の第四話となります。神英戦争は、全五話で第一部終了を予定しております。神英戦争を通して、登場人物/状況は前話までのものを一部引き継いおりますが、基本的には直接的な関係はありませんので、単発での参加を含め、ご自由にご検討下されば幸いです。
 以下、各章の詳細についての説明です。
●第一章
 レグルス強襲に備えて、病院内で待機してもらいます。外壁の補修を始め、自由に行動ください。施設の防御性を高めたり、レグルス強襲に備えて信頼できる人物を味方につけたりと動いてみてください。病院内では自由に動けますので、守りを固める以外にも医療従事者のお手伝いなどをしながら、時がくるまで自由にお時間を過ごしても大丈夫です。唯一、注意して貰いたいのはDIVIDEにこの時点で要請を行った場合は、状況をレグルスに察知されてしまい、結果、二章以降でかなり不利となる可能性があります。現時点では、猟兵以外の唯一の戦力はケルベロスである姫川・沙耶一人となります。ウィッチドクターと類似した能力を使用可能です。
●第二章
 レグルスとの戦闘になります。二章断章にて詳細お伝えします。ボーナス/NGなどは無く、要請など自由に行ってください。
●第三章
 戦闘後です。病院内でけが人が出た場合はその治療にあたってもいいかもしれませんし、職員食堂でなにかお食事でもいいかもしれません。
 以上となります。依頼達成必要な4名様~最大8名様を参加者として想定しています。人数を万が一、超過してしまう場合は、先着順で採用させて頂きます。
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第1章 冒険 『現地ケルベロスとの特訓』

POW   :    とりあえず訓練試合だ!

SPD   :    DIVIDE式地獄の訓練メニューを行う。

WIZ   :    技術交流、戦闘技術や魔法を教え合う。

👑7
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種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●本題
 朝八時半を告げる館内放送と共に重く下ろされた鎧戸が上がる。
 シャッターが完全に上がれば、院外に長蛇の列をなした外来患者らは、続々と病院のエントランスホールへと雪崩を打って駆け込んでいく。
 時は八時三十二分、未だ射しこむ朝日が柔らかな微光でもって、新緑芽吹く丘上の病院を柔らかに照らし出していた。
 猟兵達もまた、ゲートをくぐり、院外前に到着する。丘の上から眼下を見渡せば、古い寺院や新築の高層ビルとが混在するロンドン市街地がぐるりと一望される。これから訪れる変事など素知らぬ顔で、世界は穏やかに息をしている様だった。
 猟兵達はロンドン市街地を尻目にさっそく院内へと足を踏み入れる。
 猶予時間は四時間強、限られた時間の中で、今、猟兵達の静かなる戦いが始まる。

●閑話:灰と雪
 内田・真紀奈は姫川・沙耶の存在を出会った当初から煙たがっていた。
 苦手意識から始まった真紀奈の姫川に対する忌避感は、日が経つにつれて嫌悪や畏怖に近い感情へと変わっていった。
 そしてその感情は今は…。
 真紀奈は、日本のとある寒村で生まれた。人口一万人にも満たない、寂れた田舎村に姫川一家が越してきたのは真紀奈が地元の小学校へと入学した春の日だった。
 モデルの様なすらりとした長身の父と、着飾らないにも関わらず気品と美貌に溢れた母親、理知的で薔薇の花の様な笑顔を振りまく兄と、天使の様に愛らしい弟に囲まれて姫川・沙耶は、内田家とは通り一つ挟んだ山向いの区画へとやってきたのだった。
 田舎にとって突然の転校生とはそれだけで大ニュースだ。しかも、転校生はいかにも洗練された都会人である。
 小学校に上がるや、幼稚園の頃となんら変わらぬクラスメートの顔ぶれの中に姫川・沙耶という新鮮な異質点がぽつりと混ざったことでクラス内は浮足立ったのだ。
 姫川なんていう苗字の通り、沙耶は前髪を、ほっそりとした眉のもとで綺麗に切りそろえ、顎のラインを隠すように横髪を伸ばしていた。腰の中ほどまで伸びた黒のロングは、いつも優雅に風に揺られ、きらきらと輝いていた。
 左目下の泣きぼくろが、やや目じりのつり上がった、気の強そうな瞳とは対照的に沙耶に儚げな印象を与えていた。父親由来の潤んだ様な黒真珠の瞳に、母親譲りの澄んだ鼻梁、姫川ならではの蕾の様な桃色の唇とは、未だ六歳を迎えたばかりの一人の少女に、男泣かせな未来を確約している様だった。
 あくまでそれは未来にすぎない。
 訂正するとすれば、当時、異性に泣かされたのは、沙耶の方だったという点だろうか。
 十代以前の男子なんて、一部を除けば自由気ままに振る舞う小動物と変わらない。からかいを愛情表現と勘違いしてか、男子たちは田舎特有の作法で沙耶を揶揄った。
 不幸にも真紀奈のクラスには、都会の洗練された男子はいなかった。少年漫画特有の硬派なヒロイン思いの主人公も、少女漫画から出て来るような、主人公の女の子を庇ってみせる凛然としたヒーロも存在しなかったのだ。
 そして真紀奈にとって、人生最大の過ちとはクラス一番の悪がきの沙耶に対する仕打ちを前に、気づけば走り出し、あろうことか悪童を平手打ちにするに留まらず、殴って蹴ってと容赦なく男子生徒を叩きのめし、結果、沙耶の事を救ってしまったことだろう。
 この日を機に小学校一年生を迎えた初夏の日に、真紀奈と沙耶の奇妙な友情は始まったのだろう。
 真紀奈が驚いたのは、悪がきを懲らしめた翌日の朝の事だった。
 沙耶は、それまでのセミロングをばっさりと切って、真紀奈と同じショートに髪形を変えたのだった。服装もスカートからパンツスタイルへ、トップスは簡素なTシャツにと、それまでのフェミニンコーデを脱ぎ捨てて、あまりにもラフに過ぎる服装で学校に登校してきたのである。
 登下校が同じで、真紀奈と沙耶はいつも一緒に通学路を帰った。
 時に男兄弟と間違われるような事があると、沙耶は妙に喜んだもので、あの沙耶の眩しいばかりの笑顔を真紀奈は煙たくも、愛らしく眺めていたのだった。
 髪の毛を突然短くしたことは、沙耶の奇行の一端に過ぎなかった。
 沙耶は淑やかな外見にそぐわない行動で、真紀奈を驚かせた。なんにでも興味津々で、沙耶は真紀奈と二人きりの時には野イチゴを頬張ったり、冒険と言わんばかりに獣道を進んでいった。沙耶は冒険が好きで、空想を好んだ。
 しかも沙耶はただ真紀奈にのみ素顔を見せるのだ。学校内ではいつも静かに読書に耽っているくせに、下校道に付けば、一変して沙耶は喜々とした様子で色々な夢物語を真紀奈へと語って見せて、はしゃぎまわりながら野道を往く。
 沙耶の夢見がちな部分は別に嫌いでは無かった。ただ、行き過ぎた沙耶の感情の乱高下には当時から真紀奈はやや手を持て余していた。
 沙耶はいつも感情的に落ち着きがなく、些細なことでちょっとした癇癪を起した。
 まるで閉じ込めた心の中の鬱憤を吐きだす様に沙耶は、時にむしゃくしゃとした様子で小石を蹴ったり、また時にはあえて真紀奈を困らせる様な事を提案して、真紀奈の事を困惑させた。人懐っこく、繊細な癖に沙耶は反面で妙に怒りっぽかった。気まぐれで、恋愛対象もコロコロ変わったし、勉強なんてちっともしなかった。
 真紀奈が苦手だと思ったこの沙耶の性質は中学、高校と時を重ねる度に益々、顕著になっていったのを覚えている。
 それでも尚、二人で空想に耽る事が出来る沙耶との登下校の三十五分間が真紀奈は嫌いでは無かった。自由気ままに、時に自分を王子と言いはり、真紀奈の事を姫扱いし、沙耶もそれに乗って姫として振る舞う。気まぐれな沙耶だからこそ、彼女が描く夢想の世界は常識にとらわれておらず、真紀奈にとって心地よく感じられたのだった。
 小学校を卒業しても尚、真紀奈と沙耶の関係は続いた。十代前半が終わりに差し掛かっても尚、真紀奈と沙耶は空想の世界の中で生きていたのだ。
 当時の沙耶は、クラスメートにはただ顔が良いだけの同級生と映っただろう。事実、沙耶の成績はあまり芳しくなく、男子は相も変わらず、沙耶が勉強出来ない事を揶揄っていた。事実、学校の成績は、真紀奈の方が中学校入学時はずっと優れていた。
 しかし中学二年生の春、沙耶が突然、おそらくアニメに影響されてか錬金術師になるなんて謎の事を言い始めたのだ。それをきっかけに、沙耶の数学と理科の成績はうなぎ登りで上がっていった。
 沙耶はいつもそうだった。影響され易く、何かになると決めるとそれに真っすぐに突き進んでいくのだ。結果、中学校卒業時には、沙耶の学校の成績は真紀奈のそれに追いついていた。真紀奈は半ば感嘆を半ば嫉妬を沙耶に覚えていた。それでもなお、真紀奈は、やや短くなった沙耶との登下校の三十分の空想の世界に耽溺し、変わらずに自由の翼を広げながら二人で無邪気にこの時間を楽しんでいた。
 だが、高校に入ってからは全ては一変した。
 真紀奈は、地元の女子高を蹴ってあえて他県の私立に入学した。そして、沙耶も何故か真紀奈同様に同じ私学の高校へと進学したのである。沙耶は親の送り向かいで、最寄り駅を使わずに、主要駅まで往き、そこから乗り換えて高校まで往く。対して、真紀奈は地元の駅から乗り継ぎの末、高校へと通学した。必然、二人だけの三十分の空想の世界は消え去った。
 同じ地元からはるばる県外へと進学したのは真紀奈と沙耶だけである。自然、沙耶と真紀奈は周りから比較された。
 沙耶には美貌がある。その上、何かに集中したら突き進んでいく人並外れた集中力があった。
 一学年の時は対して二人の学力差は変わらなかった。だけれど、二学年目へと進んだ時には真紀奈の志望する医学部への合格判定はいつも決まってD判定、たいして、姫川・沙耶は模試では常にA判定を叩きだしていく。成績の差やクラスの中での人望とにより真紀奈と姫川・沙耶の距離は離れていった。
 姫川・沙耶は小学校卒業を境に髪形を以前のものへと戻していた。県外の高校には、小学校の頃の様な粗野な野生児の存在は無く、年頃の生徒らは誰もが姫川・沙耶を一種特別扱いしていた。
 真紀奈が密かに想っていた男子生徒もまたそうだった。彼が思い切って姫川へと告白したのは二年の夏のことだった。あの時、姫川・沙耶は、やんわりと彼の告白を断りながらも、真紀奈と二人きりの時に、男なんて無理...と冷たく嘲笑う様に言い放ったのを覚えている。あの時、真紀奈の胸の中で、なにかが決定的に変わってしまった気がした。
 三年生へと進み、冬が訪れ、センター試験が終わる。
 センター利用の結果が公表され、真紀奈が滑り止めで私立大学の入試に挑む中、センター利用で全ての私立大学を合格した姫川・沙耶は医学部受験に完全に意識を切り替えていたのだった。
 姫川・沙耶は真紀奈にだけ本音を話してきた。そして事あるごとに夢想の世界へと真紀奈の事を引きずり込もうと画策する。しかし、あの時の真紀奈には姫川・沙耶の言葉にかかずらう程の余裕は無かった。
 小学校時代にはやや戸惑い、中学校時代には煙たく感じられた姫川・沙耶の言葉は、高校時代の真紀奈には呪詛へと変わっていたのだった。もう、空想の世界で姫や騎士になれるほどの心の余裕は真紀奈には無かった。好きな男子に見初められたかったし、志望大学に純粋に進学したかった。人生という幹が充実しなければ、空想という枝葉にはなんら価値など無いと真紀奈は感じていた。
 降りしきる雪の日、学校の自習室にて姫川・沙耶が言った言葉と共に真紀奈は彼女との関係を断ったのだ。
 ―自分は医者になんてなるつもりは無い。夢は別のところにあるから、と姫川はなんら悪びれる事無く、真紀奈に言ってのけたのだ。
 それは真紀奈に対する慰めだったのかもしれない。当時、半ばノイローゼ気味になっていた真紀奈を慮った、姫川らしからぬ気遣いの言葉だったのだろうか。
 しかし自習室の机状に置かれたセンター試験の二枚の自己採点用紙を前にした時、真紀奈は姫川・沙耶の言葉をすんなりと受け止める事が出来はしなかった。
 一枚には姫川・沙耶の名前と共に八四十点という数字が、もう一方には、内田・真紀奈の名前と共に七百八十三点という点数が記載されていた。この厳然とした数字の差こそが、冷たい壁となって真紀奈と姫川・沙耶の間に立ちはだかったのだ。
 机一つを挟んだ二人の距離はあまりにも遠く、姫川・沙耶の倨傲な物言いは、むしろ真紀奈に決して繕う事の出来ない綻びを生み出したのだ。
 姫川は、真紀奈の好きな男性の告白を無下にしたばかりか、真紀奈の夢をるまらないものとして足蹴にしたのである。
 いつも沙耶の事を守ってきたつもりだった。真紀奈は姫川を嫌悪しつつも愛して来た。だけれど、もう限界だった。夢想の中に生きる姫川・沙耶と真紀奈は別の存在だ。
 真紀奈は姫川の風下であり続けたくはない。そして、夢の中で朽ちていきたくは無かった。
 だから、あの冬の寒い日に、真紀奈は姫川・沙耶と決別したのだった。あの日に、空想の世界はガラガラと音を立てながら崩れ落ちていったのだ。
 あれから十年と少しが経った。
 真紀奈はあれから薬学部へと進み、卒業と同時に籍入れして、現在の夫と共に英国へと渡った。
 夫はDIVIDE所属であった。真紀奈が語学堪能な事が幸いし、真紀奈は地元の病院で調剤業務に勤しんでいる。既に真紀奈は二児の母となった。
 もう姫川・沙耶は真紀奈の中で過去のものとなっていた。
 日々は充実していたし、夫の事も子供の事も愛していた。英国の気風も嫌いではなかった。
 しかし、二千二十四年の春、真紀奈の前に過去はやってきた。
 春の入社式で、真紀奈は日医師となり、英国へと赴任した姫川・沙耶と再会する。
 姫川・沙耶が志望大学の一つに合格しそこに進学したのは校内実績から把握していた。風の噂では、一応、国家試験を無事に合格したと聞き及んでいる。どうやら院内の同僚によれば、あの夢見がちな女帝は、ケルベロスに覚醒し、それを皮切りに英国へと移住、今はDIVIDE第三軍の医療部門所属下、医業に勤しんでいるという。
 姫川・沙耶は白衣に身を包み、人良さげに患者やスタッフに笑顔を振りまいていた。
 潤んだ様な黒真珠の瞳と、どこか物憂い気な泣きぼくろ、肩元で綺麗に切りそろえられた黒髪と、姫川・沙耶はなんら昔と変わらぬ姿でそこに存在していた。
 外見は変わっていなかった。なのに姫川・沙耶はまるで抜け殻の様に真紀奈には見えた。愉快そうに患者に笑いかけ、気さくに同期に話しかけながらも、彼女の瞳はどこか虚ろに揺らいでいる様だった。
 真紀奈は、姫川・沙耶を嫌悪していた。
 姫川・沙耶は内省的な癖に身勝手だ。おおよそ、人の心理を逆なですることを得意とする。八方美人な性格の癖に、信頼した人間の前では包み隠さず本心をぶちまける。いつも本人は夢の世界の中を彷徨っている。
 内田・真紀奈は姫川・沙耶を嫌悪している。
 だが、抜け殻となった姫川・沙耶の事を真紀奈はこれ以上、見て居たくなかった。どこまでいっても真紀奈は少女時代を抜け出すことが出来ない。
 真紀奈は沙耶の事を嫌悪する。しかしそれ以上に、放埓に伸びやかに生きる夢の住人のことを愛していたのだ。
 十年来に沙耶と再会した時、真紀奈にこみ上げてきたのは郷愁と思慕、そして悔恨の念であった。沙耶の事が苦手だった。いつも欲しいものをすべて奪っていく沙耶のことを幾度も疎ましく思った。
 だけれど同時に真紀奈は、そんな沙耶のことをいつも眩しく見つめていた。極めつけは、三十五分間の空想の時間だ。あの時間だけは紛れもない真紀奈にとっての人生の潤いだった。いつまでも沙耶にはあの世界の中で生きていて貰いたいと思った。
 ふと、小走りぎみにエントランスホールに白衣姿の沙耶が駆けてくるのが見えた。見れば、大時計は12時を指していた。平素と変わらぬ穏やかな午後の訪れを前に、真紀奈はかつてと同じ憧憬の眼差しでもってしばし沙耶のことを眺めながらも、あえて彼女とは顔を合わせる事無く調剤薬局へと戻ってゆく。
暗都・魎夜
【心情】
侵略に当たってただ襲うとか、基地作ってどうこうするってだけじゃなく、こういうやり方をするとはな
地球人のことをバカにするにも程ってもんがあるだろ
ここの人たちには、指一本触れさせるわけには行かねえな

【行動】
施設点検業者を装って潜入
「変装」「演技」「コミュ力」で点検に来た業者として接触する

簡単な手伝いなどを行い、現地の人の顔を覚えて信頼関係を構築

防衛施設の構造を聞いて不安のある場所を把握
避難経路も聞く
簡単に出来そうな修繕だったら「武器改造」技術で直したり強化しておく

姫川・沙耶と接触を取り、自分が戦力になることを認識してもらう
「以前デウスエクスとの交戦経験もあって、この仕事に就いたんですよ」



 病院エントランスホールを足を踏み入れれば、問診票や受付表を手にした外来患者が受付席を埋め尽くしていた。
 正面壁に備え付けられた大時計へと目を遣れば時刻は、時計の長針は盤上の6の数字を僅かに過ぎ、端子は八と九の中間点でゆっくりと時を刻んでいるのが窺われる。
 診療開始から十分足らずに関わらず、既に待合席は満員状態であり、エントランスホールは数多の外来患者でひしめきあっていた。
 暗都・魎夜(全てを壊し全てを繋ぐ・f35256)は、ゆったりとした青の作業服に身を包み、つばの深いこれまた青の作業帽子を深々と被っていた。肩元に担いだ作業道具を合わせれば、今の魎夜は誰の目にも点検業者のそれと映っただろう。
 魎夜は、エントランスホールに数多集った患者たちを横目にしながら、点検業者よろしく窓口係の事務員のもとへと向かう。
 受付席には、三十路くらいのスーツ姿の男が、背筋をピンと伸ばしながら椅子に腰を下ろしていた。いかにも生真面目そうな、目じりのつり上がった面長の男である。着こんだスーツには綻びの様なものは無く、スーツの下から覗かれた白のYシャツには汚れや皺などは勿論無く、新品同様にぱりっと乾いていた。
 事務員が、受付前に立つ魎夜を仰ぐ。
 どこか神経質そうな瞳が、魎夜へと向けられた。いかにも杓子定規といった様な挙止でもって事務員が魎夜へと会釈し、ついでこれまた、事務的な口調で魎夜へと尋ねる。
「業者の方でしょうか? こちらに記名をお願いします」
 言いながら、事務員の男が万年筆と共に入館記録用紙を魎夜へと差し出した。 
 対する魎夜は、快活とした微笑を口元に浮かべながら、万年筆を受け取ると、記録用紙の上で躍らせる。あえて崩れた筆跡で、偽名と偽の点検業者の名前を記載しながら、魎夜は持ち前の気さくさな微笑でもって事務員に尋ねる。
「なるべく患者さんのお邪魔にならないように清掃作業を済ませますんでね。そうだ、兄さん。ちょっと聞きたいんだが、避難口はどこだい? 最近は、緊急時に非常口が開かないなんてトラブルが多いみたいでね。まずはそっちから見てみたいんだ」
 磊落とした魎夜の様子に、生真面目そうな事務員が軽く咳払いするのが見えた。事務員は、左手で院内の見取り図を魎夜へと差し出すと、理路整然と院内について説明を始めるのだった。
「一階は東ナースステーションに一つ、西ナースステーションにそれぞれ一つづつ避難口は用意されていますね。こちらになります…。二階、三階も同様ですね。基本的には東、西のナースステーションの裏手に外に続く避難口が設けられています」
 事務員は必要なことだけを簡潔に応えると、魎夜を真正面からじっと見据えた。青々とした瞳は、落ち着き払った様に
見開かれ、感情のどよめきの様なものとは無縁に穏やかに凪いでいた。
 魎夜は続ける。
「おっ、それは助かるな。それじゃあ、西口と東口を主体に点検させて貰うぜ。それにしても今日は穏やかな春日だねー。少し前にデウスエクスの大群がロンドンを攻めてきたのが嘘みたいだ」
 魎夜が言えば、事務員がわずかに表情を綻ばせるのが見えた。感情の起伏に乏しい、三十路男の相貌に喜々とした微笑が浮かび上がる。
「本当にあの時はひやっとしましたよ。しかし…DIVIDEのおかげで市街は被害なく、おかげさまでこの病院も無事にすみました」
 朗らかに言い終えた事務員を前に、魎夜はここだと思った。魎夜は卓上にぐいと身を乗り出し、事務員へと距離を詰める。
「ははは、俺もあの時はロンドンで仕事をしててね。デウスエクスの強襲に備えて大忙しだったよ。外壁に大量のデウスエクスが押し寄せて来たろ? 本当にひやひやしたが、なんともなくて一安心だ」
 魎夜が言えば、事務員が首を縦に振る。どうやら掴みは悪くないらしい。更に多弁気味に魎夜は続けてゆく。
「そうだ? この病院はまだ真新しいみたいだけど、せっかくだから、気になる場所があったら教えてくれよ? デウスエクスの大規模な強襲はそうそう無いだろうけど、兄さんもあのロンドン市の戦いを陰で支えた一人だ。サービスでちょっとくらい、この病院補強しておくぜ?」
 魎夜は、鷹揚とした様子で片目を眇めてみせる。事務員の男が、慌てふためいた様に首を左右にする。
「いっ、いえ…。流石にそれは申し訳ありませんよ」
 やや声音を裏返しながら、事務員がそう言った。事務員は謹直な性向の持ち主なのだろう。それでも尚、隔意なく話す魎夜に対して、好印象を抱きつつある様だった。
 魎夜は、用紙の記入を終えると、万年筆を卓上に置く。入館時間に加え、偽りの名前とありもしない業者名が入館用紙には記載されている。事務員へと受付用紙を手渡し、魎夜は明朗と笑う。
「まぁまぁ、気にするなって。うちみたいな中小企業は信頼ありきだからね。兄さんはここで務めて長いだろう? 忌憚ない意見て訳じゃないが、気になる場所の一点や二点あるだろう? まぁ、上の人にうちの企業を薦めておいてくれればいいからさ。気にせず教えてくれよ」
 淀みなく言葉を紡いでいけば、生真面目な事務員が苦笑気味に視線を泳がせた。彼はしばし口を閉ざしていたが、ややあってより、視線を正面エントランス口に固定すると、もごもごと口を開く。
「そ、それでは、卒爾ながら甘んじて受け入れさせて頂きますね。この病院は、そもそもが防衛を念頭に作られたものでは無いのです。コスト面で大部分がカットされてしまったみたいで。ただ、あの入口両脇に」
 事務員が瞳を左右させる。視線を追い、魎夜が入口付近へと視線を注げば、エントランス口の左右の壁面には薄っすらとだが、魔術文字が刻まれているのが分かった。
「あの入口両脇にはもともとは対デウスエクス用のセンサーが搭載されいたんです。定期的に魔力を供給することで稼働するとの事なのですが、使われなくなって久しく、今では魔力供給もなされなくなっているのが現状です」
 うわづったような事務員の声がぼそりと魎夜の耳元で響いた。ふむと頷き、魎夜は事務員へと視線を戻す。
「オッケーさ。じゃあ、簡単に俺の方で点検しておくよ。まっ、備えあれば嬉しいなって言うだろう?」
 魎夜が微笑まじりにおどけてみせれば、間髪入れず、事務員もまた屈託のない様子で返答する。
「ははは、それを言うならば備えあれば憂いなしでしょ? ですが、細部まで点検頂けるのはありがたい限りです。上司に話を通しておくので、あとで点検の詳細な見積書を提出してくださいね。ご厚意に応えられるよう掛け合って見せますよ」
 ぱちりと事務員が左目を瞬かせて、目合図する。魎夜はひらひらと手を振り事務員に目礼すると、作業道具を肩に担ぎ、さっそく点検作業へと移るのだった。
 魎夜は用務員や清掃員などと軽く雑談を交えながら、院内をしらみつぶしに見て回る。勿論、事務員の言った通り、入口左右のセンサーはいの一番に点検し、簡単な修繕を済ませ、魔力を補填させた。これで、敵の奇襲に対して、迅速に動くことが出来るだろう。
 エンドランス付近の避難経路を確認し、更には一階、二階、三階のナースステーションをぐるりと巡る。
 病院の狭い廊下を進む度に、病室が現れは消えてを繰り返した。白壁に囲まれた病室一つ一つには、神経疾患を患った重症患者たちの姿が数多見受けられた。軽症のものは、看護師や作業療法士と共にリハビリテーションに勤しんでいたし、逆に重症患者は人工呼吸器などの生命維持装置に繋がれる事で辛うじて、命を保っている。
 多様な生がここでは営まれていた。
 いつ死ぬともしれぬ命があり、緩解に向けて努力する命があった。屈託なく笑う者もいれば、悲壮を露わにするものもいる。しかし、患者も医者も含めて、誰もが生きることを諦めてはいなかった。
 生に真摯に向き合う患者たちを前にして、魎夜は改めて敵デウスエクスの悪辣さに、軽い苛立ちを覚えずにはいられなかった。自然、靴音は荒くなり、わずかにだが頬が赤く上気する。
 戦士には守るべき矜持があると魎夜は考える。
 デウスエクスは侵略者であり人類の敵である。人の土地を蹂躙し、彼らの基地を作る。町々を襲い、人々を略奪する。グラビティチェインの不足に端を発した資源不足を解消のため、彼らは悪逆非道な侵略戦争という手段に訴えたのだ。勿論、魎夜は彼らの一方的な侵略を許すつもりは無かったし、戦争を正当化する侵略者の論理を是とするつもりは無い。
 しかし多くのデウスエクスは残虐でありながらも戦士として、一定の領域を超える事はなかった。彼らは暴虐で冷酷ながらも悪辣では無かったのだ。
 だが…。
 ふと魎夜が病室へと向ければ、ベットに横たわる、青白い顔の少年の姿が見えた。表情に乏しい少年は、ベットの上、虚ろな瞳で天井の一点を眺めていた。
 病室入口には少年の名前とともに、難病神経疾患指定を現す赤い薔薇の印が付記されていた。
 魎夜は、少年をまじまじと眺めつつも、ナイフの様な鋭さで心中に走った、得も言われぬ胸痛に必死に耐えながら、病室の前を通り過ぎて行く。
 三階病棟は、治療の見込みの無い、重症患者たちが数多存在するという。彼らは、今も尚、生と死の瀬戸際で必死に命を燃やしているのだ。
 あの虚ろな目をした少年もそうだ。
 彼は、身動きできぬ体で今も必死に呼吸をし、死と直面しながら、精いっぱいに生きているのだ。
 敵、デウスエクスは今、まさに死と直面しつつある者達の心の隙間につけこみ、デウスエクス化をほのめかすのだ。彼らは弱り切った者達に偽りの生をちらつかせることで、患者たちの精神汚染し、自らの意のままに操る尖兵へと存在そのものを貶める。
 命の尊厳までも弄ぶ、そんな彼らのやり方に魎夜は、得も言われぬ憤懣やるかたなしと、義憤を燃やしていた。
 握りしめた拳の元、指先が深々と掌に食い込んでいた。噛みしめた下唇がじんわりと熱を持っていた。
 魎夜が三階病棟を進んで行くに従って、病室が後方へと過ぎ去って行く。現れては消えていく病棟内の患者たちは、老若男女問わず、誰もが命の灯を必死に燃やしている。
――ここの人たちには、指一本触れさせるわけには行かねえ
 誰も殺させはしない。ましてやデウスエクス化などという、ふざけた事を許すつもりは更に無い。
 三階病棟を抜け、ナースステーションを巡り、魎夜は三階奥まで一気に進む。既に病室は無く、長廊下の先、箱形の小さな一室が姿を現した。
 入り口前に立ち、事務員から手渡された通行用のアイディカードを入口壁のカードリーダへと射しこめば、入口扉が口を開き、機械類や書籍棚に埋め尽くされたこじんまりとした一室が魎夜の視界に飛び込んでくる。
 キーボードをタイピングする軽やかなタイプ音や、CT装置などの稼働音が室内からは絶えず鳴り響いていた。放射線部と呼ばれる一室は、病院全体から独立したかの様な様相でそこに佇んでいた。
 そこには患者の姿は無く、物々しい機械類が、青い制服に身を包んだ技師たちの手によって操作されていた。
 ふと魎夜の鼻腔に珈琲豆特有の風雅な香りが漂ってきた。匂いの出所に目を遣れば、一台のモニターに向かい合う様な恰好で、必死にキーボードをタイピングする白衣を身に纏った女の姿が見受けられた。
 櫛比の様に額を埋め尽くした黒の前髪が、液晶画面からの白色光を受けて黒々と輝いて見えた。奥二重の黒真珠の瞳が真剣そうに見開かれており、そこからは忙しなげな視線が、液晶画面上へと絶えず注がれていた。肩にかかった黒のロングは体の起伏に合わせて、胸元から腹部へとゆったりと落ちていた。
 グリモア猟兵より聞き及んだ姫川・沙耶の姿がそこにはあった。卓上に置かれた珈琲カップからは白い湯気が上がっている。
 どうやら、魎夜の存在に気づいたのだろう。沙耶の黒々とした瞳が、魎夜のもとへと向けられる。どこか不思議そうに見開かれた瞳のもと、安穏とした視線が魎夜へと注がれた。
 魎夜は被った帽子を外し、深々と沙耶へと頭を下げる。
「どうも、点検業者のものです。あなたが、姫川・沙耶先生ですか?」
「えぇ、放射線部の臨時部長の姫川です。どうされましたか?」
 喉奥にくぐもった余韻を残しながら響く、沙耶の声が返ってきた。魎夜は、周囲の技師に気づかれぬ様に沙耶の耳元まで近づくとそっと耳打ちする。
「姫川先生…。あまり大きな声では言えないんだが、デウスエクスがこの病院を襲う可能性があるんだ。先生には万が一の時には敵と戦って貰いたい。俺も力は貸すつもりだけれど、正直、この病院はDIVIDEの守りが手薄にすぎる。少しでも多くの戦力が必要だ」
 魎夜が単刀直入に、かいつまんで状況を説明すれば、ただでさえ大ぶりな沙耶の黒真珠の瞳が、仰天がちにますます大きく見開かれるのが分かった。一瞬、沙耶は動揺した様に伏し目がちに卓上に視線を彷徨わせたが、すぐに顔を上げると小さく相槌を打つ。
 流石はDIVIDE所属のケルベロスといったところだろうか。話が早くて助かる。
 魎夜は、声を潜めながら、沙耶に概略を伝えていく。沙耶はただ静かに魎夜の言葉に頷きながら、一言、一言を彼女なりに咀嚼している様だった。
 すべてを話し終えたところで、魎夜は一度力強く頷いてみせる。沙耶もまた、半ば驚愕した様子ながらも、覚悟は決まったようで、神妙な面持ちで首を縦にふった。
 魎夜は沙耶に背を向ける。そうして、肩越しに手を振って放射線部を後にしようとすれば、突如背中越しに魎夜の声が響いた。
「な、内容は了解しました…。でも、あなたは一体…? ただの業者の方とは思えません」
 沙耶の声に促される様に、魎夜は首を半ば傾け、沙耶へと目を遣った。にやりと口端をつりあげながら、沙耶に応える。
「以前デウスエクスとの交戦経験もあって、この仕事に就いたんですよ。ただの一般業者のものですよ」
 魎夜は端的に言い放つと、目を丸くする沙耶を尻目に、放射線部を後にして再び長廊下へと舞い戻った。
 大時計は、午前十時五十分を告げている。あと二時間強に迫った戦いを前に、魎夜は一人、一階へと再び歩を進めていくのだった。
 誰一人として傷つけさせはしない。命は勿論、人の心さえもデウスエクスに弄ばせるつもりは無い――、そう決意しながら、魎夜は次なる戦いへと備え、英気を蓄えるのであった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ステラ・スターライト
今回はたまたま予知できたけど、レグルスが標的を変えたら次も予知できるとは限らない。
確実にレグルスを呼び込み、ここで倒す。
そのためにはこちらが待ち構えていることが外に漏れてはいけない。
それはつまり、この病院の人達を囮にしなくてはいけないということ。

だからこそ。
一人たりとも犠牲者を出したりしない――!

