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獣の巣

#封神武侠界 #ノベル #造られた命。生まれた心。育まれた絆。 #|無礼《なめ》るなら、相応の覚悟を。 #それも無いなら、命の支払いを。

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#造られた命。生まれた心。育まれた絆。
#|無礼《なめ》るなら、相応の覚悟を。
#それも無いなら、命の支払いを。


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結・縁貴




「お帰り|小猫《シャオマオ》、久しぶりだね」
 久方ぶりに会った彼女は、数年に及ぶ空白を感じさせない親し気な笑顔を結・縁貴に向けて来た。
 名を珪珪。瑞獣騶虞を基盤に縁貴を『設計』し『製造』した、立場上は実質親に近い存在。小猫呼ばわりにも別に悪意はない、事実幼獣期の彼は猫に近い見目だったのだから。
「まあまあ入りなよ|小猫《ねこちゃん》、外はもうすっかり暑いだろ?」
 中は涼しいよと誘う、友好的で好意的なその態度は昔と何も変わっていない。
 かつての神隠しによる偶発的な出奔、彼女からすれば突然の失踪だ。その事情を問い質すでも無くただ優しく笑って迎えて来る様は、子の故郷への里帰りを喜ぶ親兄弟の様。先述の関係性は兎も角、その美しく魅力的な容姿を見れば姉に準えるべきか。装身具が多少奇抜なのは、彼女が仙人である事を考えれば許容の範囲だろう。
「丁度部屋が一つ空いたばかりでね」
 その貌に悪意は無く、まして殺意などある筈もなく、縁貴の事を愛らしいと、大きくなぁれと思っている。それらが全て本音だと透けて見える。だからその温かな言葉に嘘は無く、再会を喜びはしゃぐその態度も本当。
 ただ、縁貴は知っているのだ。
「そこのベッドに横になりなよ、先ずは解剖するから」
 この|女《災い》の中にまともな情緒など一欠けらもありはしない事を。


●問い
──獣を狩ったり捕らえたり弄ぶなら、それは必ず巣の外でやるべきだ。決して巣に踏み入ってはいけない。もし其処に身重の番や幼い『次代』が居たならば……あなたはきっと殺されてしまうから。

