Burnt "A"mber
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兄神が戦に行くと云って地上に向かってから、早数年が過ぎた。
愛と豊穣の神アンバールは、いつも通り慈愛に満ちた美しい笑みで人々や神々を魅了していたけれど。
「……退屈だなあ。兄上がいないと」
屋敷に戻り、従者の目もなくなると、美しい唇をへの字に曲げて不貞腐れる。
確かにここのところ、ヒーローズアースは動乱の時代であった。
ジャスティス・ウォー以降、せいぜい小競り合いが起きる程度だった地上は、オブリビオンという第三勢力によって大きく動いた。とはいえ先のアースクライシスは終戦を迎えたし、その後に発生した小規模な問題も戦争とまでは至っていない。
だというのに、兄神は一向に帰ってこないのだ。
「地上から離れがたくなってしまったのかな? いやまさか、他の神ならともかく兄上に限ってそんな事あるわけないし」
兄神――グラナト・ラガルティハの人間嫌いは一族の間でも有名だ。人間たちがグラナトの事をあまり尊重していないのだから無理もないが。
「……逢いたいな」
堂々たる姿に、ゆらめく炎のような激しさを宿した兄上。
逢う度に素っ気ない態度を取られてはいたものの、それさえもアンバールにとっては愛しいものだった。万人の寵愛を受ける自分に靡かないあの頑なさを、いつか手懐けたいと。
「逢いに行こうかな」
そうだ。兄上がいつまでも戻ってこないのなら、こちらから逢いに行けばいい。
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早速身支度を整えたアンバールは、グラナトがかつて住んでいた屋敷へと向かった。
重厚な扉につけられたドアノックは、獅子の代わりに蠍が真鍮の輪を携えている。ぶつけて鳴らせば、開いたドアの向こうからグラナトの従者が顔を出した。主人の弟が訪れたことに目を瞠る。
「これはこれはアンバール様。せっかくお越しいただいたのに申し訳ありませんが、生憎、グラナト様はまだ家を空けておりまして」
「うん。それは知っているよ」
琥珀色の瞳を細めて笑いかけると、それだけで従者もつられて少し口元を緩ませる。神だろうが人間だろうが、ほぼ全ての者がアンバールに向ける反応だ。
ひとは、美しいものに弱い。
だからこそアンバールは望むものすべてを手に入れて来た。ただ一つ――グラナトを除いて。
「けれど兄上に用事があってね」
「でしたら私がご用件をお伝え致しましょうか?」
「いや、直接会って話がしたいんだ」
アンバールがそう云った瞬間、従者が少し戸惑うように目線を逸らした。居場所を伝えていいものか悩んでいるのだろうとアンバールは推測し、人懐こい笑みを深める。
「何か問題でも? 私と彼は兄弟だからね。たまには子供の頃のように水入らずで話をしたいというだけさ」
「水入らずというのは少し難しいかもしれませんが……あっ」
従者がしまったという顔になった。
「事情があるんだね?」
「……ええと」
「心配はいらない。きみから聞いたという話は兄上には云わないよ。ただしそれは、きみが嘘偽りなく話してくれれば、だけど」
「……グラナト様は、地上でひとりの人間と暮らしておいでです」
「へ?」
予想外の言葉にアンバールは面食らった。
「何それ、どういうこと? 兄上とその人はどういう関係?」
「そこまでは……ただ、金髪の青年という話ですが」
「金髪。ふうん」
自分との共通点。なんだかおもしろくない。
「とにかく兄上は地上にいるんだね。場所は分かっているんでしょう?」
「……あの、この事はグラナト様には」
「勿論。女神たちから聞いた事にでもしよう。彼女たちはおしゃべりで噂好きだからね」
あからさまにほっとした様子で、従者はグラナトの住居について教えてくれた。
「ふうむ。そこに兄上が」
聞きたい事はいっぱいある。話したい事も。
それよりまず、兄と一緒に暮らしているという男のことだ。
兄上はいつから人間に心を開くようになったんだ?