時間はあまりない。
病院の構造を教えてもらったり、レグルスが来たときにDIVIDEとして病院内を統率してもらうため、姫川さんに現在の状況を包み隠さず伝える。

予知にあった無数の光弾を防げるように病院内を《結界》で満たす。
今はまだ病院の中だけ。
レグルスが来た瞬間、範囲を外壁まで拡大できるよう準備しておく。



 病床で見悶える一人の患者の姿があった。辛うじて手足を動かすことのみが可能な彼は、ばたばたと身を捩らせながら、必死に四肢を体動させ、声にもならないうめきを上げている。
 簡素に作られたベットが、患者の苦痛を伝えるかの様にぎしぎしと軋みを上げていた。青年の手にしたナースコールからは笛音の様な異常音が鳴り渡っていた。青年のもとへと看護師たちが足早に病室へと駆けこんで来る。看護師たちが必死の形相で、青年の手足を抑え、静脈注射にて鎮静を促すのが見えた。
 ステラ・スターライト(星光の剣・f43055)は入院患者の家族を装い病棟内へと進み、看護師に案内されるままに第三階まで至った。
 ステラの目的とは院内における唯一の戦力であり、DIVIDE所属員である姫川・沙耶医師との接触にある。事前に調べた情報によれば、姫川医師は現在は放射線部の臨時部長を務めているということであり、故にステラは彼女に協力を要請するべき、三階病棟の長く細い廊下先の放射線部へと歩を進めていたのである。
 左右から迫る病院壁が狭く、細長い廊下を形成していた。ステラは、看護師にしがたい、半ばまで長廊下を踏破していた。ちょうど、一般病棟が途切れ、難病指定病棟に足を踏み入れた折、左方の病室にて一人の患者が急変を起こし、偶然にもステラはその光景を目の当りにしたのである。
 ベット上で痩身の男が、苦悶げに顔を顰めながら痙攣した様に手足を震えさせていた。振戦と共に、男の指先がわなわなと枯れ木か何かの様に震えていた。げっそりと痩せた、土気色の相貌のもと、落ち窪んだ瞳がぐるりと白目をむいているのが遠目ながらに伺われた。
 ステラを案内していた看護師は既に患者の元へと駆け寄り、患者が舌を噛むのを防ぐ様に口元にタオルを挿入し、男の事を抑えていた。看護師を中心にして、医師と思しき男が口早に周囲のスタッフに指示を飛ばし、皆が皆、洗練された挙止でもって男の治療に取り掛かっていた。
 ステラは傍らから病室内を眺めつつ、一人、固唾を飲んだ。
 今、医師らスタッフを始め、青年は必死に病と闘っているのだ。自分はなにも出来ない。だが、ステラは必死に医師を、看護師を、そして青年を応援した。熱い眼差しを青年へと向ける中、ふとステラは患者の青年に親近感の様なものを覚える。
 自分と青年では姿形は全く異なる。にも関わらず、男をまじまじと見つめるにつけ、ステラは否応なしに過去に思いを馳せずにはいられなかった。
 男を見ていると否応なしに背中に硬いベットの間隔が蘇った。白い天井と白壁に囲まれた無味乾燥な病室が、ステラの良く知るそれとなんら変わり映え無い無機質さでもって今、目の前に広がっている。
 かつてのステラは液晶画面を食い入るように見つめながら、GGOの世界に没入していた。
 ステラもかつては、寝たきりの生活の中に身を置いていた。自由にならぬ体故か、ステラは自らの生の意味について常に思索していた。そして、そんな反動故か、ステラは自分の生きる意味を、GGOが用意した電脳世界の中に見出したのである。
 液晶画面に映る1と0とで構成された世界の中でならば、ステラは走り回り、魔の眷属を一刀のもとに伏す事が出来た。無辜の民を救い、そして勇者として生きることが出来たのだ。
 だが、GGOが用意した世界とは、仮初の逃げ場にしか過ぎない。その事実に気づいた時、ステラは猟兵として生まれ変わったのである。
 そして、ステラが救うべき、生の人間は今、目の前に数多、存在している。
 青年を始め、医師や看護師といった病院スタッフ、更にはこの病院に入院する全ての患者こそがステラの守るべき対象である。
 病室内の急変患者はどうやら峠を越えたようで、手足の震えは収まり、上転していた眼球は今は正常位にて落ち着きを取り戻しつつあった。激しく上下していた肩元は、今は穏やかに微動するにとどまり、金切り声は鳴りを潜めている。
 ステラは、ここまで自分を案内し、今は患者対応に当たっている看護師へと一礼すると、人知れず白壁の長廊下の先まで進み、通路突き当りの放射線部まで一気に駆け上がった。
 通路の先の袋小路には、電子ロックされた自動ドアが鎮座している。ドアを叩こうとしたステラの手が一瞬、止まる。 青海の様に澄んだ濃紺の瞳に、一瞬、逡巡の色が浮かび上がった。
 ステラは予知に従い、これより病院へと星座獣レグルスを引きずり出し、討伐する。
 覚悟はある。人々を守るという強靭な意思もある。だが、レグルスを病院へと呼び出す以上、戦いの中で入院患者や病院スタッフに犠牲者が現れる危険性は常に伴った。
 予知は精確であるが、絶対ではない。予知とは、流動的に流れる未来の中で、支流の一つを読み取ったものにしか過ぎないのだ。
 仮に予知の前提を崩しかねない行動にステラ出た場合は、予知は容易に崩れ、別の未来が顔を覗かせる。
 ステラが今、病院のものすべてにレグルス襲来について話すなりし、DIVIDEより部隊を要請すれば、病院は完全武装にて万全の態勢でレグルスを迎え撃つ体制を整えることが出来るだろう。
 だが仮に、そんな短慮にステラが走れば、現在の予知は書き換えられ、結果、レグルスの病院襲撃という事件自体が無に帰す公算さえありえるのだ。そうすれば病院は犠牲を出す事なく救われるだろう。しかし、反面でその鋭い矛先はまた別の被害者へと向けられる可能性が高い。
 しかも余地が変わった場合には、ステラたちはレグルスの凶行が何処で行われるかを知る手段も失うのだ。
 ステラは、この病院の全ての人を守ることを望む。いや、院内の者だけでは無い。自らの手が届く、多くの人々を守る剣でありたいと強く願っている。
 だが、多くを守りたいと願うが故に、ステラは、予知の通りに病院へとレグルスを誘い込む事を余儀なくされた。それはつまり、この病院の人々を囮にしなくてはいけないということを現実を意味する。
 一瞬、掌が震えた。目の前の自動扉が厳しげな面持ちで佇んで見えた。
 もしも、今、叫びを上げ、敵の襲撃を告げるなりすればどれほど、心が軽やかになるかとさえ感じてしまう。
 だが――。
 いや、だからこそ、ステラは十全の備えを施すためにここに決めたのだ。
 誰一人として犠牲者を出さない。そのために、この病院における唯一のDIVIDE構成員である姫川・沙耶のもとを訪れたのだ。
 拳の震えが収まった。自らの前に横たわる自動扉は、急激にその性質を変えてゆき、もはや障壁たりえない、ただの一枚の薄い金属製の扉へと変貌する。
 拳で金属扉をノックすれば、軽い叩打音が周囲へと響き、ついで、扉越しに柔らかな女性の声音が響いてくる。
「こちら放射線部ですが、患者さん…かしら?」
 やや低音な女性の声だった。
 声の主が姫川・沙耶のものだろうと、なんとなしに推測された。ステラは直ちに声の主に返答する。
「姫川さん…。姫川・沙耶さんですよね。少し、お話ししたい事があるのです。私は、ステラ。ステラ・スターライト。火急の要件につきまして、まずは扉を開けていただませんか?」
 ステラが答えれば、即座に目の前の自動扉が開かれ、黒髪の女性が姿を現した。白衣の胸ポケットに括りつけられた職員証には姫川・沙耶との名前が付記されている。
 ステラがじっと姫川を見据えれば、姫川・沙耶もまた神妙な面持ちで小さく頷いてみせる。沙耶の憂愁さを湛えた、薄いルージュの唇が蕾を開く。
「実は別の方からも簡単にお話しは聞いているの…。デウスエクスの件でよね?」
 沙耶はきょろきょろと左右を伺いながら、声を忍ばせ、ステラに言った。ステラもまた沙耶同様に声量を落とし、耳打ちする様に沙耶へと伝える。
「それなら話は早いです。無用な混乱を抑えたいので、まずは姫川さんにだけお話しますが、間もなくデウスエクスがこの病院へと襲来します――。つきましては、姫川さんの力を貸してください」
 ステラははっきりと沙耶へと伝える。打てば響く様に沙耶が首を縦に振るのが見えた。
「勿論です。いえ、むしろ、私が率先して守らなければいけないのですから」
 はにかむ様に沙耶が微笑むのが見えた。人好きするその笑みに、つられてステラも微笑する。
「ありがとうございます、姫川さん。私が…絶対に病院は守ってみせます。そのためにも病院の構造を詳細に教えてもらいたいんです。今から…」
 言いながらステラはぎゅっと掌を握りしめる。
「――私が病院内の隅々まで結界を張りめぐらせます。特に緊急用の避難路だったりは、念入りに守りを固めたいんです」
 既にユーベルコードを発現すべき奇跡の力は体内にて限界まで高められていた。まるで潮が満ちていくようにふつふつと高まっていく力にステラは一つの形を与えていく。そう『光の加護』と呼ばれる、ステラのみが使役可能なユーベルコードだ。
 ステラは『光の加護』により得られた祝福の加護により、自らが展開する結界術の防護性を最大限まで高め、病院全体を加護する事を決心する。
「ステラ・スターライトさんでした? どこの方かは存じ上げませんが、非常に助かります。分かりました。私もこの病院には赴任して日は浅いけれど…DIVIDEの一員として、微力ながらお役に立たせて頂きますね。実際に今から二人で院内を回りましょう?」
 沙耶は、ステラへと答えると、放射線部のスタッフの一人に早めの昼休憩を取ることを伝えると、ステラと共に放射線部を辞去した。
 二人は直ちに三階をぐるりと巡り、その後階下へと進み、一点、一点と敵襲撃時に死守すべき地点を仔細に見て回る。
 最初に沙耶あ強調したのは、やはりは難病指定の三階病棟だった。そこには生命維持装置に繋がれた患者が多く入院しており、身動きが取れないものが殆どだった。敵デウスエクス襲来時に、間違いなく狙われるだろうということで、沙耶はそこを最大の重要防衛地点と定めた。
 次いで、沙耶は病院内の電力一般を支える電力室、更に、ナースステーションの裏手に設けられた非常階段の順番で守るべき優先場所をステラへと伝えていく。
 ステラは沙耶と共に院内を実際に回りながら、ユーベルコード『光の加護』を発動させ、一点、また一点へと結界術を施していった。その中でも姫川が説明した地点には、重点的に幾重にも結界術を施す。
 そうして病院内を全て回り、一階のエントランスルームに再びステラが舞い戻った時、ホール中央の大時計がけたたましく鳴り響くのが聞こえた。
 ステラが大時計を見やれば、時は正午を告げている。
 凡そ、敵の襲撃まで残すところ一時間強といったところだろう。ステラは、安堵のため息を零しながら、同行した沙耶へと謝意を示すと、レグルス到着時に、沙耶の取るべき行動に関して簡単な指示を伝えてみせた。沙耶は、ステラの指示通りに、足早にエントランスホールを後にすると再び、緊急時の準備に取り掛かるのだった。
 為すべきことを全て終え、ステラは残す時間をレグルスの襲撃予定地であるエントランスホールで過ごす事を決めた。
 ふと窓外を眺めれば、院外に群生する緑の隙間を縫うようにして木漏れ日が一条、二条と院内へと射しこんでいるのが見えた。青空には、白雲がいくつかかかっていたが、未だに異変の様なものは見受けられなかった。
 徐々に濃密さを増していく陽光を浴びながら、ステラは敵との邂逅の瞬間を待つ――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

月隠・新月

連携〇

弱った者が狙われるのは世の常ですね。だからといって、敵の蛮行を見過ごす理由はありませんが。

病院には【霧重無貌】を使って身を隠しながら入りましょう。病院内にオルトロスがいては、どうしても多少目立ちそうですから。誰かと話すときは解除する必要がありますが。

この病院の方々にはある程度状況を伝えて、敵の強襲に備えていただきたいのですが……誰に話すのがよいか俺では判断できませんね。現状では大勢に伝えるわけにもいきません。
まずはケルベロスの姫川さんに会いに行って、状況を伝えると共に、病院内で特に信頼できる人物を教えてもらいたいですね。
教えていただけたら、敵襲に備えるようその人物に伝えに行きましょう。



 朧の魔力で紡いだ不可視の衣越しに、射しこむ柔らかな日差しが、月隠・新月(獣の盟約・f41111)を絹の柔らかさで包み込んでいた。
 病院のエントランス口に立ち、やおら銀白の瞳を細めながら天を仰げば、穏やかな光の雨が天窓より絶え間なく院内へと降りそそいでいるのに気づく。
 『朧の帳』、視覚、嗅覚を遮断する一枚の帷帳で全身を包み、完全に外界から身を隔絶させても尚、昼頃の陽光は、弾力のある繊細な指先でもって新月の体を優しく撫ぜていた。
 光は天井から小川の様な一条の筋を描きながら、乳白色の床の上で反射し、白いタイルに光の綾を刻んでいた。天から差し込む光と、地上から照り返す反射光の二色の白光の協奏のもと、エントランスルームは、眩耀の輝きを帯びながら煌めている。
 重苦しく鳴り響く鐘の音色が新月のピンと突き出た耳介を揺らしていた。鳴り響く、荘重たる鐘の音色は、既に時が十二時をわずかに回った事を改めて新月に知らせていた。
 今や昼食も近いというのに、エントランスホールの外来患者たちは途切れることなく、事務員を始め病院スタッフ達は忙しなげに、患者対応に迫られている姿がそこかしこで伺われた。
 エントランスルームは、診察室から戻ってくる患者たちと外から駆け込んでくる患者たちとで、昼時と言うのにごった返している。
 病院とは、心身いずれか、もしくはその双方が弱った人間を治療する場に当たる。健常なオルトロスの自分が、堂々と病院に足を踏み入れたのでは存在自体を怪しまれるだろうと危ぶみ、新月は、あえて朧の帳で自分の体を隠して院内を訪れたのだが、改めてその選択が正しかったことを思い知る。
 目の前のエントランスルームには、なにかしらの病を患った人々しか存在しない。歓談に耽る者もあれば、落胆したように肩を落とす者の姿もあった。
 酸素用鼻カニューレで呼吸する老婆が、咳嗽まじりに柔和に微笑んいる姿が見えた。隣席では、十代前半位の肥満体系の男の子が、分厚い布マスクで鼻から口を隠しながら興味津々といった様子で老婆の話に頷いている姿が確認された。腰の曲がった老人や、やつれた顔の壮年の男性の姿があった。皆が皆、共通していたのはなにかしらの病に罹患しているという点だ。流石に自分が新月が院内に素知らぬ顔で現れたら、誰もが違和感を持つだろう。新月は苦笑まじりにそう状況俯瞰する。
 ここには弱った者が数多存在するのだ。そして、弱い者を狙うというのは強者にとっては最も効率的な戦略であり、自明の理でもあると言えた。
 つまりデウスエクスという侵略者が、彼らの兵の供給源としてこの病院の病める者達に目を付けたというのは、ごく自然の成り行きとも言えた。
 最も、その自然な選択を快く思うつもりも無ければ、敵の蛮行を黙って見逃すつもりも新月には無かったが。
 合理性と効率性のみを優先して動くのはいかにも獣らしい行動原理だと思う。流石は、百獣の王の姿を模した、星座獣レグルスらいしい選択と言えるだろう。
 最も――。
 新月は再び、ぐるりとエントランスルーム内全体を見回せば、やはり数多の患者の姿が視界に飛び込んでくる。懸命に生きんとする人間たちの姿がそこにはあった。誰もが病を抱えている。だが、故に皆が皆、限りある生の中で命を輝かせている。
 新月はディバイド世界に根ざした猟兵であり、ケルベロスである。一般市民を救うのは当然として、デウスエクスの野心や行動を阻止するのは当然の事とする認識がある。
 だが患者たちを前にした時、人々を守りたいという一心でデウスエクスと戦う猟兵やケルベロスの気持ちがなんとは無しに新月にも理解できる様な気がした。
 新月は、患者たちを一瞥すると、そのままエントランスルームの一点へと音も無く、歩を進めていく。大時計の下、鋭利な顎元に手を添える白衣を纏った女の姿がある。左目下の下瞼に浮き出た泣きほくろが、白い肌の中で濃淡を鮮やかに際立たせていた。
 開け放たれた窓際から吹き込む風が、女の横髪をさらさらとかき乱している。乱れた横髪を掌で押さえながら、女はその黒真珠の瞳を階上へと向けている。グリモア猟兵の予知によって示された姫川・沙耶であることは間違いない。
 新月は、まるで霧かなにかの様に、患者たちの間を縫うように進み、姫川その人の前まで音も無く躍り出た。そうして姫川がエントランス口を後にして、二階への階段付近まで歩を進めたところで『朧の帳』を解き、さっそく後方より姫川へと話しかける。
「姫川・沙耶さんですね――」
 背中越しに突き刺さった新月の言葉に、姫川の東洋人女性にしてはやや幅広な肩元がぴくりと震えた。くるりと姫川が後方へと振り返れば、新月の銀白の瞳と姫川の黒真珠の瞳とが直線状で視線を交錯させた。
 新月は顎元を僅かにひいて、軽く頭を下げると会釈の挙止を取る。
「失礼しました。健常なオルトロスが、病院にというのも周囲を不安にさせてしまうと思い、姿を隠してあなたに近づいた次第です。まずはそのことをお詫び申し上げます」
 抑揚のない、凛とした新月の声が長廊下から二階へと続く踊場へと木霊して消えた。反響しながら消えていく新月の言葉を横目に、病院スタッフがけたたましく階段を上り下りしていくのが窺われた。
 病院スタッフは、患者を乗せたストレッチャーをがらがらと引きずりながらオルトロスの新月になんら注意を払うことなく、彼方へと消えていく。
 新月の言葉に、姫川がゆっくりと頷いた。それを合図に新月はまくし立てる様に言葉を続ける。
「そしてご無礼を重ねるようで恐縮ですが、時間がありません。単刀直入に本題に移らせて頂きますね、姫川さん?」
 新月は事務的に言った。自己紹介も無しに早急に本題に移るのは趣も無ければ、やや礼儀に欠ける気もしたが、思いのほか、姫川・沙耶本人は気にかけていない様子である。あっけらかんと言った様子で姫川が口を開く。
「えぇ、あなたもDIVIDE所属のケルベロスなのでしょう?すでに一名。いえ、二名かしら? デウスエクスの襲来に備えて、院内へと救援に駆けつけてくれた方がいらっしゃるの。なんとなく事情は聞き及んでいます」
 ふむと、新月は納得顔で頷く。なるほど、自らに先行して院内へと訪れた者がいたようだ。おぼろげながら、院内全体から魔力の波動を感じたが、おそらく友軍が既に結界なりで院内を包んだのだろう。となれば、姫川医師もそれなりに状況を理解しているのだろう。
「凡その状況を理解されているというのはこちらとしてはありがたい限りです。俺は新月、月隠・新月です。前後してしまいましたが、どうかお見知りおきを」
 新月は端的にそう告げて言葉を切った。ざっと周囲を見渡しながら、脳裏でこれより自らが取るべき行動を模索する。既に結界が張り巡らされているのが窺われた。また病院入口周辺の魔術センサーにも魔力が注がれているのが分かる。施設内の備えは十全である。となれば、後は、敵強襲時に患者たちを避難させるためのマンパワーを確保する事、更には円滑に患者たちを避難させるための体制を築くことが求められる。
 となれば、人員と、緊急時の実質的な指揮官の存在が最優先で求められる。
「この病院の方々にはある程度状況を伝えて、敵の強襲に備えていただきたいのですが……院内で、特に信頼できる人物はいらっしゃいますか? 」
 新月が尋ねれば、姫川が即座に頷いた。ふっくらとした薄紅色の唇が開かれ、白い歯が顔を覗かせる。
「それなら、実質的に病院を統括している外科部長のエヴァンズ医師が…」
 途中まで、言ったところでピタリと姫川が口を止めるのが見えた。姫川は最後まで言いきらずに言葉を切ると、力無げに俯いた。姫川は、伏し目がちに視線を床上でうろつかせながら、しばらくしてから顔を上げる。姫川が訥々と語りだすのだった。
「新月さん――、心当たりはあります…。ただ正直、院内で大役に就いているわけでは無く、信頼できるというのも私の見立てでしかない…それでもエヴァンズ医師より頼れる人物が一人だけ」
 姫川の言の葉は、躊躇いとも焦燥とも似た響きを湛えながら、わずかに震えて聞かれた。それでも尚、彼女の黒真珠の瞳に当初浮かんでいた逡巡は、確固たる意志の光へと形を変えつつあるように新月には見えた。新月の応えは既に定まっていた。
「デウスエクスの襲来を想定していますからね。既存の地位などは意味を成しません。地位や役職に捉われる事無く、忌憚ない、DIVIDE所属員としてのあなたの意見を聞かせて頂ければと思います」
 新月が言えば、姫川がどこかもどかし気に唇をぱくぱくと開閉させる。うわづったような姫川の声が響いた。
「内田・真紀奈…。薬剤部の職員です。その…間違いなく、信頼できると思う」
 歯切れ悪く語る姫川を前に、新月はあえて返答するのを止め、姫川の真意について黙考する。一瞬、二人の間に静寂が漂った。互いに口も開かずに佇む中、姫川が再びゆっくりと口を開く。
「真紀奈を巻き込みたくはない。だけど、あの子は勇敢で優しくて――、私の…」
 姫川は新月へと視線を向けながらも、心ここにあらずという様に、ぽつりと呟いた。
「ふむ…」
 姫川の言葉には未だ納得がいかない部分が多いというのが正直なところだった。彼女は核心的な事は何も語らずに、心象だけで内田・真紀奈という女性を新月に薦めてきたように見えたからだ。
 半ばは納得できなかったが、反面で、姫川の瞳は、曖昧な言動に反して、力強い意思の光を湛えながら炯々と輝いている。
 新月は、姫川の瞳に浮かんだ意志力の光を信じてみてもいいと思った。意思の光なんて抽象的なものを頼りに行動を決めるなどという事はあまりにも馬鹿げていると見る向きもある。直感よりも論理により重きを置く新月には分からないでもない理論である。しかし反面で、姫川の瞳に揺蕩う強靭な意思の光は、新月の経験則的から鑑みた時には、信頼に足るものであるとも言えた。
 内田・真紀奈という女と実際に会ってみて、それで指揮を担うのに力量不足と判断すればまた別の人物に協力を仰げばよい。今はなにより時間が惜しい。行動を先延ばしするのは下策と言える。
 新月は首肯して、姫川に尋ねる。
「わかりました。では、姫川さん…その内田・真紀奈さんのもとへ案内をお願いします」
 新月が即応して見せれば、しかし、姫川は表情を曇らせ、曖昧に首を左右させた。
――まったく、自分から薦めておいて、これか。
 新月は内心で舌打ちする。
 姫川が後ろめたげに内田・真紀奈について語ったことから、いざこざのようなものが二人の間にあったことはなんとは無しに推測された。しかし、今は緊急事態である。そんな状況で論理的な思考が感情によって妨げられるという事に新月は釈然といないものを感じていた。
 医師という事から姫川は若くても二十代後半は優に過ぎているだろう。にも拘わらず、姫川医師の精神構造は、以前、依頼でかかわったオカルトサークルの中高生と対して変わらないように新月には見えた。
 半ば呆れがちに新月は吐息を零す。
「…わかりました。では、俺が一人で伺いますので、場所を教えてくれますか?」
 端的に新月が告げれば、姫川が如何にも申し訳なげに頭を下げ、一階調剤薬局の位置を指さした。
 新月は、姫川に一礼し、直ちに踵を返すと『朧の帳』を身に纏い、内田・真紀奈の元へと疾駆していく。
 その後、新月は内田・真紀奈の元に忍び寄るや、姫川にやったのと同じ方法で真紀奈に接触を図った。
 内田・真紀奈は、鳶色の髪を短く切った、中性的な印象を与える女性だった。当初こそ内田・真紀奈は、突如現れた新月に動揺していたが、すぐに状況を理解し、新月の言葉に耳を傾けた。
 真紀奈は鷹揚とした性格の持ち主であった。また会話の端々で利発さを示して見せた。
 思考の肌理が細かく、理知的な女性であることがはっきりと窺われた。
 感情的にならず、理路整然と新月に受け応えする真紀奈は、正直、姫川医師よりも幾分も頼もしく新月には感じられた。
 新月が、この後訪れるレグルス襲撃を真紀奈に伝えれば、真紀奈は眉宇に焦燥感を滲ませながらも要点に絞って、新月に質問を返す。
 真紀奈の質問は的確であり、むしろ質問に答える事で新月は、より詳細に敵の襲撃時の対応策を固める事が出来た。真紀奈の声は透んでおり、良く響いた。また、時に眉根を寄せ、時に戸惑い気味に真紀奈は鼻息を荒げたが、彼女は決して混乱することは無く、新月の言葉を一つ、また一つと咀嚼しながら状況を整理していった。
 この真紀奈の要領の良さが幸いして、予想よりも早く新月は体勢を整えることに成功する。更に真紀奈は、新月との会話の傍らで、病院内で信頼できる面々を既に紙面に書き出していた。二人が会話を終える頃には、紙面は、職員の名前と共に記されたPHS番号でびっしりと埋め尽くされていたのだ。
 結果、新月と真紀奈が襲撃時の大まかな対応策を仕上げても尚、大時計は、未だ十二時をわずか十五分程度過ぎた程度に時間を刻むにとどめていた。
「それでは、内田・真紀奈さん。ここに信頼できるメンバーの方々を集めましょう。時間は限られていますが、まずは敵襲撃時にすぐに動けるように事前の打ち合わせだけでも行えればと」
 新月が言えば、真紀奈は頷くと同時に胸ポケットのPHSへと手を忍ばせた。紙面に書かれた番号に続々と連絡をかけてゆき、適当な理由でリストの人物たちを薬剤部へと呼び出していく。
 手際といい、決断力といい、非の打ち所がない。新月が感心気味に真紀奈の挙止を伺う中、ものの数分もしないうちに、リストに記載された計二十名の人物が薬剤部へと集う。
 彼ら集まった一人一人へと簡単に挨拶を済ませると、新月は真紀奈と共にレグルス襲撃時の善後策について一同と共に協議するのだった。
 新月が理路整然と事実を語り、その傍らで真紀奈が補足を加える。
 真紀奈は補佐役に慣れているのだろう。新月一人ではやや淡泊に過ぎる説明を上手く肉付けして、集まった二十名に作戦の概容をかみ砕いて伝えていく。結果、二十名の間で直ちに意思は統一され、作戦案は共有される。
「それでは、みなさん…。もはや時間も少ないので、それぞれが所定の位置についてください。敵が来たら、俺が全力で足止めするので、みなさんは外来患者を始め、軽症患者を逃がすのを優先して動いて下さい」
 新月が言えば、一同はやや面立ちを強張らせながらも首を縦にふり、その場で整列する。あまりにも統率された動きを前に、新月は彼らを軍隊かなにかと見まがうほどだった。
 新月もまた、一同と共に調剤役を後にするべく、歩を刻む。既に時は十二時五十五分を僅かに回っていた。星座獣レグルスの強襲までは、時間は幾ばくも残されていない。
 薬剤部を後にしようとした当にその瞬間、ふと新月の前に一人の男が姿を現した。
 しなやかな長躯を翻しながら長髪の男が、薬剤部前に立っている。初見では男のことを女と見紛わん者も少なくないだろう。男の端正な面立ちには、中性的な目鼻と桜の蕾の様な唇とが精緻に配列されており、それが柔和な顔立ちと相まって見る者に女性的な印象を強く与えるのだ。
 しかし中性的な面差しに反して、男のほっそりとした首筋は幅広な肩元に続き、男性的な力強い線を描きながら下腿部へと続いていく。
 男の中には女性的な顔立ちと男性的な肉体美が、見事に調和しているのだ。そんな稀有な人物はそう多くない。新月の記憶に誤りが無ければ、彼は猟兵であり、既に新月は幾つかの戦場で彼と肩を並べて戦ってきた。
 新月が男に会釈すれば、男もまた新月に目礼する。互いに無言で挨拶を済ませ、新月は一人、薬剤部を後にする。
 ふと後方で男と真紀奈とが何か口を交わすのが見えた。両者ともに信頼に足る人物である。多少のやりとりは問題無いだろう。
 二人のやりとりに何ら気に掛ける事無く、新月は『朧の帳』の中に再び身を潜め、エントランスホールにてレグルス襲来に備えるのだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ハル・エーヴィヒカイト

