「――あんまり、というか。良くないんですよね」
エモートもなく、ただ虚空に呟く。
メニューに触れることもなければ、スクリーンショット用のカメラを構えたまま。
リコルはぼんやりと揺れる茂みを見つめる。
ゴッドゲームオンライン。
いわゆる、オンラインゲームの中で彼女は呟く。
中世風ファンタジー世界を基本に広がっていった究極のオンラインゲーム。
UDCアースでも遊ばれているジャンル。だが、決定的な違いがある。
それは、非合法である、ということ。
そもそも、アクセスしている世界がUDCアースとは違う。
その世界とは、近未来の超管理社会。
|統制機構《コントロール》が示した人生設計に従って生きるのが決まりの世界。
進歩や成長を否定し、何も変わらぬ事を幸せと説く世界だ。
|統制機構《コントロール》から彼女に示された道のりは――、
高等教育センターを優秀な成績で卒業する、こと。
その成績も、結果も決められたもの。
愚かな成績からの再教育も、退学すら無論決まったルートだ。
|統制機構《コントロール》は変化を否定する。
――優等生すら、決められた道のりだ。
そして、高等教育センターでの役割は「風紀委員」。
なぁに、大した話じゃない。
違反する生徒も定められている。
再教育を受ける人間も定められている。
退学するヒトだった物も定められている。
|統制機構《コントロール》に、違反者を予定通り通報すればいいだけ。
そう決められたのだから、そう生きるのが正しい。
変化や進歩こそ悪、変わらぬ事こそ幸福な世界なのだ。
ただ、触れてしまったのだ。
違反者を知ろうと――生真面目に非合法ゲームの情報を得て。
ログインした。
その場に違反者がいるなら、取り締まらなければならない。
懐に入る、そういう道筋だった。
優等生はこんな非合法ゲームに入るため、本名をもじったキャラクターネームに決めた。
そもそも遊びに来たわけじゃない。プレイヤーバレもクソもない。
本名に近いことは抑止力になる、そう考えた時もあったのだ。
クリオザ・リコル――栗原リコ。
それこそ、姓名の順になる名前の人生設計。
なら、入力も姓名の順で考えてしまう。
名前を先にするなんて失念して、クリオザなんて呼ばれる原因にもなった。
「風紀委員」として非合法ゲームのプレイヤーを取り締まるのは当たり前の事だ。
きっと、異界なら「当たり前」だった。
ただ、ここは管理社会――その"発想"の時点で歯車は狂っていた。
|統制機構《コントロール》は望まない。
それは自発的な思想による進歩を目指す行動であり、停滞に収まる行動ではない。
――善を歩もうとした真面目さは、この世界では記述のない愚かな行為だ――。
そして、否応なしにゲームは開始された。
チュートリアルクエストが表示され、その通りにマップを歩いていく。
NPCと会話し、アイテムを運び。
日常と変わらない。視界の中に「やるべきこと」が見えるのだから、それを熟すだけ。
多くのプレイヤーが「クソ面倒くさいし、後でいいよ」なんて言うチュートリアルを、
|統制機構《コントロール》のスパイの予定の彼女は――真剣に熟していた。
チュートリアルが後半に差し掛かる頃、表示されたクエストは「フレンドになろう」。
「えっ……ええっ……」
多くのゲームで発生しうる、初期のフレンド作成クエスト。
こんなもの、そばにいるプレイヤーに投げて削除すれば事が済む。
ゲーマーというのはそうやって、さっさと報酬だけを回収していくのだが……。
街で立ち尽くす残念な女性が生まれてしまう原因になる。
フレンド――友達、というのは決まっているもので、なるものではない。
"いつから、いつまで"「友達」という存在であるかの記載がある。
なろう……?
なるもの……?
数時間、始まりの街の噴水の付近で立ち尽くしていた彼女に、一人の少女が声をかけた。
「もしかして、初心者さん……?
あの、もしかしてなんだけど……フレンドのクエで止まってたり……?」
仰々しいフルプレートにキラキラ輝くクソデカい武器。威圧感はたっぷりだ。
「ふぁっ……あっあっ……ごめんなさい!」
リコルの反応といえば、派手に驚いた上に言葉を詰まらせて謝るフルコンボ。
話しかけられるとも思っていない、しかもスパイのつもり。
眼の前に居るプレイヤーの迫力もすごい。
「あーっ、そういう感じか~。うんうん、わかるよ、初めての子に多い反応だから。
フレンドしちゃお、進めるの楽になるしね!