それに、この私が兄に逢えず寂しい思いをしているというのに、その間兄を独占していた存在がいるだなんて。
「……納得いかないよね」
さて、どうしてやろうか。甘やかな眼差しを冷たく窄め、アンバールは思案する。
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どこか近寄りがたい雰囲気の洋館に、火炎と戦の神グラナト・ラカルディハとその伴侶、マクベス・メインクーンは暮らしていた。
「グラナトさん」
ソファで二人。呪いが解けてもそのままの猫耳を愛らしくぴこぴこと動かしながら、マクベスが手にしたスマートフォンをグラナトに見せる。
「見て、この花。炎みたいだろ?」
「ああ、本当だな」
「グロリオサっていうんだって。夏頃に近くの植物園でも咲くらしいんだ。一緒に見に行かない?」
楽しそうな様子のマクベスに、グラナトが頬を緩めた。
「勿論だ」
「やったあ」
「しかし意外だな、お前が植物を見たがるなんて」
「だってグラナトさんみたいだからさ」
「そうか」
頭を撫でると、まるで猫が喉をごろごろ鳴らすようにすり寄って来る。
二人きりの静かな時間は、来訪者を告げるベルの音で中断された。
「珍しいね。誰だろ?」
「私が出る」
特に警戒する事もなく玄関に向かい、グラナトはドアを押して開ける。
最初に飛び込んできたのは香りだった。ふわりと靡く花のような。
「――!」
その瞬間、全身が総毛だった。殆ど反射的にノブを引いたが、来訪者が足を滑り込ませていた。
「久しぶりだというのに随分な挨拶じゃないか」
とっくに予想していたとばかりの平然とした声と共に、ドアの隙間からひょいと覗く顔。
誰もがほだされてしまいそうな、ほがらかで美しい笑み。
ぎり、とグラナトが歯ぎしりをした。
「何をしに来た」
「いやだなあ、私はただ――」
「グラナトさん?」
後ろから声がして振り返る。
きょとんとしたマクベスが二人を見つめていた。
「どうしたんだ? 知り合い?」
「これはこれは。愛らしいお方だ」
グラナトの隙をついてアンバールがドアを引き、中に入り込んできた。
「お初にお目にかかる。私はアンバール。彼の弟だよ」
「ッ、マクベスに近づくな!」
「マクベスというのか。いい名だね」
ぱちん、とグラナトにウィンクをして、マクベスに手を差し出す。
「……はぁ」
握手に応じながらマクベスはアンバールの顔を見上げる。
(グラナトさんに弟がいるって話は聞いていたけど、あんまり似てないんだなあ)
寡黙で、マクベス以外には表情の薄いグラナトに対し、アンバールと名乗った神はずっと笑顔だし随分とおしゃべりだ。
瞳の色は近いが、時に炎のように激しさを宿すグラナトのそれと異なり、アンバールの眼差しは蜂蜜のようにどこまでも甘やかだった。体格のよさは通じるところもあるが、実戦で鍛えられた剛健なグラナトに対しアンバールはどこまでもしなやかで、美しさを求めた結果という印象を受けた。
「ええと……グラナトさんに逢いにきたの? オレ、少し席を外そうか?」
「構わないよ。私は君にも逢いたかったんだ」
「オレに?」
「アンバール、お前……!」
「そう殺気立たないでよ、彼が困惑しているじゃないか」
くすくすとアンバールは喉を鳴らす。
「人間嫌いな兄上が地上の人と暮らしていると聞いてね。興味が湧いたんだ」
グラナトが柳眉を顰める。
「……それを誰から聞いたんだ」
「うーん、おしゃべり好きの女神たちから?」
「嘘を云うな」
「今に始まった事じゃないけど、久々なんだからもうちょっと楽しくお喋りしようよ」
「――また私の部下に手を出したのか!」
グラナトが鋭く叫ぶと同時、空気がびりびりと震える。屋敷に住むグラナトの眷属たちが騒ぎを聞きつけて駆けつけ、アンバールを見て硬直しているのがマクベスの視界に入った。
「手を出しただなんて人聞きが悪い」
アンバールはあくまで笑顔のままだった。
「ただちょっと話を聞いただけだよ、兄上」
「以前にもそう云って……!」
「以前にも? 何かあったっけ?」
「私の神官を籠絡した事があっただろう。覚えていないとは云わせない」
グラナトには以前、誰よりも信頼している神官がいた。だが、あろうことかアンバールは彼に馴れ馴れしく声をかけ、そして彼もアンバールについていった。
「ああ。そんな事もあったね」
「彼だけではない。私と近しい存在をお前は何度も……!」
「ただ楽しくお話して、彼が私を気に入ってくれただけの事だよ。彼だけじゃない。他の人も、ね?」
そう、アンバールにとってはそれだけの事なのだ。
ちょっと優しくして、微笑んで、「兄上より私のほうがいいよね?」と囁きかければ。
みんな、私に魅了される。
マクベスとかいうこの青年も、そのはずだ。
「兄上こそひどいじゃないか。連絡も無しにずっと留守にしてさ」
ねえそうだろう、とマクベスに微笑みかける。軽薄な態度ではぐらかすアンバールの、琥珀色の双眸が妙に寂しそうに見えた。
(――この人、ひょっとして)
じっと見つめ返してくるマクベスに、アンバールは歩み寄った。
「可愛らしい人だ。ねえ、兄上抜きで二人で話さないかい?」
再び手を取る。今度は握手ではなく、両手で包み込むようにして。
「人間には秘密のとっておきの花園があるんだ。君になら特別に見せてあげよう」
――ねえ兄上。彼を兄上から引き剥がしたら、今度こそ兄上は私を見てくれるよね?
マクベスが口を開きかけたその時。
「マクベスから離れろ!!」
怒声と共に鏃めいた炎が降り注いだ。
「わわっ!?」
慌てて実を翻すアンバールの後ろで、屋敷の調度品が轟々と燃え上がる。
「もう、手荒なんだから……ひいっ!」
更に追い打ちを掛ける炎。髪を逆立てたグラナトが荒く息を吐いている。自らが操る炎よりも更に熱く鋭い双眸がアンバールを真っ向から睨みつけていた。
「……かっ」
(かっこい~~~!!!)