「ああ、それは後にして下さい。用事があるんです」
 コツは『拒否しない』事だ。
 人の心等最初から持っていないこの存在は、だが興味が薄く尊重が皆無なだけで人間の思考そのものを理解できない訳ではない。だから、明確な拒否を前にすれば『じゃあ無理強いしよう』と言う判断を下す危険がある。
「そう? じゃあ早いとこそっちを済ましちゃおう」
 だから肝要なのは『じゃあ後で良いか』と思わせる事。そうして物理的に移り気な彼女の意識を逸らし、なあなあにして逃げ切る目を残す。可能性さえあれば後は何とでもなる。何せ慣れているから。
 けれどそこを見誤れば、その繊手により生きたまま腑分けされ発狂した過去数多の犠牲者達と同じ目に会う事になる。
 一応補足すると、この女仙は知らない生き物を見れば大喜びで飛びつき捕獲し解剖するが、同時に『命も身体も有限だから殺すと勿体ない』と考えている。『特に稀有的な生き物は次に出会えるか分からないから、殺しちゃダメ』ともだ。だから、倫理や道徳とは全く無関係な理由ではあれど解剖後はきちんと治療を行う。
 けれど、彼女が景気よく振舞う仙丹は肉体であれば三十六つに腑分けされた脳髄ですら完璧に癒すが、そのショックで崩壊した精神は治さない。かつてそうして壊した少女の狂態を前に、元通り組み立て直した筈なのに動かなくなったラジオを見る子供の様に首を傾げ、その後2秒で『まあ良いか』と興味を喪ったその貌を見た時悟ったのだ。こいつは、どうしようもない。真の意味で話にならない。
 だって、そもそもが人では無いのだから。
「はい。ちょっと聞きたいことがありまして」
 敬語を使い、笑顔と敬った態度を向けながら、縁貴の目は最初からずっと冷え切っている。それはそうだ、意識のあるまま自分を解剖して来る狂った思考の相手を好きな訳があるか?
 そう、生まれてからずっとその手中にあった彼がその被害の例外である筈も無い。
 悪意と自覚がないだけで、明確に尊厳と矜持を踏み躙り散々と色々な苦痛を与えられ続けた心底嫌いな相手……いや、仮にそれらの所業が全て無くとも彼は彼女に好意を寄せない。美を好む彼が、なのに掛け値なしに美女と言える見目の珪珪を好むことはあり得ない。
 その理由を確認する様に、視界を『縁を視る眼』に切り替える。途端、視界いっぱい己に向く夥しい数の『糸』の群、群、群……その悍ましさに反射的に視界を戻し、小さく息を吐く。
「へえ、小猫があたしに!? どんな事どんな事?」
 嬉しそうに……いや、本当に嬉しいのだろう。好意の対象である縁貴からの自分への要求が何なのか、純粋に興味深く面白いと感じているのだろう。好意……興味深い研究対象を見る研究者の目を更に無邪気に無配慮にした様なそれを好意と言って良いのかは甚だ疑問が残るけれど。
 それは人間に類する人格など持っていない。いいや、先程確認した膨大な数の縁の糸が、この存在が個体ですらない事を示している。その本性は粘菌の類……群体生物だ。
 化生、人ならざるものから仙人へと昇った存在のうち、獣や虫を基とする仙と比べてすら際立った異物。何百の意識を持ちながらその全てが彼女、何百の意識の総意が彼女の理性であり感情であり意識。先程その目で視た際、その何百全てから伸びる縁の内、太い物もあれば細い物や途切れている物すらあった。縁貴に対する縁≒興味にも『彼女達』の中で振れ幅があるのだ。逆に言えば今までの態度はその合算であり集計でもある。
 だから。
「私自身の出生の事と……それと一つ、思い出せない事があるんです」
 瑞獣は細心の注意を払って言葉を選ぶ。和善を偽装した穏やかな敬語で、敬意を取り繕って。
 心の底で煮え滾る嫌悪を抑え込む。彼女はこの場所に置ける『支配者の数少ない直弟子』と言う高い地位を持っているし。心情は兎も角彼が『飼われている間』に一定の会話術や教養を身に着け、立ち回れたのは珪珪の力添えあっての事でもある。
 つまり利用価値がある。だから本音を隠し、調整する。
「へえ?」