あたしはウミキャットだからウミでいいよー、覚えといてね!」
えっと……ええ……クリオザちゃんでいいの?」
「ふぁッ!?あっ、ああ!ええと、これ名前の順番……!うわ、やっちゃいました、トホホです……」
「うん……なんかこのミス何回か見たことあるな……リコルでいいのね。
まぁ、パーティ飛ばしたしフレンドもOKしといてね。案内するよ。」
結局、その後引きずられながらもイロハを学んだ、というのが始まりの一日。
リコルは、揺れる茂みを見ながら、その日を思い出していた。
冒険の始まりの日、ゲームの始まり。
その日を思い出して――こんな暗い顔をするのは理由がある。
「いけない、ことなんですよね」
分かりきった事を呟く。非合法なのだから。
頭の中で巡るのは、ウミと名乗った重戦士の事。
あの後、次の日また会おうと話をして別れた。
……なんとなく聞き覚えのある声だった。
次の日――ログインしてもウミはオンラインにならなかった。
次の日も、次の日も。
一人でクエストを歩みながら待った。けれど、彼女は二度とログインしなかった。
――ウミと会った次の日から、出席票に名前が無くなった子が居る。
西山ハル。
スポーツが得意で、ちょっと男勝り。明るくて気さくなタイプ。
名前の共通点なんてない。
でも。
カバンにカモメのぬいぐるみをつけていて。
昔、それが落ちて――渡した時に言っていた。
「えっ、あ、落としてた?マジか~、ありがとね!あ、でもこれカモメじゃなくてウミネコだよ。
覚えといてね!」
――同じ声だったんだ。
「いけない……事、だから……」
あの1日が楽しかった。
風紀委員として報告するつもりだった。
――だけど、二人で回った世界は綺麗だったし、自由だったし、楽しかった。
――だから、報告しなかった。次の日遊ぶ約束もした。
――たぶん、"誰か"が通報したんだ。
――そう解っている。解っていたけれど。
それから、ずっと待っていた。
クエストも消化して、同じ場所へ行けるように――、
名前の色は灰色でオフライン、レベルだけが分かる彼女のデータに揃うまでゲームを続けた。
――スクリーンショットが楽しいとか、動物が好きだとか。
最初の日に話してくれた"たくさん"の事へ、「そうだね!」と返す日を望んで。
「……はぁ……だめなんですよねぇ。このゲーム。」
ちょっと前。
謎のクエストかと突破すれば、バグだとか何だとか。
大騒ぎする珍しいスキンの人たちを見た日……スキルウィンドにユニークスキルが増えて。
世界を守るでっかいシナリオに突入したかと思えば――。
それは、ゲームではなくて。
ゲームを通して、別の世界にアクセスできるから、力を貸してくれって。
猟兵なんて職もシナリオも、そもそもゲーム外の機能まで発生して――。
「ゲームのはずなのに、誰かの役に立っていて。
良いこと、してるんだと思います。
――でも、私の世界では悪いことです……から」
――風紀委員の役割として、このゲームのプレイヤーは報告しなければならないのだから。
スクリーンショット用のカメラがブレる。
精神的に安定しない――日時固定の特殊ポップモンスターの撮影に来たはずだったのに。
アガらないし……辛くなってきた。
ログインしているほうが幾分かマシなんだ。
だけど――1人の時間は重い。
「寝よっかな……」
ヘッドマウントディスプレイを外せば生活感のない、薄暗い小綺麗な部屋が見える。
自動消灯――室内の電気が消える時間は決まっているのだから。
机の右斜め前。その置き場も決めていて。几帳面に片付けて、ベッドに戻る。
枕元にメガネを――置く前にレンズを確認する。
ヘッドマウントディスプレイで、意外と傷がつく。
これだって|統制機構《コントロール》から「設計と違う」と区分されてしまうかもしれない。
だから……毎日確認する。
そして眠りにつけば――夢なんて見る暇なく、次の日が来る。
当たり前の日常が始まる。
いつもの時間に起きて。
いつもの時間に朝食を食べて。
いつもの時間の電車に乗って。
いつもの時間に学校に着く。
いつもの時間に授業が始まり。
いつもの時間に昼休みになる。
いつもの――第33居住地区・高等教育センター。
いつもの「風紀委員」の役割。
それは「学生が運営する自治組織で人生設計図から外れたものを報告する組織」という――、
「設定」らしい。
ゲームを遊び、異世界を知るほど、この「人生設計図」こそがキャラクターの設定だとハッキリ分かるんだ。
だから、今の私はそれらを「設定」だって思う。
ゴッドゲームオンラインを遊ばなければ、きっと……そんなこと、思わなかったのにな。
起こる事件も、報告義務も、その精神性すら設計に記載がある。
その通りに生きていれば、トラブルも起こらない。
起こるトラブルも決まっているし、攻略方法は提示されている、
まさにクエスト――ゲームのノンプレイキャラクターと変わりない。
「どっちのが、ゲームなんだろうなぁ」
はぁ、と廊下を歩きながら呟く。
この|統制機構《コントロール》の元で、
NPCとして生きろ、と言われているのと大差ない。