連携〇

▼口調
一人称は私固定
内心のみ俺

▼心情
星座獣に察知されるわけには行かない
だがその為に表立った動きをしないということはこの病院を囮に使うということだ
ならば必ず守り切らなくてはならない
沙耶との協力は不可欠だがそちらは心配ないようだ
なら俺はもうひとつの心配事をなんとかしよう

▼行動
[戦闘知識]によりこの病院の手薄な箇所をある程度予測し、更に[結界術]を病院内に展開して結界内を[心眼]で[見切]って実情を確認
現地で合流する味方がいれば協力して避難経路や段取りを構築する
あくまで相手に察知されないよう内側に展開した結界はそのまま防備として残す
どうやら既に展開されている結界があるようだが多いに越したことはないだろう

そして防備を整えつつ[気配感知]で予知にあった女性、真紀奈を探す
本来なら対話でなんとかするべきだが見ず知らずの俺が出来る事でもないので強引にいく
発見したらUCを一瞬発動、鳥の羽根一枚程度の白刃で彼女の沙耶に対する戦意のみを斬る
一時的なものだが今日感情が爆発するような事態は避けられるはずだ



 エントランスホールをくぐり、院内へと足を踏み入れれば、正面壁の大時計が荘厳たる鐘の音でもってハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣聖・f40781)を出迎えた。
 時計の長針はゆったりと六時から七時の方向へと揺れ動き、盤上の短針は十二時の位置で針を止めている。
 ハルがガラス窓から青空を仰げば、既に日は中天に坐し、咽ぶくような白光でもって地上を灼いていた。初夏の訪れを祝福するかの様な突き抜ける様な青空の元で、数朶(すうだ)の羊雲が優雅に空を揺曳するのが見える。深海の蒼さを湛えた空が、まるで氷ついたように地平線の彼方まで茫洋と広がっていた。
 グリモア猟兵の予知によれば、凡そ三十分後に星座獣レグルスが強襲するとの事であった。
 そんな予知など露とも知らぬといった様子で、空は静かにそこに佇んでいた。不吉な妖星の瞬きとも、暗澹とした空模様とも無縁に、空は満天の蒼と、幾ばくかの白で塗りたくられている。
 もしも、予知を聞き及んでいなければ、こんな長閑な春の日にデウスエクスが襲来するなどとはハルを始め誰もが予想だにしなかっただろう。
 小さく吐息をつくと当時にハルは窓外から再び院内へと視線を戻した。
 既に正午を半ばほど過ぎたというのに、視界に飛び込んで来たエントランスホールからは、未だ患者が途切れることは無く、病院は盛況ぶりを呈していた。予知通りに事態が進展すれば、彼らを巻き込んだうえで、この病院は戦場と化すのだ。
 やや辛辣ではあるものの、より正鵠を期すのならば、星座獣レグルスにこちらの動きを勘づかれる事が無ければ、この病院にてレグルスを迎撃することが出来る、というのがより正しい物言いだろうか。
 自然、ハルの両の眼にはエントランスホール内の無数の患者の姿が映し出されていた。彼らは戦士では無いばかりか、そのほとんどが老人や子供、もしくはなんらかの疾患を抱えた、健常者よりも身体能力で劣るものが殆どだ。
 否応なしに彼らはレグルスとの戦いに巻き込まれるだろう。
 グリモア猟兵の示した予知とは万能ではない。いわば、グリモア猟兵により予知された未来像とは乱雑に積み上げたブロックの上に辛うじて成り立つ、不安定なものに過ぎないのだとハルは考える。未来は流動性に富み、無数の可能性を秘めている。些細なイレギュラーが生じれば、ぐらついたブロックは容易に崩れ落ち、未来は予期せぬものへと姿を変えるのだ。
 仮にハルらが大々的に動けば、レグルスもまたそれに呼応する様に行動を変え、結果、予知は改変され、同時にまた別の未来が生みだされる。そして、本流を変えた未来のもと、もはやグリモア猟兵によって予知されぬ場所で悲劇が生じるのだ。
 つまり、酷な話だが、ハルらは被害を最小に留めるために、予知に逸脱しない範囲で動くことが求められるのだ。
 既定路線を大きく変えることは出来ない。グリモア猟兵の予知という有利を捨てる事無く、そのもとでレグルスと戦わなければならない。そのためには、この病院を主戦場とすることが既定路線として定められる。
 最もハルは、故にこそ全力を尽くすと覚悟を固めていた。
 トロッコ問題――、多数を救うために少数を犠牲にすることが是か非かという事を論じるつもりはハルには無かった。
 腰に差した剣の柄を掌で撫でれば、ひんやりとした感触が伝わってくる。ハルが意識を研ぎ澄ませれば、既に病院内に一重、二重と結界が張り巡らされている事に気づく。
 この病院を、そして患者たちを囮に使う事はもとより承知の上だ。
 その上でハルは全ての人間を救ってみせると覚悟を決めたのだ。口で言うのは容易いと思う。仮に一人では決して楽では無いだろう。
 だが、院内からは、かつて共に闘った戦友の気配が複数感じられた。
 更に、結界を張りめぐらされた調本人のものであろう強力な魔力が奔流を感じとることが出来た。院内にはDIVIDE所属の姫川・沙耶の存在もあり、彼女の事もまた戦力として期待できる。
 ならばハルが敵に遅れを取る謂れは無い。あとは集った全ての者の力を結集し星座獣レグルスを断つまでだ。
 ふとハルが一歩を踏み出せば、軽やかな靴音がタイル床を鳴らした。一歩、二歩と歩を重ねるたびに軽快な足音が周囲へと木霊して響きわたっていく。
 エントランスホールを通り過ぎ様、肩越しに後方を見やれば陽だまりの中、命の揺らめきが花となりエントランスホールを潤色しているのが分かる。
 背中に無数の命を背負いながら、ハルは道幅の狭い長廊下を一気に突き進んでいく。全てを救うと決めた以上、ハルの行動に余念は無かった。
 既に院内には仲間の猟兵による結界が多重に張りめぐらされている。とはいえ、敵はデウスエクスの中でも名うてで知られる星座獣レグルスである。敵の戦力を考慮すれば、用心に用心を重ねても尚、足りぬくらいである。
 そんな思いからハルが目指したのは比較的結界術が浅く張られた場所だった。
 心眼で周囲に漂う魔力の流れのようなものを見切り、濃度の濃さを仔細に見分ける。肉眼には捉えることが出来ない魔力の波動に従い、ハルはレグルスが強襲するであろう病院一階全体を歩猟し、比較的魔力が浅い場所に自らの結界術を施し、守りを補強していくのだった。
 二階より上はレグルスの攻撃を直接的に受ける可能性は低い。既に別の猟兵による結界により守りも十分に厚い。
 西ナースステーションから順繰りに、一か所、一か所と一階を巡り、結界術を施していく。部外者であるハルを時に訝しげに見る者もあったが、ハルが僅かに微笑してみればある者は、面映ゆげに会釈し、またある者ははしゃぎまわりながらハルの挨拶に笑みで答えた。上手く病院スタッフや患者たちに対応しながら、ハルは瞬く間に病院一階全体に結界術を施してゆくのだった。
 そうして守りを固め終えたところで、ハルは最後の仕事に取り掛かる事を決める。東ナースステーションを抜け、目的地めざし、ハルは長廊下をひた歩いてゆく。
 長廊下を通り抜け、再びハルはエントランスホールに舞い戻った。
 病院正面壁で厳かに佇む、枯淡とした木製の古時計は、現在、十二時五十五分を示していた。どうやら、午後休憩が始まったようで、外来はここに来てようやく受付を終えたようだ。ひっきりなしに訪れていた人の足もようやく収まりつつあるように見える。
 未だにエントランスホールには外来患者がひしめき合っていたが、ものの数十分前と比べれば人ごみも幾分も疎となっているようだった。
 人の数は少ない方が良い。守る対象の数が減ったという事はレグルスとの戦いにおいてより有利にハルら猟兵に作用することを意味するからだ。
 エントランスホールを見渡せば、正面受付の左方にて、こじんまりとした一室が目に入った。
 どうやらこちらの病院には院内薬局も併設されている様で、小部屋の扉の上には薬局との名前が付記されているのが分かる。窓口では薬剤業務に勤しむ、隙なく全身を白衣で武装した、清廉恪勤とした女性薬剤師の姿があった。そのまま、ハルが薬剤部を眺めていれば、受付扉が開き、中からぞろぞろと病院スタッフが姿を現してくる。
 彼らの集団の先頭には、ハルの良く知るオルトロスの少女の姿があり、その後方には予知で示された内田・真紀奈が続いてきた。
 既に院内の守りは固い。そしてハルに先行した猟兵達が既に姫川医師に話を付けたとの報にも接している。
 そこでハルは今回の事件において鍵を握るであろうもう一方の重要人物である内田・真紀奈へと目を付けたのである。
 幸運にも内田・真紀奈薬剤師の姿は、今、ハルの目前にあった。
 ハルは先頭を行くオルトロスの少女に目礼して挨拶を済ませると、そのまま、無言のままに内田・真紀奈のもとへと距離を詰める。
 歩き様、腰の剣に手を添え、同時にハルは自らの秘剣たる『境界・白翼千華』を発動させるべく意識を集中させた。
 グリモア猟兵の予知の内容からの憶測にすぎないが、内田・真紀奈は姫川・沙耶に憎しみや戦意を抱いているとハルは見る。
 ハルのユーベルコード『境界・白翼千華』は敵を物理的に害するのみにあらず、戦意のみを断ち切る事も可能であった。
 これより生じる星座獣レグルスとの戦いを前に、内田・真紀奈の沙耶に対する戦意が暴発する事を事前に妨げる必要があるとハルは考える。戦場では如何なるものも感情が激しやすい。ただでさえ内田・真紀奈は一般人に過ぎない。
 憂いを抱く彼女が、些細な事で冷静な判断を失うのは想像に易い。戦場において一人の者の動揺だったり狂乱は、たちどころに、より巨大な混乱となって全体へと伝播していく。その芽を未然に防ぐためにハルは彼女の戦意のみを断とうと決めたのである。
 剣の鯉口を切り、ハルは内田・真紀奈を直視した。
 やや色素の薄い、真紀奈の鳶色の短髪が肩のところでゆるやかに揺れていた。力強く見開かれ茶の双眸が、射しこむ陽光を浴びて煌々と揺らめていた。
 更にハルと真紀奈の距離が狭まった。
 ハルはぐっと掌に力を込めて、剣の柄を握る。既に限界まで高まりつつある奇跡の力を剣の一刀に込め、ユーベルコードを発現、あとは真紀奈の沙耶に対する戦意のみを断ち切れば良い。ハルがなすべきことはそれだけだ。
 一歩、二歩と歩を刻めば、ついにハルは真紀奈を剣戟の間合いに収める。
 わずかに鞘を後方へと引き、抜刀の構えをハルは取る。すれ違いざま、まさに剣を一閃しようとハルは身構える。
 ――だが。
 かつかつと真紀奈の靴音が高まっていく。真紀奈の横顔がハルの側方を通り過ぎていく。
 しかし、真紀奈を間近にしても尚、本来、横薙ぎに真紀奈の邪念を一刀に斬り伏せるはずだったハルの剣がついぞ、鞘から刀身を現すことは無かった。
 ハルと真紀奈とが交錯し、ハルはそのままエントランスホール入り口付近へ、真紀奈はそのまま二階病棟へと続く上り階段の元まで歩を進めていく。
 すれ違いざま、ハルが見た真紀奈の瞳には既に迷いや悔恨の様なものは見て取れなかった。真紀奈の瞳は何かを守ると決意した戦士特有の確固たる意志の光を湛えながら、赤光の如き鮮やかさで輝いてみえたのだ。
 ハルはそっと剣の柄から手を離すとそのままエントランス傍らの側壁に背中を預け、しばらく真紀奈を見守った。
 淀みなく歩みを続ける真紀奈は瞬く間に視界の外へと消えていく。
 予知においては未だ十代後半に過ぎない思春期の少女は円熟を重ねて、一人の女となったのだろうか。消えていく真紀奈の背を眺めた時、そんな思いが一瞬、ハルの脳裏を掠めていった。
 果たして、長廊下の先、ついぞ小さな黒点となった女は何のために戦う事を決めたのだろうか。
 社会の枠組みの中で成熟し、順応した末に、社会秩序の維持であったり、人命救助という意義のために戦ういわゆる模範的な市民のそれというにはやや説明不足にハルには感じられた。
 むしろ女は、まったく別のもののために戦う事を決めた様にハルには見えたのだ。
 初春の頃、雪解けとともに新緑を芽吹かせる、なにものにも染まらぬ瑞々しい萌芽の如き純粋さが、彼女からは感じられたのだ。
 円熟というよりは初々しさえ内田・真紀奈からは感じられた。彼女は過去の追想の中で生き、喪失した何かに必死に手を伸ばさんとしている様にハルには見えたのだ。
 そしてハルは真紀奈がもしも、ありし日の思いと共に行動する事が出来るのならば、もはやなんら憂慮すべき事態が生じる事はないだろうと断言する事が出来る気がした。
 古時計が重々しげな鐘の音で鳴り響いている。既に時は十三時を刻み、燦燦と輝く日のもとで、夏日を彷彿とさせる照り返しの強い陽射しが院内へと流れて込んでくる。
 わずかに漂った暑気に、咄嗟にハルが大空を見上げるも、未だ、レグルス襲来の兆候は見て取れなかった。
 いずれにしても戦いの時が近い事に変わりは無い。となれば、あとは静かに待てばいい。
 自らにそう言い聞かせながら、ハルは腕を組み、一人静かに時が過ぎるのを待つ。
 一朶の雲が上空へと垂れ、一瞬、病院が雲間に隠れた。暗がりが周囲に広がったかと思えば、瞬間、病院入口に備え付けられた警戒装置が突如、けたたましく鳴り響くのが聞こえた。鼓膜を突き破り、内耳を鈍器かなにかで直接殴りつける様な、耳障りな騒音がじりじりとエントランスホールを揺さぶっていた。
 ハルが剣に手を添えて、東空を仰げば、真珠雲の中で何かが赤黒く煌めくのが見えた。当初、小さな点に過ぎなかった斑点は、瞬く間に増長し、赤黒い球状の塊となっては、真珠雲を背景に一つ、また一つと空に浮かび上がっていく。それが炎だと気づいた時、ハルは院内を守る様にエントランスホール入り口に立ちはだかっていた。同時にハルは、火球が病院の外壁へと降り注ぐ中、一頭の獅子の姿を空の中に見る。
 焔のタテガミを悠然とたなびかせながら、一頭の巨大な獅子が空を泳ぎ、ハルたち猟兵のもとへと近づいて来る。
 時刻は十三時十一分を告げていた。
 予知にやや遅れた昼下がり、エントランスホールにおける星座獣と猟兵達による戦いの幕が切って落とされたのである。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第2章 ボス戦 『星座獣レグルス』

POW   :    アターナト・リオンターリ
光輝く【星のオーラを纏った姿】に変身する。武器は【自身の牙と爪】しか使えないが、[自身の牙と爪]の射程外からのダメージは全て100分の1。
SPD   :    獅子の狩猟
全身に【恒星の輝き】を帯び、戦場内全ての敵の行動を【爪と牙】で妨害可能になる。成功するとダメージと移動阻止。
WIZ   :    星の焔
【しし座を象る爆炎】を放ち、自身からレベルm半径内の全員を高威力で無差別攻撃する。

イラスト:朝梟

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主は💠山田・二十五郎です。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●本題
 空を埋め尽くした光弾が斜に病院へと降り注いでいく。無数の赤い流星が、乳白色の病院の外壁を打ちつければ、石壁はぐずりと砕け、衝撃の余波で礫や礫片が濛々と舞い上がっていく。
 粉塵は灰色の帷帳となってエントランスホールを全体を暗澹と包み込み、視界を薄暗く閉ざしていく。ありとあらゆる所で火の手が上がり、爆風が吹き荒れる。
 焔と黒煙と、粉塵とで閉ざされた視界のもと、エントランスホールの入り口付近に不明瞭ながらも巨大な一頭の獅子のシルエットが浮かび上がった。
 一歩、二歩と獅子が歩を進めていくに従い、周囲に燻る爆炎は急速に勢いを弱めてゆき、石片や礫で閉ざされた視界が正常化していく。
 晴れ渡った視界の元、無人の野を行くように悠然と歩を進めていた焔の獅子がピタリと足を止めるのが見えた。百獣の王を彷彿とさせる獣王レグルスが、獰猛たる黄金の眼をどこか怪訝そうに歪めるのが分かった。
 確かに、病院の外壁は、光弾によって随所で打ち砕かれ、エントランスホールは倒壊寸前といった様相を呈していた。
 しかし、それはあくまで外壁に限った話に過ぎない。院内を見やれば、光弾によって齎された被害は微々たるものであることが分かる。
 外壁の派手な崩落とは対照的に院内における損傷と言えば、タイル床に染みの様に現れた黒い焦げつきや、爆風により横転した椅子や机程度が精々であった。
 光弾の余韻が、わずかな熾火となって燻りながら黒煙をたなびかせていた。しかし、そんな残火も直ちに消失し、黒煙も如何にも虚しげにすぐに大気の中へと溶け込んでいく。
 既に院内は無数の結界術によ幾重にも守られていた。それも結界を張ったのは、術技に優れた猟兵達である。いかに、強力なデウスエクスと言えども、数を分散させたうえでのレグルスの攻撃では有効打たりえないのは明らかだった。
 獅子は苛立ちまじりに足を踏み鳴らした。彼にとっては、院内でけたたましく鳴り響く警報音も、王たるレグルスが現れたにも関わらず、も決して混乱することなく、秩序だって避難を続ける患者たちもまた苛立ちの種であったのだろう。
 今やエントランスホールでは、恐怖に打ち震える者は存在しなかった。患者たちは、病院スタッフの誘導の下で迅速に行動に移っていた。
 そう、誘導員たちの挙止は洗練されているのだ。
 鳶色の髪をした短髪の女性の指揮のもと、誘導員達の指示に従い、老人や子供を中心に皆が皆、協力し合いながら患者たちは、エントランス入口に背を向け、東西のナースステーションを目指し、長廊下を続々と駆け抜けて行く。
 軽傷を負ったものはいただろう。だが、少なくとも重症や重体を負ったものは見て取れなかった。
 百獣の王たるレグルスにとっては、人間などはグラビティチェインを供給する食糧以外のなにものでも無かった。彼がこの病院を訪れた目的も、第一に自らの配下を増やすためであり、第二に食糧を幾らか調達することであった。
 百獣の王は憤懣やるかたなしといった様子で鼻息を荒くする。元来、食物連鎖の頂点に位置するこの倨傲なる侵略者は、自らの襲撃を未然に防いだ人類に対して感嘆では無く、憤慨を覚えたのだろう。
 百獣の王の瞳は、殿で避難誘導を続ける一人の女へと向けられた。
 弱き人間に過ぎないにも関わらず、自らに歯向かった事に百獣の王は苛立ちを覚えたのだろう。
 自らの憂さを晴らさんと思ったのか、百十の王が口をけば、喉奥で何かが赤黒く輝いた。小さな黒点は瞬く間に膨張してゆき、赤黒い塊となって渦を巻きながら、百獣の王の口元から吐き出された。
 火球弾、焔を纏った巨大な球体が、轟轟と唸りをあげながら、周囲の空気を焔の大腕で絡めとりながら、鳶色の髪をした女へと迫る。
 赤黒い指先が、誘導員の女、内田・真紀奈の目前まで迫り、まさに彼女を飲みこまんとしたその瞬間、焔と真紀奈との間に、音も無く一つの人影が急激に割り込むのが見えた。
「真紀奈――、あなたは私にとっての…」
 柔らかな女の声が響いたかと思えば、人影は、焔の中に飲み込まれる。
 焔の中、女の姿態がまるで影絵のように不明瞭な輪郭で浮かび上がった。人影を飲みこんだ焔が突如、大きく膨張したかと思えば、焔の中でぴくりと黒影が右腕を大きく横に薙いだ。
 瞬間、女の右腕が自らを包み込んだ焔を、まるで絹か何かの様に切り裂いた。炎は、ぱらぱらと火の粉を金粉の様に周囲に舞い散らせながら、霧散する。
 火の粉爆ぜる中、内田・真紀奈を守る様な恰好で、姫川・沙耶がそこに立ちはだかっている。
「あたなは、私にとっての全て…なのよ? 空想でも現実でもね、あなただけが私の全てだったのだから。そんなあなたのことを…こんなケダモノに殺させたりはしない――」
 白衣の裾が熱風にはためいていた。腰まで伸びた黒髪たなびいていた。
 白く透明な頬を煤で黒く粧しながら、姫川・沙耶は一人内田・真紀奈を守る様に焔の獅子の前に立ちはだかったのだ。
 姫川は、背中越しに真紀奈に目合図しながら微笑んでいた。
 姫川は、まるで年頃の少年の様な笑みを浮かべながら、満身創痍といった様相で獅子と対峙しているのだ。
 レグルスにとっての苛立ちまじりに放った一撃に過ぎなかった。だが、それを受け止めるのは一般のケルベロスである姫川にはあまりにも荷が重かったと言えるだろう。
 辛うじて、一撃を防いだとは言え、姫川の両の膝はがくがくと力なく震え、魔力の減退を現してか、両の肩は激しく上下していた。
 仮に、この場に姫川一人が残されていただけならば、如何に外来患者たちを上手く避難させらたとて、予知の惨劇が覆ることは無かっただろう。
 だが――。
 この場には姫川や星座獣レグルスを除き、第六の戦士達が数多存在していた。一人一人が星座獣レグルスに勝るとも劣らぬ精鋭達である。
 そう、レグルスは知る由はなかったが、傲岸不遜たる獣の王は今や、ただ獲物をかるだけの絶対者たりえなかったのだ。
 今、ここに星座獣レグルスと猟兵達の戦いが幕を開ける。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 以下にポジションについて記載します。
 効果は通常の決戦配備とほぼ同様の効果となりますが、エフェクトやテイストとして一応記載させて頂きますので、参考になさってください。

1.Md:姫川・沙耶
→主に結界術や回復魔術でのサポートをメインに猟兵の皆さんを支援します

2.Jm(ジャマー)、Df(ディフェンダー)、Cr(クラッシャー)、Cs(キャスター)、Sn(スナイパー)
→通常通りです
月隠・新月

連携〇
決戦配備:Md

避難は問題なさそうだが、ここでレグルスを止めなければ惨劇は避けられない。正念場だな。

【黒焔獄鎖】で俺と奴を繋いで足止めしたいですね。遮蔽物に隠れながら近づいて、地獄の魔力を纏った爪で【不意打ち】しましょうか。避けられた場合は、すかさず再度攻撃を行いましょう(【2回攻撃】)

奴は自身の爪牙の射程外からのダメージを大幅に減衰させるようですが、であれば俺も爪牙で攻撃すれば問題はないでしょう。奴を遠くに行かせるつもりもありませんしね。
とはいえ、近距離でやりあっては俺も無傷とはいかないでしょう。……姫川さん、俺に回復魔術をかけてもらえますか? ここで倒れるわけにはいきませんので。