 彼女の中の大多数の興味を過剰に引き過ぎぬ様に、されど彼女の中の大多数に飽きられぬ様に。両立せねば目的は果たせず、最悪は生きて帰る事すら出来ない。
 そんな危険を冒してでも知りたい事があるから。
「皓夜と言う名の男について。なんですが」
 間違いなく己の知己で、きっと大事な存在で、なのに全く関わりを思い出せない、異世界にて影朧と化していた誰か。奇跡の様な巡り合わせと幾重にも恵まれた厚意の元、あの黄昏時の中で取り戻したその名前。
 それで自分の過去に違和感を覚えた。欠けた記憶がある事を自覚した。だから、自分の事をよく知り、且つ交渉が可能な珪珪の所に聞きに来たのだ。
 己の記憶が弄られているなら、過去が歪められているなら、そんな事が可能で、そんな事を平気でする奴には二人しか心当たりがない。その一方が彼女で、仮にもう一方の仕業だったとしても彼女が把握している可能性は高い。
「誰だっけそれ?」
 だからその瞬間、脳幹を貫いた熱をいなし切れたのは自分でも少し驚きだった。
 本気の貌。素の声。
「ああ、でも心当たりはあるんだ総当たりするからちょっと待って……」
 続く言葉と思案する仕草は、|■■■《あの事を》、|■■■■■■《あの時の事を》些事だと言って居る様で。
「……いや、覚えていないなら良」
 咄嗟の沸騰を抑えれた以上、今更改めて激昂したりはしないが。それでも気分は悪い。
 けれどそれを今表に出すのは悪手。天に最も近い仙の直弟子。群体生物として数多の己を持つ彼女の思考力と知能の総量は文字通りの桁違いで埒外。平時であれば未だ物理的に移り気……つまり、多様性を確保する為か思考に振れ幅とばらつきがある。だが一度敵対すれば、そして危機に値すると評価されれば、その全ての並列思考が『その対処』に束ねられ収斂する事となるだろう。
 大嫌いで、端的に言って殺意もしっかりある相手。けれど、だからこそ不用意には動けない。敵意を向け害意に気付かせるのは乾坤一擲、『殺す』その瞬間だけが最善だから。故に今は損切り時だ。この里帰り自体が無駄になろうとも、果断に一度引く事を決める事が出来る。
「うん! あたしの全部が覚えて無いって事はやっぱり老師の宝貝の所業。じゃあ逆説的に君|を定義付け《形をあげ》た日の穢食だね」
 その一言が無ければ。
 話を切り上げる為の言葉が途切れる。席を立ってしまえと浮かせた腰が止まる。だってその言葉は聞き逃せない。流すには余りに。恐ろしい。
「……えじき?」
 ストンと椅子に座り直したのは意図的か、それとも単に力が抜けたからか。
 それは、不浄の物を口にする事を指す。穢れに触れ身に取り込む事で神事に差し障りが出たり術儀に影響が出る故に、術師や道士の領分に置いては話題に上がって不思議の無い言葉ではある。
 ……だが、それで、その穢れを伴う食べ物とは『何』で。
 それを食べたのは……『誰』だ?
「うん、そうだよ。|老師《せんせい》が導いた結果。その御蔭で小猫と小猫の器はそんなに大きくなったんじゃないか」
 笑顔、そう形作っているだけの貌の形。
 でもそのままじゃ壊れる所でね、あたしも頑張ったんだよ? |みんな《あたしとあたし》で考えて、器を形に寄り添わせるのが一番負荷が少ないって判断して……と、ツラツラ続く言葉は、その専門性と神秘性とは裏腹に丸きり世間話の語調で、かつ絶妙に肝心の所を外していた。
「そんな、事より……!」
 失態だ。声を出すと同時に自覚する。
 目前の化け物の目がスゥっと愉快げに細まった。何処まで意図で何処まで天然なのか、チラリと見せられた情報の重さとその上で真芯を逸らされる焦燥につい微かに荒げてしまった語気、それだけで『その情報が彼に取って重要である』事を確認したのだ。こいつは。
「うん。勿論教えてあげるよ。小猫の知りたい事全部ね。だからその代わり」
 あたしの知りたい事も教えて?
 その笑顔は天女の如く美しく、声には親しみと好意が甘みとなって溢れていて……吐き気を催す程だった。