戦場ですら滅多に見られないグラナトの本気モードに、マクベスは思わず目を奪われる。
「やめてよね、私荒事は苦手なんだから」
「自業自得だ、そのまま灰になればいい」
「まっ、マクベス様!」
様子見に徹していたグラナトの眷属が、いよいよ耐え切れないとばかりにマクベスの肩を揺さぶった。
「グラナト様を止めてください!」
「え、でも」
マクベスは正直な所、グラナトが云う通り自業自得だと思っていた。
グラナトから弟がいるという話を聞いた事はあるが、彼が話し辛そうにしていたので「あんまり仲が良くなかったのかな」と察してはいたし、今回実際に出逢って、初対面からあまりに馴れ馴れしかった時点で少し苦手意識を抱いてもいたし。
それに何より、グラナトがあそこまで激昂する時点で並大抵のことではない。マクベスに近づいた事、神官を丸め込まれた事以外にも色々あったに違いない。
それならば一度、きついお灸を据えられた方がいいのではとさえ思ったのだが。
「このままでは、グラナト様はアンバール様を屋敷ごと燃やされてしまいます……!」
「ああ、それは困るな」
涙目で訴えてくる眷属に、マクベスは思い直した。
「グラナトさん、そこまでだよ」
二人の間に割って入る。グラナトが目を瞠った。
「マクベス。止めてくれるな。この下郎を燃やし尽くさない限り私は……」
牙剥く猛獣のようなグラナトの唇に、マクベスは人差し指で触れる。
「大丈夫」
それから腰を抜かしたアンバールに目線を向ける。
「せっかくのお誘いだけど、オレは行かないよ」
真っ向から断ってから、グラナトの胸に飛び込む。
「!?」
目を剥くアンバールに、満面の笑みで微笑みかける。
「オレ、グラナトさんと結婚してるんだから」
「は? え??」
アンバールが混乱のあまり顔を赤くしたり青くしたりするので、マクベスは内心笑いを堪えるのに必死だった。
「オレが好きなのはグラナトさんだけ。だからデートなら他の人を誘ってよな」
「結婚? 兄上が? 人間と??」
「そう」
「だから私に靡かないと……? この私に?」
「あー。なんか自信満々に誘われたけど、正直グラナトさんのほうが何十万倍も格好いいから」
そこからのマクベスの“快進撃”はいっそ爽快だった。
どうしてグラナトさんから自分を奪えると思ったのかとか、外見以外に磨くところがあるんじゃないのかとか、グラナトも腹を立ててはいたが指摘できずにいた事をずばずばと云ってのけるので。
溜飲が下がりきったグラナトの腹の虫は、気が付けば暴れ回るのをやめていた。
「兄上が、人間と……そんな」
「マクベスに命を救われたな。彼に感謝して、そして二度とこの場に姿を見せるな」
炎の代わりにそれだけを云い放つグラナト。マクベスはアンバールに近づき、力なく項垂れた彼を助け起こすような素振りをしながらそっと耳元で囁いた。
「もう遅かったね」
アンバールが弾かれたように顔を上げる。
「君、気づいて……?」
にっこりと、アンバールなどとは比べ物にならないほど純粋な笑みをマクベスは作ってみせた。
――そうだよ。グラナトさんは、永遠にオレのものなんだから。
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「あいつには困ったものだ」
すごすごと去っていく後ろ姿が完全に見えなくなってから、ようやくグラナトは警戒を解いた。
「済まなかったな、迷惑をかけた」
「ううん。グラナトさん、とっても格好良かった」
「お前達にも」
「いいえ、滅相もないです」
今だちょっとびくびくしている眷属たち。グラナトは深いため息をついた。
「あいつは誰からも好かれるくせに、何故か私にばかり突っかかってくるのだ。私が誰かと親しくなると必ず顔を突っ込んで仲たがいさせてくる。だからお前との事は知られたくなかったのだが」
「きっともう大丈夫だよ。さっきのがいい脅しになったと思うし」
「だといいが」
グラナトは、マクベスのいう脅しを自分が我を忘れて怒り狂った事だと思っているに違いない。
もっと決定的な理由は、マクベスとアンバールだけの秘密だ。
「兄弟という切っても切れない縁がありながら、正反対の気質である私がうっとうしくて仕方がないのだろうな。だから私が誰かと親しくしていると邪魔をしたくなるのだろう」
グラナトはあくまで、アンバールは自分を嫌っていると想い込んでいるようだ。
「そうなのかも」
話を合わせながら、マクベスは内心アンバールの驚きようを思い出していた。
(逆だよ、グラナトさん)
執着といってもいいほどの、アンバールの行動。
誰からも愛されて来たというアンバールだからこそ自分から想いを告げる事が出来ず、兄上を振り向かせよう、独り占めしようと躍起になっていたのだろうけれど。
(でもそんな事、教えてあげる必要もないからね。彼にも、グラナトさんにも)
だって彼に云った通り、グラナトさんは自分だけのものなのだから。
くすりと小悪魔めいた笑みひとつ、マクベスはグラナトの逞しい肩に頬を摺り寄せた。
成功
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