 大気に舞い散る火の粉が、がらんどうとなったエントランスルームに赤い雪の華となって絶え間なく降り注いでいた。
 崩れ落ちた石壁や石柱が大地に横たわり、礫や石片をタイル床へと散乱させている。
 まるで廃墟の如く、ひっそりと佇むエントランスルームには獣の苛立ちまじりの吐息と、白衣に身を包んだ、姫川・沙耶の困憊まじりの息遣いだけが曖昧に混淆しながら微かに木霊するだけだった。
 星座獣レグルスと姫川と会敵してより凡そ数十秒が経過するも未だ、獅子に動きらしい動きは見られない。
 彼は、屈強な前脚で病院を踏み鳴らしながら、激高がちに焔を吐きだし、姫川を睨み据えるばかりであった。
 しかし見る者が見れば、レグルスの心意は容易に理解できただろう。
 レグルスの全身を薄らと包み込む様に、星光の様な白光が瞬いている。一つ、二つと柔らかな白光を湛えた光の粒が恒星の輝きでもって、獅子座の星の配列を再現する様にレグルスの周囲に展開されている。
 アターナト・リオンターリとは、星座獣レグルスが有する異能と言えるだろう。星のオーラを魔力障壁として顕現させ、それらで無敵の鎧を作り出す。
 この鉄壁の鎧を纏うことで、レグルスは自らに繰り出される全ての遠距離よりの攻撃を完全に無に帰す。
 レグルスがこの異能を使用したのは一重に獣なりの合理的判断の産物とも言えたかもしれないし、残虐性の賜物と捉えることも出来たかもしれない。
 姫川・沙耶――レグルスはこの時、自らの唯一の障害とは、目の前の白衣姿の女、ただ一人のみであるとみなしていたのだ。
 姫川が近接用の武器を有していないのは明らかだった。目前で息も絶え絶えに徒手空拳でレグルスと対峙する姫川が、仮にレグルスに対抗するとすれば、それは遠距離よりの魔術による攻撃に頼るにおいて他にない。
 故に獣は、合理的判断のもとまずはアターナト・リオンターリで絶対の守りを固めて見せたのだった。守りを万全とすれば、非力な姫川をどう料理するかはレグルスのさじ加減一つで全て決まる。
 じりじりとレグルスが姫川に歩を詰めるのが見えた。獰猛さを湛えた金色の瞳は、姫川に訪れる無惨な未来を想像してか、どこか愉悦げに見開かれていた。
 一歩、一歩とレグルスが歩を進める度に姫川とレグルスの距離が縮まっていき、ついぞ、レグルスが姫川をその爪撃の距離に捉える。
 固唾を飲む姫川と、舌なめずりするレグルスの姿がそこにある。
 レグルスがその大腕を振り上げれば、鋭い銀閃が揺らめいた。緩慢と振り上げられたレグルスの前腕が、空を切りながら姫川の肩元へとどこか酷逆に振り下ろされるのが見えた。
 研ぎ澄まされた刃の如く、レグルスの白く鋭い爪先が、姫川の白衣を掠めんと迫る。
 だが――。
 瞬間、一陣旋風がエントランスルームの一隅で立ち込めた。
 絹の様なしなやかさを有した旋風は、たちどころに、舞い上がりエントランスルーム内に散在する瓦礫の合間や崩落した列柱の間を縫うように突き抜けながら、目にも止まらぬ速度でレグルスのもとへと吹き抜けていく。
 仮に高慢なる獣の王が平素と同様、勇猛さのみならず、氷の様に冴えわたる観察眼をも保持し続けていたのならば、おそらく、彼は旋風の正体を見抜き、善後策を講じることも出来ただろう。
 あまつさえ、王者としての威厳を幾ばくかでも取り繕う事が出来ていれば、少なくとも一方的な先制攻撃を許すことは無かったはずだ。
 濃密な黒い旋風がするりとレグルスのもとへと駆けよっていく。旋風より何か黒い尾の様なものが一筋伸びたかと思えば、その延長線上にあるレグルスの右前脚で、突如、赤黒い炎が、燃え盛った。
 レグルスに驚嘆する間も与える事なく、前脚に灯った巨大な焔は、拳大までぎゅうぎゅうと収束していくと、突如勢い良く爆散する。
 爆音が鳴り響き、ついで、今まさに姫川を切り裂かんとしたレグルスの大腕が後方へと弾き飛ばされた。
 獣の底ごもった悲鳴が周囲へと鳴り響き、爆発の余波で火花が舞い散った。
 レグルス前腕を覆う、なめし皮の様な艶のある皮膚は黒く捩れ、水泡がぽつぽつと浮かび上がっていたが熱傷の跡はその程度であった。負傷は微々たるものであった。レグルスが身に纏った星オーラの加護が、元来ならば、腕一本を引きちぎるほどの巨大な爆破の威力を大幅に減退させたのである。
 良くも悪くも星オーラの加護により幾分も爆発が威力を落としたために、レグルス間近の姫川にも傷らしい傷が生じる事はなかった。
 レグルスの悲鳴は、苦痛による産物というよりは驚嘆によるところが大きかったと言えるだろう。
 レグルスの負傷は微々たるものである。
 しかし、レグルスが大した傷を負う事が無いだろうことは、爆炎の仕掛け人その人がなによりもよく理解していた。
 黒い旋風はますますその密度を増しながら、風速を強めて更にレグルスとの距離を詰めていく。
 爆炎の余波は、大きく後方へと傾いた右前脚を中心に黒煙となって周囲にくすぶっていた。レグルスは思考停止に陥ったのだろうか。見開かれた瞳はどこか困惑した様に視線を虚空に彷徨わせている。
 それでも尚、レグルスが右腕を振り上げんとするように僅かに指先を動かすのが見えた。
 姫川に対してか、それとも自らに攻撃を仕掛けた第三者に備えるためか、その意図は判然としなかったが、彼は右前脚を再び振り上げる事で応戦せんとしたらしい。
 しかし――。
 じゃらりと、鉄が擦れる様な重苦しい音が響いた。中途までレグルスが右前脚を振り上げども、しかし、巨大な前脚は水平方から上方へとやや傾いたところでぴたりと静止する。
 肉感的な分厚いレグルスの前脚に黒蛇の様ななにかが絡みついているのが見えた。無機質な、黒焔の魔力で造形された束縛の鎖がレグルスの右前脚に一重、二重と絡みついている。レグルスの前脚は、今やこの束縛の鎖により、彼に迫る旋風と一つに結びつけられていたのである。
「爆ぜ、生じ、繫ぐ」
 旋風のもと凛然とした声が響き渡り、レグルスに迫る旋風が低空へとぐずりと沈み込んだ。ふと床タイルの上を黒い獣の影が一瞬横切る。
「此方は鎖、神をも縛る地獄の黒鎖」
 再び周囲へと、しなやかな声音が響いたかと思えば、旋風は黒い獣へと姿を変えてゆく。まるで鋭い矢の一撃の如く、勢いよくレグルスへと向かい疾駆する黒い獣の姿がそこにはあったのだ。
 漆黒の獣が大地を蹴り上げるや、獣の全身は弓なりにしなり、右前脚が前方へと伸展する。漆黒の獣が前のめりに空を滑走しながら、その鋭い爪先をレグルスの首筋目掛けて突き出した。
 鋭い爪先が、周囲に立ち込めた黒煙を切り裂いた。レグルスの周囲に立ち込めた黒ずんだ黒霧は晴れ渡り、その中を黒い獣が鷹揚と空を駆けていく。
 レグルスと漆黒の獣との影が交錯した。漆黒の獣の鋭い爪撃は一陣の光の刃となって、レグルスと漆黒の獣を隔てるわずかな間を一挙に走り抜けていく。
 咄嗟の反射がなせるわざか、レグルスの右前脚が収斂した。かの百獣の王は、自らの前脚で首元を守らんとしたのだろう。
 だが、レグルスの前脚を締め上げる黒焔の束縛は、百獣の王がなんら行動することを許しはしなかった。レグルスは右前脚を微動させる事さえ出来ず、結果、漆黒の獣の鋭い爪撃はレグルスの喉元を深々と切り裂くのだった。
 滑るようにして漆黒の獣、月隠・新月(獣の盟約・f41111)がレグルスの側方を滑空していった。すれ違いざま放たれた爪撃の軌道に一致して、紅い血の飛沫が空を赫赫と潤色した。
 もとより、月隠・新月はこの傲慢たる獣の王の一挙手一投足を具に観察し、そして奇襲攻撃のタイミングを計っていた。そして、新月の鋭い一撃は、慢心しきったた百獣の王に青天の霹靂とも言うべき打撃を与えたのである。
 着地ざま、新月は即座に星座獣レグルスと姫川・沙耶の間に割って入った。
 新月の視界には、目前で喉元を掻き切られ、身悶えするレグルスの姿がありありと浮かび上がっていた。かの百獣の王は苦痛げに全身を捩らせながら、身悶えし、絶えず苦悶の悲鳴を零していた。
 首筋には一筋、薄っすらとした創傷が浮かび上がっており、そこからは赤黒い液体がねっとりとしみだしていた。
 通常のデウスエクス相手ならば一撃のもとに絶命させることが出来るだろう新月の一撃はレグルスにとっては、軽症を負わせたに過ぎなかったのだ。傲慢なる獣の王は大仰に騒ぎ立てているが、実際には傷は浅いと言えるだろう。
 反面で、新月は手応えのようなもの感じていたのである。
 ユーベルコード『黒焔獄鎖』により生じた爆発は爪撃による軽傷にも劣る、微々たる熱傷をレグルスに生じさせたに過ぎない。
 レグルスは異能により、自身の爪牙の射程外からのダメージを大幅に減衰させるとグリモアの予知にはあった。その事実は爪撃と黒焔獄鎖によるそれぞれの攻撃により刻まれた損傷の程度によって証明されたのである。
 遠距離からの攻撃でレグルスを打ち破る事は不可能だと、ここに新月は結論付ける。
「……姫川さん、俺に回復魔術をかけてもらえますか? ここで倒れるわけにはいきませんので」
 背中越しに新月は姫川に指示を出す。直ちに姫川より承諾の言葉が返ってきた。
 遠距離よりの攻撃が完封されるというのならば、レグルスの爪と牙の距離で応戦すれば良い。単純明快、最も合理的な解法がそれだ。
 もとより新月はレグルスを自由に動かせ、遠方へと向かわせるつもりはない。先ほど内田・真紀奈を狙った様にレグルスに自由に動かれ、戦いの主導権を奪われるのは厄介極まりない。
 動揺していたレグルスが徐々に落ち着きを取り戻していくのが見えた。首元の傷跡は既にかさぶたで塞がれ、血の雫がわずかに浮かびあがる程度であった。黒焔の鎖のより新月と強固に連結されたレグルスの前脚が再びタイル床の上を踏み鳴らし、激しく足元を振動させた。
 百獣の王レグルスの双眸が細められ、新月を睨み据える。
 ここにレグルスは、姫川から新月へと標的を変えたのだろう。全くもって単純な獣の王だと思う。同時に与しやすい相手だとも思った。
 新月が弓なりにしなる体躯を地面すれすれまで倒せば、星座獣レグルスは右足で大地を思いきり踏みつける事で応戦する。互いの間に横たわる空間を重苦しい静寂が満たしてゆく。肌を刺す殺気が矢となって新月を貫いた。 
 敵レグルスは間違いなく強敵であると理解できる。近距離でやりあえば、如何に自らが敏捷性でレグルスを圧倒しようとも、レグルスの攻撃を全てをいなす事は叶わず、結果ジリ貧となるのは明白だった。
 だからこそ新月は沙耶にメディックとしての役割を期待したのである。彼女の回復術を上手く活かすことで、レグルスを近距離にて圧倒すると、新月は決心したのだ。
 空気はその密度をますますと濃くしていきながら、重苦しく沈殿していく。まるで深海の様な圧迫感でもって、新月を圧排してくるのが分かる。崩れかけた石壁より、礫片が剥がれ落ちた。白い大理石の破片が、床タイルの上で乾いた落下音を上げながら横になる。
 瞬間、二頭の獣は同時に動き出した。
 新月が前脚で力強く大地をけり抜けば、しなやかな体が矢の様に低空を滑空していく。対して、レグルスは雄々しく佇立しながら、自らへと迫る新月を狙い澄まして前脚を振り上げた。
 二人の間合いは直ちに詰められた。
 結果、新月は下方から、レグルスは上段から、それぞれがそれぞれの爪先で相手の急所を抉り抜かんと攻撃へと移行する。
 轟音を響かせながらレグルスの巨大な前脚が、滑走する新月の頭上すれすれまで振り下ろされた。頭髪を殺気まじりの微風が掠めたまさにその瞬間、新月は僅かに体を捻った。
 瞬間、新月の体が空中で側方へと翻る。ぐるりと回転する視界のもと、振り下ろされたレグルスの爪先がぎらりと白く輝いた。
 レグルスの爪先が新月の平らな腹の皮一枚をなぞるようにして、虚しく虚空を切り、そのまま床タイルを撃ち抜いた。
 わずかな搔痒感を下腹部に感じながらも、新月は紙一重、レグルスの爪撃を回避せしめたのである。
 新月は、回転力を活かしまま、螺旋回転に滑空を続け、今や完全に無防備になったレグルスの側腹部に爪先を突き立てた。
 地獄の魔力を宿した新月の爪撃が一閃されれば、レグルスの分厚い皮膚がくっぱりと切り裂かれる。ついで、爪先は皮下のもと重厚に敷き詰められたレグルスの筋層を僅かに傷つけながらも、魔力を帯びた腹直筋に弾かれ、側方へと払いのけられる。
 ちっと舌打ちしながら、新月はレグルスの側方すれすれを走り抜け、そのままタイル床の上に降り立った。
 ただちにレグルスのもとへと姿勢を返し、体勢を整える。そうしてレグルスをじっと観察すれば、レグルスの左側腹腹部には裂創が一本の赤い筋目となってじわりと浮ぶびあがるのが新月には伺われた。
 致命傷には程遠いのが分かる。とはいえ、傷は傷である。もとより、一撃で勝負がつくと考えるほど新月かは楽天家では無い。
 再び、新月は身を低くして、レグルスと対峙する。次いで、レグルスと新月は、互いが互いに円を描くようにして間合いを取り合い、そうして絶妙な間合いの元、再び同時に飛び交った。
 レグルスが、新月を払いのけんと、巨腕を横薙ぎする。剛腕は礫片や砂塵を舞い上げながら、空気を殴りつけ、切り裂き、そうして轟轟と風切り音を上げながら、意趣返しとばかりに新月の側腹部へと迫る。
 新月が神経を研ぎ澄ませれば、鋭い聴覚が暴風音の中から、獅子の心臓の鼓動や息遣いを捉えた。
 両の眼を見開ければ、レグルスの剛腕がまるで低速の再生画像の様に緩慢と自らに迫り来るのが分かったt。両脚に力を込めて、軽く上空へと飛び退けば、新月の足元すれすれを獅子の大腕が過ぎ去って行く。
 新月は、軽業師よろしく、獅子の大腕の上に舞い降りると、そこを足場に更に跳躍し、レグルスの首筋に鋭い牙を突き立てた。
 新月の牙は、レグルスの分厚い皮膚を突き破り、胸鎖乳突筋へと深々と突き刺さった。新月が顎に力を込めて、レグルスの首筋を鋭い牙で噛みしめれば、流石のレグルスも激しく体をゆさぶり抵抗する。
 首筋に牙を突き立て、ぶら下がる新月を振り払わんと、レグルスが激しく体動する。レグルスの首元が左右へと動き、巨大な体躯が激しく動揺した。それでも尚、新月は口もとに益々に力を込めた。
 地獄の魔力で強化された新月の牙は、筋層の奥へ奥へと益々に侵入してゆき、子気味良い音色と共にレグルスの筋線維をぷつぷつと切断していく。牙の先端が幾層にもなる頸部筋群を全て切断し、最奥部で鼓動する頸動脈に綻びを刻まんとしたその瞬間、レグルスの巨大な掌が横殴りに新月を襲った。
 雪崩かなにかに全身を砕かれるような、そんな激しい衝撃が新月に半身に走った気がした。自然、体は、くの字に曲がり、レグルスの首元を離れ、宙を舞う。骨が軋みを上げ、全身が悲鳴があげた。息をするのも忘れたかの様にまるで肺が縮み上がり、心臓が静止したかの様な錯覚を覚える。自分の体がまるで自分のものでは無いかの様に、手足の筋にはなんら力は入らず、妙な浮遊感と共に体が宙を彷徨っていた。
 きっと目を見開き、新月は喝を入れる。辛うじてふわりと中空で体を二転、三転させながら、受け身の体勢を取り、タイル床を両足で踏みしめる。
 結果上手く着地するも、視界は水平方向に絶えず動揺し、目の焦点は覚束ないままだった。蜃気楼の様にレグルスの姿はぼやけ、両耳にはジンジンと耳鳴りが響いていた。
 しかし――。
「新月さん、今、回復を!」
 ふと、女の声が新月の耳朶を揺らした。声に続き、春の陽射しの様な、柔らかく温かな光が新月を包み込む。全身を綿花の如き、濃密が灯明が包み込めば、瞬く間に全身の痛みは引いていき、ぐらついた視界も異音が鳴り響く聴覚も直ちに正常化する。
 柔らかな光はすぐに消褪していったが、同時に新月の全身を苛んだ疼痛もまた、潮を引くように霧散していった。
 間違いない。これは回復術だ。
 そして。自らを癒したのが姫川・沙耶に間違いないと新月は思い至る。
「…助かりました、姫川さん」
 左方へと視線を移せば、両手を新月へと向けて伸ばす姫川医師と目が合った。指揮官や指導者としての才覚は別として、ことケルベロスとしての素質に関して言及するのならば、姫川医師には優秀との判を押す事ができるだろう。未だ、全身に多少の痛みは残っているものの、手足を可動させるにはなんら支障は無かったし、視力、聴覚ともに正常に機能している。
 新月は軽く会釈して姫川に謝辞を述べると、再び、星座獣レグルスへと向きを変えた。
 自らの先の攻撃はやや向う見ずに過ぎたかと一瞬、悔恨したが、しかし目の前のレグルスを目の当りにするや、そんな新月の後悔の念は直ちに吹き飛んだ。
 レグルスの首筋から伝う血の雫は、かの獣の前腕を滴り落ち、足元に黒ずんだ沼を作り出していた。じっとレグルスを見やれば、それまで悠然と振る舞っていたレグルスが顔を青くしながら、肩を上下させるのが分かった。
 牙の一撃は有効打となりえたのだ。
 虎穴に入らずんば虎子を得ずの故事の通り、新月は危険を冒す事でレグルスに強力な一撃を見舞ったのである。
「姫川さん――」
 新月は再び前のめりに、体を深く沈めると姫川にぽつりとこぼす。
「少し荒っぽくいきますので、悪いですがあなたにも、もうひと頑張りして頂きますよ?」
 新月は言う。間髪入れずに、ややうわづった、それでいて快活とした姫川の声が新月に返ってくる。
「もっ…もちろんです。ご武運を祈っています――。私も全力でサポートしますので」
 短いやりとりの後、新月は再びレグルスの元へと疾駆する。そうして二撃、三撃と立て続けに爪撃を繰り出した。
 銀色の閃光が瞬くや、鋭い爪が一直線にレグルスの皮膚を切り裂き、裂創を刻んでいく。
 新月が爪撃を繰り出せば、レグルスは息も絶え絶えに剛腕を大ぶりして反撃に転じる。新月は紙一重で後方へと飛び退いて、レグルスの攻撃をいなして見せた。
 まるで一本の乏しい綱の上を歩いていくかおように、新月は自らの神経を極限まで研ぎ澄ませながらレグルスとの攻防を繰り広げた。
 時に、無限の軌道を描くようにしてレグルスの足元をぐるりと駆け巡りながら、上段から振り下ろされるレグルスの大腕の一撃一撃を避けきって見せる。
 時に中空を舞い、レグルスの剛腕の一撃を避け、時に前後へと体を揺らすことでレグルスの大ぶりの一撃を誘い出し、そして返す刃でレグルスの首筋を切り裂いた。
 もちろん、レグルスの攻撃を全て回避する事は出来なかった。レグルスと新月とは一本の鎖によって連結されていた。故に新月は制限された距離内で、レグルスの攻撃に相対する事に迫られ、結果、否応なく避けられぬ攻撃が新月へと襲い掛かった。
 要所要所で、守りを固めた上で、最小限の攻撃は甘んじて受けいれる。大ぶりな攻撃は全て見切り、その上でレグルスの軽い攻撃は敢えて受けて見せたのだ。結果、レグルスの殴打や牙撃は十に一度は新月を捉えた。だが、力のこもらない牽制程度のレグルスの一撃、一撃は新月にも耐えうることが出来る。柄の間、痛みに耐えれば、すぐに回復術により新月の創傷は塞がっていった。
 結果、レグルスのみが徐々に擦り傷を増やしていった。
 互いにどれほど、爪撃で干戈を交えたかはわからなかった。
 新月とレグルスの両者は常にそれぞれが爪と牙の距離内で戦い合い、結果、絶えず繰り出された爪撃の応酬は、無数の白刃となって空中で踊り狂いながら、静寂に沈むエントランスホールを優艶の白光で潤色し続けたのである。
 まさに両者の戦いは完全に伯仲しているかの如く見えたであろう。しかし 一見、拮抗しているかの様に見えた両者の攻防はその実、急速に極点に向かいつつあった。
 新月もレグルスも息も絶え絶えに、攻めの手を強めていった。益々に白い鋭い爪撃が新月、レグルスとを隔てる狭小な空間で飛び交った。
 ぶんと大ぶりにレグルスの大腕が振り下ろされた。
 僅かに新月が半身を逸らせば、大腕は深々とタイル床にめり込み、打ち砕かれた床板の破片が白く宙に舞った。白光する視界の元、突如、レグルスがぐらりと体を左方へとよろめかせるのが新月には見えた。
 ここまで新月とレグルスは長らく戦い続けてきた。既にレグルスの全身は新月によって齎された無数の斬撃跡が、そこかしこに浮かび上がっていた。また、レグルスの首筋に抉られた牙跡からは、未だにじわりじわりとどす黒い静脈血が滲みだしていた。
 積み重ねてきた新月の一撃一撃が、ここに星座獣レグルスに致命的な一瞬の硬直を齎したのである。
「ならば――、まずは右目は頂きました」
 そして、敵に生まれた僅かな隙を見逃すほどに新月は悠長な性向の持ち主では無かった。ぐずりと側方へと動揺したレグルスへと向かい、新月は再び、大地を蹴ると飛びこみ様、レグルスの右眼球目掛けて右腕を一閃する。
 鋭い漆黒の閃光が、レグルスの右の眼窩に向かい、一直線に走り抜けていく。
 新月が右喘脚を伸ばせば、指先を、なにか弾力性のある塊が圧迫する。
 滑走の勢いそのままに、新月が前脚を前方へと振り抜けば、新月の全体重を乗せた一撃が、レグルスの眼球ごとにその眼窩部を穿ちぬいた。
 わずかな抵抗の後に新月の右前脚が前方へと伸びた。滑るように、空を走り抜け、そのままレグルスの後方へと新月が着地すれば、瞬間、レグルスが右目を抑えながら激しく雄たけびをあげるのが背中越しに伺われた。
 星座獣レグルスが、片目を完全に失った事は、自らの爪先に走る感触より明らかだった。
 ここに新月による先制攻撃により星座獣レグルスは視力の半分を失ったのである。しかし、あくまで戦いはまだ始まったばかりに過ぎない。新月に続き、猟兵による第二の刃は今まさにレグルスへと突き立てられんとしていたのだから。

大成功 🔵​🔵​🔵​

暗都・魎夜

【心情】
自分の命を懸けてでも大事な人を守ろうとする
そうそう出来るもんじゃねえ
大抵は時間稼ぎ位にしかならねえが

だが、俺が来た以上、十分だ
後は任せておきな!