●答え
──野生の獣にとってこの上なく大切な物、種の保存本能に置ける最優先事項、それが次代なのだから。其処に手を出され、危険が及んだ瞬間、其処に居るのは最早ただの獣ではない。あなたの死だ。

 異世界の中華に置ける三大奇書の一つの中に、人ならざる起源を持つ仙人は人から成った仙人から軽んじられ下に見られるとの記述がある。だが珪珪が『老師』の周囲に傅く数多の仙人や道士達から疎まれ、事ある毎に攻撃を受け何十何百の身体を破壊され、その過去や背景を許可なく語られる理由はもっと単純だ。
 彼らが仰ぎ信仰の対象としている頂たる存在への不敬な態度を躊躇せず、彼らの定めた規律に則らないから。
 探求の化生。その本質は仙人とは遠い。何せ彼女は仙域に至る為の修行など一切積んでいない。仙縁があった事や仙骨があった事すら偶然でしかない。好奇心に拠って立脚し、興味を以て外れた。|生命《原初のあか》を『知りたい』と言う知識欲に只管に真っ直ぐに向かい続け、生命を片端から調べ解し暴き続けた末に人を経て仙人に辿り着き、成る事では無く知る事を目的として仙道を登り、ついには究極の一たる元人間に逢った人間外。
 弟子となったのはあくまでも知るため、その目的は変わらず調べ知る事。なのに調べる所か触れる事すら叶わぬ師に追い付く為あらゆる模索を行い続ける。だから頭なんか垂れる訳がない、そんな事をしたら見えないじゃないか。その圧倒的な力と源泉たる命の龍脈の輝きに心を焼かれ、魅了され最早ただ平伏す事しかしなくなった弟子とも言えぬ信者や従者達の作った規律に何か従う理由も無い。彼ら如きの不興を買って殺されようと、群体である彼女は只他の身体に移るだけ、ありとあらゆる処に意識すらせず絶えずばら撒き続けている己の欠片のどれかを本体に定義し直すだけなのだし。
「なるほど、じゃああたしが異世界に行く事は難しい訳だ」
 そんな有様の存在が質問の対価の前払いとして求めた情報、根掘り葉掘り聞いて来たのは『異世界』の事。そして猟兵の世界転移についてだった。
 これ程恐ろしく、警戒が必要な状況はそうあるまい。
「ええ、残念ですが猟兵では無いので」
 姐姐と呼ぶべき流れでもそう呼ばぬ為か、さり気なく二人称を外して応えている縁貴の態度に気付いた様子も無く。芳しく無い情報に気を悪くした風でも無く。化物は寧ろ上機嫌に頷く。
 縁貴は己が猟兵である事を隠さなかった。珪珪が自ら話題に出して来たからだ。既にその存在を知っているなら、昔日捕らえられた状況から突然消えて失せ、そして今会いに戻って来た縁貴がそうである事は明白だろう。下手に隠しても余計な不信を買うだけだ。と、そう判断したのだ。
「勿論、私が語って教える事は出来ますよ」
 その上で情報を選別して回答する。
 不可能の範囲を出来るだけ広めに提示し、その上で可能な対価を提示する。最初に低めに見積もる事で、多少の我儘や無理を言われても最終的に帳尻が合う様に仕込みながら。……当然、その際は適度に困り弱った上で渋々応じるていを取る算段だ。
 だが。結論から言えば、回答した事自体が悪手だった。
「猟兵しか世界を渡れない?」
 美しく艶めいた紅い唇が美しい弧を描く。
 確認する様に繰り返すその貌は華の様に妖艶で、花の様に可憐で、百人が見れば百人が魅了される事だろう。その本性を知らなければ。
「じゃあ小猫の連れてる魔物は?」
 当たり前の様に言う。
 縁貴は、敵と認識している相手に手札を晒したりはしない。空を舞っただけで目下の緑全てを枯死させると謳われた毒鳥、凶神より賜った使い魔の鴆を見せたり等していない。なのにその存在を看破され……いや、恐らくそれが異世界の存在だと言う事まで見抜いたのか。この世界の生命を粗方|調べ《解剖し》尽くしたと言うこの存在は。
「例えば、船ごと神隠しにあったものは?」
 乗り物を所持品として持ち運ぶ猟兵も少なくない。携帯が可能なサイズに収縮する品など、それこそ宝貝を始め幾らでもある。
「従者と共に落ちてきたものは?」
 契約に拠って、或いは何らかの魔術的繋がり等によって猟兵に紐付けられた人間やそれに類する種族。
 縁貴自身は今そう言う存在を所有していない。なのに何故その推論に辿り着いた? まさか既に他の類例に対面した事があるのか?
「……ね、抜け道、あるよね? あるよね!」
 それは確認だ。恐らく、確信では無いだろう。
 けれど指摘された時点で詰みだった。否定し切れる材料が無い以上試さない理由が無く、それを避けようと無理な反論をすれば寧ろ藪蛇になってしまう。
「猟兵と一部のオブリビオン以外は能動的に行き来できない。でも受動的なら。例えば奴隷にして帯同すれば可能かも知れない。猟兵自身に乗せて運べば転移出来るかも知れない」
 返事すら待たず、楽し気に更なる推論を組んで行く。出来たら良いな、面白いな、嬉しいな、可能性を感じたのだから確かめなくちゃ。
 彼女は何時もこうだ。仙の御師匠様として相対する存在に対してすらそうだ。模索する事が試す事が|調べ《解剖す》る事が楽しくて仕方ないのだろう。未確認生物はいくらでも解剖したい。だから別世界に出入りしたい。その先に彼女の求めて止まない知があるなら、そこに一歩一寸でも近付けるなら、彼女は何だってする。|自分を変質させることも厭わない《オブリビオン化も辞さない》し、遍く全てを踏み躙る。
「ねぇねぇ、小猫が転移して一番に会うのはどんな生物?」
 この女仙は。崇高な理由など欠片も無く、ただ知りたいから見て見たいからと言う純度100%の好奇心から『生物のつくりを解き明かすこと』に傾倒し、そこに至れるならばどんな形だろうと形振り構わないだろうこの群体生物は。
「知りたい! 知りたい! |調べ《解剖し》たい!!」
 その為に切り刻む命の事等その希少性でしか測らず、その為に苛み壊す心等認識すらしない。縁貴の事とて『最高峰の仙の力を継承した上で、種として成長と繁殖の可能性がある稀有的な実験動物』でしかなく、貴重と認識していても無意識に格下と扱い、拷問めいた解剖や実験を繰り返し、種馬の様な扱いすらした。悪気が無いからこそ他に類を見ない程に酷く性質の悪い化生は。
「連れてきて、結縁貴!」
 だから、躊躇なく『それ』に触れる。遠慮なく『そこ』を踏み抜く。
 それを慮る習性なんか、始めから備えていないから。


●結論
──だから、死にたくなければ獣の巣をつついてはいけない。殺されたくなければ相手の『大切』に触れてはいけない。どうしても触れるなら気付かれてはいけない。……気付かれたなら、もう遅い。