「でも……NPCって世界をもっと良くして、楽しんでもらおうとしてるよね。
ここで……そんなことしたら、私が風紀を乱しちゃう。その設定は記載ないもんなぁ。」
はぁ……と大きくため息を着く。
世界を救うこと。誰かの為になること。誰かを守ること。全部、全部――あのゲームの先でしか無い。
ゲームの先が現実だって言われても――私が生きている現実は……。
まさに、クソゲー。
高等教育センターのノンプレイキャラクター「風紀委員の栗原リコ」には何も出来ないのだ。
「ハーティの言ってたスキルなんだっけ……。NPCの人のやつ。
1日8時間見回りっするとすごい見回りができる人も居るッス、だっけ……。
あー、私なんか毎日それなりにNPCやってるから超すごい風紀委員できるんじゃないかなー……」
――くだらないことを考えるのをやめよう、と。
リアルというクソゲーのNPCに戻る。
明日、来なくなる子が居るんだ。
居るよ――だって、それが私の「やらなければならない」事なんだから。
そう在るように、決められているんだ。
生きているためには、そうするしか無いんだ。
今日の放課後に、報告しなきゃいけないんだ。
いけないんだよ、そういう筋書きのNPCなんだから。
どんだけ殴られても、ボスは休めないんでしょ、なら、私だってやらなきゃいけないんだ。
――涙は設定にない。出しちゃ、いけないこと。
嫌だよ。フレンドかもしれないし。
報告して、その日からオンラインにならなくなる……それを私がやらなきゃいけないこと。
嫌だ、な……。
――いつもの、帰り道。
――いつもの、家。
――いつもの時間が過ぎて。
部屋に戻って、掴むのはヘッドマウントディスプレイ。
「つら……」
さっさと被って、ゴッドゲームオンラインへとログインする。
「……んぉぉ!出待ち!出待ちだよね!ハチの出待ちあぁ~~!
私に吸って欲しいと言わんばかりのうなじが目の前にっ……!」
ログインと同時に、甲高い声をあげてエモートを連打するリコル。
眼の前に居るのは見慣れたコボルドが1匹。
定番の微妙な顔をしてやろうと思って居た雰囲気。
けれど彼女の言葉の端々が、いつもと違う。
"私"と、"わたし"の音の差は、分かるものだから。
「……どうしたッスか……」
眉を垂れて困った顔で見上げるコボルド。
「えっ?なんでもないよ……!もふもふをね!かわいいもふもふを吸い」
「流石にオイラでも分かるッスよ。
サポートNPCじゃないから、心拍も精神のブレも数字では分かんないッスけど」
「――うん……」
「敬語で良いッスよ、オイラしか居ないッスから。
プレイベートでエリア展開したほうがいいッスか?
……今日は辛そうな匂いッス。クーちゃんがしたくないことをしてきた日の匂いッスよ」
「匂いなんてしません……」
「仮にも犬王ッスよ?嗅覚系にバフが無いわけがな……わふん」
しゃがみこんだリコルが、何も言わずに抱きついてきた。
「オイラもホントは、一緒に帰ってあげたいッス。
そういう配役ではなくて、オイラとしてッスけど」
「……知ってます」
「わふ……それはそれで、犬王ハーティとしての威厳とかがッスね」
「なくていいです……私も威厳とか要りません。ヴィランもしたくないです」
「なんでクーちゃんがヴィランなんッスか……世界の為にちゃんとしてるッス」
「また、ここにね、一人来れなくしなきゃいけなかったの」
――元NPCの猟兵、コボルドが抱きつき返す。
これで落ち着くのか分からないし、そもそもシステム的にハラスメントなのかもしれない。
でも――プレイヤーさんが。
いや、一番最初に自分と「話した」友達が、もっと大事な存在が。
苦しんでいる。
できることは、こんなことしかないから。
「――いつか、助けに行くッス」
「もう助けてもらってる……」
「それでもッス。どこにだって助けに行けるはずなのに、クーちゃんだけ助けられないッスよ。
だから、絶対」
「いいよ、いいって」
ふす、とうなじが吸われた気がする。
落ち着いてきたかな、という気がする。
「あたしが、絶対助けるって言ってるのよ」
――配役で返す。本来はそういう、NPCだから。
「わ、久しぶりに聞いた。冗談できるようになったね~」
わしゃわしゃと頭を撫でてくるリコルに、好きなようにさせながら。
「わふ、心外ッス。で、希少な何とかラビットの色違いが、そこの茂みに湧く時間なんスけど」
「ああああああああああああああああああああああ!」
――あと1分。バタバタと準備をするリコルに、少しだけ元気が戻った気がした。
結局、世界を知っても、それはこのゲームの先でしかない。
けれど、オブリビオンは世界を壊す。
このゲームを壊す……バグプロトコルはオブリビオン。
どうして――猟兵は私の世界に来れないのだろう。
もし……私の世界がゲームで。ここが本当の世界なら……。
1分がもうすぐ訪れる。
ぶんぶん、と首を振ってカメラを構えた。
成功
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