「(誰何の言葉に)俺は通りすがりの能力者さ、覚えておきな! イグニッション!」

【決戦配備】
Md
レグルスが他の場所へ行けないように支援

【戦闘】
戦闘力は高いが、星のオーラを纏った姿になれば接近戦がメインになる
そこが狙いどころだ

「俺の切り札を見せてやるぜ。お代は見てのお帰りってな!」

UCを発動して、周りを「かばう」
「激痛耐性」で耐えつつ、真っ向から「斬撃波」「武器受け」で切り結ぶ

勝機を見たら「リミッター解除」「捨て身の一撃」



 白壁の天井から、砂礫や粉塵がはらりはらりと舞い落ちる。その場に倒れ伏した獣の振動が屋内全体へと波及したのだろう。塵や礫片が、大気の中に幕を張る。
 大穴を穿たれた病院外壁からは、春風と共に昼下がりの重苦しい陽射しが流れ込み、舞い散る砂礫を水晶の輝きで揺らめかす。
 風の通り道に一致して、さらさらと礫片が流れていく。
 院内は、突如現れた一頭の獅子の吐く火炎弾により、炎の中に沈みこんだ。
 今や外壁の大部分は崩れ落ち、病院の支柱は多くが崩落した。エントランスホールの床タイルの上には石壁の残骸や、倒壊した石柱が散乱し、瓦礫の山を築いている。
 乳白色の床タイルは所々が焦げ付き、煤が黒々と張り付ていた。ありとあらゆる場所に破壊と、火災の爪痕が深々と刻まれている。
 病院エントランスホールは、目も当てられないほどの倒壊ぶりを呈している。
 エントランスホールに立ち、暗都・魎夜(全てを壊し全てを繋ぐ・f35256)はぐるりと周囲を一望する。
 …確かに、院内の損傷ぶりは甚だしいものだった。
 だが、反面で、人的損害は見受けられなかった。
 魎夜を始めとした猟兵が事前に対処することで、少なくとも今の所人死には出ていない。いや、猟兵だけでは無い。院内のスタッフ達の協力もあり、デウスエクスは未だに目的を何一つとして達成できずにいる。
 魎夜が目の前を見やれば、エントランスホール中央で雄たけびを上げる巨大な獅子の姿がある。
 獅子が、ぶんぶんと巨大な尾を左右に振り回しながら巨体をのたうち回らせていた。
 憤懣と苦痛の翳りが、今や隻眼となった獅子の左目で揺蕩っている。もはや獅子は右の目の視力を完全に失ったのだ。
獅子の右前額部から頬部にかけて刻まれた鋭い爪痕のもと、瞼の肉は捲りあがり、そこからは赤黒い血が絶えず滴っている。
 かの百獣の王に膝をつかせ、獅子の右目から奪った張本人へと魎夜は目を向ける。
 暴れ回る獅子のやや手前に漆黒の獣がある。幾度も戦場で顔を突き合わせて戦って来た頼れるオルトロスの少女の姿がそこにあった。
 魎夜はオルトロスの少女に向かい、顎をしゃくる。そんな魎夜に気づいてか、オルトロスの少女が小さく会釈するのが見えた。
 軽く手を振り上げて、オルトロスの少女と入れ替わる様な恰好で、魎夜は星座獣レグルスと対峙する。自然、後方に立つ女性医師、姫川・沙耶の視線が魎夜の背中に突き刺さった。
 肩越しに後方へと振り返れば、しっとりとした質感のある黒髪をくしゃくしゃにしながら、白い素肌の所々を煤で化粧する姫川と目があった。
 纏う白衣は、よれよれに縮み、所々が黒ずんでいた。
 満身創痍の姫川・沙耶は肩で息をつきながら、それでも妙に溌溂と微笑んでいた。
 彼女もまた、今回の戦いにおける功労者の一人と言えるだろう。軽く右手を振り上げると、魎夜は姫川へと声をかける。
「姫川先生、見事だったぜ――。あんたが親友の命を守ったんだ」
 魎夜が言えば、姫川が気恥ずかしそうに視線を泳がせた。
 如何にも面映ゆげに顔をくしゃくしゃにしながらも、姫川の笑み笑みはますます深まっていく。なかなか、現金な女だと思った。同時に笑みを取り繕うのにも難儀する姫川の不器用ぶりが愛らしくも見えた。
 当初の、模範的な女性医師像とも言うべき、如何にも従容とした風を演じる姫川よりも、今のどこかあどけなく、自然体で微笑む姿の方が絵になっている様に見える。
 軽く姫川に目合図してから、再び魎夜は前方の星座獣へと視線を戻した。
――自分の命を懸けてでも大事な人を守ろうとする。言うは易きことだが、実際に行動に移すとなると、簡単に出来るものでは無い。
 姫川・沙耶は確かにケルベロスの力を有している。とはいえ、彼女の力ではレグルスには太刀打ちすることは出来ない。いや、レグルスの攻撃を防ぎきる事でさえ困難を極めるであろう。
 絶望的なまでに力量が乖離した相手を前にすれば、誰であろうと震えあがる。しかし、姫川は恐怖に打ち勝ち、そして親友の内田・真紀奈を守ったのだ。
 結果として見れば姫川は敵の攻撃をただ一撃、防いだに過ぎない。彼女が勇気を振り絞り、そして全力で張り巡らせた魔術結界は、あくまで一時的な小康状態を齎したに過ぎなかった。結果だけを冷静に分析すれば、無味乾燥な事実がそこに現れる。やや穿った見方をすれば、彼女は時間を稼ぐ、訪れる死をやや先延ばしにしたに過ぎなかった。そう、自分達猟兵が駆けつけなければだ。
 しかし、別の見方をすれば、彼女が時間を稼いだが故に、彼女の親友は命を取り留め、オルトロスの少女がレグルスに手痛い一撃を加えたのだ。
――そして、ここには俺がいる。
 頭に捲いたバンダナをぎゅっと締め直すと、魎夜は手負いの獣へと右手を伸ばす。人差し指を第二関節の部分で挑発的に折り曲げて、星座獣レグルスを牽制する。にやりと不敵な笑みを浮かべると、魎夜はレグルスへ、そして後方の姫川・沙耶へと言い放つ。
「後は任せておきな! あいつは俺がやる――っ。さぁ、来な、星座獣レグルス!」
 魎夜の言葉が届いてか、それとも挑発に乗ってか、レグルスの悲鳴にも似た雄たけびが色調を変える。それまで、ただ耳障りだった叫び声に明らかな憤怒の色が滲みだした。レグルスはピタリと足を止めると、左目をいからせながら、魎夜を睨み据える。
 百獣の王が倨傲たる雰囲気を放ちながら、右前脚を踏み出し、床タイルを踏み鳴らす。
「姫川先生、あんたはレグルスが他の場所へ行けないように支援を頼む…。まぁ…、俺が来た以上は――」
 言いながら魎夜もまた一歩を踏み出した。力強く踏み出した魎夜の一歩が、獣の齎した騒音をかき消して、じりじりと大気を揺らした。
「――あいつをどこにも行かせるつもりは無いけどな」
 魎夜の声が轟けば、百獣の王レグルスもまた負けじと、猛々しく唸りをあげた。
 レグルスの重苦しい呻きと、魎夜の軽妙に響く重低音とが混じり合い、殺気だった空気の中で反響していく。魎夜の靴音が響き、獣が一歩を更に踏み出した。
 魎夜とレグルスの距離が詰まるに従い、両者を隔てる僅かな空間はまるで深海の様に圧力を増していく。不可視の巨大な掌が、二人を隔絶する僅かな間合いに生み出され、殺気まじりに魎夜を後方へと押し出しているかの様だった。
 しかし、魎夜は朗らかに口角をつり上げ笑う。
 右手を振り上げ、くるくると掌を回せば、体内で高騰していく奇跡の力の奔流は堤を切った様にあふれ出し、全身を駆け巡っていく。
 確かにレグルスが強敵であることは間違いない。
 だが、それでも魎夜には余裕があった。
 そう魎夜はこれまで数多の戦場を駆け巡ってきた。銀誓館学園の旧友や師の存在が、干戈を交えて来た敵達さえもがはっきりと脳裏に思い描くことが出来る。
 彼が経験した全てのものが、今の魎夜を支えているのだ。
 となれば魎夜が遅れを取る謂れは無い。
 紅く染まったレグルスの隻眼が鋭い眼光でもって魎夜を貫き、剥き出しになった牙がぎしぎしと軋みを上げた。
 魎夜は、彼の獣と記憶の中の無数の敵とを照応させる。
 レグルスを遥かに凌ぐ速度を誇る敵と相対して来た。一撃で全てを砕く魔獣をも屠ってきた。かの獣が纏うよりもはるかに強固な鎧を纏った敵とも戦ってきた。
 在りし日の記憶と現在とが魎夜の中で一つに溶け込んでいく。魎夜の人差し指が天井を射す。白壁の天井は、敷き詰められた敷石により、碁盤の目状に広がっていた。
 指先が盤上の天元を指させば、魎夜の指先より淡い銀白色の光が飛沫を上げた。
「あなたは…一体?」
 姫川・沙耶の声が再び魎夜の背を揺らす。
「俺かい...?」
 魎夜の声音が軽やかに響き渡った。声には十代特有の、透明感と柔らかさがある。指先より迸る銀色の雨はますますに雨脚を強めていた。今は、エントランスホールは銀世界と化している。
「俺は――」
 魎夜は微笑んだ。
 全身で高騰する奇跡の力に加えて、別種の、どこか懐かしい力がふつふつと込み上がっていく。
 過日、銀誓館学園での死と背中合わせの青春時代を支えた異能の力が今、魎夜の中で燎原の火の如く、燃え広がっていたのだ。
 かつての力の復古と共に、光の雨は魎夜の体を全盛期のものへと改変していく。
「俺は通りすがりの能力者さ、覚えておきな!」
 言い放てば、降りしぶく銀色の雨が突如、左右に飛び散った。
「イグニッション!」
 銀雨が地上から天井へと重力に抗して、飛沫を上げた。張り上げた声と共に大地を蹴り上げる。
 ふわりと魎夜の体が軽やかに宙を舞ったかと思えば、魎夜はレグルスの頭上を飛び越え、かの獣の後方へと降り立つ。
 そこにあるは、十代の魎夜だ。
『疑似式・生命讃歌』、魎夜が編み出したユーベルコードとは、かつて銀誓館学園時代に魎夜を支えた異能力を再び、呼び戻し、当時の体へと魎夜を回帰させる。
 結果、今、魎夜は十代の頃の肉体にて、あの頃の異能を存分に振るう事を可能としたのである。
 突如、後方へと降り立った魎夜に遅れて、レグルスが体勢を魎夜へと向ける。
 魎夜は咄嗟に身を屈めると、レグルスの死角たる右側へと疾駆する。まるで風かなにかの様に、魎夜が弧を描きながらレグルスの死角へと潜り込んだ。
「俺の切り札を見せてやるぜ」
 あふれ出る生命のエネルギーを触媒にして、魎夜は物凄い勢いでレグルスの懐に飛び込むと、七支刀『滅びの業火』を振り上げた。
 剣が緩やかに逆袈裟に振り上げられる。
 刀身が平素よりも尚、炯々と輝いた。
 剣を勢いそのまま振り切れば、赤黒く揺らめく刀身は、赤光の如き輝く一条の刀身を空中に生み出す。
 剣の切っ先が上方を睨み、次いで軽やかに刀身が空を踊れば、生み出された刀身は剣の切っ先に押し出されるようにして、レグルスの無防備になった下腹部目掛け、まるで吸い込まれる様にして空を駆けていく。
 斬撃波とは、魎夜が得意とする技の一つである。
 そして、かつての異能の力を完全に発揮した魎夜が放つそれは、ユーベルコードのそれにも劣らぬ威力でレグルスを襲ったのだ。
 斬撃波が、レグルスの下腹部に赤黒い刀身を突き立てれば、なめし皮の様なレグルスの皮膚がすっぱりと裂けた。血の飛沫が噴出し、ついで、レグルスが身じろぎしながら後方へと一歩、二歩と後ずさる。
 魎夜はわずかに後方へと飛び退いた。
 そうして、七支刀『滅びの業火』を前方で構える。
 幾分、戦い方に粗さがあるなと、魎夜は苦笑気味にひとりごちる。
 剣を正眼で構え、剣越しにレグルスを伺えば、ふと魎夜はなにか異変のようなものをレグルスから感じとった。
 星座獣レグルスの瞳が陰惨の色を湛えながら、見開かれるのが見えた。
 星座獣レグルスの金色の瞳を一瞬掠めたのは、王者らしからぬ狡猾な光であった。彼の獣は後方へとよろめきながら、魎夜から視線を外すと、一転して姫川へと首を向ける。
 内田・真紀奈を狙った際に姫川は身を挺して彼女を救ってみせた。
 人間とは、本質的に弱き者を庇うのだろうと、獣は判断したのだろう。姫川が内田を庇った状況を、そっくりそのまま、魎夜と姫川で再現しようとしたに違いない。
 既に姫川の魔力は払底しているのは明らかだ。となれば、魎夜は必然、彼女を救うべく動き出すと星座獣は推測したのであろう。
 星座獣が口を開けば、喉奥で炬火が蠢いた。
 次いでレグルスの遠吠えがエントランスホールを揺らせば、咆哮を合図に喉奥の炬火は膨張し、巨大な火炎の塊となって、咽頭を滑る様にして駆け上り、そのまま口元から噴出される。
 轟轟と唸りをあげながら、火炎弾が空を一直線に駆けていく。
 火炎弾の先には姫川がある。
 勿論――、彼女を見捨てる事を良しとする魎夜では無い。
 咄嗟に魎夜は走り出していた。魎夜が力強く床板をけり抜けば、その体は再び疾風と化す。
 一陣の風となった魎夜は、火炎弾と姫川の間に身を躍らせると、両手を広げ姫川を庇う。
 火炎弾が魎夜の背に打ち付ければ、爆炎が上げる。爆炎は、焔の津波となってエントランスホール全体へと波及してゆき、束の間、エントランスホール全体が焔の海の中へと沈み込む。
 残火が赤い火花となって空できらきらと輝いていた。
 すぐさまに赤黒い炎の波は、潮を引いてゆき、たちこめた爆炎に代わり、黒煙がエントランスホール全体を包みこんでいく。
 姫川には傷一つない。
 しかし、レグルスが姫川には目もくれてないのは一目瞭然だ。レグルスの残忍さを湛えた視線は今、姫川を庇う様にして仁王立ちする魎夜へとのみ注がれていた。
 黒煙の中、後ろ姿で立つ魎夜は微動だにしない。レグルスが、僅かに前足を踏み締めれば、タイル床がどこか緊迫した様に軋みを上げた。
「ちょっとあちぃな、獣野郎――」
 ぴくりと魎夜の背が動いたかと思えば、レグルスが足を止める。
 くるりとレグルスへと向きを変えれば、当然、無傷の魎夜がそこにある。
 背中にひりひりとした熱感を感じる。だが――、致命傷には程遠い。
 それもそうだろう。今、魎夜はあふれ出る生命エネルギーにより、無限にも近い再生能力を得ていたからだ。
 じっと魎夜が細めて、レグルスを凝視すれば、無傷の魎夜を前にレグルスが隻眼を焦慮とも恐怖ともつかぬ色で染め上げるのが見えた。
「これは――お返しだ。お代は見てのお帰りってな!」
 恐怖がレグルスの足を止めている。一瞬、生まれたその隙を活用しない手は無い。
 魎夜は右足で力強く床板を踏み締めると、後方へと半身を捻る。
 体で絶えず溢れる生命エネルギーの大半を七支刀へと載せれば、刀身の焔は溢れんばかりに膨張してゆく。赤い焔の帯が刀身から靄の様に周囲へと尾を曳いた。
 全身に込めた力を解き放つように、抜刀の構えから剣を前方へと一挙に振り抜けば、再び斬撃波が、放たれる。
 斬撃波は波濤となって、一挙に空を駆け抜け、星座獣レグルスを飲みこむと、その巨体を対側の壁際まで押し流す。獅子が石壁へと巨躯をめり込ませる。ぐずりと石壁が崩落し、石片が乾いた音を上げながら床タイルの上へと一つ、二つと積み上がっていく。
 爛漫と咲き誇るは、紅い曼殊沙華。
 レグルスの全身から血の飛沫が噴水の様に迸ったのだ。
 立て続けに放たれた一の太刀、二の太刀により、獅子の腹部には刀傷が深々と刻みこまれる。絶え間なく漏れ出す薔薇の花弁の如き鮮烈な朱色が、傷口から獅子の腹部全体へと広がっていく。
 ぽきぽきと首を鳴らしながら、魎夜は七支刀をそっと下ろす。ふぅと吐息を零せば、奇跡の力は霧散し、魎夜の体は銀誓館学園時代のものから現行のものへと変じていく。
 レグルスには手痛い一撃を見舞った。とは言え、再び姫川を巻き込むような事をされてはいささか厄介だ。そして、奇跡の力の使用の反動故に多少なりとも消耗を全身に感じる。
 あらためて、学生時代の自分は恐ろしい力を持て余していたのだと魎夜は実感する。
「姫川先生、一緒に引くとしようぜ。背中をちょっとばかし火傷しちまったからな、後方で治療を頼んでいいか?」
 ぱちりと魎夜が姫川へと目配せすれば、姫川が半ば呆然と首を縦にふるのが見えた。
 朗らかに笑いながら、魎夜は姫川と共にレグルスの元から後退する。一歩、後方へと飛び退けば、銀色の雨滴が一滴、タイル床に滴り落ち、砕けるのが見えた。雨滴が弾けると共に、追憶もまた、硝子細工の様に過去の海へと沈みこんでいく。
 束の間の過去との邂逅もまた悪くは無いと、砕け散る銀色の雫を魎夜は朗らかな感慨で見送った。
 かちりと大時計の長針が四時の方向へとわずかに揺れ動くのが見えた。凡そ戦いが始まってより十分ほどの時間が経過した。
 だが、予知された未来とは異なる未来がここにある。
 星座獣は石片の中に横たわり、そして未だ、病院内で戦いの被害者は報告されていない。
 ここに未来は予知から外れ、動きを始めたのである。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ステラ・スターライト

連携○
配備:Cs

病院の中に被害者は出ていない
UCで《結界》を強化
支援の人がいるなら、その維持に当たってもらう

光と炎を纏う巨大な獅子、レグルス
まずは遠間から《雷撃》を放つ

効かない
エリザベスさんが言っていた通りだ
間合いに入り、切り結ぶしかない

「知覚」を強化し、動きを見切ることに集中
《帯革》で一気に距離を詰め、近接戦の間合いに入る

敵がこちらの剣の威力を把握したなら――剣の防御貫通を強化
身体に突き刺し、強化した全力の《雷撃》を中に放つ!
足りないなら《雫》で全回復してもう一度!

逃げるそぶりを見せるなら、強化した《結界》を張って脱出を封じる
知らなかった? 勇者からは逃げられない
貴方はここで倒す!



 立ち込めた黒煙が絹を裂く様に霧散すれば、開け広げになった視界の元、レグルスの巨体が空を泳ぎ、勢いそのまま石壁へとめり込んでいくのが見えた。
 獅子の衝突に、石壁の壁面に亀裂が生じた。湖面に張られた薄氷が僅かな衝撃を受け、たちどころに湖面全体に亀裂を波及させていくように、白壁全体がひび割れ、ついで、脆い雲母か何かの様に崩落していく。
 瓦礫の一片、一片が、巨大な獅子を押しつぶしていくのが見えた。
 瓦礫片が獅子の背を、頭部を、そして肩元に絶えず打ちつければ、ついぞ獅子が両の膝をつき、瓦礫の中へと身を埋める。
 レグルスが転倒すれば、床タイルが激しく軋みを上げながら、地響きの様に激しく動揺する。
 振動が、ステラ・スターライト(星光の剣・f43055)の足元にも伝わってくる。不気味な地響きの中、ステラの濃紺の瞳は冷静沈着そのもの、瓦礫の下に埋もれたレグルスだけを捉えていた。
 レグルスは、オルトロスの少女の爪撃により、片目の視力を奪われ、次いで、鳶色の髪をした少年の剣戟を受けて腹部に深々とした裂傷を刻まれた。
 この二者の攻撃により、レグルスは半生半死の状況まで追い込まれ、今、瓦礫の下で押しつぶされ、身悶えするという窮状を呈している。
 現在、外来患者、入院患者問わずに院内で被害者は見受けられなかった。
 戦闘開始と共に避難を始めた外来患者たちは、既に東西のナースステーションまで無事に逃げおおせた様で、エントランスホールには巨大な獅子を除けば、後は猟兵達と姫川・沙耶が存在するだけだった。
 とはいえ、院内の損傷ぶりは目を覆いたくなるほどに甚大であり、このまま猟兵達とレグルスとの応酬が続けば、辛うじて二階を支えている石柱や天井も崩れ、結果、二階病棟へと被害が波及する可能性もあり得た。
 人的被害は正直、出したくない、というのがステラの率直な思いであった。
 かつての自分と入院患者達を重ねたからだけでは無い。この病院で力強く生きようとする、患者たちを目の当りにして何故か目頭が熱くなったからだ。
 患者の中には手足は愚か、眼球すらも満足に動かせずにいる者さえいた。神経疾患を専門に扱う難病指定病院故に、ここには神経が弱り、筋肉の萎縮した患者が数多、入院しているのだ。
 だが、彼らは衰弱しながらも、今を必死に生きている。そんな患者たちの姿が、ステラには眩しく感じられたのだ。
 同時に、入院患者の心の隙間につけこみ、デウスエクス化を促す敵にステラは怒りを感じていた。
 義憤からか、それとも慈愛の心からかははっきりとは分からなかった。
 だが胸中でくすぶる想いが、ステラに戦う事を選ばせたのである。
 そうして生まれた思いが、ステラの中で、春の日だまりのごとく溢れていく奇跡の力と相まって、ユーベルコードを発現させたのである。
 『光の祝福』と呼ばれるステラ固有のユーベルコードは、ステラの意思を汲み取ってか、ステラによって院内へと張りめぐらされた結界網の防護性を高めていく。
 綿花の様な、弾力のある光の泡沫が空へ舞い上がったかと思えば、純白の光の粒は天井壁へ、辛うじて残った院内の支柱を穏やかに包み込む。
 其は只の微光に非ず、ステラの奇跡の力の奔出である。ふと見れば、天井が、石柱が白光している。
 『光の祝福』により強化された結界術により、戦いが多少激化しても石壁や天井は容易に崩落する事はないだろう。
 これで後顧の憂いは断つことが出来た。
 となれば――あとは星座獣レグルスと干戈を交えるだけだ。
 結界強化を終えるや、ステラは、瓦礫に圧排され、四肢を僅かに収斂させるばかりの星座獣レグルスを伺った。
 堆く積み重なった瓦礫のもと、流れ出したレグルスの血が床タイルに赤い小川を作っている。
 一見、レグルスは死に瀕していると見える。だが、実態は違うとステラは見る。
 レグルスを押しつぶす瓦礫の表面に、薄ぼんやりと発光する光点が浮かび上がっている。光点は、春先の夜空を彩る、獅子座を模倣する様な形で配列され、空中に刻印されていた。
 光と炎を纏う巨大な獅子、レグルス。彼が自らを守る鎧として纏う『アターナト・リオンターリ』は、今も尚、眩い恒星の輝きで彼を包んでいたのだ。この星の瞬きこそが、未だレグルスが健在である事を証左していた。
 ぴくりとレグルスの四肢が激しく体動するのが見えた。獰猛な金色の瞳が見開かれ、ついで、レグルスがゆっくりとその場に立ちあがる。
 斬撃の余波が未だに尾を曳いているのか、立ち上がり様、獅子が僅かに動揺するのが見えた。
 隻眼となった左眼には動揺と憤懣の色が曖昧に混淆しているかのごとく見受けられた。百獣の王は力なく視線を泳がせながら、彼の獲物を探し求めている様だった。
 先手必勝――との言葉がステラの脳裏に思い浮かんだ。
 『アターナト・リオンターリ』の防護性は、グリモア猟兵の言葉を借りれば、ほぼ全ての攻撃を無力化させるほどの防護性を備えているという。
 だが、既に味方猟兵との連戦を経て、敵は大きく損傷している。
 加えて言うのならば、ステラもまた、ユーベルコード『光の祝福』により自らの魔力を賦活させる事で大幅に魔力の威力を高めている。
 牽制の意味も兼ねて、雷撃の魔術を獣に見舞う。
 仮に『アターナト・リオンターリ』が発動しても、雷撃は牽制となるだろうし、あわよくば致命傷となり得る可能性もありえる。
 方針を固めるや、ステラの動きは迅速を極めた。剣を下方へと傾けて、魔力を高速で詠唱する。
 凛としたステラの声音がエントランスホールに響き渡れば、勇者の剣の切っ先に、紫色の微光が灯る。
 レグルスが右前脚で床タイルを踏み締めるのが見えた。今、まさに彼は動き出そうとしている事が窺われた。
 彼に行動の自由を許すつもりはステラには無い。星座獣が歩みを始めるに先んじて、ステラは雷撃の魔術でもって星座獣レグルスへと攻勢を仕掛ける。
 体内の魔力を剣へと込める。勢いそおんまま、剣を横一閃すれば、剣先の雷光はますますに光量を強めていき、横薙ぎと共に雷光となって切っ先を離れた。
 長い紫色の尾を曳きながら、一筋の雷光が空を駆けあがっていく。
 雷鳴が、静まりかえったエントランスホールでけたたましく鳴り響ていた。
 周囲にぱちぱちと火花をあげながら紫色の雷撃が大口を開けてレグルスを飲みこむ。雷光がレグルス表面へと鋭い紫色の牙を突きたてた。
 しかし――。雷撃は、匕首をレグルスの三寸先まで突きつけるも、まるで不可視の障壁かなにかに阻まれる様に、そこでピタリと動きを止めた。
 レグルスが視線を雷撃へと向ければ、虚空に浮かび上がった星々が蠱惑的に白光する。レグルスを取り巻く星々が眩耀の光で輝き出したかと思えば、瞬間、雷光が、膨張し粉々に砕け散った。
 『アターナト・リオンターリ』は未だ健在だ。
 「効かない――!エリザベスさんが言っていた通りだ」
 無傷のレグルスを前に舌打ちと共にステラが言い放つ。
 とはいえ、遠距離攻撃が有効打となり得ないだろう事は、想定の範囲内である。
 それならば――。
 思い切り床板を蹴り上げるとステラはレグルス向かい、床すれすれを滑走する。
 遠距離攻撃が利かなければ、敵の間合いで切り結ぶより他ない。もとより覚悟の上だ。
 勇者の剣を握りしめれば、硬く冷たい感触が手のひらに走る。吸い込んだ空気が、肺臓に充満し、毛細血管を介して全身へと駆け巡っていく。ユーベルコード『光の祝福』はステラの魔力のみならず、身体能力をも亢進させている。
 目前のレグルスを睨み据え、かの獣の一挙手一投足にだけ意識を傾注させれば、手に取る様にレグルスの挙止が、そしてその思考さえも読み取ること出来るようだった。
 ふとレグルスの隻眼がステラへと向けられた。レグルスの瞳には、苛立ちに混じり恐怖の色が滲んで見えた。
 これまでレグルスは彼が得意とする近接戦において後手を踏み続けてきた。最強たる驕りこそが、これまでレグルスに王者としての威厳を保証し、そして彼に歯向かう者達と対等の距離で戦う事を選択させたのだ。
 だが王者としての誇りが裏目に出た。レグルスが敵を残忍の自らの爪や牙で斬殺することを優先したが故にレグルスは手痛い傷を負ったのだ。
 抉られた目の疼きが、腹部に深々と刻まれた刀傷より齎される痛みがレグルスの王者としての矜持を粉砕したのだ。
 レグルスが後ろ足を一歩、後方へと引いた。
 かの獣はステラの接近を峻拒する様に、ずるずるとステラから距離を離したのである。
 かわって星座獣レグルスが選んだのは安全圏からの攻撃だった。
 レグルスが大口を上げるのが見えた。喉奥では、焔の塊が渦を巻きながら顔を覗かせている。獣の咆哮が、森閑と佇むエントランスホールに鳴り響いたかと思えば、レグルスの口元より一つ、また一つと火球が吐き出されていく。
 レグルスが高らかに唸るたびに、赤黒い光弾が続々とステラへ向かい、空を奔走した。
 疾駆するステラの元へと、火炎弾が横殴りに押し寄せて来る。視界は赫赫と燃え、焔の余波が熱風となりステラの頬をじわりと焼いた。
 目前の空間は赤黒い焔に埋め尽くされている。ステラは今、無数の焔の中へと身を潜らせようとしているのだ。飛んで火にいる夏の虫とはこのことだろうか。
 ステラは自嘲気味に現状を俯瞰する。
 しかし、死中に活を求めることで道は開かれる。
 なによりも、ステラの濃紺の瞳は、火炎弾の飛翔速度や、火炎弾と火炎弾との合間に微妙に生じた間隙を見切り、そこから敵への接近経路を具に導き出していた。
一歩、ステラが足を踏みしめれば火炎弾の第一撃がステラの目と鼻の先まで迫る。
 熱風により目頭にじわりと涙にじんだ。髪先がじわりと焦げついたような音を上げた。巨大な炎の球体が炎の手を伸ばし、ステラの頬を撫でる。
 焔の指先を払いのける様に、ステラは体勢を素早く左方へと翻す。瞬転、ステラの視界は九十度ほど回転する。急速に入れ替わる視界の元、ステラの鼻先すれすれを赤黒い焔の塊が過ぎ去って行くのが見えた。
 わずかに鼻先に熱感が走ったがそれだけだった。既に火炎弾の一撃目はステラの遥か遠方へと遠のいている。
 ふんと小さく鼻息を零すと、ステラは再び咄嗟に大勢を整えて、疾駆を開始する。
 二撃目の火炎弾を剣で切り払えば、火球は弾け飛び、紅い粉塵が周囲に迸った。舞い散る火の粉の中を駆けあがり、三撃目の火炎弾を素早い身のこなしでいなし、四撃目を結界術でやり過ごす。
 そうして五撃目の火炎弾を魔術で相殺すると同時にステラは手にした帯革をレグルス向けて投擲した。
 帯革は、鞭の様にしなりを上げながら、二人を隔てる間隙を瞬く間に走り抜けていく。まるで蛇が得物を絡め取る様に、帯革がレグルスの右前足に絡みついた。ステラが帯革を手繰り寄せれば、ステラのしなやかな体が空を舞い、低空すれすれをレグルス目掛けて滑空していく。
 瞬く間にステラとレグルスの距離はゼロとなる。
 レグルスは未だに状況を掴めずに、なんら反撃を取れぬままに自らに肉薄するステラを間抜け面で眺めるばかりだ。
 レグルスの懐へと潜りんで、右足で床タイルを力強く踏みしめる。帯革を投げ捨て代わりに勇者の剣を握りしめれば、切っ先で再び紫色の雷光が揺らめいた。
 ステラはぐっと腰を下ろして、下段で剣を構える。そうして、レグルスの右前胸部へと狙いを定めれば、恐怖に歪むレグルスの顔が視界に飛び込んで来る。
 レグルスが後ろ足をわずかにひき、巨体を後方へと反らすのが見えた。
 そう星座獣レグルス、かの残虐なる獣の王は死地に及び、反撃するでは無く、逃走を選んだのである。
 ステラが剣を振り上げるよりも早く、レグルスが後方へと飛び退いた。
 ふわりと獅子の巨体が軽やかに空を舞い、ステラから遠ざかっていく。獅子の巨躯がしばし優雅に空を揺蕩う。
 …そして――、目には見えぬ壁の様なものに弾かれて、再びステラの元へと押し戻される。
 既にステラの結界術は、四方に張り巡らされている。もはや獅子は退路を断たれてたのである。
「知らなかった?――勇者からは逃げられない!」
 吐き捨てるようにステラが豪語する。レグルスは辛うじて受け身を取り、両の足で大地を踏み締めていたが、未だ動揺したままに無防備に右前胸部を晒している。
 既に剣の切っ先に込められた雷撃は極限までその威力を高めていく。
 この雷撃を――直接、レグルスの胸部へと突き立てる!
 息を吐きだすと共に一歩を踏み出した。下段で構えた剣を振り上げれば、切っ先は鋭い弧を描きながらレグルスの前胸部へと襲い掛かる。
 レグルスのなめし皮の様な分厚い皮膚が剣に切り裂かれ、ついで、屈強な筋層の中へと剣が沈んでいく。
 ぐっと柄を力強く握りしめ、刀身を更に奥へ奥へと押し込んでいく。
「貴方はここで倒す!」
 ステラは叫ぶと同時に、剣へと魔力を込める。剣の切っ先を肺臓部まで押し進め、そうして身に宿した全ての魔力を剣先へと流し込んだのだ。
 瞬転、迸るは、眩いばかりの雷光。
 レグルスを中心にして、雷撃の魔力を宿した紫色の光がエントランスホールへと溢れていく。
 ステラが放った雷撃の魔術は内部よりレグルスを焼灼し、充溢した魔力の余波が、紫色の飛沫となって、レグルスの前胸部に刻まれた傷口から零れ出した。
 至近距離で雷撃魔術を永遠と放つステラにも、雷撃の余波が襲った。
 だが力は抜かない。
 絶えず剣を通して魔力を注ぎこみ、ステラはレグルスを雷撃で灼いたのだ。
 けたたましく雷鳴が鳴り響き、白く視界が染まりあがる。極点まで荒ぶった雷撃は、渦を巻きながら、あふれ出し、そうして柄の間、世界を白一色に潤色したのだった。
 徐々に徐々にと稲妻は勢いを落としていく。光の消褪に伴い、ステラの中で魔力が徐々に徐々にと薄らいでいくのが分かった。
 ステラは剣をレグルスから引き抜くと、後方へと飛び退き、剣を振り下ろす。
 レグルスは声を上げる余力すら残されていない様で、泡まじりの喀血を口元から絶えず流していた。恐らく片肺が完全につぶれている。
 レグルスの吐息は荒々しく、その足取りは弱々しい。辛うじて、踏みとどまっているものの、立つのもやっという有様だ。
――本来ならばステラは二の太刀で追撃に移行したかった。
 だが既に魔力は払底しつつあり、ここで攻撃のために魔力を更に傾注させれば、必然、結界術が破綻する恐れもあった。
 故にステラはあえて攻勢の手を止めて、一旦、退くことを決める。
 エントランスホールには未だ稲妻の余韻が紫色の微光となって燻っていた。そして、転進するステラと交代する様な
恰好で、なにかの影が微光の中を駆け抜けて行く。
 そう、次なる刃はいままさにレグルスへと振り下ろされようとしていたのだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ハル・エーヴィヒカイト