 見かけだけは話が出来そうな『災害』、珪珪を端的に表すならその一言だ。
 例えば、蝗害と呼ばれる大災害。日毎その地の糧と命を根こそぎ食らい尽くし、次の土地へと飛び去るそれを起こしているのは蝗と言う虫の群、つまり生物だ。であれば、ユーベルコードや宝貝の力で彼らとの対話を可能にすれば、事は話し合いによって解決するだろうか?
 無理だろう。そもそもが彼らには敵意も悪意も無く、ただ自らの命と群れを維持する為の本能……主に食欲で動いている。意思疎通した所で伝わって来る『お気持ち』は『おなかすいた』と『ごはんおいしい!』位が関の山だ。説得出来る筈も無く、理解し合える当てもない。行動の機序から『人』とは違うのだから。
 故に災害。遭わない事が一番良く、近づかない事が最も賢い。珪珪とはつまり、そう言う存在である。
「?」
 それは縁貴も分かっていた。寧ろ身を以て誰よりもよく知っている。この女仙が自分に好意的なのは、自分の存在と能力が彼女に取って貴重で興味深い存在だからに過ぎない。当時ろくな知と説明を与えられていなかった彼は、深い事情を全て把握して居る訳では無い。けれど長く接していればそれ位の大枠が分かる程度には、その言動はあからさまだ。そもそも隠す気も無いのだから。
 そして勿論、その認識は正しい。その道の頂きに存在する為に多様性と言う名の保険を必要としない、生殖し増える事が無い生物としての行き止まり。個として強すぎるが故に種として続かない単一。そんな埒外の存在の持つ『御縁の糸』に関わる能力を植え付けられた存在。けれど個として最強では無く、繁殖し増え得る多様性を持っていて、彼女の求める『種の最上級』への道程を進み得る……そんな恐ろしく希少で一度喪えば二度と手に入らないかも知れない生命。そんな貴重なサンプルへの固執。そこに情等と言う物は存在せず、寧ろその都度に当の|老師《埒外の存在》が|『死ぬよ』《喪われる》と補足しなければ、彼女は未だ幼い頃の縁貴を興味のまま解剖し尽くし絶命させていただろう。
 今、返事のない事に首を傾げている美女は、実際にはそう言うどうしようもなく有害で埒外な存在で。けれど縁貴はそれを承知の上で会いに来たのだ。覚悟し、対策も練った上でリスクを乗り越え情報を得る為にやって来たのだ。
 だが、それでも足らなかった。状況は考えていたよりずっと悪い。
「結縁貴?」
 名を呼んで来た。これで二度目。
 結縁貴……姓名ではない。けれどそれは紛れもなく彼を表す銘。存在の根底に刻まれた祝いにして呪い。『貴い御縁を結んでおいで』と言う言祝ぎで、呪言で、祝福で、呪詛で、忌で、下命。超越者により与えられ刻まれたそれはその魂を強化し、同時に縛る。その銘を使って為された命令には逆らい難く、呼ばれれば他世界に居てすら頭に響き、支配力すら有すから。
 それを今、珪珪は初めて使って来た。
「っ……!」
 縁貴は今の今まで、珪珪は自分の銘を知らないのだと思って居た。だがそれが勘違いだと分かった以上、彼の想定は大きく外れてしまっている。正直、最悪だ。
 知っていたなら何故呼なかったか、それは必要が無かったからだろう。神隠しにて消える迄の間、縁貴は彼女の命に表向き歯向かわなかった。それがどんなに彼の意に沿わぬ蛮行でもだ。
 つまり、逆に言えば今、珪珪は『戻って最初に合う異世界の存在を連れて来い』と言う己の命令が『強要しなければ縁貴は従わないかもしれない』内容なのだと言う事を正しく認識している!
 つまり逆らう可能性を見据えて先手を打って来たのだ。最早、誤魔化しが効く余地はほぼあるまい。
「聞こえなかったかな? じゃあもう一度言うね」
 3度目を口にしようとしている。最早完全に否定は不可能だ。こいつは自分が他世界生物を攫ってくるまで絶えず命じ続けて来る。一度己が興味を向けた事柄に夢中になる性質のこの災害は、その命令を決して引っ込めようとはしない。そう確信して、縁貴は先ずその支配に抵抗し振り払う。
 だが、ここからどうする?
「|啊《あー》……」
 先ず右の掌を向けて制す。これまで『小猫』から一度も向けられた事の無い、その明確に横柄な仕草に女仙は目を瞬かせた。
