噂風は止め目処無し
●美しさは至上なるもの
人は美しいものを好む。
獣にはない観点であろうし、故に人は人足得るのかもしれない。
美しさだけでは腹は膨れぬ。
人の求めたる究極の美。
それは存在するだけですべての人々が平伏し、崇め奉るものでるというのならば、それもまた異なることである。
「ああ、光り輝くようなお顔立ち、鳥の声すらも霞むようなお声。かの御方はどうして私どもにこんな思いをさせられるのか」
京雀たちは、その目鼻立ち整った顔と所作に魅了される。
誰のことを言っているのだと問われたのならば、彼女たちは赤ら顔で応えるだろう。
「なんと! この京にありながら恋多き方、八秦・頼典(平安探偵陰陽師ライデン・f42896)様を知らぬと!」
その鼻息だけで妖さえも吹き飛ばしそうな雰囲気があった。
「そして、眉目秀麗にして武芸百般に通じる御方『皐月』様! かの御方との名を知らぬなんてありえませんわ!」
「ええ、本当に!」
「え、本当に知らないと? あら、良く見ればあなた、見ない顔ね? どちらの出なのかしら? その佇まい、姿、異国の方かしら?」
京雀たちは、『恋多き御方』こと頼典と平安貴族『皐月』のことを知らぬという者を前にして値踏みするような視線を向ける。
「まあ、いいわ。知らぬというのならば教えて差し上げましょう。頼典様は、此度、従二位へと御昇進なされた今、平安貴族の中において飛ぶ鳥を落とす勢いに御出世なされている御方」
「そして、『皐月』様と、それはそれは深い深い仲になられているのよ。わたしたちの口から申し上げるにはあまりにも言葉が足りぬほどにね!」
勢い凄まじい。
語気荒くする京雀たちに、その者は気圧されるようであった。
「頼典様と『皐月』様は、今も仲睦まじい逢瀬を繰り返しているに違いなのよ」
「壁のシミになりたいですわ」
「いえ、天井のシミも捨てがたくてよ」
そんな彼女たちはさらにヒートアップしていくが、水を指すように言葉が投げかけられる。
「そもそも、その、頼典様は『恋多き御方』と聞き及んでおります。好色である、とも。言え、それ自体は咎められることではございませぬが、しかし……」
ぐい、と京雀たちが身を寄せる。
身を寄せる、というにはあまりにも勢いがついていたため、彼女たちはそう言った者を壁に追い詰め、囲い込んでいた。
目が血走っている。
正直に言って怖い。
「いいえ! いいえ! そんなことはありません!」
「そうですわ! 頼典様はたしかに、ええ、たしかに『皐月』様がお仕えしていらっしゃる止事無き御方、『永流姫』へのお目通りを願っておられました!」
「ですが、幾度と文を送っても梨の礫」
「で、では、その……それこそ、その話題は、過ち、では?」
亜麻色の髪が揺れて、取り囲まれていた女性は恐る恐る、といった具合に、いや、やんわりと否定しようする。
だが、それを京雀たちはさらに鼻息荒く否定するのだ。
「だからこそでしょうが!」
「ええ、まったくわかっておられない! 頼典様はあの手この手で『永流姫』に文を送り、品を贈り、それはもう大変にご執心なされておりました! ですが、やはり取り付く島もなくお心を傷つけられておられたのです」
「そこで『永流姫』の信頼厚き方、『皐月』様を頼ったのです。直接、文が届かぬのならば、その側近に手渡していただこうと!」
ずい、ずい、ずい。
近い。
「いや、文はしかと届けられて……あ、いや、届けているのでは?」
「ですが!」
「わたくしたち見てしまったのです! あの日見てしまった己が五体を使って獲物を逃さぬという鷹の目をした頼典様と、今にも手折られんとする『皐月』様のお姿を!」
「えぇ……」
亜麻色の女性は眉根を寄せて、下げた。
あの日のことを言っているのだろうか。あれは、そういうのではないと思うのだが、彼女たちに見られていたのだろう。
あらぬ誤解を招いてしまっている。
否定しなければ、と思ったが、息継ぐ暇すら与えてはもらえない。
「頼典様のお顔があんなにも近く! 甘く囁かれては、流石に『皐月』様と言えど魅せられてしまうのは致し方のないこと!」
「斯様に請われては、断るに断れず、お目通しのお手伝いをなされたに違い有りませんわ。でも、叶わなかった。故に『皐月』様のことです、その責任を感じて頼典様のお屋敷に向かわれたのでしょう!」
となれば?
となれば?
となれば、その一途さ、責任感の強さ、そして何より眉目秀麗と謳われた『皐月』の所作に頼典も心が動かされたに違いない。
「それにご存知でしょう? 最近の頼典様の立ち振舞い。まるで別人のよう。人は立場で変わると男性の方々はおっしゃられますが、恋でも変わられるものです」
「加えて、あそこまでご執心であった『永流姫』へのお目通りの嘆願もぷつりと途絶えられているのです。それが何よりの証拠です!」
熱弁であった。
ものすごい熱量であった。
しかし、亜麻色の髪の女性は思った。
いや、それは流石に、と。
「そして、そして?!」
「ええ、そうなのです。頼典様は幾度となく相ならぬお目通りの責任を感じて悲嘆にくれる『皐月』様を隣に座らせ、こう耳元で囁かれたに違いありません」
ごくり、と京雀たちは生唾を飲み込んだ。
いやに生々しい音であった。
『――せめてお前だけでも、ボクを捨てないでくれ』
「キャ――!!!!」
それは悲鳴めいた絶叫であった。
「そして『皐月』様も己の嘆きに応えてくれる頼典様を熱情灯し、潤む瞳で見上げているのです。後は星影だけが知るのみですわ!!!」
「手は! 御手は取られたのですか!」
「さすって差し上げる手つきは如何なるものでしょうか!!」
「涙を拭う指先になりたい! あ、いえ! その溢れる涙を受け止める畳になりたいです!!」
「頼典様ならば、涙が落ちる前に、その御手でもってすくい上げるに違いありませんわ! もう止まりませんわ! 寝屋に直行ですわ!!」
「そう思えば、今様色の反物を『皐月』様に手渡されたのも全て合点が行くってもんですわ! 状況証拠ではなく物的証拠があるのですから、これはもう事実でしょう! そうでしょうとも!!」
京雀たちが過熱していく中、亜麻色の髪の女性は囲いをそろりと抜け出して、息を吐き出す。
「……なんということだ」
女性の着物を着てはいるが、それは京雀たちが噂していた渦中の人、平安貴族『皐月』であった。
彼は、いや、彼女は、元より『永流姫』に仕える者である。
止事無き御方の側に仕えるということを考えれば、男性であることは好ましくないだろう。
ならば、逆説的に考えれば『皐月』は男装の麗人として『永流姫』の手足、耳目となって行動していると言える。
だが、彼女は困り果てていた。
なんだか噂があまりにもおかしな方向に転がっているのだ。
否定しようとしても、京雀たちは食い気味に己が妄想を現実として語りだすのだ。さも事実のように、それも在ったこと、見たことのように語ってくるのだ。
「まさか、此処までとは……」
遠くに来ても尚聞こえてくる京雀たちの声。
興奮しきっていて、声量の大きさにも気がつけぬのだろう。それほどまでに彼女たちは熱中し、さらなる己が妄想を現実であるかのように語り継ぐのだ。
それは今の世的に言うならばスキャンダルである。
が、しかし事実がどうであれ京雀たちにとっては、それこそが真なのだ――!
成功
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