連携○
▼口調
一人称は私固定
思考のみ俺

▼心情
予知された未来は回避し、獣は網にかかった
あとは狩るだけだ
被害を最小限に食い止めるためにも速やかに斬る

▼ポジション
Cr
病院には設備が整っていないので事前に張っておいた結界からの刀剣射出で代用

▼戦闘
「狩られる側に立った気分はどうだ? しし座の獣よ。人語を解するかは知らないが」
あえて相手の視界に収まるように正面に立ってから真っ直ぐ接近し、UCで斬る
敵はこちらの行動を妨害することでそのまま反撃に繋げる爪牙を持っている
だがこちらの攻撃を妨害し防ぐ能力であれば、この技はその悉くを斬り裂く
敵がその爪牙でこちらの剣を防ごうとするところを[部位破壊]でその爪と牙ごと両断しよう
敵がこちらの行動妨害を妨害できないタイミングを[見切り]、Crによる刀剣の乱れ撃ちで全方位から追撃、狩りを終わらせる
UC以外の直接攻撃は[心眼]で見切り、[念動力]で操作した刀剣で[受け流]そう


トーノ・ヴィラーサミ

連携〇
決戦配備:Df

若輩者の身ではありますが、一手お相手願いましょうか

【暗殺】の技術も活用しなるべく気が付かれないように接近
味方との間、盾としての位置取りを意識
可能な攻撃は【受け流し】つつ、味方の盾として立ち回りを意識
むしろ負傷により流血をするのであればこちらも好都合
この刃(caida)は私の血を吸えば吸うほどに力を増す変わりものゆえ

血液が相手に触れれば即座にパラドクス発動

相手にのみ飛散するように、という配慮も兼ね、接近戦を仕掛けます
可能な限り相手の隙を狙いつつ(【鎧無視攻撃】)癒し手の負担軽減を意識(【生命力吸収】)

姫川さん
私への回復は最低限で構いません
他の方々やご自身を優先されてください




 目眩む様な紫色の雷光が霧散すれば、エントランスホールには得も言われぬ静寂が漂い始める。
 静まり返った銀白の世界の中、巨大な獅子が両の足で大地を踏み踏み抜く姿が見える。足元の床タイルが動揺しているのが分かる。獅子の巨大な一歩が大地を揺らしたのだ。
 オルトロスの少女により片目を抉られ、ついで猟兵達の絶え間ない追撃を受け、下腹部を、片肺を雷撃で焼かれた百獣の王は、その場に雄々しく立ちはだかり、来るものを威嚇する様に身構えている。
 トーノ・ヴィラーサミ(黒翼の猟犬・f41020)は、堆く積み重なった瓦礫の山に半身を隠しつつ、半生半死の獅子を仔細に観察する。
 濃紺の瞳は、理知の光を帯びながら、氷の様な冷たさでもって星座獣レグルスのみを映し出す。
 最初にトーノが気づいたのは、星座獣レグルスの周囲を取り囲んでいた星座群の消失であった。
 『アターナト・リオンターリ』と呼ばれる星オーラで編みこまれた鎧は、今や消失し、レグルスはなににも守られること無く、裸一貫でその雄々しい巨体をそびやかしている。
 次いでトーノ濃紺の瞳が捉えたのは、レグルスが放つ気配の変容であった。
 レグルスは今や半ば死に体にある。
 しかし、かの百獣の王は死の際に立たされて、明らかに雰囲気を一変させた様にトーノには感じられたのだ。
 レグルスは当初は、行き過ぎた自尊心故に権高に振る舞い、続いて、猟兵達に圧倒されることで怯懦に飲み込まれた。
 行き過ぎた自意識も、また極端な臆病さもそのどちらもが戦いの中では足かせとなる。
 星座獣レグルスはこれまで絶対者として君臨し続けてきたのだろう。故にかの獣は、人生においてはじめて経験したであろう自らに伯仲する実力者との戦いにより、大いに気を動転させられたのだ。
 動揺が混乱を呼び、そしてレグルスに耐えがたい痛みを齎した。
 そして、その痛みの末、レグルスはその身に纏うオーラを変容させたのである。
 レグルスが、上体を深く沈め、唸りをあげるのが見えた。
 剥き出しになった巨大な牙が喀血でどす黒く染まっている。百獣の王は、隻眼となった左目を猛々しく見開き、注意深く四囲へと視線を這わせ始めた。
 瞳からは、もはや倨傲や憤懣、嗜虐性といったものは感じられなかった。
 獅子の金色の瞳は王者というに相応しい、気高い光を帯びながら、どこか精悍と揺蕩っている様にトーノには見えた。
 手負いの獅子は、死に瀕して王者としての風格を取り戻し、そして己が敵に相対することを決めたのだ。
 無敵の鎧『アターナト・リオンターリ』が消失した事こそ、逆境にある獣が、あえて守りを捨て、なりふり構わずに攻勢へに転じた獣の意思を如実に教唆している。
 死の淵に立たされたことが、かえって、星座獣レグルスを勢いづかせたのである。
 ここから先が正念場となるとトーノは見る。
「雰囲気が変わったな…。さて、どうしたものか」
 トーノの傍らより、困惑まじりの低音が響いた。艶のあるしっとりとした男の声だった。
 トーノが声の主へと視線を遣れば、銀糸の様な柔らかな長髪がふわりと揺れた。白磁の様に白くやらかな相貌の元、金色の瞳が優艶と輝いていた。壊れ物のような繊細な目鼻が小顔の中で精緻に配置されている。声さえ聴かなければ女性と見紛えたかもしれない。トーノは目前の男へと向きを変えると、挙止を正し、一揖する。
「そうですね。今の敵が放つ殺気はまさしく王者のものです…。一筋縄ではいきますまし。えぇと、あなたは猟兵の――?」
 トーノが半ばまで言葉を紡げば、隣立つ美貌の男が首を即座に縦に振る。
「私は、ハル。ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣聖・f40781)という。あなたは?」
 ハルとなのる猟兵が、トーノに向かい従容と会釈する。物腰の低さや丁重な態度など、トーノとハルの間では共通するものがある。
「ご丁寧に。私はトーノ。トーノ・ヴィラーサミと申します。やや手短な自己紹介となってしまい恐縮ですが、さて如何にしたものでしょうかね…。」
 トーノは返答する。曖昧に語尾に疑問符を添えてハルに問わば、ハルが視線をトーノからレグルスへと向けるのが見えた。
「私は敵が攻勢に移ると見ている。出来うるなら、凶悪な敵の攻撃が放たれる前に迅速に戦いを決するか、敵の一撃を無力化する方向で動きたい」
 阿吽の呼吸でハルが答えた。
 なるほど、この眉目秀麗な貴人は、見目が麗しいだけでなく、戦士としても十分な実力を兼ね揃えている事が言動から伺われる。信頼に足る人物と言えるだろう。
 トーノは首肯して、ハルに応じる。
「私も同様に思います。星の焔――、病院襲撃の際に使用した光弾を敵が再び使用すれば、如何にエントランスホールに結界術が張り巡らされていると言えどもただでは済みますまい。人的損害が生じるのはなるべく避けたくも思います」
 トーノ言質に、ハルが苦悶げに眉を寄せた。形の良い唇を尖らせながらハルが言う。
「そうだな。可能な限り、被害は減らしたいものだが…」
「作用ですね。となれば…さきがけはこの私にお任せ下さい」
 ハルの苦悩を取り払う様にトーノは力強く前脚を一歩踏み出した。
 ハルからその他の猟兵達を順繰りに見やり、最後に非戦闘要員の姫川・沙耶を一瞥した。
「私が敵の目をひきましょう。なるべく、敵の攻撃が私に向くようにと敵をかく乱しつつ、隙を作りましょう。相手に生まれた隙に乗じて、ハルさん、トドメはあなたに任せます」
 トーノは歩を進めながら言葉を続ける。ついで、遠方で、赤髪の青年に守られる様な恰好で立つ白衣姿の女、姫川・沙耶へと告げる。
「姫川さん。私への回復は最低限で構いません。――他の方々やご自身を優先されてください」
 トーノの言葉に姫川が頷くのが見えた。
 そんな姫川の挙止を合図に、トーノは足元に力を籠める。
 そうして力強く床タイルを前脚で踏み抜けば、トーノの黒くしなやかな体躯は軽やかに空に舞い、漆黒の影となって音も無く低空を走り抜けていく。
 レグルスは右目を潰され、いわば半盲の状態にある。故にトーノは右の死角から弧を描くようにレグルスへと急接近する事を選んだ。床タイルを蹴り蹴り、跳ねる様に空を泳げば、トーノの跳躍に続いて足音が鳴り響く。
 音速をも超える速さでレグルスへと攻め込むトーノにとっては、レグルスと自らを隔てる間合いはもはや、意味をなさなかった。
 蒼い焔が、柔らかに空で揺曳すれば、黒い影がレグルスの上空へとするりと伸びる。
 迫る影に気づいてか、星座獣レグルスの左目が妙にゆっくりと右方へと向きを変えた。瞬転、トーノの濃紺の瞳とレグルスの金色の瞳とが視線を交錯させる。
「若輩の身ではありますが――、一手お相手願いましょうか」
 飛び込み様、トーノが左前脚を振り下ろせば、青い焔が牙を剥く。
 トーノとレグルスの影が交錯し、ついで青焔が弧を描きながら、レグルスの左肩をなで斬りした。 
 斬撃の勢いそのままにトーノは、軽やかに空を舞い、レグルスの後方へと舞い降りた。トーノの前脚が床タイルを力強く踏みしめ、ついでやや遅れて後ろ足が床タイルを穏やかに踏みならす。
 瞬間、トーノの後方で鮮烈な赤い血の華が咲き乱れる。咄嗟に後方へと振り向けば、レグルスの肩元に縦長の青あざがじわりと滲み、血が飛沫となって舞い上がる。
 出血こそ派手だが傷は浅い――。
 トーノは自らの攻撃をそう判断する。とはいえ、威力の大小は現状、さほど重要では無かった。
 先制攻撃という観点から見れば、トーノは見事に役目を果たしたといえる。
 レグルスの金色の瞳が、僅かに細められ、刺すような視線でトーノを貫いた。ここにレグルスの注意は完全にトーノへと注がれたのだ。
 小刻みに歩を刻みながらトーノは臨戦態勢を整える。
 トーノに応じてか、レグルスの巨躯がぴくりと蠢動するのが見えた。焔のたてがみが、蠢き、ついで刷毛の様に火の手を広げていく。
 焔はますます火勢を強めていき、ついぞ、巨大な塊となったかと思えば、激しく揺れ動き中空にしし座を象る爆炎を生み出すのだった。
「ごぉぉおぉぉ――」
 底ごもった重低音が、空気をじりじりと揺らす。
 そう、レグルスの咆哮だ。
 勇壮とした王者の号令一下、獅子座型に揺らめく爆炎が突如、弾け飛ぶ。
 激しい焔が大腕を振り回しながら、炎の掌をトーノへと伸ばす。
 視界が焔の海の中で赤く燃える。
 紛れもないレグルスの必殺の爆炎を、しかし、トーノはあえてその身で受けることを選択した。
 心窩部から左前脚へと伸びる蒼い焔で、全身を覆う。後方の姫川やハル・エーヴィヒカイトの盾となるようにトーノは足を止め、あえて正面から敵の攻撃を受け止めた。
 焔の津波がトーノを飲み込めば、全身を、痺れにも似た熱感が走り抜けていく。
 可能な限り青焔で爆炎の威力を受け流しても尚、恐ろしい熱量がトーノへと襲い掛かる。
――だが、耐えられないほどではない。
 四肢で力強く大地に踏みとどまり、熱波をやり過ごす。厖大な熱量と共に津波にも似た重圧感がトーノへと押し寄せた。
 だが、トーノは一歩も動かない。燃えさかる火炎の中で、深海の蒼さに似た藍色の瞳が、一際鮮やかに輝いた。蠢く熱波は徐々に勢いを火勢を落としてゆき、余韻を赤い糸くずとして空に僅かに残して消え去った。
 正常化した視界の中、巨大な獅子レグルスの姿がありありと浮かび上がる。
 四肢に痺れと、体幹に軽度の熱感を覚える。
 しかし、致命傷には遠い。周囲を見渡せば、後方の姫川には傷は無く、ハルもまた健在なままであることが窺われた。
 見事にトーノは盾としての役割を果たしたのだ。
 とはいえ、黙って殴られ続けるトーノはお人よしでは無い。また、ここで攻勢の手を止めるつもりもトーノには毛頭無い。
 残火が赤い華となって散るエントランスホールの中を、トーノは再びレグルス向かい、疾走する。全身を包む様にして纏っていた青焔を、左前脚のみに纏い、高密度の焔を自らの爪とする。
 一瞬の内にトーノはレグルスの懐へと潜り込む。星の焔とは、レグルスにとっては秘技と言えた。恐らくレグルスは、かの最大の焔により、トーノを灰塵と帰すつもりだったのだろう。だが、レグルスの目論見は見事に外れたのだ。
 レグルスが全身全霊で放ったであろう一撃を、しかしトーノは辛うじて防いでみせたのだ。
 最強の一撃が不発に終わった事で、レグルスは動揺を感じたのか、それとも星の焔を発現させる事で身に残した余力が払底したのか。いずれにせよ、レグルスは身じろぎ一つできぬままに、今トーノの前で立ちすくんでいる。
 懐に潜りこみ、そうして前脚を振り上げれば焔の爪撃がレグルスの下腹部へと二の太刀を突き立てる。
 鋭い爪撃は、青い閃光となってレグルスの腹部を切り裂くのだった。
 腹部に刻まれた爪痕が、更なる出血をレグルスに強いる。眉宇に苦痛の色を滲ませながら、レグルスが、爪撃の衝撃に蹈鞴を踏むのが見えた。
 だがそれでも敵は流石は王者といったところだろうか。必死に踏みとどまり、反転、トーノへと攻撃を仕掛ける。
 レグルスの巨大な前脚が鋭い爪撃でトーノの側腹部を切り裂いた。咄嗟に大勢を翻すことで、最小限の負傷で留めれども、自然、切り裂かれたトーノの表皮のもと、鮮血が溢れ出し、レグルスへと吹きつけた。
 トーノは後方へと飛び退き、レグルスと距離を取る。
 側腹部には浅い裂創が浮かび上がっていた。とはいえ、出血は直ちに止まる。なるほど、傷口は派手だが、創傷は浅層にとどまり、筋層までは至っていない様だった。敵の一撃は毛細血管群を断裂したに過ぎない様だ。
 むしろ、この程度の軽傷で済んだうえ、相手に血の飛沫を付着することが出来たのは儲けものといえるだろうか。
 トーノの使役するユーベルコード『怨嗟の焔』とはやや奇異な能力であると言えるだろう。
 ユーベルコードの効力により、トーノの血液は、付着した敵に、怨嗟と幻影を齎す。
 これまで、多くの人間を害してきたデウスエクスにはおあつらえ向きの業であるといえるだろう。
 更にユーベルコードによる刃(caida)はトーノの血を吸えば吸うほどに力を増すのだ。この変則的なユーベルコードの性質故、むしろトーノは敵の攻撃を甘んじて受け止める事を選ぶ。
 再びトーノがレグルスへと襲い掛かれば、トーノが、レグルスが同時に前脚を振りあげた。銀白の光芒が鋭く大気を切り裂き、交錯し合い、トーノの右肩が抉られ、ついでレグルスの前胸部に鋭い爪痕が刻まれた。 
 血の飛沫が上がり、返り血がトーノをレグルスを赤く化粧する。
 互いに間合いを読みながら、鋭い爪を各々が敵に突き立てれば、血の飛沫が上がる。
 トーノの速射砲の様な爪撃がレグルスの鋼鉄の皮膚に裂創を刻み、レグルスの重砲の様な前脚がトーノを薙ぎ払う。
 トーノもレグルスも、互いに一歩も譲り合わずに、トーノは敏捷性を武器に、レグルスは頑強さを頼みに干戈を交えたのだ。
 白刃が飛び交い、血の飛沫が鮮やかな血の華をエントランホールに咲かせた。
 戦いの中、トーノの時間感覚は引き延ばされ、凝縮されていく。研ぎ澄まされた感覚のもとで、トーノの両の眼は、レグルスの動きを完全に掌握する。
 僅かなレグルスの挙止により、その動きは完全に筒抜けた。初動で敵の動きを見切り、そうして体を振れば、レグルスの一撃は大きく空を切る。
 当初、五つに二つは受けていたレグルスの打撃が、つぎつぎと虚空を掠めていく。
 王者として覚醒したレグルスを相手取り、今やトーノは互角以上の立ち回りをは見事に演じるに至る。
 そして両者の互角の戦いは、遂に終わりを迎える。
 突如、レグルスがうめきを上げた。それまで寸分たがわずにトーノを襲った爪撃が、そのキレを失い、明後日の方向へと大ぶりに振り下ろされた。
 この瞬間を転機に、それ以降のレグルスの攻撃はもはや粗雑なただの腕の大薙ぎへと堕す。
 レグルスが、大腕を振り回せども、爪撃はトーノの影さえも捉えることが出来ぬままに虚空を切るばかりである。
 すでにレグルスはトーノの返り血を大量に浴びた。
 今、レグルスは、ユーベルコード『怨嗟の焔』により、自らが手にかけた無数の亡者たちの、怨嗟の声や、幻影の姿に苛まれているのだ。
「さて、覚えている顔はありますか?」
 レグルスへ吐き捨てるや、トーノは姿勢を倒し、再びレグルスへと向かい跳躍する。
 滑空ざま、体毛の中に紛れさせた妖刀oscuroを口元に咥え、レグルスの無防備になった首筋へと鋭い刃を突き立てる。
 刃がレグルスの硬い皮膚を切り裂き、筋肉さえも切り裂いていく。
 筋を断ち切る子気味良い感触が、歯茎に走った。トーノは勢いよく妖刀oscuroを振りきり、そのまま優雅に空を滑空する。
 わずかな浮遊感の後、トーノが大地へと舞い降りた。
 肩越しに後方へと振り向けば、星座獣が頸筋を刃で裂かれ、両足で激しく地団太を踏むのが見えた。未だ獅子の瞳は錯乱した様に、力なく視線を彷徨わせている。
 星座獣は未だ幻影の中に囚われている。今も尚、レグルスは幻覚の中で亡者の刃を受け続けているのだ。幻視の中では、星座獣レグルスにとっては亡者は実物となんら変わりないのだ。首筋に刻まれた刀傷も彼は自らが殺めた亡者により刻まれたものと錯覚しているであろう。
「ハルさん、あとは任せましたよ」
 トーノの傍らを人影が通り過ぎていく。そう、ハル・エーーヴィヒカイトの姿がそこにある。機を見るに機を見るに敏とはまさにこの事だろう。トーノに続き、間髪入れずにハルはレグルスへと追撃の刃を振り上げたのだ。
 トーノはハルを尻目にそう告げると、エントランスホールを反対方向へと駆け抜けて行く。
 今、猟兵の断罪の刃が、尊大なる獣の王へと次なる一撃を振り下ろさんとしていた。

 剣を返せば、手にした剣が、氷の様な鋭さでもってその刀身に銀白の光沢を滲ませる。姉より受け継いだ、利剣、輝夜は神聖な白光を迸らせている。
 歩を進める度に、余韻となって燻る火の粉が、ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣聖・f40781)の銀白の頭髪を、白漆喰の様な肌をほの赤く染めだした。わずかな熱感が今は心地よくハルには感じられた。
 トーノの先制攻撃は功を奏した。彼のユーベルコードの効果だろう。今、星座獣は錯乱状態にある。
 星座獣は網にかかったのだ。
 となれば、あとは狩るだけだ――。
 悠然に一歩、一歩と歩を刻んでゆけば、側方を漆黒の獣が駆けあがっていく。蒼い双眸が、漆黒の体躯の中で一際鮮烈な理知の輝きを湛えながらハルの側方で揺らめいていた。
 黒い疾風が傍らを過ぎ去れば、打ち寄せる微風がハルの髪先に絡みつき、柔らかな銀髪をかき乱した。
 乱れた前髪を指先でかき分ける。両の眼で、未だ動揺したままの獣を睨み据え、ハルは僅かに腰を落とす。
 体勢を整えつつ、ハルは流れる様な挙止で、剣の柄を力を強く握りしめる。
 丹田に意識を集中させて、長く、深く、呼吸を続けながらもハルは更に小刻みに歩を進めていく。
 予知された惨劇は回避され、今、時の流れは潮目を変えた。
 とはいえ、このまま戦いが長時間に及べば、階上の患者たちに被害が生じる可能性も否めない。
 ならば、被害を最小限に食い止めるためにも敵を速やかに斬る。
――そう、自らが磨き上げた最強の剣技でもって獣を一撃のもとに切り伏せるのだ。
 星座獣がのたうちまわるたびに、鋭い銀閃が幾筋も空に走った。
 その一撃、一撃がレグルスの爪であり、牙であった。野放図に四方八方へと走り回りながら、鋭い刃が質量感のある暴風となって周囲へと吹き荒れていく。
 しかし、レグルスの電光石火の一撃、一撃はハルを捉えることは出来なかった。
 ハルの黄金の瞳は、空を高速で駆け抜けていくレグルスの鋭い爪撃の軌道をはっきりと捉えていたからだ。
 小刻みに歩を進めながら、自らへと迫る閃光を、僅かに身を翻すことでいなしてみせる。ただ微風だけが余韻となってハルを肌先をちりちりと焦がした。
 レグルスの隻眼が狂乱した様に見開かれていた。右目があればハルの接近に多少なりとも対応できただろう。しかし、レグルスはオルトロスの少女の初撃により片目の光を完全に奪われた。
 レグルスの下腹部からは、抉られた刀傷のもと絶えず血が滲みだしていた。厖大な出血により、床タイルには血の海が広がっている。鳶色の髪をした青年の斬撃が、傲岸不遜な百獣の王に大量の出血を強いたのである。
 獣の口元に泡沫まじりの血反吐がべったりと付着している。かの獣の肺臓は、勇者風の風貌体裁をした少女により雷撃で攪拌され焼き出されたのである。
 激しく横凪されるレグルスの爪撃は、精彩を欠いている。十に一つはハルへと向けられていたが、そのほとんどはハルから大きく反れて、虚空を掴むばかりだった。トーノによりレグルスは、完全に錯乱状態にある。
 仲間の猟兵達の一撃、一撃が積み重なったことで、元来ならば決して届かなったであろう星座獣への活路が開かれたのである。
 もはやレグルスの一撃、一撃はなまくらの刃に過ぎない。
「狩られる側に立った気分はどうだ?しし座の獣よ。もはや、我が声が届いているかは愚か、人語を解するかも見当がつかないがな」
 いいながら、更に一歩、ハルは死地へと足を踏みいれる。
 一瞬、レグルスの金色の瞳に意思の光がひた走る。瞳孔は縮瞳し、焦点定まらずに揺蕩うばかりだった視線がハルを殺気まじりの刃で貫いた。
 血にまみれた口元が大きく開かれ、咆哮が迸る。憤怒と高慢さ、つ抑圧者たる荘厳さが混淆する獣の叫びが空気を振らわせる。
 咆哮に続いて、レグルスの爪撃が再びハルへと物凄い勢いで迫る。
 だが――、ハルは爪撃を避けるでもなく、悠然と真正面から爪撃の中へと躍り出る。
 抜刀の構えは崩さない。腰を落とし、すり足で更に前方へと歩を滑らせる。
 上空よりは、稲妻の如き白光が唐竹割に空を駆け下りてくる。
 しかし、眇目故にレグルスの視野は狭窄され、下腹部からの出血がレグルスの体を重苦しい鉄鎖で絡めとっていた。潰れた肺臓では、筋組織は十全に機能せず、必然、大技を繰り出すことでレグルスは酸欠状態に陥るだろう。
 本来ならばユーベルコードでようやく抑えられる事が叶うレグルスが爪撃「獅子の狩猟」はもはや、錆びついている。
 ハルが僅かに視線を落とせば、周囲の空間が軋みを上げた。次いで空間が、激しく蠢き、刀剣が一つ、また一つと虚空に顔を覗かせる。ハルが念じれば、刀剣が切っ先を振動させ、勢いよく空を突き抜けてゆく。
 ハルの上空で二対の雷光が瞬いた。片やハルの刀剣であり、もう一方がレグルスの爪撃だ。
 軽快な衝撃音がハルの鼓膜を揺らせば、束になった刀剣がレグルスの大をが後方へと弾き、レグルスが巨体をのけぞらせる。
 隙だらけのレグルスの懐へとするりと身を潜らせる。
 王者としての矜持ゆえか、レグルスが辛うじて後ろ足でその場に踏みとどまるの見えた。赤黒い牙を喰いしばりながら、レグルスが爪撃でもってハルへと応戦する。
 抜刀の構えを崩すことは無い。
 守りは、結界内に潜ませた無数の剣が難なく成し遂げるだろう。ハルはもはやレグルスの攻撃は歯牙にもかけず、居合の構えを保持したままにレグルスへと更に距離を詰めた。
 ハルの上空でレグルスの牙や爪が踊り狂う。それら一撃一撃を相殺するように無数の刀剣が舞を躍る。
 光刃がハルの上空で絶えず白光を起こす。両者の刃と爪とが甲高い剣の調べでエントランスホールを潤色した。
 ハルの剣の乱舞がレグルスの爪撃の嵐を圧倒したかと思えば、ついでレグルスの爪撃がそれらを押し返す。両者は決して譲るまいと互いに打ち寄せては、時に押し出され、絡みつき合ってはぶつかり合い、激しく角逐を続けるのだった。
 だが――、両者の均衡は瞬く間に終焉を迎える。
 白刃の煌めきは勢いを増し、かわってレグルスの爪撃は勢いを落としていく。
 星座獣レグルスが息を荒げるのが見えた。爪撃がその数を急速に減じてゆき、かわって斬撃が相対的に数を増してゆく。すぐさまに斬撃は完全に鳴りを潜め、空は刀剣の独壇場と化した。
 列をなして空を進む剣の群れが、レグルスの屈強な左前脚を串刺しに貫いた。獣の雄たけびが響き、裂かれた皮膚のもと、レグルスの左前脚より静脈血が染み出した。
 青色吐息のレグルスが右の大腕を振り回し、突き刺さった剣の群れを払いのける。
 同時にレグルスの獰猛な瞳がハルをのみ睨み据えた。ここに来て、獣は決死の反撃に打って出たのだろう。激しく咆哮して、身を投げ出すようにして、ハルへと右前脚を振り合げた。
 ここに両者の間合いは零と化す。
 もはやハルとレグルスは両者が両者をそれぞれが獲物の範囲内に収めるほどに肉薄するに至ったのだ。
 いわんやレグルスの爪撃がハルを捉える様に、ハルの剣もレグルスの心の臓を断つほどに両者は接近しているのだ。
 ――そして…ここは俺の距離だ。
 ひとりごちながらハルは指先に力を籠める。
「断ち斬れ――」
 自然、声が零れた。
 親指で剣の鍔を弾いて、鯉口を切る。するりと左ひじで鞘を後方へと引き、柄を前方へと滑らせれば剣の刀身が鞘から怜悧な面差しを覗かせる。
「極――」
 右足で大地を力強く踏みしめる。漫然と振り上げられたレグルスの右前脚は未だ、空中に揺蕩ったままだ。
「絶――」
 半ば腰を捻り、体幹の筋群に力を蓄える。
「空――」
 発声と同時に、バネの様に収縮させた全身の力を一挙に解き放つ。緊張から弛緩への移行と共に肘先がするりと伸びた。腰を捻り、全身の筋の伸展に従うままに剣を横一閃する。
「斬――!」
 瞬間、迸ったのは光だった。音も無く、影も落とさずに一条の光が空を走り抜けていった。
 亜光速の剣戟の前では、すべては静止したものとなんら変わりなかった。
 レグルスの袈裟斬りに振り下ろされた右前脚も、剣の横閃に続きレグルスの傍らを走り抜けていったハルも、雷光の瞬きの前には静止画の様に映っただろう。
 光が瞬き、消褪する。気づけば、ハルの振り切った剣の切っ先は、まるで空気でも切り裂いたような手応えのなさでレグルスの後方へと身を現していた。
 ハルの体がレグルスの傍らをするりと走り抜け、かの獣を後方に置き去りにしていた。
 剣戟の音は無い。今や、獣の息遣いもハルの吐息さえもそこには聞かれなかった。
 静まり返ったエントランスホールに、とんとんとハルの靴音が響いた。
 勢いそのままハルがエントランスホールを二歩、三歩と踏み抜いた。ぴたりとハルが足を止めれば、再び静寂がエントランスホールへと重く横たわる。
 反射的に剣を返し、鞘へと納める。数百、数千と繰り返した一連の剣戟の流れが、挙止の中に自然と滲みだしたのだ。
 刀剣が鞘の中をするすると滑り落ちていき、鍔と鞘とが擦れあう。
 鉄と鉄とがぶつかり合い、子気味良い叩打音を軽やかに響かせた。
 吐息をこぼして、身を翻せば、ハルの視界にレグルスの巨体が飛び込んでくる。
 獣は微動だにすることなく、そこに石像かなにかのように立ちすくんでいた。
 静寂の中でわずかに胎動していたレグルスの心臓の鼓動がぴたりと鳴りやむのがわかった。
 レグルスの大木の様な胴部に光の筋が走った。光の筋は全周性にレグルスの腹部を侵食していき、ついぞ、輪の様にレグルスの胴回りを一周する。
 レグルスの上半身が左方へと傾くのが見えた。まるで土袋かなにかの様に、レグルスの上半身が、腹部に浮き彫りになった光の筋の上を滑り落ちていく。
 レグルスの上半身が下半身の上をずるずると転げ落ち、重力に従い床タイルの上へと横たわる。重苦しく床タイルが振動する。
 再び、静謐がエントランスホールを包みだす。
 猟兵達による刃によって、ここに星座獣は事切れた。喝采は無い。しかし、階上よりわずかに流れ込む、入院患者の息遣いが、いかなる歓声よりも雄弁に戦いの終わりを告げていた。
 時は十三時三十分を告げていた。
 目の前には廃墟と化したエントランスホールが広がって見えた。
 だが、しかし、予知で告げられた無数の死体の山はここには見受けられなかった。
 崩れ落ちた石壁より昼下がりの陽射しがエントランスホールへと流れ込んだ。
 濃い陽射しが、廃墟と化したエントランスホールを包み込んでいく――。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​