 その数秒で考える。いや、本当はもう決まっている。けれど最後に確認する。
 実の所、『その強制力に逆らわず、命令通り攫って来る』のも一つの手だ。実際、縁貴は人を攫う事への忌避感は薄い。弱いから攫われるのだ。自分も弱いから利用されるのだ。それだけだ。
 まして彼が珪珪に対し、内心とは裏腹に敬った態度を取り繕っているのは『絶対殺せる準備』が未だ出来ていないからだ。そうで無くては敵対するには危険極まり、情報源にもなり得る等利用価値もある。
 だから、何時かは殺すが今は未だだ。暫く後で良い。そう思って居た。
 ついさっき迄は。
「気が変わった」
 けれど今この時、それは過去形と成った。
 だって、気付いたのだ。彼がこの世界から退去し今暮らしている世界に戻る時、先ず最初に出会う相手が誰になるのか。
 グリモア猟兵、エセ淑女、ハイドランジア。お嬢様ぶった仮面の下の柄は悪いが付き合いは良く、何度か遊行に誘い共に馬鹿をしたり言葉を交わしたりした相手。そこそこ気心の知れた間柄と言って良いだろう。だからこそ此度、グリモアゲートの世話を頼んだのだから。
 傍若無人な様で時折妙に投げやりで意志の薄い目をする彼女が、我が強いどころか数多持って居る珪珪に襲われて勝ち得るビジョンは浮かばないけれど……それでも彼女だって猟兵だ、逃げれはするかも知れないし。どうなろうと自己責任だと切って捨てたって構わない。
 だが、それでも友人だ。
「俺の結んだ御縁に手を出すなら」
 銘である『結縁貴』に込められた呪いと祝いの通りに結んだ貴き繋がりの一つ、雨に濡れる花。仮にそれを『仕方ない』で諦めたとして、ではその先は? 他は? ……澄んだ桜の香、昏く優しい赤、紫煙の中の彩、多色重ねた白、真一つ歌う黒、眩く輝く聖き……何処まで迄諦める? 誰まで見捨てる?
『──友達ができたんだな、良かった、良かったなぁ。大事にするんだぞ、ユァン』
 冗談ではない、ただの一つも譲るものか。
 与えられた銘は命、埋め込まれた力は望んだ覚えが無く、文字通り籠の中だった半生の末、■■■■すら無かった事にされ。そうやって奪われ続けた結果、獣は物事全てを俯瞰して見る様になった。無意識に『また奪われる事』を意識し執着を持たぬ様に。けれど、だからこそ反動の様に一度懐に入れてしまった対象には固執する。……そんあ己の性質に自覚はあるのか、無いのか。
 何れにせよ、要するに縁貴は……ユァンは奪われる事が凄まじく嫌いなのだ。
「今殺す」
 固く閉じ続けた蓋を開き殺意を開陳する。
 逆鱗は抉られ地雷は踏み抜かれた。だからもう|此処から先は無し《showdown》だ。
「あっ、そうなんだ~」
 訣別の言葉に、災厄はアッサリと笑った。その左手の翠爪が擦れ合い耳障りな音を鳴らす。
 侮っているから、何とも思って居ないから、精神性が違うから、理由は様々あるだろう。だが全てどうでも良い。問題なのは目前の『コレ』が群であり何百の思考を今も同時に行っていると言う事だ。
 或いは動揺したり驚愕したりした『珪珪』も居るのかも知れない。けれどその上で、そうならず素早く判断出来た『珪珪』が群全体を牽引して居る。並列思考の最大の強み、『何百回と骰子を振り、出た目の中から一番良い物を選び得る』と言う途方も無いイカサマ。化物としての強さと仙人としての万能さの上で、更にそれ。
 今この瞬間、既に的確で致命的な攻撃や術の展開を行いつつあると考えた方が良い。
 災いの名に相応しい、それ程の難敵。
「好!」
 けれど笑う。決意と覚悟を込めて笑う。今度こそはもう何も奪わせない。
 過去が未来を喰らう世界の中で、『仙は古ければ古いほど強い』と宣い、その言葉の通りに師以外の凡そをその力で蹂躙し続けて来た災厄の女仙、圧倒的強者たる不滅の化生。
 知った事か。
 何度でも言おう。|俺の結んだ御縁に手を出すなら《お前は獣の巣をつついたのだから》、|今《必ず》殺す。
 かくて宿業の扉は開かれる。後戻りの出来ぬ、戦端が。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年05月20日


挿絵イラスト