第3章 日常 『ストリートステージ』

POW   :    豪快なパフォーマンスを披露する、色々な芸を見て回る

SPD   :    軽快なパフォーマンスを披露する、パフォーマー同士で教え合う

WIZ   :    繊細なパフォーマンスを披露する、夢のような空間に浸る

イラスト:del

👑5
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種別『日常』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●閑話:灰の雪が舞う空の下で
 惨状とはまさにこの事だろう。病院を襲った獅子のデウスエクスとの戦いにより、病院口のエントランスホールはもはや原形を留めないほどに損壊していた。
 瀟洒な感じのする大理石造りの石壁は、所々に大穴がこじ開けられ虫食い状態だ。石柱は崩れ落ち、純白の床タイルは炎にあてられ、煤で所々が黒ずんでいる。外来患者用の受付席は炎の中で完全に炭化し、今や灰と化した。
 足場には礫片や瓦礫が所狭しと散在している。天井壁の白色灯は、大部分が砕け落ち、辛うじて破損を逃れたものも、ぱちぱちと明滅を続けながら、弱々しく白色光を滲ませるばかりだ。
 調剤薬局の入り口左右の白壁は、溶け落ち、室内は薬棚ごとに完全にすべてが焼き払われている。
 事務員達の受付も同様に完全に焼け落ちている。
 エントランスホールは炎の中に沈み、焼け焦げた惨状だけがここに残った。
 白と黒を除き、その他の色彩は完全にエントランスホールから失われたのだ。
 惨状とはまさにこのことだろう。
 だが、姫川・沙耶は、この白と黒のみが織りなすだけの無味乾燥な廃墟を前に、なぜか強く心臓が鼓動するのを感じた。
 確かにエントランスホールは、見るも無残に姿で姫川の目前に横たわっている。
 だが、壊れた建造物は修復すれば良い。人が生きている限り、全てはやり直すことが出来るのだ。完全に修繕するには時間を要するだろうけれど、それでも尚、患者達や病院スタッフ、自分自身…、そして真紀奈も生きている。
 レグルスに立ち向かった戦士達により、死人は一人とて出てはいない。
 沙耶の少女時代は、一人の活発な姫王子との出会いから始まった。内田・真紀奈――、彼女と出会い、沙耶の世界は色めき出したのだ。
 沙耶は真紀奈と共に創造の世界を生きた。
 想像の羽を自由きままに羽ばたかせることで、無味乾燥な白紙には二人だけの物語が生み出されていった。
 変哲の無い里山は、竜が住まう洞窟になったし、葦や雑草の生えるにまかせた叢林は、魔女の住まう森になった。
 少しづつ丸みを帯びていく肩元に沙耶はいつも違和感を感じていた。
 それでも、心は変わらなかった。想像の世界の中では沙耶は活発な姫を守る一人の騎士であり、世の叡智を探求する錬金術師にもなり得た。
 当時の沙耶にとっては想像の世界と現実の世界の境界は曖昧だった。
 だからこそ、沙耶は現実の世界の中でも伸びやかに生きることが出来たのだ。想像の世界が現実を支える。想像という名の土壌があるからこそ、現実という名の大木は豊かな果実を結ぶのだ。
 だが、あの冬の日の訪れと共に沙耶にとっての少女時代は終わりを迎えた。
 真紀奈と別れと共に、想像の世界は音を立てて崩れおちていたった。両足で砂の足場の上に立つようだった。視界はぐらつき、どこまでも続く暗いあなぐらの中に落ちていく様だった。
 大学に進学して後も沙耶の日々は色を失ったままだった。
 真紀奈を想うと、胸が痛んだ。真紀奈がいない事は勿論、あの子が自分とは違う、現実の世界に適応できる人間だと思うと、得も言われぬ疎外感を覚えた。
 六年間の大学生活はあっという間に過ぎていった。卒業後研修を心非ずといった心持で終えた。
 ある日、沙耶はケルベロスに力に覚醒した。沙耶と真紀奈が分かれて十年の節目の年に、沙耶はケルベロスとして覚醒した。
 白と黒の無機質な世界に、沙耶の好きな濃紺が仄かに色彩を添えた気がした。
 海の青さに惹かれてか、沙耶は海の彼方を目指した。
 そして、英国所属DIVIDEに所属して、世界は三色に輝きだした。
 沙耶は息絶えた星座獣レグルスや立ち並ぶ猟兵から視線を外すと、東西のナースステーションへと向ける。
 粉塵が斜に降り注ぐ陽光を浴びて、まるで雪の様に宙を揺蕩っている。
 粉雪が舞い落ちるエントランスホールの先に、絶えず沙耶の心を焦がし続けた鳶色が色鮮やかに煌めいていた。
 今、沙耶の世界に燃える様な赤が蘇る。
●本題
 星座獣亡き後のエントランスホールを森閑とした静けさが包み込んでいる。
 大部分が崩落したエントランスホールの随所には瓦礫が堆く積み重なり、所々が焼けた爛れ炭化していた。辛うじて、被害を免れた正面奥の大時計だけが時計の短針をどこか忙しなげに刻んでいた。
 廃墟と化したエントランスホールが、魔昼間の陽射しを受けて、半ば破壊された外観を悲壮に、しかし殊更、明朗と浮かび上がらせていた。
 それもそうだ。確かにエントランスホールは大部分が損壊しているものの、人死には出ていない。
 猟兵達は完全に目的を達成したと言えるだろう。
 とはいえ、病院スタッフがこれより先、怱忙を極めるだろう事は想像に難くない。
 もはやデウスエクスの脅威は去ったが、病院の復興にはまだ時間は暫くかかるだろう。
 瓦礫の撤去を手伝ってもいいだろうし、例えば医学の心得があるものは軽症患者などの傷の処置を手伝ってもいいかもしれない。
  はたまた、このウェリントン記念病院はドック検診事業なども手広く行っている。ドック検診の特別コースは受診のために、それなりの金額を支払う必要があるだろうが、病院を金銭的に援助したいと思うものはこの際、受けて見てもいいかもしれない。一日ドック検診を受けてみれば、昼食の際にはフレンチや和食、病院の自称する伝統のイギリス料理、インド料理と枚挙に暇がないメニューから好みのものを自由に選んでランチタイムを愉しむ事も出来るだろう。
 既に猟兵達は十分な仕事を果たしたのだ。
 丘の上に佇むウェリントン記念病院からならば、眼下にロンドン市街を一望する事も出来るだろう。病院周囲の林道や小公園を散策してもいいかもしれないし、喫茶店でコーヒーを片手に時事ニュースに耳を傾けてもいいかもしれない。
 いずれにせよ、一人の死傷者も無く、戦いは決着を迎えたのだ。たまには羽伸ばしも悪くは無いだろう。
―――――――――――――――――――
 以下、なんとなくの羅針盤になっています。もちろん、ご自由に病院内で動いて下さればと思いますが、悩んでしまった場合は行動の一助になさっていただければと...!
①エントランスホールでの活動:瓦礫の撤去などなど復興作業がメインになると思います
②傷病者の治療のお手伝い:医療行為のお手伝いがメインになると思います
③ドック検診の受診:ドック検診を受けて貰います。お食事食べたり、検診結果を眺めたりがメインになると思います(健康優良児、もしくはちょっと脂質周りに問題あり、などなど希望の判定があったら教えてくださいね....!)
④病院周りの散策:風景を眺めるのがメインとなります
⑤喫茶店での会話:神英戦争で、例えば、第三軍の近況などについて一般市民の方と雑談します。
 姫川、内田などと会話も含めて、ご自由に動いて下さればと思います。
ハル・エーヴィヒカイト

連携○

▼口調
一人称は私固定
内心のみ俺

▼心情
任務は完了だが……そうだな、少し手伝っていくとしよう
死傷者が出ていないとはいえ被害がないわけではない
俺にもできることはあるはずだ

▼行動
治療行為そのものはできないがUCで領域を広げ、病院内に治癒の力を張り巡らせる
病人は無理だが怪我人はなんとかなるはずだ

私自身は[念動力]で瓦礫を撤去していく
元より壊される前の構造は戦闘前の調査で把握している
効率よく整理していこう


暗都・魎夜
【心情】
相手が相手だけにこの程度の被害で済んだのは幸いだったぜ
放置してれば大惨事は間違いなしだったし、撃退できても被害者出さずに行くかは分からない所だったからな

【行動】

基本的には身分を偽って来た身だ
どさくさに紛れてこの場を去った方が後々面倒がなくていい
俺はこの世界じゃ員数外の通りすがりだ
その前に姫川先生に軽く話はしておくか

現状のイギリスの状況を姫川先生の視点で聞きたい
その場にいる人の視点で見えることもあるだろうし

「デウスエクスが来る前、難儀そうな病気の子を見かけた」
「俺にはそれをどうこうすることは出来ない。だから、この先はよろしく頼むよ」

話が済んだらおいとまだな
さて、この先どうなることやら



 正面壁に掲げられた大時計は、変わらずに時を刻んでいる。
 茶褐色の古びた大時計だ。如何にも年季ものといった、枯淡な感じのする大時計は、時の経過のままに、鋭い秒針を勢いよく回転させていく。
 エントランスホールにおいて唯一、損害を免れた物品は、この大時計くらいだろう。
 真新しい調度品や装飾品、機材の類は炎の中で黒く溶け落ち、燃え尽きていった。随所が穴あき状態の外壁より強烈な春風が吹き付ければ、灰の山が粉雪の様に空に飛び散った。
 乳白色の外壁は、レグルスの光弾によって所々が無惨に抉り抜かれ、大理石造りの荒っぽい断面が剥き出しにしていた。そうして崩れ落ちた石壁が、大小様々な残骸となってタイル床の上に散乱し、足場一杯を所狭しと埋め尽くしていた。
 ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣聖・f40781)は崩落しかかったエントランスホールに立ち、まずは正面壁の大時計を、ついで四囲を一瞥する。
 時は既に二時二十五分を告げている。
 内田・真紀奈、姫川・沙耶の両名の迅速な対応にて、戦闘後、直ちにDIVIDE構成員へと要請が下った。
 駆けつけたDIVIDE要員は、エントランスホールを立ち入り禁止という形で封鎖状態にすると、傘下の企業の人員を集め、直ちに修繕作業や事後処理を開始するのだった。
 現在エントランスホールでは、清掃業者や修繕業者と思しき、きちっとした青い制服を纏った男女が、瓦礫撤去や天井壁、石柱の修復、補強作業のために入り乱れて作業に当たっているのが散見される。
 人々が忙しなく働く故にだろうか。大時計もまた如何にも怱忙を極めたといった様子で、秒針を進めている様だった。
 長針が五時の方向から六時の方向へと向かいゆったりと針を倒し、ついで、大時計より二時三十分を告げる時報が流れだす。
 こんな惨状を前に、しかしハルは僅かに口元を綻ばせていた。
 ここには無数の命が揺らめいている。そして快活とした様子で作業に当たる者達がいる。目前の状況がハルの気持ちを浄福感で包んだのだ。
 大柄な作業員の男が巨大な瓦礫片を肩に担いで屋外へと向かい、一歩を踏み締めるのが見えた。
 部屋の四隅では、脚立の上で両足を踏みとどまりながら、エントランスホールの支柱や天井壁を少し変わった箱型の計器で点検する者達の姿があった。
 左官が土をこね、剥き出しになった壁面へと馴染ませれば、合いの手で、ドラゴニアンの女性が欠損孔と一致する大きさの石片を欠損孔へと嵌め込み、外壁を補修していく。
 若いウェアライダーの男女が煤にまみれた床タイルを雑巾で丁寧に磨き上げるのが見えた。
 そんな従業員たちを祝福するかの様に、照り返しの強い午後の陽射しがエントランスホールと降り注いでいた。
 結果、エントランスホールには暑気が立ち込め、人いきれが白い湯気となって充満する。
 作業員たちは面立ちを汗でしとどに濡らしながらも、時にじゃれ合い、時に歓談し、和気あいあいと作業を続けている。
 目の前には、廃墟と化したエントランスホールが広がっていた。にも拘わらず、死者は一人として出ていない。
 そんな奇跡の様な状況が人々の気分を軽やかにしたのだろう。
 かくいうハルも、達成感といえば大袈裟ながらも、死亡者を一切出さずに戦いを終えることが出来たことに安堵を覚えていた。
 既にケルベロスとしてのハル・エーヴィヒカイトの任務はここに完了した。
 同時に、私人としてのハル・エーヴィヒカイトの任務はこれから始まる。
 死傷者が出ていないとはいえ、負傷者が完全にゼロで済んだ訳では無いだろう。更に瓦礫撤去といった清掃業者の手伝いを始め、やるべきことは枚挙に暇がない。
 やや主旨は異なるものの復興作業という意味ならば、自らが暮らす集落でハルは実践済みである。家屋の修繕、道の普請、力仕事や畑仕事の手伝いと、ハルは村落で従事してきた業務はいわゆる力仕事が主であったが、病院内の瓦礫撤去作業との間に多少の共通項もあるだろう。
 自分にもできる事を模索しながら、ハルは視線を彷徨わせる。
 エントランスホールの一画にて、現場監督と思しき大柄の男が口さがなく、作業員たちに指示を飛ばしているのが見えた。
 ハルはさっそく、作業の手伝いを申し入れるために現場監督のもとを訪れる。
 現場監督の男は口元に豊富に黒ひげを蓄えた、四十まじりの中年男だった。
 ハルの申し出に対して、現場監督は、顎髭をもぞもぞと指先で掻きながら、髭の中に埋もれたカサカサの唇を機嫌よさげに開いて見せる。黒々と茂った口髭の元、白い歯が零れて見えた。岩の様な巨大な掌をハルの肩元を叩き、ついで、監督は右親指で旧調剤薬局跡を指さした。
「兄さん、細いが力がありそうだ。あそこら辺は特に損壊がひでぇからな。瓦礫の運搬任せられるかいねぇ」
 南部訛りのあるアメリカ英語で髭面の男が言った。
 ハルの恋人が英国の友人と話す際に使う、耳心地の良い風雅な印象を湛えたブリティッシュイングリッシュとは異なる、粗野で、力強い、しかし快活とした響きが言の葉からは響いて聞かれた。
「あぁ。問題ないよ、私に任せて貰おうか」
 ハルは、男に首肯すると、既に瓦礫の山と化した旧調剤薬局へと視線を遣る。
 ハルの視界には、煤まみれの石片が数多積み重なり、瓦礫の山を築いていた。調剤薬局と呼ぶのはもはや躊躇われる。それもそうだ。そこにはもはや部屋と定義すべき敷居も無ければ外壁も無い。大きく広がった空間に焼き爛れた石片が散乱しているというのが、現状、目前の空間を表現するに最も適していた。
 ハルは現場監督風の男に会釈すると、そのまま旧調剤薬局跡へと歩を進める。
 脳裏には、来訪時のエントランスホールの大まかな概要が映像として刻み込まれたままだ。その光景を再現するように、石片を片付けてゆけば良い。
 意識を集中させれば、石片がふわりと宙を舞った。
 ハルの念動力により、一つ、二つと石片や瓦礫片が空へ向かい浮かび上がり、静止する。
 浮遊する瓦礫片の山を鋭く睨み据えながら、ハルが僅かに視線を左方へとやれば、瞳孔の動きに呼応するようにして、大小さまざまな瓦礫片がそのまま病院外へと移動し、廃棄物運搬用のダンプカーの荷台へとその身を横たえていく。
 ハルは念動力により、瓦礫を次々に運搬してゆく。
 その度に、目の前の山は崩れてゆき、かわってダンプカーの荷台で瓦礫の山が出来上がってゆく。
 後方からはハルの念動力に対してか、称賛にも似た歓声が時折、起こった。
 どうにもそういった声は苦手だと思いながらも、作業を続けていく。
 時に運搬係の者達と共にリアカーを引き、時に床上の煤の洗い出しなども手伝いながら、念動力を駆使してハルは瓦礫の除去を瞬く間に撤去してゆくのだった。
 結果、大時計の短針が三時の方角を指すころには、旧調剤薬局周辺には既に瓦礫の山は無く、がらんどうとした空き間がハルの視界一杯には、広がっていた。
「ははは、まさかこんなに早く作業を終えるとはな。さすがだねい、兄さん。ところでょっと休憩どうでい?俺がおごるぜ?」
 再び、南部訛りの英語がハルの耳朶に触れた。
 振り返れば、如何にも人好きする感じの現場監督がハルの目の前に立っていた。
 彼はエール樽を抱えながら、赤ら顔でハルに豪快に言い放つ。ビア樽状に膨らんだ腹部を揺らしながら、現場監督がその丸顔を陽気に綻ばせた。
 ハルは微笑と共に、首を左右にする。
「いや、ありがたい申し出だが、もう一つ作業があるのでね。そちらが終わり次第、付き合わせて貰おうか?」
 祝杯という意味も込めて、たまには付き合うのは悪くは無いだろう。
 だが――、まだ自分に出来る事は残されている。
 ハル目礼がちに踵を返すと、東西のナースステーションへと向かい進路を取る。
 今、避難者達はナースステーション、もしくは中庭に集合していると聞く。
 ハルの目的は彼らの治療にある。
 歩廊をゆったりと進みながら、ハルが、ユーベルコード【境界・碧月光華】を発現させれば、ハルの周辺より白雪の如き光が零れ出した。
 光と光は互いに折り重なり、白梅の花弁の鮮やかさで風雅に空を泳ぎながら長廊下を東西に走り抜けていく。
 瞬く間に光の花が病院一階内へと充溢していった。
 ハルは勿論、『境界・碧月光華』を攻撃のために使用したのでは無い。
 『境界・碧月光華』は悪意ある敵を切り裂く刃とも、善なる者を癒す祝福の光ともなり得た。
 今、病院内を埋め尽くした光の花は、柔らかな春風に乗り、院内を巡り、祝福の光で傷病者達を癒していくだろう。
 勿論、治療できる対象は、軽症外傷に限定される。神経や脳に変性を来したものを根本的に治療する様な力を自らのユーベルコードが有していないだろう事をハルは知悉していた。
 だが、目の前で爛漫と咲き誇る透明な花の結晶を前にすれば、やもすれば奇跡も起こるのではないかとわずかながらも感慨がくすぐられる。
 花は咲き乱れ、そしてすぐに盛りを迎えた。
 舞い散る花弁は空気の中へと溶け込み、雪解け音とも似た、心地よい音色だけが残響として院内にしばし反響させながら霧散していく。
 ふとハルの鼻先に光の花弁がひとひら、舞い降りた。
 ハルの澄んだ鼻梁を柔らかな感触でくすぐりながら、光の花は泡沫の様に砕け散る。
 光の飛沫は、夕暮れへと向かう濃密な午後の陽光の中を銀粉となって遊泳し、煌びやかな世界の中へとすぐに溶け込んでいった。
 ここにひとつの戦いは終わりを迎えた。
 しかし、名も無き無数の人々は決して歩みを止める事なく、命の火を猛々しく今も燃やしている。
 黄金色の陽射しが、院内を命の光で照らし出してゆく。

 エントランスホールを背にすれば、目の前には東西のナースステーションへと続く石造りの長廊下が顔を覗かせていた。
 大理石造りの石廊下は、道幅も広く、左右の大理石壁には瀟洒な壁飾りや額縁がびっしりと綺麗に連なっている。
 目を凝らせば、真っすぐ伸びる長廊下の先、東西のナースステーションや、左右の長廊下の中間部分から連絡する
中庭の姿が窺われた。
 耳を澄ませば、軽やかな足音と、人々の歓喜の声が石壁に反響して聞かれた。それは入院患者の喜色の声であり、病院スタッフの安堵の声であることが窺われる
 デウスエクスとの戦いが終わり、既に小半時が経った。既にデウスエクスの脅威は遠く去り、ただ唯一エントランスホールの惨状ぶりだけを残して、ウェリントン記念病院には平素と変わらぬ平穏が戻ったのだ。
 エントランスホールにはやや遅ればせながらもようやく到着したDIVIDE所属員や作業員が、事態の収拾に努めている。
 敵はおらず、事後処理に自分が関われば状況がややこしくなる。となれば、これ以上の介入は無用である。
 そう判断し、暗都・魎夜(全てを壊し全てを繋ぐ・f35256)はエントランスホールを去ったのである。
 既に魎夜達は十全に役割を果たしたのだ。
 星座獣レグルス、黄道十二星座における獅子座の席に鎮座する強力なデウスエクスの名をそう呼ぶ。
 そんな強敵を相手取り、見事に敵を撃退したばかりか、一切の人的被害を出さなかったという事は、まさに僥倖であったと魎夜は見る。
 計五名の手練れの猟兵がこの場に一斉に介し、戦った。故にDIVIDEの支援が手薄な状況においても星座獣レグルスに一歩も遅れを取らずに勝利する事が可能となったのだ。
 放置してれば大惨事は間違いなかっただろうし、DIVIDEだけでは仮に撃退できても流血は免れなかっただろう。
 また猟兵の人選も優れていた。
 なにかが一つでも狂えば、人死にが出ていてもおかしくは無かった。そんな状況を覆して、魎夜達は無血の勝利を果たしたのだ。
 達成感が無い訳では無かったし、デウスエクスとの戦いの中で在りし日の姿で再び戦えた事に奇妙な清涼感を覚えていたのも事実だ。
 未だ握りしめた拳に余熱が残っている。歩廊を踏み鳴らす自らの靴音も幾分も軽やかに聞かれた。
 だが、既に戦いが終わったとなれば、現在、この世界においては自らはただの通りすがりである。病院にも身分を偽って潜入した以上、なるべく他者とはかかわりを持たずに病院を辞した方が、無用な混乱も招かずに済むと魎夜は判断したのだ。
 しかし、一時的とはいえ取り戻した昔日の能力の余韻だろうか、魎夜は同時にイギリスの近況に危機感のようなものを感じとっていた。
 故に魎夜はエントランスホールから出口とは反対方向に進路を取ったのだ。
 違和感の原因に、理論的なものがあったわけでは無い。だが、直感のようなものが魎夜の中でけたたましく危険信号を鳴らしていたのだ。
 魎夜の足取りの先には、中庭がある。
 石廊下を半ばほどまで進めば、歩廊は中庭へと続く連絡口へと分岐する。道を半ばまでいったところで、魎夜は廊下を左手に折れると、中庭へと続く連絡路を進む。
 花の浮彫がなされたアーチ状の門をくぐり、中庭へと足を踏み入れれば、最初に魎夜を歓迎したのは頭上より降り注ぐ重厚な昼下がりの陽射しだった。
 陽光を追うようにして魎夜が天上へとやれば、頭上には円形に天窓が設けられており、突き抜けになった天窓より陽ざしが雨の様に降り注いでいる事に気づく。
 魎夜が中庭へと一歩足を踏み出せば、草の柔らかな感触が靴裏を押し返した。足場には青々とした芝生が繁茂していることが分かる。
 草の絨毯の上には、テラス席が多数設けられており、白衣やケーシー姿の病院スタッフ、入院服を纏った患者たちが、席に腰かけて朗らかに歓談する様子が見受けられた。彼らは、先の戦いの事などまるで遠い世界の出来事の様に、いかにも安閑とした様子で午後のひと時を愉しんでいた。
 魎夜が円形広場を見渡せば、テラス席の一隅に腰かける、煤まみれの女性医師の姿が視界の端に飛び込んで来た。
 姫川・沙耶。先のレグルスとの戦いで共闘した彼女の事を見紛うはずもない。
 これまで姫川医師はどうやら駆けつけたDIVIDE所属員の対応に追われていたのだろう。着の身着のまま、煤だらけの格好でテラス席へと足を運んだようだ。
 未だ、手元のコーヒカップからは白い湯気が濛々と舞い上がっている。ふぅふぅと姫川が息を吹きかける度に、白と黒とが程よく混ざり合った灰色の液面が優雅に揺れ動いた。卓上には、くっきりとした歯形を残した、半ばまで食べ終えたアボガドとサーモンのサンドイッチが皿の上で横たわっているのが見えた。
 しかしそんな長閑な午後の一幕を前にしても尚、魎夜の中で、不安の翳りがなりを潜める事は無かった。
 かつての力の余韻ゆえか、英国におけるDIVIDE軍の騒擾は、今後も絶えることは無いだろう事を魎夜は直感的に感じとっていたのだ。
 天災とでも言うべきデウスエクスの襲来が今後の英国に騒擾を生み出すのか、それとも軍内部での反目という人災が破局を齎すのか、はたまた、別の理由により英国に動乱がもたらされるのかを知る由は無い。
 今テラス内は平穏としたもので、人々は過ぎ去った嵐の存在など忘れ、穏やかな春日和を謳歌しているようだった。
 だが、胸中で絶えず鳴り響く声が魎夜に次なる嵐の到来を予感させていた。
 今後も英国での戦いに介入していくのならば、現状の英国内部について知るのは決して無駄にはならないだろう。
 それに、姫川医師には伝えておきたいこともある。
 芝の足場を踏み締めながら、魎夜は右手を振り上げ姫川医師に目合図する。
 二重瞼のつり目が忙しなげに視線を彷徨わせるのが見えた。瞳を動揺させながらも、姫川・沙耶は小首を小さく縦に振り、魎夜へと会釈するのが見えた。
 つかつかと歩を進めながら魎夜は姫川の正面に立つと、椅子を引く。
「姫川先生、俺もご一緒していいかい?」
 魎夜が口端を持ち上げて柔和な微笑を口元に湛える。姫川医師が満面を喜色に染め上げた。
「ええ。勿論よ…えっと、通りすがりの能力者さん――?」
 悪戯好きな微笑でもって、姫川医師が魎夜に笑みを送る。
 魎夜は苦笑まじりに椅子に腰を沈めると、姫川医師へと向かい一度目合する。傍らを通り過ぎたウェイトレスにホットコーヒーを一つ注文してから、魎夜はさっそく切り出すのだった。
「ははっ、その通り。通りすがりの能力者だぜ。さっきの戦いはお疲れさま。お陰様で助かった」
 意趣返しとでも言わんばかりにやや大げさに肩をすくめて見せれば、姫川がいかにもおかしそうに目じりを吊り上げた。
「それは、私の方よ。あなた達の活躍があったからこそ、私も他の人たちも午後のコーヒーブレイクを楽しめるのだから」
 姫川医師が笑みを深めながら言った。彼女は、コーヒーカップに唇を添え、コーヒーを一口口に含む。舌の中で転がすようにコーヒーを愉しみ、ごくりと咀嚼して、魎夜へと自信げに片目を眇めて見せるのだった。
 そんな姫川の挙止を朗らかな思いで眺めながら、魎夜は姫川医師をなじってみせる。
「コーヒーブレイクね。ここは英国だろう? 定番は紅茶じゃないのか?」
 姫川医師の自然な笑みや言動が嫌いでは無かった。気取ってみせる癖にどこか抜けている。
 言動に限らず挙措もそうだ。本人は必死に取り繕っているのだろうが、粗忽な部分が姫川医師の挙止の端々から見え隠れしていた。
 魎夜が揶揄ってみせれば、たまりかねてか、姫川医師がどこか面映ゆげに口をとがらせるのが見えた。
「い、今のブリティッシュレディはね、コーヒーを嗜むものなの。覚えておいて、超能力者さん?」
 必死に姫川医師が言い繕ってくる。自分をレディと称する辺り、やはり姫川医師は揶揄い甲斐がある。
「ははは、そういうことにしておくぜ、ブリティッシュレディ?」 
 魎夜が冗談交じりに言い放てば、姫川医師が、柔らかそうな頬をぷくりと膨らませるのが見えた。
 もう少し他愛無い話で盛り上がるのも一興とも思いつつ、魎夜は、軽やかな談笑を皮切りにさっそく英国の現状について話題を変えてゆくのだった。
 英国の人気のアーティストに端を発し、少しづつ話を核心である軍内部の状況や政治へと向けて行けば、姫川の表情が少しづつ曇っていくのが分かった。当初の磊落とした声音は鳴りを潜め、時折、言い淀む事も増えてくる。
 話題が魎夜自身も関わったリバプール要塞の戦いや、他の猟兵達が攻略戦に参加したというマン島要塞の戦いに触れるや、姫川医師は答えに窮するかのように明らかに声量を落とし言葉を濁す。
 そうしてついぞ話題が第三軍を始めとした軍全体に及べば、姫川医師はしばし、押し黙る。そうしてややあってから何を思ってか、ぐいと魎夜へと顔を寄せると黒々とした形の良い瞳でじっと魎夜を覗き込むのだった。
 姫川医師はの意思の強い双眸が煌びやかに輝いて見えた。
 薄桃色の柔らかな唇がわずかに収斂するのが見えた。
 他言無用と前置きしてから、姫川が魎夜の耳元で囁いた。
「その…私がDIVIDE直下の第三軍に所属しているから、身内びいきはちょっとあるかもしれない。それを前提で効いてね。正直…近衛軍と第一軍からなる軍の中枢から私達、第三軍は疎まれているの」
 声音を落として姫川が言った。
「疎まれているってのは穏やかじゃないな…。一体、なにがあったんだ?」
 魎夜は語尾に疑問符を浮かべながら小首を傾げる。
 再び姫川医師が左右を注意深く見まわしてから、声を潜めて魎夜へと答えた。
「…ラファエル・サー・ウェリントン大将の事は知っているでしょう?」
「あぁ、勿論。俺でも知ってるぜ」
 即答する。実際に顔を見たのは一瞬だったが、リバプール要塞攻略に臨み、一度、彼の事は目撃していた。
 戦いの天才と称されるだけの事はある。猟兵の介入があったとはいえ、リバプール平原における彼の用兵術は巧みであった。あの美貌の天才戦術家が果たしてどうしたというのだろうか。
 姫川医師が口惜し気に下唇をきゅっと噛みしめるのが見えた。魎夜は口を閉ざしたままに姫川医師の次の言葉を待つ。
「旭日の勢いで功績を挙げていくラファエル大将と、昨今、功績らしい功績もあげられない旧首脳陣との折りが合わないみたい…あくまで内部にいる私が受けた印象だけれど。現在、第二軍はデウスエクスによって一部地域が占有されているスコットランドで戦いを繰り広げているわ。第四軍は総司令官のグランデ翁が随分と第三軍に肩入れしてくれているけれど、四軍自体、治安維持と兵器開発が主だから発言権は弱いの。結果…」
「第三軍は唯々諾々と上層部の指示に従っていると?」
 姫川の言葉を遮る様に魎夜が言い放つ。姫川医師の形の良い下唇が薄っすらと赤みを帯びている。黙りこくったままに、姫川医師が首を縦に振るのが見えた。
「なるほどねぇ。正直、軍内部のことは俺にはさっぱりだが…性質の悪い上司ってのは最悪なもんだな」
 お手上げといったように両手を挙げて見せる。
 姫川医師の言葉がどこまで正確かはわからない。急進的にすぎるラファエル側に非があるのか、それとも旧弊な感のある軍上層部側が悪辣なのか、そこを詳しく知る事は魎夜には出来なかった。
 だが、デウスエクスという巨悪を前にして一枚岩といかない近況はあまりにも危うく魎夜に感じられた。
 小さな綻びが修復できぬ亀裂となりうる可能性もあり得る。そしてそこを敵につけこまれれば、強大な軍と言えども一瞬の内に瓦解するだろう。
 適当に言葉を濁して姫川医師に応えて見せたが、魎夜の心中ではわずかに生じた不吉な違和感は今や暗雲となって燻っている。
「そう…ね。とはいえ、まずは能力者さん? あなた達のおかげで病院は救われたわ。もちろん、大切な人を守れた。そのことをなによりも感謝したいけれど、第三軍にとって、今回の一件が尾を曳く遠因とならなかったことも同時に感謝したいの」
 黒真珠の瞳がじっと魎夜を見つめていた。魎夜は微笑で答えると、ちょうど運ばれきたコーヒーに一口、口をつけた。口の中に広がっていく香ばしい苦味に、一人、内心で舌鼓を打つ。
 なるほど、英国でコーヒというのも乙なものである。
 コーヒーを口元から離すと魎夜は鼻を鳴らして見せる。
「まぁ、その辺りは気にしないでくれよ、先生。ただお礼といっちゃなんだけど…一つお願いしたいんだけどさ」
 声音を落として魎夜が尋ねれば、姫川医師が相槌を打つのが見えた。
「デウスエクスが来る前、難儀そうな病気の子を見かけたんだ。正直、敵は倒せても、俺にはあの子の病気をどうこうすることは出来ない。先生は読影医だったかな。姫川先生が直接患者に関わる医師でないことは分かっているけどさ、あの子の事、この先もよろしく頼むよ」
 病院に来訪した際に垣間見えた少年の姿が自然脳裏に浮かび上がった。恐らく難病を患っているのだろう。手足を一切動かす事の出来ない少年はそれでも力強く運命と戦っていた。
 守るための戦いはなにも戦場だけで繰り広げられているのではない。市内の至る所で、そしてこの病院においても無数の命が戦い続けているのだ。
「勿論よ――。根本的な緩解は難しいかもしれない。役職上、私が出来る事は少ないかもしれない。けれどね、必死に生きる命を私達は見捨てはしない」
 ふと目前の姫川医師の相貌が輝き出すのが見えた。ころころと表情が変わる彼女だったが、なるほど、溌剌とした笑顔こそが彼女本来の表情なのかもしれない。
「それなら安心だぜ。それじゃあ、俺はこれでな」
 コーヒーを一気に飲み干すと、魎夜は会計を済ませてあえて無言で姫川の元を去った。
 この先どうなるかはまさしく神のみぞと知るといったところだろう。
 だが、敵が来るならば打ち払うまでだ。その力を魎夜は有している。軍内部の不和があろうとも、魎夜は人々を、子供たちの笑みを守るために世界を問わず、戦場を問わずにこれからも戦い続ける。
 全てを壊し全てを繋ぐ――。その先に訪れる未来を信じて。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

トーノ・ヴィラーサミ
【双吼】
えぇ、お久しぶりです。貴女も先の戦い、お見事でした。
さて、積もる話もありましょうが

と、傷付きながらも互いに助け合う人々に視線を向け
出来ることから一つずつ
少しでも彼らが再び立ち上がり明日に向かい動き出すための力となりますよう
背を押す追い風を吹かせましょう

彼女の遠吠に重ねるように自身も谷風陣を発動
【浄化】と癒しの【属性攻撃】を纏う風を呼び
時に重なり時に音の高さを変え、共鳴する和音のように響かせようと思います

勿論他にも瓦礫の撤去や資材の運搬など、お手伝いできることがあれば行いたく

一区切りつけば、私達も健康診断でも受けていきますか?
なんて


月隠・新月

【響吼】
ロンドンで会うとは奇遇ですね。トーノさんも見事な戦いぶりでしたよ。
さて、もう一仕事しましょうか。

デウスエクスの襲撃で皆さん少なからず疲れているでしょう。【魔獣領域】で病院にいる人々に少しでも活力を与えたいですね。驚かせないよう魔力の奔流は抑えめにしましょう。
戦の澱みを流すように【浄化】の魔力を込めて、トーノさんの遠吠えと重ねるように俺の【遠吠え】を届けましょう。

俺が手助けせずとも人間たちは強く歩んでいくでしょうが、助けはあった方がいいでしょう。復興作業もできることがあれば手伝いましょう。

健康診断、ですか? 聞いたことはありますが、我々オルトロスに対応しているのでしょうか……?




 穴だらけの外壁のもと、野ざらしになったエントランスホールに熱気まじりの春風が吹き付ける。
 絹の感触で流れてゆく春風に煽られて、黒いタテガミが優雅にたなびいた。
 鼻頭をくすぐる微風が、甘やかなる春草の香りをトーノ・ヴィラーサミ(黒翼の猟犬・f41020)の鼻腔一杯に充満させながら彼方へと過ぎ去っていく。
 レグルスの戦いを終え、既に大部分が崩落したエントランスルームがトーノの前には広がっていた。
 だが、廃墟と化したエントラスルームは、穏やかな陽気と人々の闊達とした雑踏で満ち満ちていた。
 トーノが藍色の瞳を動かせば、エントランスホールの喧騒ぶりが視界にありありと照らし出された。
 そこには瓦礫を取り除く者があり、破損した外壁を修復する者がいた。床を磨きあげる者の姿も見える。エントランスホールの一隅では、丸太のような二の腕を組んで、がなり声で指示を下す現場監督の姿も伺われた。
 ふと見れば、作業員たちに混じって病院スタッフの姿も散見された。
 鳶色の髪を肩元で綺麗に切りそろえた三十路手前くらいの女性の号令一下、病院スタッフは、清掃員達にまざってエントランスルームの修繕を手伝っている様だった。
 崩れた外壁より荘重とした午後の陽射しが、エントランスルームに射しこんでいた。
 それは、春の息吹たる微風と中天より降り注ぐ灯明とが見せた幻想か、作業に従事する者達の面差しは妙に活き活きと輝いて見えた。
 周囲には瓦礫の山が散乱していたし、床タイルは塗装も剥げ落ち、煤が黒ずみとなって白い床面に歪な影を広げていた。
 外壁は崩れ落ち、野ざらし状態となったエントランスルームには、強烈な春風がひっきりなしに吹きつけている。
 エントランスルームは平穏からはかけ離れた廃屋同然の姿で喘鳴を上げながらそこで見悶えていた。
 にもかかわらず、ヴィーノの藍色の双眸のもとに映し出されたのは、ただの廃墟では無かった。流れ込んだ陽ざしが、働く人々が、院内に充満した患者たちの息遣いがぼろぼろの廃墟を眩耀の輝きで満たしていたのである。
 傷付きながらも互いに助け合う人々の姿がそこにはある。
 初夏へと向け、新緑が柔らかな萌芽を覗かせる様に、エントランスホールもまた祝福の息吹の中で再生へと向かい胎動を始めたのだ。
 トーノの、明敏さと安穏さとが混淆した藍色の瞳がわずかに細められた。
 耳を立てれば、作業を続ける人々の歓声に混じり軽やかな鎚音や、物資運搬車両の駆動音が聞かれた。人々の声だけではない。機械音にさえ、トーノは再生の足音を聞き取ったのだ。
 自らが守ったこの光景を誇らしく眺めながらも、トーノは作業員たちでひしめき合うエントランスホールの中を進んで行く。
 トーノの傍らには一頭のオルトロスの姿がある。
 隣へと目を遣れば、そこには見慣れた顔があった。理知的な銀色の瞳にしなやかな漆黒の体躯と、そこにはトーノの戦友の姿があった。
 月隠・新月(獣の盟約・f41111)、オルトロスの少女は平生と同じ、清閑とした様子でトーノの隣を並び歩いていた。
 新月の足取りは軽やかであり、先の戦いにおける疲労は彼女の挙止からは一切感じられなかった。
 トーノがしばし左方で顔を固定したままでいると、新月もまた首をトーノの方へとゆったりと傾ける。
 新月の銀色の瞳と目があった。真珠の様に煌びやかな双眸が、平静さを湛えながら僅かに揺らいでいる。
「お疲れさまでした、トーノさん。それにしてもロンドンで会うとは奇遇ですね...?」
 りぃんとした柔らかな声音が響いた。
 隣を行くオルトロスの少女、新月の声音だ。まだ年端もいかないにも関わらず、冷静沈着をまさしく体現した新月ならではの、凛然とした声がエントランスホールに反響する。
 トーノは、先の戦いでの新月の負傷をやや危惧していたが、しかし彼女は苦痛を始めとした一切の感情をおくびにも出さずに悠然と歩を進めていた。ケルベロスとしての彼女の優れた才幹をあらためて認識させられる。
「えぇ、お久しぶりです。それにしても、先の戦い、お見事でした。あなたの咄嗟の機転が無ければ、内田様は危うかったでしょう。更に初手で敵の右目を精確に抉ってみせた早業と言い、流石の一言に尽きます。とはいえ、激しくレグルスと組みつき合っていましたし、お怪我の方は大丈夫でしょうか?」
 トーノが尋ねれば、感情の起伏に乏しい新月の口端がわずかに上方へと斜を描く。どこか微笑ましげに表情を綻ばせながら、新月が曖昧に首を振るのが見えた。
「ご心配をお掛けしてしまったようですね。ですが…俺の方は問題ありません。どうやら治療を施した姫川医師が優秀だったようで、多少の擦り傷は残りましたが、行動するにはなんら支障はありませんよ」
 隣をゆく新月が銀白の瞳を心地よげに細めるのが見えた。
 新月が更に言の葉を重ねる。
「トーノさんこそ、レグルスとかなり激しく干戈を交えていたようですが、お怪我の方は大丈夫でしょうか?」
 新月が小首を傾げるのが見えた。彼女の声音は、平生と変わらず、声色の抑揚とは無縁に落ち着き払ったものであった。
 トーノは仲冬の頃、一際巨大な巨大な大樹のもとで新月と知己を得た。
 新月は寡黙な骨柄の持ち主である。と同時に、交流を重ね、距離を深めるにつれ、冷静さの中に恬淡さの様なものが煌めている事をトーノは発見した。彼女は挙措の類も洗練されている。
 故に他の者が言い放てば、無味乾燥であったり、いかにも杓子定規な決まり文句に聞こえるだろう言葉も、一度、新月の口から放たれれば、まったく別の意味を持つのだ。
 こうして共に戦場で戦うのは初めてだったが、彼女は平生と変わらずに戦い、そして優雅に歩を刻む。
 更には、トーノの負傷をも気遣って見せるという思慮まで示してみせたのだ。
 頼もしいと思うと同時に、彼女の好意に自然、トーノの頬が緩んだ。
「えぇ、私も問題ありませんよ。流石に黄道十二星座が一柱、レグルスといったところでしょうか。生傷は多少は残りましたが、致命傷には程遠く、あと一仕事するだけの力は十分に残しているつもりです」
 大仰と前脚を振り上げて、やや強めに大地を踏み締めてみせる。冗談めかしてトーノが振る舞ってみせれば、隣ゆく新月が従容とした様子で鼻を鳴らすのが見えた。
 そうして二人して数歩進み、エントランスホールの中央まで歩を刻む。ぴたりと足を止めると新月を横目にトーノは告げる。
「さて、新月さん…積もる話もありましょうが…」
 エントランスホールの中央に立ち、新月に先立って上体を反りたたせた。
「そうですね…。もう一仕事始めるとしましょうか」
 新月が続いた。
 新月が、トーノの隣に並び立ち、後ろ足で力強く床タイルを踏み締めながら、天井を仰ぐのが見えた。
 大時計が十五時を告げたのはまさにその時だった。
 戦いが終わって後、ひっきりなしで作業を続けていた作業員たちは、一旦作業の手を止めている様だった。多くの従業員は、タイル床に腰を下ろして休息に耽っている。彼からは疲労の翳りがはっきりと見て取れた。
 作業員たちが重労働で疲弊しているのは事実だろう。しかし、この病院では彼ら以上に心身ともに疲れ切ったのものが数多存在する。
 入院患者や外来患者、避難誘導を担当した病院スタッフたちがそれだ。
 レグルスの襲来により、彼らが被った精神的な負荷や重圧は計り知れないだろう。
 折しもここウェリントン記念病院は、重症神経疾患患者を抱えている。ただでさえ衰弱している彼らにストレスが齎す悪影響は決して侮れたものではない。
 彼らが再び立ち上がり、そして明日へと向かうための原動力を起こすための一助となりたいとトーノは一心に願った。
 そしてトーノは、新月共に彼らを活気づけるための風を起こすことを決めた。そう、力強くも優しい風を起こすのだ。
 人は背に可能性という名の翼をもつ。
 しかし、無風では翼は空へと羽ばたくことは出来はしない。
 翼は背を押し、翼をはためかせる風を欲しているのだ。
 全ての患者が、完全に病から立ち直るなどという奇跡を起こすことは出来はしないだろう。しかし、トーノにも入院患者やここで戦う全ての人のために、わずかな力を分け与える事は出来るはずだ。
 ならば、出来る事を着実にひとつづつこなしていく。
 それがトーノの哲学だ。
「――ではいきましょうか、新月さん」
 隣を伺えば、新月が力強く頷くのが見えた。
 前脚で大地を踏みしめて、天井を仰ぎ見る。
 白壁の天井が一面に広がっていた。階上には難病を患う無数の患者たちが今も尚、ベットの上に横たわりながら必死に病と闘っているのだろう。
 命の灯が、薄い天井壁を隔てて煌々と輝いているのが分かる。 
 トーノの体内では、奇跡の力が溢れ出していた。あとは、この膨大な力に形を与え、解き放てば良い。
 階上のもの達をも巻き込む様な、強風を生み出すの。天井壁をも容易に抜けていくような、力強い、奇跡の風をだ。
 トーノが、新月が同時に口を開く。
 瞬間、エントランスホールになり響いた二頭のオルトロスの遠吠えは、やわらかな響きを伴いつつ、奇跡の風をそこに生み出すのだった。

 前脚で力強く床タイルを踏み締める。弓なりに姿態をしならせて、天井へと牙を剥けた。
 大きく息を吸い込めば、もはや肺胞は限界状態まで引き延ばされ、肺臓一杯に空気が広がっていく。逆流しかねないほどの厖大な空気の逆流を必死に堰き止める。
 限界ぎりぎりまで、肺臓を空気で満たし、月隠・新月(獣の盟約・f41111)はしばしの間、待機する。
 ふと右隣へと視線を遣れば、新月同様、遠吠えの姿勢を取ったトーノ・ヴィラーサミ(黒翼の猟犬・f41020)がゆったりと左目を眇めるのが見えた。
 それが彼の合図だった。
 トーノの目合図に従い、新月が肺臓に溜め込んだ空気を力の限り吐き出す。
 瞬間、柔らかな旋律と見まがう様な新月の遠吠えが室内へと響きわたった。
 新月の口元をついた、鈴を転がすような凛然とした声音は、金糸をひくような琵琶の響きにも似た、包容力のある音律でエントランスホールを包んでいく。
 両脚で床タイルを踏みしめながら、新月は肺臓の中の酸素を絞りだす様にして伸びやかに発声を続ける。
 りぃん、りぃんと鈴の音のような新月の遠吠えが、残存する石壁に反響し、木霊する。
 …りぃんと三度目の反響音が鳴り響いた。
 瞬間、鼓を打つような、艶のある重低音が新月の隣より穏やかに空気を揺らす。
 必死に遠吠えを続けていた新月に声の主を伺う余裕は無かった。しかし、見ずとも分かる。
 声の主は紛れもなく、トーノそのひとに間違いない。
 海嘯の音色にも似た、芯にずっしりと響くトーノの遠吠えが新月にやや遅れて鳴り響いたのだ。
 ここに高低二種の遠吠えが一つに混じり合う。
 りぃんとした柔らかな鈴の音色に、ろぉん、ろぉんと伸びやかなる重低音が混淆する。二つの声音がぶつかり合うたびに音の波は時に振幅を強め、時に音を消褪させた。
 二色の声色は複雑に共鳴し合い、音程に強弱と抑揚をつけながら、雄々しくも優美たる協奏の音律となってエントランスホールから東西のナースステーションへと響きわたっていく。
 二人の遠吠えは歌となり、そうして一陣の風を生み出した。 
 それはトーノがユーベルコード【谷風陣】と新月がユーベルコード【魔獣領域】という二種の奇跡の御業の末に生まれた奇跡の風である。
 遠吠えは歌となり、風となって病院内を駆けていくのだった。
 丹田に力を込めて、新月は声を張り続けた。絶えることなく新月の澄んだ遠吠えが院内へと響きわたっていく。
 声が続く限り、ユーベルコード【魔獣領域】の効果は続く。
 吐く息や音の振動にさえも奇跡の力は宿っていたのである。
 トーノのユーベルコード【谷風陣】は、トーノの力強くも慈悲に満ちた遠吠えと共に人々の生命力を賦活させる、奇跡の風を生み出した。
 【魔獣領域】により新月の遠吠えは、魔力の奔流と共に人々を賦活化させる音波を生み出す。
 命の輝きに満ち満ちたトーノの声音に、新月が、澄んだ声音を重ねれば、高低二種の二重奏は、互いが互いの効力を相乗させながら響きわたっていく。
 新月の魔力を乗せた奇跡の風は、今、病院内を隈なく包み込んだのである。
 声の限り、新月は遠吠えを続けた。エントランスホールに沈滞した戦いの穢れを洗い出すように、声色に浄化の魔力を込めながら、新月は遠吠えという名の歌を歌う。
 新月、トーノの遠吠えは、時に和合しては高まり、時にぶつかり合っては声音を落とした。
 歌声は、寄せては引いてを繰り返しながら室内を奇跡の風で満たしていく。
 二人の遠吠えを除き、エントランスホールは静謐とした静けさだけが漂っていた。
 人々は息を飲みながら、遠巻きに二頭のオルトロスへと視線を注いでいた。
 鷹揚とした様子で酒盃を交わしていた作業員達は手を止めて、二人の合唱に聞き入っている様だった。内田・真紀奈もまた、いかにも寛いだ様子で目を閉じ、遠吠えに耳を澄ましているのが分かった。
 すでに新月は息切れ寸前だ。ひりひりと喉は痛み、心臓や肺は空気を求めてか熱っぽく脈動していた。腹部の筋群は痙攣してか、上腹部には絞扼感の様なものがひしひしと走っている。
 それでも尚、精いっぱい力を振り絞りながら、新月はますますに遠吠えの声量を高めていく。
 りぃん、りぃんと鈴なり音が一際高らかと新月の喉をついた。
 隣立つトーノも声量を増していく。海鳴りの様な沁み込むようなトーノの声音がエントランスホールが雄々しくエントランスホールを揺さぶった。
 瞬間、新たなる音の奔流がエントランスホール内へと巨大な津波の様に響きわたった。
 ここに二つの音域の異なる歌声が、完全に一つに混じり合ったのだ。遠吠えは音の境界を超越し、全ての者を鼓舞し、癒す福音へと昇華したのである。
 人々は瞠目がちに目を見開き、戦慄した様に立ちすくんでいた。
 音は高鳴り、砕け、響き渡り、全てを包み込む。そうして極点へと至ると、以降は潮が引くように減退していった
 すぐに反響音も消え果て、静寂だけが再びエントランスホールを支配する。
 群衆は棒立ちで、夢心地といった様子で目を見開いていた。彼らは、新月らが織りなした音の世界の中を未だ彷徨っているようだった。
 口を半開きにしながら、茫洋とした様子で立ちすくむ者がおり、酒を飲むのも忘れて石像の様に身を強張らせるものの姿があった。
 凍り付いた様な静けさの中、大時計の秒針だけが無機質に音を響かせていた。
 新月とトーノの息遣いが静寂の中へと混じっていく。
 ゆったりと息を吸い、新月は呼吸を整える。ふと隣を見ればトーノもまた前脚で大地を力強く踏みしめながら上体を激しく上下させているのが窺われた。
 静寂の中、乾いた様な音がぴりりと新月の鼓膜を揺らした。
 ふと新月が視線を遣れば、放心状態で立ちすくむ男が両の掌を合わせているのが見えた。
 男は半ば放心したように、機械的に手を合わせては離してを繰り返す。男の乾いた拍手の音が鳴り響いた。そして、それが呼び水となった。
 ぱちぱちと喝采がひとつ、ふたつと起こったと思えば、瞬く間に割ればかりの喝采がエントランスホールへと沸き起こる。
 随所から沸き起こった万雷の喝采が、しばしエントランスホールを激しく揺さぶった。
 病院ということも忘れてか、人々は、酩酊したように拍手を続けている。生真面目そのものな内田・真紀奈さえも例に漏れず喝采を送っている。
 人々の視線を一斉に受け、拍手喝采で祝福されるのは気恥ずかしさが無いでもなかった。
 新月が左方へと視線を遣れば、トーノもまた同様の様で、明敏さを湛えたトーノの瞳は動揺の色を浮かべながら苦笑気味に細められていた。
 最も、津波の様な喝采は、突如、血相を変えて飛び込んで来た往年のナースの一言によりぴしゃりと鳴りやんだ。
 大の大人達が一人の老婆に叱責され、力なく萎縮する様はなるほど、いかにも滑稽であったが、そんな光景がなぜか新月には愛らしくも感じられた。
 その後、往年のナースの長々とした注意を受けることニ十分、最後まで小言を聞き終えた現場監督は休憩を打ち切ると作業員たちへと再びの作業開始を命じるのだった。
 エントランスホールの修繕作業や清掃作業は滞りなく進められた。
 【谷風陣】、【魔獣領域】による身体能力の賦活化、精神的高揚感の亢進も相まってか、空が赤らむ頃には作業員たちは既に大まかな瓦礫の撤去作業を終えるに至る。
 赤光が鏡面の様に磨き上げられた床タイルに薔薇色の綾模様を描きだせば、冷気を孕んだ微風が新月のタテガミを揺らす。
 既に作業員の大部分は撤収し、エントランスホールにはまばらに人が散在するだけだった。
 作業の間、新月もトーノもまた、作業員たちに混じって礫片の運び出しを行い、資材の運搬を手伝った。
 レグルスとの戦いから始まり、遠吠えの協奏、そしてホールの清掃にと思えば働きづめであった。さしもの新月も鉛の様な疲労感を全身に覚えていた。
 そんな新月の心境を察してか、隣立つトーノが心配げに首を傾げるのが見えた。
 無言で新月が、首を左右すれば、以心伝心でトーノが相槌をうった。
「これで一区切りですね、新月さん。一旦辞去するとしましょう。最も――」
 なにか含みを残すようにトーノが言った。
「最も…?」
 新月が疑問符を浮かべた。
 トーノが、からかう様な微笑を浮かべるのが見えた。
「いえ、少し思ったことがあったのですよ。今日一日では作業は終わらないようですからね。最もそれも好都合だと思い。ほら、また手伝うなりして…健康診断でも受けてみるのも一興かなと・・・なんてね」
 戦いの時に見せた真剣そのものな表情とは打って変わって、オルトロスの紳士はその端正な面差しに朗らかな笑顔の花を咲かせる。諧謔まじりの笑みは、夕映えの光の中で妙に鮮やかに輝いてみえた。
「健康診断、ですか? 聞いたことはありますが――」
 一瞬、言葉を詰まらせた。
 新月はあまり諧謔の類は得意では無い。反応に関して一瞬、逡巡したのだ。だが…。
「健康診断は、我々オルトロスに対応しているのでしょうか……? もしも、対応しているのならば連日の手伝いもやぶさかではありませんね」
 だが、トーノとのやりとりは嫌いではなかった。
 言葉を返せば、微笑のようなものが口元から零れた気がした。それは新月にも笑みかどうか判然としない、微笑とも呼べないほどのほんのわずかな表情の変化にすぎなかった。
 それでも尚、心中でくすぶる木漏れ日の様な感覚は悪いものではなかった。
 隣にある友人の存在も、夕陽の祝福の中で無事に今日という日を終えることが出来た数多の者達の存在も、その両者の存在が新月の心奥を柔らかな指先でくすぐっいるのだろう。
 微笑は夕映えの中へとすぐに消え去った。新月は一歩を踏み出すと、トーノと共にエントランスホールを後にする。
 暮れかかった景観の中に二頭のオルトロスは消えていく。
 丘の上に佇むウェリントン記念病院だけが、遠景へと霞んでいく二人の後ろ姿を静かに見守っていた。
 太陽は西へと傾き、地平線の彼方へと身を横たえた。夜の帳が下ろされれば、夜空には宝石の如き星々が無数煌めき出す。
 夜来れば、温厚な春風はその表情を一変させ、凍てつくような冷風でもって街々へと吹き付けていく。
 夜風が丘の上の草原を駆け抜けて行く。
 ふと一筋の流れ星が夜空を走り抜けていくのが見えた。長い尾を曳きながら、流星は束の間、鮮やかに夜空を銀白色に潤色しながらもすぐに消え尽きた。
 成層圏にて流星は塵と化したのだろう。
 しかし、流星の残滓は、今や不可視の雪となって地球を、そしてウェリントン記念病院上空を穏やかに包み込んでいた。
 歓声が三階病棟から轟いた。
 希望に満ちた穏やかな声だった。歓喜にも似た声は闇夜の中にしばし木霊しながら、降り注ぐ不可視の灰とも雪ともつかぬ塵の結晶と混淆しすぐに消えていった。
 灰色の雪はすぐに霧散し、安寧の暗闇がウェリントン記念病院を包み込む。静かだが優しい夜がそこに広がっていた。
 ここに、ウェリントン記念病院を巡るレグルスとの戦いは幕を閉じたのである。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2024年05月20日


挿絵イラスト